グリーンスパンの2000年代前半の低金利政策は非難されるべきか?

デロングが6/29のproject syndicate論説で、そのような問いを投げ掛けている。そこで彼は、FRB財務省のほぼ議論の余地の無いこれまでの政策上の過ちとして、以下の3つを挙げている。

  1. 昨秋に、AIGの取引相手を支援するのではなく、AIGを国有化するという決断に踏み切った。そのため、金融業界は、自分たちの戦略は基本的に間違っていなかったというふりができた。FRBAIGのツケを被らなかったらそうはいかなかっただろう*1
     
  2. 昨秋に、リーマンを統制なき破綻に追い込んだ。これは、金融業界に、資本不足の相手との取引にはリスクがあること、政府が常に救済に駆けつけるとは限らないことを教え込むためだった。
     
  3. かなり以前に、原理原則に基づいた規制を緩め、影の銀行部門がレバレッジと報酬体系に関する規制を受けることなく成長することを許すという決断が下された。その決断は、金融への政府の規制は最小限であるべきで、商業銀行への政府の保証が、現在我々が経験しているような混乱を避けるのに十分だという信念に基づいていた。


そしてデロングは、4番目の過ちとして、2000年代前半の低金利政策を挙げるべきかどうか検討している。そこで彼は、迷いつつも、当時の金利は自然利子率に一致しており、過ちとは言えないのではないか、と結論付けている。


彼は翌日のブログエントリでさらにこの問題を検討し、同時に他の経済学者ないし識者の反応を紹介している。そこで彼は、ヴィクセルの金融政策に関する以下の基準を挙げている。

・金融政策の目標
市場金利を自然利子率に等しくする。
・金融政策の存在理由
自由市場任せだとゆっくりと痛みを伴って実施される実質貨幣残高への調整を、素早く実施する。
・金融政策の判断方法
予期せぬインフレがあれば、市場金利を自然利子率に比べ低くし過ぎたことを意味し、予期せぬデフレがあれば、市場金利を高くし過ぎたことを意味する。

そして、2000年代の前半には予期せぬインフレもデフレも無かったのだから、グリーンスパンはヴィクセルの基準で言えば成功したことになる、という評価を下している。


それに対し、同じエントリで紹介された各識者の反応は概ね以下の通り。

Mark Thoma
問題は低金利にあったのではなく、それが住宅バブルを発生させるのを金利以外のツールを用いて適切に規制しなかったことにあった。
Michael @ Bright Rights *2
資産バブルが膨張した時に、それが危機を引き起こす前に萎ませなかったことが問題。バブルかどうかは破裂した後でないと分からない、という彼の考えは無責任極まりない。バブルを萎ませるつもりが無かったのであれば、2000年代前半の彼の行動も正当化できない。
デビッド・ベックワース(David Beckworthテキサス州立大准教授)
2000年代前半の低金利が自然利子率に一致していたというデロングの観測は誤り。この期間は生産性が上昇しており、それは自然利子率の上昇を意味するので、FRB金利は上げるべきだった。また、テイラールールからも、金利が低すぎたことが示されている。なお、当時のデフレ圧力や雇用の弱さも、この生産性上昇で説明できるので、需要の弱さを示していたわけではない。国内最終需要の統計を見ると、需要は当時むしろ伸びていた。
Greg Ip ((Ipは[http
//www.economist.com/blogs/freeexchange/2008/06/were_very_pleased_to_welcome_g.cfm:title=昨年WSJからエコノミストに移籍した]ジャーナリスト。ただ、このリンク先のエコノミストのページには特に署名は無いので、デロングがなぜこの論説をIpのものと特定したかは不明。)):(Ipは低金利云々ではなく、デロングがほぼ議論の余地の無い政策当局の過ちとして挙げたうちの3番目に異論を唱えている。)原理原則に基づいた規制を緩めたことが問題だという見方には同意できない。むしろ、SECのようなルールベースではなく、原理原則に基づいていたことが問題だったのだ。というのは、どの原則を優先するかしないかが当局に判断に委ねられていたからである。結果として、最も重要視すべき原則――システミックリスクをもたらす危険性を探し出し、理論上はどうあれ現実には銀行に危機をもたらす事柄について創造的に考えること――がおざなりにされた。
Noam Scheiber(The New Republicコラムニスト)
デロングのように2001-2004年を一緒くたに考えるのは誤り。2001年から2003年初期までは、グリーンスパンの政策に問題は無い。問題は、完全雇用にまでは至らなかったものの景気の安定がはっきりしていた2003年6月にFF金利を0.25%下げて1%にし、それを2004年6月まで維持したこと。この間の四半期ごとの成長率は、7.5、2.7、3、3.5%だった。その間も低金利を維持したのはデフレ防止を保証するため、と説明されているが、その結果生じたバブルと、そのバブルが破裂した後に生じるより大きなデフレ圧力を考えると、その行動はもはや正当化できない。

*1:個人的には、この文章を読んで、日本が住専問題で農協の貸し手責任を曖昧にしたことをふと連想した。

*2:ブログに特にプロフィールが書かれていないので、経歴は不明。