ヘリコプターはまだ呼ぶな!

以前紹介したWillem Buiterのヘリコプターマネー論文にTony Yatesが表題のブログエントリ(原題は「Don’t call the helicopters yet!」)で異議を唱え、それにNick Roweサイモン・レン−ルイスが反応し、さらにそれにYatesが反論した


以前紹介したBuiter論文の要旨には

ヘリコプターマネーが必ず総需要を押し上げるためには、3つの条件が満たされなければならない。第一に、不換紙幣のベースマネー保有について、金利収入以外の便益が存在しなくてはならない。第二に、不換紙幣のベースマネーは償還できない――即ち、保有者は資産と見做すが、発行者は負債と見做さない。

という一節があったが、Yatesの異論は、償還できないという第二の条件を課したら、金利収入以外の便益の存在という第一の条件も無くなるのではないか、という点にある。以下は彼の最初のエントリの一節。

Forget the real world for a moment. In the model world, we have just assumed that people value money for its own sake [to capture a parable about how they would value its convenience]. And as modellers, this seems ok either because we feel, or from other work we can derive, that this convenience value will emerge attached to an asset that is redeemed. Once we take away the redemption assumption, it begs the question why the convenience value as a medium of exchange is there. After all, the real story of paper money was that it was once redeemable, and that was why it became an acceptable medium of exchange. So, as modellers, we ought to feel very uncomfortable about Buiter playing fast and loose with the government’s intertemporal budget constraint.
(拙訳)
現実世界のことは暫し忘れよう。モデル世界では、先ほど述べたように、人々は貨幣そのものの価値によって貨幣を評価すると仮定する(人々がその利便性を評価するという喩え話を取り込むためだ)。モデル屋として、これは問題無いと思われる。というのは、この利便性という価値は償還される資産に付随して現れるものだ、と感じる、ないし他の研究から導出できるからだ。だが、償還できるという仮定をいったん取り払ってしまうと、交換の媒介としての利便性の価値がなぜ存在するのか、という問題が生じてしまう。結局のところ、紙幣はかつて実際に償還できたのであり、それが交換の媒介として受け入れられるようになった理由だ。ということで、モデル屋としては、Buiterが政府の異時点間の予算制約を弄んでいる点について非常な警戒感を抱かざるを得ない。


このYatesの異論についてレン−ルイスは、ミクロ的基礎付けをあまりに真面目に考え過ぎた「針の上で天使は何人踊れるか」問題に過ぎない、と一蹴した*1。またRoweは、インフレないし名目GDP目標によって償還の話は包摂される――目標を達成するのに必要とされるヘリコプターマネーは償還されず、それを超える分はいずれ償還される――と論じた。


これに対しYatesは概ね以下のような反論を行っている。

  • レン−ルイス=Roweのコメントが理論についての話ならば、我々にはモデルについて2つの選択肢がある。一つは世代重複モデルないしニューマネタリストモデルである。それらのモデルでは貨幣は償還されないので、償還云々について論じることがそもそも無意味となる。そこでの問題は、ヘリコプターマネーの量の違いが貨幣価値にどのように影響するか、という話になる。
  • もう一つの選択肢は、Buiterが対象としたモデル。そこでの問題は、貨幣の流動性価値を仮定した上で、それが償還されることを仮定するか否か、となる。レン−ルイス=Roweの考えはこのモデルにおいては意味をなさない。
  • このモデルでどちらの仮定を採用するか、即ちBuiterに賛成するか否かは、無限期間において公的部門の予算制約をどう考えるか、という問題に他ならない。インフレ目標などの財政金融政策の話は、あくまでもその予算制約下の最適化の話である。インフレ目標を達成するために創造された貨幣は償還されないのだから償還に関する仮定を外してよい、という議論は数学的にあり得ない。実際のところ、このモデルで償還を仮定するならば、その償還は無限期間の先なので、事実上貨幣は決して償還されない。
  • レン−ルイス=Roweのコメントが理論に関するものでないならば、問題は償還云々ではなく、実証研究の話となる。


その上でYatesは以下のように述べている。

  • インフレ目標のためのヘリコプターマネーがハイパーインフレやそれに伴う貨幣価値の毀損を引き起こすとは限らない、という点についても議論が交わされたが、それについてはYates自身は確信が持てない。例えば英国のインフレ目標は制度的に非常に脆く、財務省や議会が簡単に変更できる。従って、インフレ目標がヘリコプターマネーによって金融財政政策が蝕まれるのを防ぐための鋼鉄の鎧になるとは考えらない。政府が一度ヘリコプターマネーの味を覚えてしまったら、さらなる要求を防ぐ手立ては無い。
  • 現時点ではさらなる財政刺激策や非伝統的金融政策を打つ余地がまだ十分に存在するので、ヘリコプターマネーというリスクを取る必要性が感じられない。債務GDP比率が150%に達するか、量的ないし信用緩和が限界に達した時ならば検討の余地はあるが、今のところこの議論はアカデミックなものに留まる話ではないか。

*1:両者のミクロ的基礎付けを巡る以前の論争についてはこちらを参照。