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himaginaryの日記

2016-01-04

クルーグマン「政策はモデルによって律せられるべし」

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一昨日および昨日のエントリで紹介したクルーグマンとデロングのやり取りでは、FRBが既存のモデルに囚われていたがために利上げに踏み切った、というサマーズの見解が一つのテーマになっていた。これについてデロングは、いや、FRBクルーグマン(1999)のような既存のモデルを踏襲していたら利上げを急がなかったはずだ、と述べ、クルーグマンもそれに賛意を示した。ただしクルーグマンは、デロング=サマーズ論文で提示された履歴効果は既存のモデルからは外れているだろう、とも指摘し、デロングもそれを認めた(ちなみにクルーグマンはデロングがリンクした1999年の小論の枠組みを、ゼロ金利下限付きのIS-LMIS-LM with a zero lower bound]と表現している)。


この2人のやり取りに当のサマーズが参戦し、両人は需要サイドのモデルを考えているようだが、自分の念頭にあったのは供給サイドのモデルだ、と指摘した。即ち、仮にサマーズが、5%付近のNAIRUと垂直のフィリップス曲線、および、労働市場の過熱にインフレ期待が反応することを強く信じていたならば、FRBが実施したような金融引き締め策も納得できただろう、と述べた。しかしサマーズはそうしたフィリップス曲線を信じておらず、かつ、インフレ率も目標を大きく下回っているので、引き締め策に反対しているのだ、とのことである。従って、FRBとサマーズの意見の不一致は、FRBが標準的なフィリップス曲線に固執している点から来ている、というのがサマーズの見解である。


返す刀でサマーズは、クルーグマンの2013年のマンデル=フレミング講演を槍玉に挙げ、この講演で示されたモデルへの過信は危険ではないか、と批判した。曰く:

A good example of where market thought is, I think, right and simple model based thought is I think dangerously wrong is Paul’s own Mundell-Fleming lecture on confidence crises in countries that have their own currencies. Paul asserts that a damaging confidence crisis in a liquidity trap country without large foreign debts is impossible, because if one developed the currency would depreciate, generating an export surge.

Paul is certainly correct in his model, but I doubt that he is in fact. Once account is taken of the impact of a currency collapse on consumers’ real incomes, on their expectations, and especially on the risk premium associated with domestic asset values, it is easy to understand how monetary and fiscal policymakers who lose confidence and trust see their real economies deteriorate, as Olivier Blanchard and his colleagues have recently demonstrated. Paul may be right that we have few examples of crises of this kind, but if so this is, perhaps, because central banks do not in general follow his precepts.

I do not think this is a pressing issue for the US right now. But the idea that policymakers should in general follow the model and not worry about considerations of market confidence seems to me as misguided as the view that they should be governed by market confidence to the exclusion of models.

(拙訳)

市場の考えが私に言わせれば正しく、単純なモデルに基づく考えが私に言わせれば危険なほど間違っている好例は、自国通貨を持つ国における信認の危機に関するポール自身のマンデル=フレミング講演である。ポールは、大きな対外債務を持たない流動性の罠の下にある国では、損失をもたらすような信認の危機は起き得ない、と主張している。というのは、そうした信認の危機が展開したならば、通貨が減価し、輸出が急増するから、とのことである。

ポールは自分のモデルについては確かに正しいが、彼が現実について正しいかは疑問に思う。消費者の実質所得消費者の期待、および特に国内資産価格に関連するリスクプレミアムに通貨暴落が与える影響を考慮に入れたならば、オリビエ・ブランシャールとその同僚が最近示したように、信認と信頼を失った金融財政の政策当局者の下で実質経済がいかに悪化していくかを理解するのは容易である。そうした危機の事例があまり無いという点についてポールは正しいかもしれないが、仮にそうだとすると、それはおそらく概して中銀が彼の指針に従わないためではないだろうか。

このことが現在の米国にとって差し迫った問題だとは思わないが、政策当局者は概してモデルに従っていれば良く、市場の信認は気にしなくて良い、という考えは、モデルを排して市場の信認に基づいて動くべき、という考えと同じくらい間違っているように私には思われる。


これにデロングが反応し、意外にも(?)かつての上司のサマーズではなくクルーグマンの肩を持った。

The particular fight Larry wants to pick this weekend is over Paul Krugman's Mundell-Fleming lecture, and Paul's claim that a floating-rate sovereign that borrows in its own currency and is in a liquidity trap should not worry about maintaining "confidence". Paul's argument is that, in the model, pursuing aggressive expansionary policies will eat first to currency depreciation, then to an export boom, then to full employment, and only then will any downsides emerge. Thus the process can be stopped before it begins to generate risks. And it is only after full employment is attained that policy concern should shift to avoiding such risks.

Larry, however, says: We know things that are not in the model. Those things make Paul's claim wrong.

My problem with Larry is that I am not sure what those things are. Paul notes that in normal times--away from the interest-rate zero lower bound--a loss of "confidence" in a country that floats its and borrows in its own currency an be contractionary...

But, Paul says, at the zero lower bound things are different because the central bank has a cushion between what it wants the real interest rate to be and what the zero lower bound forces the real interest rate to be...

It's not clear what we know that is not in the model that would reverse this conclusion of Paul's in the case of a floating exchange rate in a country that borrows in its own currency and happens to be in a liquidity trap. Paul notes that his conclusion goes against market wisdom...

(拙訳)

ラリーがこの週末に敢えて戦端を開いたのは、ポール・クルーグマンのマンデル=フレミング講演に対してで、借り入れを自国通貨建てで行っている変動相場制の国が流動性の罠に陥っている場合には「信認」の維持について気にしなくて良い、というポールの主張についてであった。ポールの主張は、モデル上、積極的な拡張策を追求すればまず通貨の減価が起こり、それによって輸出が伸び、完全雇用が実現し、その時点で初めて何らかのマイナス効果が現れる、というものである。従って、このプロセスリスクが生み出される前に止められる、というわけだ。そうしたリスクを避けることを政策課題とするのは、完全雇用が達成された後で良いことになる。

しかしラリーは、モデルに無い物事を我々は知っており、そうした物事によればポールの主張は間違っている、と言う。

ラリーの言うことについて私が問題だと思うのは、そうした物事か何か良く分からない、という点だ。ポールは、ゼロ金利下限から離れた通常時においては、借り入れを自国通貨建てで行っている変動相場制の国における「信認」の喪失は経済を縮小させる、と述べている・・・

しかし、ゼロ金利下限では話が違ってくる、とポールは言う。というのは、中銀が望む実質金利の水準と、ゼロ金利下限が実質金利に強要する水準との間には緩衝材があるからである・・・

モデルに無い物事で我々が知っている何が、借り入れを自国通貨建てで行っていて流動性の罠に陥っている変動相場制の国の場合についてのポールのこの結論を反転させるか不明である。ポールは自身の結論が市場の知見に反することに言及している・・・


クルーグマンも以下のように応じている

What I said in my Mundell-Fleming lecture was that simple models don’t seem to have room for the confidence crises policymakers fear – and that I couldn’t find any plausible alternative models to justify those fears. It wasn’t “The model says you’re wrong”; it was “Show me a model”.

The reason I’ve been going on about such things is that since 2008 we’ve repeatedly seen policymakers overrule or ignore the message of basic macro models in favor of instincts that, to the extent they reflect experience at all, reflect experience that comes from very different economic environments. And these instincts have, again and again, proved wrong – while the basic models have done well. The models aren’t sacred, but the discipline of thinking things through in terms of models is really important.

(拙訳)

マンデル=フレミング講演で私が述べたのは、単純なモデルには政策当局者が恐れる信認の危機の余地が無いように思われる、ということであり、そうした恐れを正当化するような説得力を持つ代わりのモデルも見当たらない、ということである。私は「モデルによればそれは間違っている」と言ったのではなく、「モデルを見せてくれ」と言ったのだ。

私がそうしたことを述べたのは、2008年以降、政策当局者が基本的なマクロモデルのメッセージを却下ないし無視して、直感を優先させたのを何度も見てきたからだ。そうした直感が経験を反映していたとしても、その経験は全く異なる経済環境におけるものだった。そして基本的なモデルが正しかった半面、そうした直感が間違っていたことが何度も明らかになった。モデルは神聖なものではないが、モデルを通じて考え抜くという規律は非常に重要なものだ。


このうちのデロングのエントリに対し、サマーズは以下のように反応した

The danger comes when too primitive a model is regarded as too powerful a discovery. Thus Krugman was right to recognize that first generation models of currency crises were an inadequate basis for making policy in response to many actual currency crises.

On the issue at hand my judgement is that excessive spending and fear of a sudden stop can push the IS curve back leading to contractionary capital outflows. I cite the work of Blanchard et al in support of this proposition. With a bit of political economy, the argument can be extended. Suppose countries in danger of high inflation are more likely to turn populist. It was Keynes after all who introduced animal spirits and warned Roosevelt about business confidence.

(拙訳)

危険が生じるのは、あまりにも基本的なモデルがあまりにも強力な発見と見做される時だ。その点において、通貨危機の第一世代モデルは現実の数多くの通貨危機に対処する政策を策定する上では不適切な基盤だ、と判断したクルーグマンは正しかった。

現下の問題について言えば、過剰な歳出とそれが突然停止することへの恐れは、IS曲線を押し戻し、経済を収縮させるような資本流出を招くことになる、と私は判断している。この命題の裏付けとして、私はブランシャールらの研究を引用した。政治経済学を少し加えれば、この議論はさらに拡張できる。高いインフレ率の危険に曝されている国はポピュリズムに走りやすい、というのはどうだろうか。結局のところ、アニマルスピリットという概念を導入し、企業の信頼感についてルーズベルトに警告した*1のはケインズだったのだ。

その上で、これは米国にとって切迫した問題ではないし、デロング=サマーズ論文にみられるように自分は財政拡張策の支持者だ、と述べている。しかし、ジャネット・イエレンやスタン・フィッシャーが自分と違う判断をしたからといって、それを基本的なマクロ経済学に対する無理解に帰すのは間違いだ、とサマーズは言う。


また、クルーグマンのエントリについては、概ねクルーグマンと意見を同じくするものの、以下の2つの点でクルーグマンとは意見を異にする、とサマーズは述べている。

First, I am more willing than Paul to credit the possibility that people with substantial experience and even a track record of making money by predicting markets, have important insights even if they cannot speak the language of “models” in the way I teach in economics. Hyman Minsky is an example of a scholar whose warnings were ignored in part because they were not formalized not because they were incoherent or illogical.

Second, on the issue of confidence crises I think Paul is way too serene for reasons Blanchard’s work makes clear. If loss of confidence in their government or economy makes people less wealthy, they will spend less and that is contractionary. This objection may for some reason be wrong but I do not see why it should be dismissed apriori. This is a case where I think reliance on formalism may lead people astray.

(拙訳)

第一に、仮に私が経済学を教える際に使う「モデル」言語を話せなくとも、経験豊富な人やあるいは市場予測によって儲けた実績がある人ですら重要な洞察を持っている、という可能性を私はポールより信じている。一貫性を欠いていたとか矛盾していたということではなく、定式化されていなかったことを一因としてその警告が無視された学者の例としては、ハイマン・ミンスキーがいる。

第二に、信認の危機の問題についてポールはあまりにも安穏と構えていると私は思う。理由はブランシャールらの研究が明らかにした通りだ。政府もしくは経済に対する信認の喪失によって人々が富を失うならば、彼らは支出を減らすが、それは経済を収縮させる。この異論は何らかの理由によって間違っているかもしれないが、先験的に却下すべき理由は思いつかない。これは、定式化への依存が人々を惑わせる事例だと思う。


これに対しデロングは、ブランシャールらは発展途上国だけがミンスキー的になり得ると考えているようだが、サマーズは、ケインズアニマルスプリット議論を基に、全ての経済ミンスキー的になり得ると考えているようだ、と指摘している

デロングは、ブランシャールらの研究をIS-LMの枠組みで解釈し、同研究でIS曲線LM曲線の交点よりも経済が左側(生産がより低い水準)に留まる要因を「信用経路のくさび(credit-channel wedge)」と呼んでいる。そのくさびにはリスクプレミアムが寄与しているが、ブランシャールらとサマーズはそれが信認と共に連続的に動くと考えている、とデロングは言う。即ち、信認が高ければリスクプレミアムは小さいものに留まり資本が流入する半面、信認が低ければリスクプレミアムは大きくなり資本流入の突然停止が発生する。一方、クルーグマンは、普段は小さいリスクプレミアムが銀行危機の際には不連続的に大きくなる、と考えている。クルーグマンによれば、巨額の外貨建て債務が存在しなければ資本流入が突然止まっても銀行危機は起きない。そして、ブランシャールらも先進国についてはクルーグマンが概ね正しいと考えている――即ち、先進国ではリスクプレミアムは比較的小さく、金融市場も比較的うまく動いており、新規の投資資金の流入量にはあまり反応しないと考えている――というのがデロングの見立てである。

*1cf. ここ

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