脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『戦国大名と天皇〜室町幕府の解体と王権の逆襲〜』

http://www.kajisoku.com/archives/eid622.html
以前取り上げた「姉ちゃんの詩集」はめでたく書籍化が決定したようですが、vipperの才能は尽きるところを知らないようです。ガットゥーゾセードルフも大活躍ですので、サッカーファンは是非ご一読を。


 古本市積読崩し第三段。そろそろ残りがやっかいなのばっかになってきたぞ。

戦国大名と天皇 (講談社学術文庫)

戦国大名と天皇 (講談社学術文庫)

ユルギナイチカラが あなたに今囁いている

 日本史最大の謎。如何にして天皇家は1500年の命脈を保ちえたか?この疑問に答えるべく、一般に王権が最も危険に晒されたと考えられている室町盛期〜安土桃山初期の実体を実証的研究で明らかにした名著。攻むるも守るもこの書を読まずして、議論するなかれ。

 
 「読める」文章を書ける稀有なる歴史家今谷明氏の労作。「媚びない」骨太な実証的議論を面白く展開できる才能はまさに日本歴史学会の宝。もっと一般に有名になっていい人だと思うのですが、今一知名度に欠けます。世俗に興味のなさそうな如何にも学者先生なので、今後もブレイクすることはないでしょう。非常に残念です。
 一応断っておきますが、人名などへの注釈はなきに等しいのである程度の知識は必須です。大体『信長の野望』に出て来る連中の一世代から二世代上位が主役なので、『信長の野望』をやりこんでいれば何とか付いていけるでしょうか。少なくとも『戦国無双』じゃ糞の役にも立たないのは確かです。
 

 以下備忘録代わりの内容まとめ。結構適当なので鵜呑みにしないで下さい。
 義満*1皇位簒奪計画により、地に堕ちた皇室の権威。皇統自体は義満の急死により守られましたが、王権抑制の方針自体は息子の義持*2に受け継がれた為、この時代王室の権威は完全に有名無実と化していました。ただ、擁護者の幕府の権勢も強かった為、儀式の金にはさほど困窮してなかったのが救いでしょうか。
 この状況が変わるのは、永享十(1438)年永享の乱の鎮圧の為、義教*3足利持氏*4追討の綸旨の発給を朝廷に求めてからです。康暦元(1379)年康暦の政変で細川頼之*5が失脚し義満親政の始まって以来絶えてなかった治罰の綸旨の復活により、王家は国家の根本たる謀反人処罰の権利を取り戻すことができたのです。一度味をしめたらやめられないのが麻薬と綸旨。応仁の乱に向かい動揺する幕府権力の護持の為、乱発*6されていたのが確認されます。ここに王権の完全復活を認めることも出来るでしょう。
 時代は下って明応の政変*7(1493)により幕府権力が細川氏に掌握され、戦国時代に入る*8と、各地の大名が自身の支配の正統性の根拠を幕府の守護職でなく律令国司に求めるようになります。北九州掌握の為大宰大弐の官を求めた大内義隆*9三河の支配状況に応じて織田信秀*10今川義元*11徳川家康と継承された三河守などはその典型でしょう。しかし、律令体制は愚か荘園体制すら崩壊しかけたこの時代、禁裏に自前の財源なぞ有るわけはなく、足利→細川→三好と中央権力の保持者のスケールが小さくなるに従い、即位や大葬の儀式の金にすら事欠くようになり、フロイスの『日本史』に描かれた築地塀の破れた御所が出来します。これなどは日本特有の勢威と権威の二重構造をよくあらわしているのではないでしょうか。
 大分はしょりましたが、織田信長により激動の戦国時代も終わりを告げ、新体制への過渡期安土桃山時代が幕を開けます。信長も当初は天皇家は敬して遠ざける方針だったようですが、傀儡だったはずの義昭に裏切られ、信長包囲網が完成すると、天皇の権威に頼って講和*12を行わなければならなくなります。結果王権は完全に復活し、次代の秀吉の王権への完全降伏の時代を迎えました。
 以降の歴史は以前のエントリーを参照。
 

昨日今日明日と 笑顔のあなたはいつでもこの胸にいるよ

 悠仁親王誕生のお陰で完全に棚上げされた形の女系天皇容認論。現在の宮家廃絶・終身在位・一夫一婦制のもとでは遠からず王家の危機を招来するのは間違いありません。国体護持・赤色革命いずれの立場に立つにせよもっと天皇制の歴史について勉強すべきでしょう。核議論のように不可触の聖域にするのが一番危険です。イギリスの体たらくを望む訳ではありませんが、日本の天皇家ももう少し人間臭くなってはくれないでしょうか。離婚も浮気もやるならやればいいじゃあるまいかと思ってしまうのはやはり私が不敬だからなのでしょうね。やはり愛国心教育は必要です。以上悪名高き広島平和教育の結晶の私見でした。

今日の一行知識

上杉謙信は実は女性だったという説がある。
戦国BASARAも案外デタラメばかりではないんですね。一応論拠を挙げておくと、一生不犯、毎月決まった日に独り別庵に籠る習慣(生理?)、教条的正義感、ヒステリックな性格。何か微妙に失礼なこと言ってる気が。

ミエナイチカラ ~INVISIBLE ONE~

ミエナイチカラ ~INVISIBLE ONE~

*1:三代将軍。父義詮。

*2:四代将軍。

*3:六代将軍。父義満。通称「籤公方」

*4:第四代鎌倉公方。父満兼。

*5:管領。父頼春。

*6:永享十(1438)年足利持氏追討、同年多武峰治罰、嘉吉元('41)年赤松満祐追討、同三('43)年筒井光宣追討、文安二('45)年赤松満政追討、長禄四('60)年畠山義就追討、応仁元('67)年畠山政長追討、同二('68)年足利義視治罰、文明二('70)年後南朝残党誅伐、同九('77)年畠山義就後南朝残党追討、同十五('83)年畠山義就治罰、延徳三('91)年六角高頼治罰、文亀元(1501)年大内義興治罰

*7:細川政元が将軍義材(後の義稙)を逐い、堀越公方足利政知の子清晃(後の義澄)を擁立した事件。

*8:最近は戦国の始まりは応仁の乱ではなくこの明応の政変に求めるのが主流です。

*9:父義興。重臣陶隆房の反乱により死亡。

*10:父信定。信長の父。

*11:今川家九代当主。父氏親。桶狭間の戦いにて戦死。

*12:元亀元(1570)年朝倉・浅井連合との和睦、天正元('73)年足利義昭との和睦、同八('80)年本願寺との和睦の三度