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himaginaryの日記

2014-06-29

新しい古典派の革命を理解する

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というブログエントリをサイモン・レン−ルイスが書き原題は「Understanding the New Classical revolution」)、それをMark Thomaが取り上げ、さらにそれにクルーグマン反応している

以下はレン−ルイスのエントリの概要。

  • 1970年代のインフレが当時のマクロ経済学の魅力を減じたのは間違いない。しかし、新しい古典派の考え方の魅力が、予測能力で勝っていたことにあったとは思わない。
    • 合理的期待の魅力は、実際の期待データを適応的期待の枠組みより良く説明できたことにあったのではなく、経済学者が常に用いる合理性という一般的な概念とより整合的だと思われたに過ぎない。
    • リカードの等価性は、減税が消費に影響しないことがデータによって明らかになったために成功したわけではない。むしろ、研究に次ぐ研究は、減税が消費に顕著な影響をもたらすことを明らかにした。

Thomaはレン−ルイスへの同意を示した後で、新しい古典派の革命の終焉をもたらした要因として以下の3つを挙げている。

  1. 実証的有効性
    • 新しい古典派のモデルでは貨幣は概ね中立的で、金融政策の予期しない変化だけが実体経済変数に影響する、とされた。しかしその後の研究や実証結果からは、貨幣供給量の変化は予期されたものもそうでないものも影響する、ということが示された。
  2. 実際の景気循環の期間と大きさを説明できなかった
    • 予期しない政策ショックへの反応が一期で終わるならば大きさは適合するが、期間は適合しない。期間を適合させるためにショックが3-5年に亘るとすると、循環の大きさが適合しなくなる。予期されない政策ショックという情報の誤りから生じるマクロ経済変数の動きは、実際の景気循環の2つの側面を捉えるには「力不足」だった。
  3. 情報の問題がGDP雇用の振れをもたらす重要な要因である、とした点
    • しかし、情報に関するいかなる市場もこの問題を解決できないように思われた。新しい古典派の提唱者の多くは市場原理主義者でもあったが、市場の力を信じる者にとって、情報の市場が欠落していることは問題であった。

その上でThomaは、新しい古典派はニューケインジアンモデルに扉を開いた、と評している。そして、その革命は比較的短期に終わったものの、合理的期待とミクロ的基礎付けという、良かれ悪しかれ今やそれ無しではモデルとして認められない2つの遺産を残した、と述べている。


Thomaはエントリのタイトルを「新しい古典派モデルの興亡(The Rise and Fall of the New Classical Model)」と題したのだが、それに難色を示したのがクルーグマンで、「亡(fall)」というのは楽観的過ぎる、需要不足は問題にならないと主張するリアルビジネスサイクル論者は未だ経済学者の一角に強固な地盤を確保している、と述べている。


クルーグマンはまた、レン−ルイスの論旨に賛意を表しつつも、スタグフレーションは新しい古典派の勃興に確かに貢献した、と指摘している。それは、ケインズの誤りを証明したなどという大掛かりな話ではなく、スタグフレーションフリードマンフェルプスによって予言されていたという事実による、とクルーグマンは言う。その予言においてフリードマンフェルプスは、多少なりとも合理的な価格設定者は持続的なインフレを前にしてどのような行動を取るだろうか、というミクロ的基礎付け方向への一歩とでもいうべき分析を行った。彼らの答えは、そうした価格設定者は先んじて値上げをする、というものであり、皆がそうすれば、フィリップス曲線は期待インフレの分だけ上にシフトすることになる。そして実際にフィリップス曲線がそのようにシフトしたことにより、合理的期待が一躍権威を獲得したのだ、とクルーグマンは解説している。

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