2011-12-02
ポーランドの英雄か裏切り者か?
昨日紹介したポーランド外相シコルスキの演説に対し、賛否両論の反応が出ているらしい。
否の方では、国内の野党が不信任案や問責決議案を出す動きを見せているとのこと。欧州連邦を提唱する彼の発言は、1989年以前の属国の状態にポーランドを戻そうとするものであり、憲法の誓約を破るものである、というのがその理由。第四帝国による覇権を提唱するものだ、という非難まで飛び出したとの由。
一方、German Marshall Fund of the United States(GMF)という組織のブログでは称賛の声が寄せられ、未来のEU大統領との呼び声まで掛かっている。また、同ブログのブロガーの中には、歴史的事例を巧みに盛り込んだその演説を分析した人もいる。それによると、昨日紹介したユーゴスラビアの事例を演説の冒頭に持ってきたことにより、その紛争時に30万人の難民を受け入れ、第二次大戦後初の軍事介入を余儀無くされたドイツ人の注目を確実に集めることができた、との由。
ちなみにシコルスキ演説では、別の連邦解体の事例を最後に持ってきている:
I started with a story of one experiment in political union, communist Yugoslavia.
Let me end with another: Europe’s least-known federation, the common state between Poland and the Grand Duchy of Lithuania which began in 1385 and lasted for over four centuries. Which is to say, longer, so far, than federations such as the United States, United Kingdom or Bundesrepublic Deutschland, to say nothing of the EU.
It was a Commonwealth which, like the EU, raised the standards of its time. It had a joint parliament and an elected head of state. Its political nation – those entitled to vote – comprised 10% of the population – the height of inclusiveness at the time. Religiously tolerant, it saved its people from the horrors of the Thirty Years’ War. Cities were founded on the Magdeburg law, many of them – like my home city of Bydgoszcz - by German settlers. Jews, Armenians and dissenters of all kinds from all over Europe voted with their feet to seek their fortunes there.
Liberty went hand in hand with military prowess. At Grunwald in 1410 its troops crushed the Teutonic Knights, whose heraldry lives on in the symbols of the German military. In 1683, at the gates of Vienna, we prevented the Ottoman Empire from uniting Europe under the banner of Islam.
And then, at the turn of 17th and 18th centuries, something changed. Elected kings, separate armies and currencies – couldn’t compete with unified, mercantilist, authoritarian nation states. The Commonwealth’s most democratic feature – the deputy of a single province could block legislation – became its biggest vulnerability. The principle of unanimity – admirable in a federal state – proved open to irresponsibility and corruption.
Poland eventually reformed itself. Our 3rd May Constitution of 1791 abolished unanimity, unified the state and created a permanent government. But reform came too late. We lost the war to defend the Constitution and in 1795 Poland was partitioned for over a century.
Moral of the story? When the world is shifting and new competitors arise, standing still is not sufficient. Institutions and procedures that have worked in the past are not enough. Incremental change is not enough. You have to adapt fast enough even to retain your position.
I believe we have the duty to save our great union from the fate of Yugoslavia, or the old Polish Commonwealth.
(拙訳)
私はこの演説を、共産主義ユーゴスラビアという一つの政治同盟の実験についての話から始めました。
最後に、別の実験についてお話したいと思います。欧州で最も知られていない連邦であるポーランドとリトアニア大公国との連合*1です。それは1385年に始まり、4世紀以上に亘って続きました。つまり、現時点では、EUはもちろん、アメリカ合衆国、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、ドイツ連邦共和国といった連邦よりも長く続いていたことになります。
それはEUと同様、その時代の先端を行くような連邦でした。合同議会と選挙で選ばれた指導者を有していました。有権者は全人口の10%に達していましたが、それは当時としては最も高い比率でした。宗教面で寛容であり、30年戦争の恐怖から人々を守りました。都市はマクデブルク法に則って建設され、私の故郷であるビドゴシュチを含め、多くはドイツ人の入植者によって建設されました。ユダヤ人やアルメニア人、および欧州中のあらゆる反体制派の人々がこの連合にやってくるという形で自らの意思を表明し、そこで自分の運を切り開こうとしました。
自由は軍隊の武力と表裏一体でした。1410年にその軍隊はチュートン騎士団――その紋章はドイツ軍の紋章に今も使われています*2――をグリュンワルドで打ち破りました。1683年には、ウィーンの城門で、オスマン帝国がイスラムの旗の下に欧州を統一することを我々は防ぎました*3。
しかし、17世紀から18世紀に掛けての時代の移り目において、状況が変わりました。選挙で選ばれた王、および、ばらばらの軍隊と通貨では、統一された重商主義的かつ権威主義的な国民国家に太刀打ちできなくなったのです。ただ一人の地方代表が法制化を阻止できるという連合の最も民主主義的な特徴が、その最大の弱点になりました。全員一致の原則は、連邦国家においては称賛されるべきことのはずですが、無責任と腐敗の温床になることが明らかとなりました。
ポーランドは遂に改革を実施しました。1791年の5月3日憲法は全員一致の原則を廃止し、国家を統一して恒久的政府を打ち立てました。しかし、改革は遅きに失しました。我々はその憲法を守る戦いに敗れ、1795にポーランドは分割され、その後一世紀以上も分割状態が続きました。
この話の教訓は何でしょうか? 世界が変動して新たな競争相手が現われた時には、何もしないのは得策ではない、ということです。過去にうまく機能していた制度や手続きではもはや対応できません。段階的な変化でも十分ではありません。自分の立ち位置を守るためだけにでも、素早く適応しなくてはならないのです。
我々には、我々の偉大な連合がユーゴスラビアや昔のポーランド連合王国と同じ運命に陥ることを防ぐ責務がある、と私は信じています。
この最後のくだりは、小沢一郎が好んで引用することで有名なヴィスコンティの「山猫」の台詞「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」を彷彿とさせる。これはイタリア統一を背景にした台詞だが、シコルスキは、演説の中盤で、「イタリアはできた。イタリア人を作らなければならない。」というイタリア統一後初めての議会でのマッシモ・ダゼリオの(現実の)台詞*4を引用し、EUは既に統一欧州も欧州人も備えているのだから、あとは政治的形態を整えるだけだ、と訴えている。
こうしたユーゴスラビアやポーランド・リトアニア連合王国の事例とは逆に、シコルスキが演説の中で成功事例として挙げている連邦は、米国とスイスである。先のGMFブロガーは、そこでシコルスキが米国のアレクサンダー・ハミルトン財務長官の経済政策(13州の債務を共同保証とし、そのための歳入の流れを創出した)を持ち出したことは、ユーロボンドとより強力な欧州中央銀行というドイツが嫌う政策へのさりげない誘導である、と分析している*5。
ちなみに昨日のエントリのぴっちゃんさんのコメントでは、シコルスキ演説の関連発言として、ユーロ圏が解体すると10年以内に戦争が起きる、と述べたポーランド財務相に関する記事をご紹介いただいた。正直なところ、通貨統合かしからずんば戦争か、という緊迫した問題意識は、経済学云々というよりは、歴史の苦汁を嘗めてきた東欧諸国の皮膚感覚から発せられているように思われ、我々日本人、あるいは例えば(ライアン・アベントのような)英米人にとっても理解し難いような気がする。それどころか、別のGMFブロガーによれば、大半のドイツ人にとっても理解を超えているようである:
The crisis is something that Germans only know from reading the newspaper–if at all. How are they to understand a sentence like this: “The breakup of the eurozone would be a crisis of apocalyptic proportions”? If is therefore understandable that the most relevant criticism of Sikorski heard in Berlin the morning after is directed at what locals perceive of as exaggerations. Is it really that bad? Break up? Come on. Isn’t Sikorski an alarmist of sorts?
So, let’s turn this around and assume that Sikorski is not an alarmist, but knows full well what he is talking about. But that, conversely, the echo chamber of Germany’s national conversation has produced an intolerable complacency. It would then be the merit of Sikorski’s wake-up call to have alerted the German public to the reality of their responsibility for the travails of the eurozone. Maybe the most important moment of his speech came when he reminded the audience that, despite Germany’s “understandable aversion to inflation,” the country would have to “appreciate that the danger of collapse is now a much bigger threat.” Maybe five individuals in the audience applauded. Other than that, there was complete and deafening silence. The audience wanted none of it. They did not want to hear the distinction of a problem of the first- and one of the second-order.
Radoslaw Sikorski said what needed to be said. And he said it where it needed to be said and when it needed to be said. Will the Germans hear him?
(拙訳)
危機は、ドイツ人が把握しているとしても、新聞を通じてのみ把握しているものだ。彼らにどうして「ユーロ圏の解体は黙示録級の危機となろう」というような言葉が理解できようか? 従って、シコルスキ演説の翌朝にベルリンで聞かれた最も当を得た批判が、現地の人々が誇張と受け止めた部分に向けられたことは理解できる。そこまで状況は悪いの? 解体? まさか。シコルスキは騒ぎ過ぎなんじゃないの?
だが、もしシコルスキが騒ぎ屋などではなく、自分が何を言っているのか完全に理解しているとしたらどうだろうか。その場合は、逆に、ドイツの世論が行き過ぎた自己満足に陥っていることになるのではないだろうか。すると、ドイツ国民がユーロ圏の苦難に関して負っている責任という現実を突きつけたことが、シコルスキの目覚ましコールの功績だったことになる。彼の演説の最も重要な瞬間は、ドイツの「インフレへの忌避は分かるが」、「崩壊の危機の方がより大きな脅威となっていることを認識」すべき、と聴衆に呼びかけた時だっただろう。多分聴衆のうち5人くらいが拍手喝采した。それを除くと、完全な耳を聾さんばかりの沈黙が支配した。聴衆は聞きたくなかったのだ。彼らは最重要の問題と二次的な問題との区別など耳にしたくなかった。
ラドスワフ・シコルスキは言うべきことを言った。彼はそれを、言うべき場所で言うべき時に言った。ドイツ人は彼に耳を傾けるだろうか?
なお、シコルスキは、ユーロ参加のためにいかにポーランドが犠牲を払ってきたかを強調すると同時に、ユーロ圏の拡大が今回の問題の原因では無いとして、財政規律の強化によってユーロ圏に信頼を取り戻すことを訴えている*6。そして、演説の結論部では以下のように述べている:
We are not only by far the world’s biggest economy but the largest area of peace, democracy and human rights. Peoples in our neighborhood – both East and South – look to us for inspiration. If we get our act together we can become a proper superpower. In an equal partnership with the United States, we can preserve the power, prosperity and leadership of the West.
(拙訳)
我々は群を抜いて世界最大の経済であるだけでなく、平和と民主主義と人権が守られている世界最大の地域でもあります。我々の東と南の双方の近隣は、我々から刺激を受けています。我々が結束して行動すれば、我々は自らの力に相応しいスーパーパワーになれます。米国と対等のパートナーシップを結ぶことによって、西洋の力と繁栄と指導力を維持することができるのです。
こうしてみると、歴史の荒波に翻弄されてきた弱小国の国民が世界的なスーパーパワーの一員になる、ということが彼らにとってどれほどの意味を持つのか、そして、そのためにどれほど緊縮策を耐え忍ぶ用意があるのかは、外からは計り知れないものがある、ということなのかもしれない。
ポーランド・リトアニア共和国(リトアニアは大公国なので連合王国ではありません)の失敗は改革の内容にあるのではありません。
改革が遅きに失したことにあるのです。
最も大きな原因がLiberum Veto(自由拒否権)でした。
1791年の欧州初の成文憲法はこのLiberum Vetoを廃止することが最大の目的だったのです。
共和国憲法「1791年5月3日憲法」の英訳はWikisourceにあります。
ぜひ読んでみてください。あまり長い文章ではありません。
読むと読まないとでは、私がこれから書くことや、いまのヨーロッパのなかでポーランドの現指導者たちがいったい何を考えているのかについて、理解の程度がまったく違ってきます。
シコルスキは演説の中でイマニュエル・カントの定言命法に言及しましたが、なぜ彼がこれを出してきたのか、ポーランド憲法をお読みになれば理解できると思います。
Ryan Aventはアメリカ人で、アメリカという国は地政学上戦乱の最前線となる可能性が非常に低いため、彼が浅薄な理解しかできないというのも自然のことかもしれません。
彼はブログの中でときどき自分の若いころについて言及しますが、彼自身も戦場に出たことはなさそうです。
しかし大戦争とは、かならず国家間の借金トラブルが原因で起こるものです。
第二次大戦は、メフォ手形の最初の償還期が来る直前にドイツがポーランドに侵攻して引き起こされました。
ユーロ解体はドイツなど高度資本蓄積が実現した経常黒字国の経済を長期停滞に陥らせ、一方で資本蓄積が貧弱な国の経済をインフレと高失業が襲い、必ずどちらでも大衆主義(ブレジンスキーの定義によると全体主義)と排外主義を勃興させます。
その際、どちらの国でも負の投資の増加ペースが投資の増加ペースを上回っています。
政治的打開策が各国における軍事ケインズ主義による投資増加となれば(大概こうなるということは歴史が証明している)、その原資調達のトリックがいつかは行き詰まることから、大戦争が不可避になります。
前回はメフォ手形の調達モデルが行き詰ったことでドイツ人は他国の資本略奪目的の戦争を始めました。
もちろんこれはまぎれもなくマクロ経済学の一部ですよ。
ケインズ一般理論の基本テーマです。
数学的アプローチのみがマクロ経済学の全てなのではありません。
歴史学や社会学のアプローチは必須です。
全体を説明しているのは他でもないカレツキの「政治的景気循環」の理論です。
「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」といいますが、Aventは典型的な後者に属ずるでしょう。
いっぽう、ポーランドのいまの指導者たちは、マクロ経済学において正統的なケインズ・カレツキ派(よりカレツキに近い)なのだと解釈できます。
つまりユーロ解体が目前の問題そのものなのではなく、ユーロ解体が引き起こす結果が問題なのです。
現実問題としてその結果を避けることがどうしても無理だから解体などしてはいけないのです。
なりふり構わぬ軍事ケインズ主義に走って軍部が暴走し、大陸の資本を求めて大戦争に突入した日本人に理解できないはずがありません。
Kleine-Brockhoffのそのブログの主旨は、「シコルスキは真実を言った。ただ、ドイツ人(や他の欧州人)がそれを理解するほどのレベルに達していないか、あるいはドイツ人(や他の欧州人)の間にあまりに耳が痛いためにそういう真実を聞きたくない気持ちがある。」ということではないでしょうか。
私は2007年の総選挙からポーランドのいまの指導者たちに注目しはじめて以来その言動をウォッチしていますが、「世界的なスーパーパワー」云々はドイツ人や他の欧州人向けの単なるレトリックのようなものにすぎないと解釈するのが自然です。
聴衆にとって耳の痛い真実ばかりを挙げる一方で、こういうポジティブな夢みたいなことを言わないとしたら、聴衆は惹きつけられるでしょうか?
景気循環論における政治的要素についてのカレツキの悲観主義とよく対比されるケインズの楽観主義(一般理論の最終章などに現れる)もその手のものではないでしょうか?
独立前のポーランドには「蜂起」という運動のほかに、それと対立するものとして「有機的労働」という運動がありました。
ポーランド・リトアニア共和国の憲法制定時代には、憲法を制定した「愛国党」を中心とする穏健勢力と対立するものとして、排外的な武力闘争を主張する「バール連合」という大衆主義勢力がありました。
つねにカント的哲学とヘーゲル的哲学の対立があるのです。
そしていまのポーランドの指導者たちは明確にカント的です。
ケインズはベンサム的な態度を気取っていますが、彼のマクロ経済学の根底にあるのは実はカント哲学と同じものであることは一般理論を読めばわかることです。
定言命法に基づいた自由経済モデル。
Free Exchangeをずっと読んでいるとAventの考えはベンサム的ないしヘーゲル的です。
いかにもアメリカ人らしい。
彼が、流動性選好を無視して、市場利子率は完全雇用の状態の国民所得で投資と貯蓄が一致する水準に決まる、という古典的理論をそのまま現実の世界に当てはめる政策(そういう市場利子率水準を実現すべきだ)を主張するのは、ヘーゲル的だということです。
また、最後の部分ですが、貴殿自身の解釈にも大きな誤解があります。
各国は緊縮策を耐え忍ぶのではありません。
財政統合は、各国家を地方自治体にするのと同じことです。
つまり各国家は財政規律を厳守することを求められますが、中央政府から潤沢な地方交付税交付金が割り当てられます。
財政統合では、圏内で国際収支が消滅することも忘れてはなりません。
ですから各国家は、財政規律は守りながらも歳出に困る事態は避けられるのです。
これにより、普通の国家の中で行われているような、資本の再分配が圏内で行われる下地ができます。
したがって各国にとって政策面としてのausterityは結果面ではausterityにはなりません。あとはその再分配をできるだけ裁量を排除して(=できるだけ自動的に)行う下位の制度づくりの問題ですから、それはそれでまた別にいろいろ考えたり調整したりしていくものです。
貴殿の今回の件に関する全体の理解を(私から見れば)矛盾の多いものにしているのは、ポーランドに対する先入観もたしかに感じられますが、むしろこの点つまり、各国の財政規律に関する誤解なのではないかと思われます。
私はこの件に関してAventよりはLucasの視点のほうがはるかに有意義であると思います。
むしろAventはの解釈はマクロ経済学的にも浅薄すぎて現実的な意味がないと結論します。
また、シコルスキはポーランドの英雄というよりは、ヨーロッパの英雄になりましょう。
彼はポーランドの首相や大統領という職務よりも、ヨーロッパ合衆国の首相ないし大統領という職務に向いています。
http://en.wikisource.org/wiki/Constitution_of_May_3,_1791
私はケインズの一般理論とカントの実践理性批判を読んだのちにこの憲法を読んで衝撃を受けましたが。
むしろ現代の各国家の憲法よりも先進的な思想と実践的なメソッドに溢れています。
それでは、よい週末を。
> つまりユーロ解体が目前の問題そのものなのではなく、ユーロ解体が引き起こす結果が問題なのです。
> 現実問題としてその結果を避けることがどうしても無理だから解体などしてはいけないのです。
歴史に基づいているにしても、その因果関係は説得力が弱い、というのが正直な感想です。似たような議論に、高橋財政に見られるように日銀の国債引き受けは必ずハイパーインフレに結び付くので、現在の日本の経済的苦境をリフレ政策で乗り切ろうなどとしては決してならない、というのがありますが、その時々の政治社会環境等を無視して法則化しようとする点で両者に類似性を感じてしまいます(それこそヘーゲル的な歴史法則主義のように見える)。ちなみにシコルスキ演説でも、その辺りの説明は、離婚は大抵泥沼化する、カリフォルニアで離婚した夫婦の中には飼い猫の所有権を争って10万ドル費やしたものもいると聞く、という程度に留まっています。
> 私は2007年の総選挙からポーランドのいまの指導者たちに注目しはじめて以来その言動をウォッチして
> いますが、「世界的なスーパーパワー」云々はドイツ人や他の欧州人向けの単なるレトリックのような
> ものにすぎないと解釈するのが自然です。
そうでしょうか? むしろこちらの言葉こそ、わざわざ東の近隣に言及していることから考えても、以下の記事に記されているような彼の地政学的な考えと結び付けて解釈する方が自然だと思います。
http://euobserver.com/9/31462
ちなみに下記の今夏のニュースでは「Mr Sikorski said, the European Union, as a future superpower, should also be made the Council’s permanent membership.」と書かれていますが、特に欧州人向けではない場でもそういった発言をしたことは、彼のEUに関する地政学的な考えが一貫していることを裏付ける証左のように思われます。
http://www.thenews.pl/1/10/Artykul/51231,Sikorski-supports-India-UN-Security-Council-bid
> 各国は緊縮策を耐え忍ぶのではありません。
> 財政統合は、各国家を地方自治体にするのと同じことです。
ここでは財政統合が完成した後の緊縮策の話をされていますが、私が言っているのはそれ以前のユーロ参加のための緊縮策の話です。たとえばクルーグマンが時々ラトビアなどの緊縮策を「良くやるよ」という感じで批判していますが、それと同趣旨です。
経済学が好きな人が景気循環論を扱う際、統計学のアプローチを重視するあまり、往々にして歴史学や社会学のアプローチを軽視する傾向があるようです。
それはある意味しかたないと思います、というのも計量的な意味で明示的な回答を得る手段の魅力は抗しがたいものですから。
貴殿が歴史的な根拠に基づいた発言に対して確信が持てないというのも自然なことではないでしょうか?
ただ、私ももちろん経済学が好きなのですが、ケインズの一般理論を何度も読んでいるうちに考えを改めました。
たとえばReinhartとRogoffのThis Time Is Differentは統計データを羅列していますが、これを解釈するのに歴史学と社会学のアプローチは欠かせません。
そのメタ・セオリーとして哲学も。
「今の」シコルスキの地政学はキッシンジャーのそれでなくブレジンスキーのそれと同じです。
両者ともアメリカを軸としていますが、キッシンジャーのどこか一国主義的ないし帝国主義的な発想に対し、ブレジンスキーのそれはパックス・アメリカーナ。
というのも、キッシンジャーのモデルですとアメリカは論理的な帰結として経常黒字を追うことになる一方で、ブレジンスキーの地政学(たとえば最近のSecond Chanceなど)を読んでいて気づくのは、彼のはある一定のレベルでオシレートする「経常赤字」を維持することが前提となっていることです。
ローザ・ルクセンブルクを持ち出すまでもなく、ブレジンスキーのそれが米国追従の対価をもとにした、実質的な基軸通貨国の蓄積する資本の再分配を意識したものだと思われます。
この、基軸通貨国による資本蓄積の再分配という果実があることでパックス・アメリカーナと解釈します。
一言でいえばパックス・アメリカーナは「規律と連帯」ですね(12/3エントリ『欧州危機と定言命法』へのコメント参照)。
「今の」というのは、シコルスキは数年前までは「法と正義」党に属していて、非常に保守的で知られる在米ポーランド人諸団体(シカゴ・コネクション)とのつながりが強かったからです。
今の彼は明らかに「最近の」アメリカの地政学からは距離を置いています。
この転向に関連して、数年前にいちどBBCのとある番組よる厳しい「試験」も受けましたが、私は見事に合格だと考えます:
http://www.youtube.com/watch?v=utaUBuwuaSc
たしかにラトビアやエストニアの緊縮策については貴殿の仰るとおりだと思います。
とくにラトビアのやり方については私も明確に反対です。
一般的にこの手の緊縮策において国内経済の純ディスインベストメント拡大の穴埋めをするのは、欧州財政統合(資本再分配)のシステムがない現状では対内投資しかありません。
つまり、ギリシャなどもそうですがこういうときの緊縮策は所謂ワシントン・コンセンサスの文脈なのです。
これは1990年代初頭のポーランドのバルツェロヴィチ・プランと基本的に同じモデルですし、実はアイルランドやチェコの発展モデルとも同じものです。
バルツェロヴィチの著書『社会主義、資本主義、体制転換』(多賀出版)で説明されていますが、バルツェロヴィチは資本蓄積が行われるようになるだろうという前提で緊縮策を行いました。
私はバルツェロヴィチ・プランが成功したのは、これを長期間ダラダラとやらず、経済総力戦の政策パッケージとして短期間のショック療法で行ったからだと思われます。
これはエストニアや韓国が一定の成功を収めている理由でもあります。
ラトビアは緊縮策をダラダラとやりすぎです。これでは対外債務も増加し、国内経済の長期の期待も減退(国内の需要見込みが減退して、輸出により頼るようになる)してしまう。
そして、エストニア・ラトビア・アイルランド・韓国など、とポーランドがもっとも異なる点は、2007年以後のポーランドがだんだんとバルツェロヴィチの方針からは離れていったことです。
いま、ポーランドの与党特にロストフスキ財務相はいまやバルツェロヴィチとは激しく対立し、また中銀総裁のマレク・ベルカも金融セクターと外資の関係についてワシントン・コンセンサスとは明確に対立する、コーポラティズムをある程度積極的に容認する発言をしています:
“In this country, we’ve been educated in the transition to the market. In many respects, we’ve learned the lessons too eagerly. We have believed all the fairy tales about the free-market economy, so now anything that smells of economic nationalism looks dirty—but just look around. It’s like Keynes said: When the facts change, I change my mind.
“We’re not talking about grabbing the whole sector. But if there is a situation where a foreign-owned bank becomes an orphan, we should be ready to take action. What’s more important here is support for such solutions. Our bank can play a role if necessary. We can provide necessary liquidity, which is by definition short-term. I’m not looking for the state to become a shareholder – that’s absolutely a last resort option.”
ベルカは欧州局長としてIMFに勤務していた時代(ちょうどリーマンショック前後のころ)からずっと資本のフローおよび国際収支を意識していたので、(iMF Directブログの彼のエントリではっきり述べられている)このような考えに至ったのは自然だと思います。
ちなみに、イタリアのマリオ・モンティ首相はシンクタンク「ブリューゲル」の初代会長で、二代目会長(現職)がレシェク・バルツェロヴィチです。
また、最近よくメディアに出てくるイングランド銀行のアダム・ポーゼン金融政策委員もブリューゲルの理事です。