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himaginaryの日記

2015-01-27

ヘクシャー・オリーンの定理は何についてであって何についてでないか

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18日エントリに元中央大学教授の塩沢由典氏からコメントを頂き、なるほどそういうものかと改めてコーエンのエントリを読み直していたところ、コメント欄でシカゴ大学准教授のJonathan Dingelが、表題の自ブログエントリ原題は「What the Heckscher-Ohlin theorem is and is not about」)にリンクする形でコーエンに反論していることに気付いた。

Dingelはコーエンの挙げた4点のうち、2点目(資本と労働の「実効単位」を同定することは重要であると同時に困難)と3点目(ヘクシャー・オリーンの定理は絶対量ではなく比率の話)には賛意を表している。しかし、1点目――ヘクシャー=オリーンの定理は輸出が相対的に資本集約的になるか労働集約的になるかの話であり、生産それ自体の話ではない――については、こちらの論文を援用しながら異を唱えている。

Why does production composition determine net export composition in this model? Well, the factor-abundance theory is a story about economies’ endowments determining the pattern of trade. To talk only about endowments (and thus only about supply-side elements), we have to neuter demand by assuming identical, homothetic preferences. Given commodity-price equalization and homothetic preferences, each country has a consumption vector that is proportionate to its share of world income. With no differences in the composition of consumption, differences in the composition of production translate into differences in the composition of net exports, which are simply production minus consumption.

Thus, the prediction about the pattern of trade simply falls out of the prediction about the pattern of production.

(拙訳)

なぜこのモデルでは生産の構成が純輸出の構成を決定するのか? 要素賦存定理というのは、経済に与えられた賦存量が貿易パターンを決める、という話である。賦存量のことしか取り上げない(従って供給要因しか取り上げない)ため、我々は同一で相似の選好を仮定することによって需要を中立化しなくてはならない。財価格の均等化と相似的な選好という前提の下では、各国の消費ベクトルは、世界における自国の所得の占有比率に比例する。消費の構成には差が無いため、生産の構成の差は純輸出の構成の差になる。ここで純輸出は単純に生産から消費を差し引いたものである。

従って、貿易パターンに関する予測が単純に生産パターンの予測から出てくることになる。

塩沢由典塩沢由典 2015/02/03 00:58 わたしの本当に言いたかったのは、HO理論の解釈ではなく、以下の最後の2行です。

>マシュー・イグレイシャスが指摘したかったのは、ヘクシャー・オリーンの理論(定理
だけでなく、そのモデル設定)の無意味さではないでしょうか。

イグレイシャスが挙げた「新古典派経済学者だけが理解している9つのこと」は、すべて新古典派の有名な定理・理論で、わざわざ解説をしなければならないようなことではありません。

この表題は、もちろん皮肉です。これら9つの定理や理論は、新古典派にどっぷり漬かった経済学者だけが理解できるが、それ以外の経済学者や普通の人にはとうてい理解できない代物だ、というのが含意です。イグレイシャスのコメントも秀逸です。

それを一つ一つ取り上げて得意げに解説しているNoah Smithという人は、どういう人でしょう。たぶんかれも、博士論文を書く前に新古典派にどっぷり漬かってしまったひとりなのでしょう。Dingleも、HO理論や他の定理・理論がなぜ新古典派以外の人に理解できないか、理解できていないのでしょう。いちいち厳密に訂正するほどのものではありません。もっと考えるべき大きな問題があるのです。

osakaecoosakaeco 2016/01/22 18:24 himaginary樣,塩沢樣

富山大学経済学部 大坂洋ともうします.
横からすみません.塩沢さんのコメントに対して勝手に補足いたします.HOの想定で決定的なのは,(1)外っかわに凸な生産可能フロンティアが描ける,(2)すべての国で技術が一定であるの2点で,これが国の間の要素価格均等化に結びついています.HOのあやしさは(2)にもまして,(1)です.これについては,黒瀬さん,吉原さんの以下の論文があります.
「ヘクシャー=オリーン=サミュエルソン貿易理論と資本理論」
http://www.econ.tohoku.ac.jp/econ/datascience/DDSR-DP/no31.pdf
この論文は要素価格均等化をなりたたせるような,生産要素フロンティアが一般
的な成立条件についての詳細なサーベイです.私自身がちゃんと消化できて
いないので,内容の紹介はいくつか安直に理解しやすそうなところの引用にとど
めます.
「本論争(ケンブリッジ資本論争,引用者)での1つの教訓は、資本が複数の再
生産可能財から成る場合、限界生産力説が一般的には成立しないことであった。」

HOが想定している生産関数の単調性がなりたつためには「想定し得る多くの経済
環境をあらかじめ排除し」なければならず,「例えば、分解不能な
レオンチェフモデルのように、再生産可能であり消費財にも資本財にもなり得る
財はこのモデルには存在してはならない。」
このサーベイでの黒瀬さん,吉原さんのこうした批判は,サムエルサンらの議論
に対して内在的なもので,まったく違う経済学的想定による天下り的な批判では
ないことを付けくわえます.

HOに代替的な貿易モデル,リカードの比較生産費説の素直な発展である国際価値
論モデルは塩沢さん自身によって,最近,完成させられました.
『リカード貿易問題の最終解決』
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E8%B2%BF%E6%98%93%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E2%80%95%E2%80%95%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E4%BE%A1%E5%80%A4%E8%AB%96%E3%81%AE%E5%BE%A9%E6%A8%A9-%E5%A1%A9%E6%B2%A2-%E7%94%B1%E5%85%B8/dp/400025569X

割と読み易い入門的な文献は,藤本隆宏さんとの共著の以下の文献と思われます.
(内容はリカード国際価値論の入門にとどまりませんが)
「世界競争時代における企業間・企業内競争―リカード貿易論のミクロ・マクロ解釈をめぐって―」
http://merc.e.u-tokyo.ac.jp/mmrc/dp/pdf/MMRC322_2010.pdf
この論文の理論的なポイントのひとつは国の数より,財の数が多い,おそらく一般的な想定において,賃金率と財の価格体系の非対称性で,各国の賃金格差がきまれば,財の相対価格がきまりますが,逆は偶然をのぞけばないことです.実はこれは
HO理論よりも大くの人がぼんやりと考えている貿易パターンの決定についての認識
に近く,労働生産性と賃金格差が貿易パターンの決定に大きな役割を果しているこ
とを示唆します.つまり,この理論が示唆することによれば,ヘクシャー・オーリ
ン理論を勉強した経済学部生や経済学者より,新古典派経済学に無知な人々のほう
がきちんとした貿易パターンについての認識ができる可能性が大きいということ
になります.(いいすぎかもしれません)

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