2010-10-21
トレーニング・デイ
経済 |
最近持ち上がった齊藤誠氏と飯田泰之氏の論争(というほどのものでも無いかも知れないが)を興味深く拝見したが、非自発的失業に関する齊藤氏の発言
実は、経済学研究の先端で厳格なトレーニングを受けた研究者は、「非自発的失業」や「自発的失業」という言葉をほとんど使わない。
を読んで、吉川洋氏が以下の著書で報告したルーカスの発言を思い出した。
- 作者: 吉川洋
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少し長くなるが、その発言を報告した部分の後の吉川氏の現代経済学への評価も含め、以下に引用しておく。
一九七七年私はイェール大学の大学院生だった。イェール大学はアメリカ・ケインジアンの総帥ともいえるトービンの影響下に、当時米国でケインズ経済学が生き残っているほとんど唯一の大学だった。「合理的期待」理論の発信地であるシカゴ、ミネソタ大学などはもとよりハーバード、MIT、プリンストンなど東部の主要大学でも「合理的期待」理論は大きな影響を与えていた。そうしたある日シカゴからルーカスがイェールにセミナーにやって来た。セミナーの途中で一人の助教授がルーカスに「非自発的失業」について質問した。ルーカスは「イェールでは未だに非自発的失業などとわけのわからぬ言葉を使う人が、教授の中にすら居るのか。シカゴではそんな馬鹿な言葉を使う者は学部の学生の中にも居ない」と答えたものだ。やがて話は一九三〇年代の大不況へと移っていった。大不況時のアメリカの失業率は最悪時で二五%に達した。しかしルーカスによれば「非自発的」失業は全く存在しなかった。多くの人がただ職探しという「投資」を行っていたのである。最後にトービンが少し興奮した口調でルーカスに言った。「なるほどあなたは非常に鋭い理論家だが、一つだけ私にかなわないことがある。若いあなたは大不況を見ていない。しかし私は大不況をこの目で見たことがある。大不況の悲惨さはあなた方の理論では説明できない。」
一九八〇年代に入ると「ケインズ反革命」はさらにエスカレートした。「リアル・ビジネス・サイクル理論」という理論が登場したのである。この理論によれば景気循環は新古典派的な均衡そのものの変動に他ならない。フリードマンやルーカスは失業率が一〇%にもなるような状態では、「自然失業」を上まわる失業が存在する、つまり職探しという「投資」が過大に行われている、と考える。そしてケインズ的な金融政策を止めマネー・サプライの成長率を安定させることによりこうした問題は解決できる、と主張した。これに対しリアル・ビジネス・サイクル理論によれば、失業率が五%であろうと一〇%であろうと、それは全て均衡の失業率つまり「自然失業率」そのものの推移に他ならない。現状は常に最適状態であり、景気安定化に関して政府に出来ることは何もないし、そもそもその必要もない。すべからく現状を肯定するリアル・ビジネス・サイクル理論は新古典派経済学の「終着駅」と言うべきものである。
深刻な経済問題を抱えるアメリカで、何故これほど馬鹿馬鹿しい楽天的マクロ経済学が盛行するのか。なるほど「学問」などと偉そうなことをいっても人の営みの一つであるからには、所詮「狂気」から自由であるはずもない。いずれにしてもそれ自体将来の思想史、経済学史上の興味ぶかい研究対象となるであろう。一九八〇年代にはアメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、日本の中曾根政権といずれも「新保守主義」を奉ずる長期政権が誕生した。市場機構礼賛の合理的期待学派、リアル・ビジネス・サイクル理論が盛行したのも時の流れであったのかもしれない。一九八〇年代から九〇年代には何でも新しいことの好きなアメリカでは、「新ケインズ経済学」なる一派も生まれたが、大勢としては新古典派経済学が優勢である、といってよかろう。マクロ経済学は混迷のまま二十一世紀を迎えることになりそうである。
なお、齊藤氏は飯田氏に対して
第一に、先端の経済学の良質なメッセージが一般の人々に伝わるのを妨げるような不用意な発言はやめてほしい、
第二に、経済学者として公に発言するのであれば、先端的な経済学研究において厳格なトレーニングを積んでからにしてほしい。準備不足でいい加減な発言が経済学者の意見として垂れ流されれば、迷惑を被るのは、地道に経済学を研究している人たちであり、もっと深刻な迷惑を被るのは、何も知らないままにそうした発言を押しつけられてしまう普通の人々である。
とも書いているが、現在、東京大学大学院経済学研究科長・経済学部長の要職にあると同時に政府の各種委員会の委員も歴任している吉川氏が、一般向け新書で「先端の経済学」の一派を「狂気」とまで評したということの影響度は、(失礼ながら)飯田氏のツイート一つの影響度の比では無いかと思われる*1。
齊藤氏に言わせれば、吉川氏も「先端的な経済学研究において厳格なトレーニングを積んでから」経済学について発言すべし、ということになるのだろうか…。
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サーチ理論も求職を投資と考えている
ケインズ派だから齟齬が発生している訳ではなく、そこに価値観を孕んでいるが故に違和感を生じているだけである
「おめでたい」と言いたいのですね
自然ナントカガと言うあいつらみんな、「狂気」。なるほど。飯田先生はケインズ派。
ケインズに習い、需給ギャップ分30兆円毎年毎年財政すればいいと。ウーム
慶應の権丈善一教授が書かれていますね。
”若い学生たちへの􌔗教育の力> というものはみかけよりも大きいようで,それは,良かれ悪しかれ,人の生涯の考え方に大層な影響を与えてしまうのである。
さらに言おう。「歴史センス」が欠如する,いかにも「経済学者らしき発言」は,(略)近代経済学〔近経〕に特化したことを看板に掲げた大学〔院〕で過ごしたことのある研究者において顕著に現れる傾向があると,わたくしは診断している。(略)日本のなかで早くに近経,特に米国で主流の経済学教育法に特化した大学〔院〕では,研究者の訓練時において,制度・歴史という,彼らからみれば生産性をあげるうえで非効率な夾雑物が,とうの昔に捨て去られているように見受けられて仕方がない。”
・・・・米国内の本場で叩き込まれた日にゃ
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare205.pdf
”ちなみに、どこの大学を卒業したかが大切。二十歳の頃に何を見たかが重要なんだよね。刷り込みの理論、社会科学では決定的に重要な役割をはたします(略)
社会科学ってのは、科学というよりは本当はアートなんですよ(笑)。”
是非。
是非、先生にはご自身の「長期均衡」説を裏付ける根拠として今回の景気循環(過剰の調整)で日本経済の家計が得た厚生の利得がどれ程のものなのかを具体的な数値で示していただきたい。
そうすれば1これまで家計は企業の過剰投資ないしは過剰な内部留保で***程度の厚生の損失を被ってきた(上の文献での主張) 2しかし今回の景気循環で家計は購買力の増大により***程度の厚生の利得を得ている3従って現在日本経済は過剰の調整局面にあり長期均衡に向かっている(経済誌での主張)...といった具合にご自身の日本経済に関するこれまでの見解との論理的なつながりがはっきりし、例えば「長期均衡とは...オメデタイ」などの不当な論評が出てくるような事にはならなかったのではないかと思われる。