みうらゆうのうらはてブ『ちょびっと試される。』 このページをアンテナに追加 RSSフィード

新聞・ブログ等の記事に対するファーストインプレッション。
だもんで、間違いの指摘・追加情報など大歓迎。
興味が続いたり、情報が集まれば本ブログでも採り上げるかも。

2005-06-14 「模倣品防止国際条約」に要注意

要注意「模倣品防止国際条約」

http://00089025.blog8.fc2.com/blog-entry-51.html

▲『The Casuarina Tree』 での記事「『模倣品防止国際条約』は名実を伴うのか?」での指摘に頷く。現行著作権法と「模倣品防止国際条約」の合わせ技で、真正品の並行輸入禁止にまで至る虞は 漠然とではあるが感じる。▲著作権法違反とみなされる可能性がある(つまり要件を満たす)レコードなら、たとえ洋楽盤であっても、その輸入禁止を迫られるかも知れない。税関は「(実質)邦楽のみを対象」とするガイドラインを使い続けることは難しくなるだろう‥‥。少なくとも、海外の権利者が訴訟を提起する根拠を与えることになりかねない。

フィッシングに対する被害届は著作権侵害で

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0506/13/news050.html

ITmedia の記事「フィッシングを初摘発 Yahoo! に似せたサイト構築の男」によると、件の男の容疑が著作権法違反だったのは、 Yahoo! 側が これで被害届を出していたからの模様。どのような裁判になるのか要注目‥‥。▲小倉弁護士の危惧の通りに進む おそれが大?

PINK FLOYD 復活、ジャニスもデラックス

http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=9065

http://www.barks.jp/news/?id=1000008832

▲PINK FLOYD の再結成(こっちはライヴの話)やら、ジャニス=ジョプリンの『パール』デラックス版やら、ちと購買意欲を刺激しそうな話がチラホラ。▲ああ! 俺は『パール』持ってるじゃないか、わざわざ買い直すのかよ。しかもデラックス版ではボーナストラックが入ってるから、アルバムフォーマットを尊重するなら手持ちのオリジナル版を手放す訳にいかない‥‥。

日本語ラップはサマにならない:時が解決する問題

http://soulkid.blog2.fc2.com/blog-entry-213.html

▲『オルタナソウルエイリアン』というブログでの「日本語はラップに向いていない」という記事。読んで字の如く。日本語と英語を比較し、なぜ日本語のラップがサマにならないのかという考察をまとめている。どうもネタ元はあるようだし、また書いてあることの多くは従前から指摘されていることではある。しかし、あそこまで まとめたことに私は敬意を表する。▲コメント欄でスチャダラパーが引き合いに出されているけれども、あれはラップに笑いを持ち込むことで別次元に飛んでいったものと思う。むしろ土着的な香りすら漂う。ラップに日本語を持ち込んだのではなく、日本語にラップを引きつけたような感じ。本人の意識はともかくとして。▲そう言えば日本語のロックだって何だかんだ言われてた時代があった訳で、日本語のラップもそのうち馴染んでくるのかねぇ。私は嫌いだけど(笑)。どうせ日本語ロックも日本語ラップも本国(英米)には輸出されないんだ、日本人が聴いて違和感が無ければそれでOK。時が解決する。▲私が音楽を聴き始めた頃には、ロック的なものを日本語で歌うことは既に普通だった。まだ歌謡曲全盛の時代だったけど。桑田佳祐が変な(笑)歌い方で“流暢”にやってたり、逆に玉置浩二は苦しそうな顔しながら(笑)一音一音を噛みしめるように歌っていた。 90年代くらいになると、稲葉浩志が妙に(笑)緩急を付けた詞の乗せ方をしたり、玉置浩二は忙しく(笑)畳み掛けたり。日本語でも意外と多様に歌えたんだ。▲あ、この例えは 私の好きな歌手を例にしただけ。掘り下げていけば、もっと様々な歌い方が出てくる筈(宇多田ヒカルなんかも前出の歌い方と違うもの)。誰か、本格的にやったら、面白い話になるかもねぇ。

本屋さん、いつも御苦労さん

http://d.hatena.ne.jp/chakichaki/20050612#p1

▲『本屋のほんね』で連載されている「正しい文庫の並べ方講座」が興味深い。書店の文庫棚の話なのだが、出版社別で並べても著者別で並べても売上には影響しないのだという。そしてそれぞれに一長一短がある。▲利用者の立場からすると、本を探しやすい工夫さえあれば 棚の並べ方はどちらでも良い。店の側でやりやすい方を選んで貰っても良い訳だ。欲しい本があって、それが比較的簡単に探し出せる店であればそれで良い。▲ただ、そういう要求のもとで使える本屋は少ない。東京に住んでいた時は池袋のジュンク堂をよく使ってた。札幌に来てからは、駅前の紀伊国屋。いずれもコンピュータで検索できるようになっている(その使いやすさ・棚の解りやすさはジュンク堂に軍配が上がるが‥‥あのデカさは伊達じゃない)。▲雑誌などを買うときはコンビニか近くの本屋。そういう所で扱ってない本を買うのには前述の大型書店。それでも無ければネット通販。一応 使い分けはしているつもりだけど、それでも地元の本屋の役割が薄くなってしまっているのは確かだ。こうした(文字・活字文化を支えているはずの)普通の本屋が今後 果たすべき役割とはどこにあるのだろう。▲『本屋のほんね』の話からは逸れるが、ふと そんなことを考える。

僕らはブログで試される(笑)

http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0506/13/news012.html

ITmedia小寺信良氏のコラム「ブログに問われる書く技術、話す技術」が興味ぶかい。その内容を大まかに見ると、まずリンクと引用の問題、次に書き言葉の問題、そしてポッドキャスティングすなわち話し言葉の問題が採り上げられている。▲リンクだけを置いているブログ、あるいは引用とは認められないような一部転載を行なうブログを指し、「それらの人は、きっと記事を読んで何か感じることがあったのだろう。そしてそれをうまく文章化することができず、このような形になったのであろう」と想像している。そのこと自体を別段 悪いこととするのではなく、「表現の芽」が育ってくれることを待ちたいという考えだとか。▲そこでは「フィルター系」ブログのことは触れられていない。お忘れか、それとも御存知ないのか。リンクを並べる形は、すでにブログの一ジャンルとして存在する。リンク群全体をもって選者の個性とするもので、一種の表現である。「消費行動そのものが自己表現である」(烏賀陽弘道・著『Jポップとは何か』より)という心理かも知れない。全てがそうだとは限らないけど。▲書き言葉。文章を自覚的に書けているかどうか。自覚的であれば「小学校から散々作文をやってきたことで十分だと思われている」とはならない筈だが、果たして実際はどうなのだろう? ブログ(あるいはウェブサイト・パソコン通信など)を長くやっていけば、省略のしすぎで誤解を招いたとの経験は少なからずあろう。この辺りもやはり意識せざるを得ないところだが‥‥ブログをやる人が増えることで各自、その意識が変化することはあり得ないだろうか?▲そしてポッドキャスティング。私は利用していないし、聴こうとも思わない(笑)。話し言葉よりも書き言葉を信じるタチなのでね。それはともかく、日本語の特徴を指摘した上で「一人でしゃべるのはやめて、2人での掛け合いをお勧めする」とした氏の主張には納得させられた。なるほど。それと同時に、重要なのは やはり台本なんだろうな、とも。

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