リカードの中立命題を巡る紛糾・再燃

今年の3月17日に、リカードの中立命題を巡って欧米ブロゴスフィアで巻き起こった論争を紹介したが、年末を前にして再びその論争が再燃した。


きっかけは、クルーグマンがルーカスの以前の言を取り上げ、リカードの中立命題を誤用している、と批判したことにある。そのルーカスの言とは、本ブログでも以前(2009/9/22)デロング経由で取り上げたものだが、その時の拙訳を再録すると以下の通り:

もし税金をある人から徴収して橋を作り、橋の建設業者に支払いを行なったら、差し引きゼロだ。・・・乗数を適用する対象などない(笑)。橋の建設業者に乗数を適用した後に、橋の建設のために税金を徴収した人にマイナスの同じ乗数を適用しなくてはならない。知っての通り、税金の徴収を遅らせても同じことだ。

クルーグマンの批判は、リカードの中立命題は政府投資が民間投資の減少によって相殺されることを意味しないのに、ルーカスはここでその意味で用いている、という点にある*1


これにDavid Andolfatto(ここここ*2)とStephen Williamson(ここここ)がいつものごとく噛み付いたわけだが、それに対しクルーグマン自身が、Andolfattoは読解力が無い、と揶揄しつつ反論した。また、ノアピニオン氏もルーカスに批判的な立場で参戦し、ルーカスが言っているのはセーの法則リカードの中立命題の組み合わせだ、という解釈を示している*3


AndolfattoとWilliamsonのエントリのコメント欄でも賛否両論が渦巻いているが、両陣営の争点を大雑把にまとめると主に以下の2点になろうか(それぞれ上段がクルーグマン批判ないしルーカス擁護論、下段がそれへの反論)。

  • ルーカスはリカードの中立命題に言及していない。
    • 「知っての通り、税金の徴収を遅らせても同じことだ」というのはリカードの中立命題の援用以外の何ものでもない。
  • ルーカスは、前段で、FRB国債を引き受けるならば財政刺激策は効果を発揮する、とも述べている。これは、財政刺激策の効果は資金調達方法に依存しない、というリカードの中立命題に即していない。ゆえに、ルーカスは同命題にそもそも依拠していない。
    • ルーカスは、その場合の効果は金融面によるものであり、公共投資を抜きにしても同じこと、と述べている。


クルーグマンは、そのほか、前回と同様、税の時間分散の効果(と小生が3/17エントリで解釈したもの)について住宅購入と住宅ローンの喩えを使って言及しているが、やはり前回と同様、それに対するWilliamsonの反論はすれ違い気味に終わっている*4



なお、前回の論争で論者の一人だったNick Roweは、今回はクルーグマン別のエントリ後続エントリ邦訳]、そのまた後続エントリ)に批判の矛先を向けている。それらのエントリでクルーグマンは、政府債務は同時に国民の資産でもあるのだから、それによって引き起こされる問題は、所得分配や、債務返済のための増税によるインセンティブの低下という面に限られる、と論じた。これに対しRoweは、ドーマー条件が満たされていない限り、債務返済のための増税は、課税される特定の世代全体の厚生を必然的に低下させる、と反論した。そして、そうならないのはリカードの中立命題が満たされている場合だけだが、それはクルーグマンは認めていないはずだ、と論じている*5

*1:ここでクルーグマンが俎上に載せているのは、3月のエントリで小生が「巷間良く見られる定義」として言及したものに相当する。

*2:ただし2番目は、リカードの中立命題の実証面に否定的なMark Thomaへの反応という側面が強い。

*3:[12/31追記]その後、金融政策が効果を発揮するというルーカスの言を考えると供給が需要を規定するセーの法則は当てはまらないだろう、というデロングクルーグマンの指摘を受け、その部分は撤回している。

*4:それ以外には、2009/9/22エントリでも紹介したルーカスのローマーへの揶揄もクルーグマンは槍玉に挙げたが、Williamsonはそれについてもルーカス擁護に回っている。

*5:ただし、それについても税金の時間分散を行えばボーン条件が満たされ、特定の世代の厚生低下を招く必然性は必ずしも無いはずである(Roweのコメント欄でその点を指摘したが、特段の反応は貰えなかった)。