2012-04-19
世界を回れ
さあ、今日から9日間の旅行であります。ブコメはしばしお休み。
何たって失業中じゃなきゃできねーからねコレ!
色んな生き物見て、写真撮りまくるんだ。新しいデジカメも買った。
後で預金残高見て凹むんだろうなあw
うはw自分ざまぁw
2012-03-08
メカAGさんから頂いたお返事のお返事
メカAGさんへ
ブコメにお返事ありがとうございます。
メカAGさんご自身は、ニセ科学に対して特にどうすべきという方針をお持ちでないのですね。
そうすると一連の「どこを間違えているか」シリーズは、メカAGさんの基準に照らして間違っているというより、ニセ科学批判をする者の中で矛盾がある、というご指摘でしょうか。
その場合、矛盾のない行動としてはどうするのが良いか、やっぱりブコメと同じ疑問が湧きます。一定の手続きに従って検証した結果、現実に即している可能性が極めて低いと判断された仮説について、どこまで付き合い続ければ良いのか。
ボーダーライン上に位置する微妙な仮説はいくつもあるでしょうけれど(それらは新しい知見が出てくるまで判断保留になるんでしょう)、「これだけ反証があるものをこの期に及んで真剣に検討するのは時間と労力の無駄である」と判断できる仮説もあると思うのです。
もちろん、そこの判断は最終的に個人個人が行う訳ですが、多くの科学者が一致して「この説はもういいよ」と考えるものに対しては、ニセ科学批判者はどう対応するのが一番良いと思われますか?
何だかしつこくなってしまって、すみません。自分自身、そこは悩ましいと感じる所でもあるので、ご意見を聞かせていただけると嬉しいです。
***
すいません、血液型についてもお返事いただいてたのに気付きませんでした。
血液型性格診断に害があるとはメカAGさんはお考えでないとの事でした。
でも自分などは、あれも(人が死ぬ程ではないが)無害ではないと考えてます。同じ内容でも極めてマイナーであれば、比較的害が少ないニセ科学に分類されるかもしれませんが、血液型性格診断は広く人口に膾炙していてかなり本気で信じている人も多いので、その分害が大きいと思うのです。
どこがどう害と思うかは説明不要とのお言葉ですので、省略します。
それで、このように害が有るかないか食い違う種類の問題(要は価値観ですね)は政治マターの話だ、というご意見と解釈しました。
それは仰る通りで反対はありません。が、政治的判断を個人が下すに当たって、事実がどうであるのかの認定は極めて重要だと思います。
科学は、その「事実の認定」の部分に寄与するものではないでしょうか。
メカAGさんのご意見に従えば、科学者は事実の観測・確認のみを行い、その価値判断は政治家や市民が行えば良い、となるのでしょう。
実際、それが一番理想的な形だとは思います。
ただしその場合でも、科学者もまた当然一市民ですので、自分なりの意見陳述や批判をする権利はあるでしょう。
そして現実では、そもそも科学者が観測・確認した事実がイマイチ世間で受け入れられていないというのが、問題なように思います。
だから一部の科学者すなわちニセ科学批判者が、「皆さんの信じている説Aは観測される事実と異なる」と声を上げる訳ですが、そうすると説Aを信じていた人にしてみれば当然気分が悪いです(この辺りは既にメカAGさんがご指摘されたことの繰り返しですね)。
ニセ科学批判者だって、片っ端から対立したい訳はありません。互いの気分を害してまで意見を通さなくても良いや、という場合はスルーしていると思います。
ですが、実害があるとなるとそうも言っていられない。そんな色々の思惑があって、結果的に害がある(と批判者が思う)ものを、主に批判する事になるのではないでしょうか。
こちらは長いだけで特に質問ではありませんので、どうぞ流し読みしていだければ結構です(最後に書くことか)。
改めて、お返事ありがとうございました。
2012-01-22
閻魔様が見てる
久しぶりにダイアリーを見たら、前回の記事が4カ月以上前でした。冬なのでペンペン草も生えません。
こんなんだから、新しいブログとか全然試してません。ええ。
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http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4077578.html
↑こんな2chのまとめが、何やら大いに流行っている模様。
多くのブロガーが派生エントリを書き、それがまたブクマされている。
自分は、元の文は400ブクマくらいの時点でざっと読み、後半は飛ばして死にオチなことだけ確認した。
派生文の方をむしろ熱心に追いかけている。
で、ブクマコメやら何やらを見ていて、「創作でも実話でも関係ない」「真偽を追求するのは野暮」と考えている人が多くて驚いた。
えっ、お話が本当かどうかって、出来の良し悪しとは別に気にならない? マジで?
…何と。
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私は嘘が嫌いである。これは理屈じゃない。
食べ物を粗末にしてはいけないのと同じレベルで、嘘を言ってはいけないと思っている。
いわゆる「優しい嘘」もあまり好きじゃない。あれは必要悪ではあるかもしれないが、善ではない。
『モモ』(岩波書店刊、ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳)の登場人物、ベッポ爺さんの、こんな考えに共感する。
「世の中の不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ」
現実問題としては、思い出を語る時に何らかの修飾が入る、そのくらいは仕方ないかと思う。語ってる本人にも虚実の区別はつかないのだし、そこは聞き手が割り引くしかない。
虚構新聞みたいに、入れ物に「嘘在中」と書いてあるフィクションなら、むしろ好物だ。フィクションだからこそ楽しめる事は沢山ある。
「釣りか本当かは読者の判断に任せるよ」になるとズルい気はするけど、ギリギリ嘘をつくことから逃げてはいるな、という感じ。
でもフィクションだと知りながら実話だって言っちゃったら、完全に故意の、言い逃れ不能な嘘だ。嘘つきだ。ユー・ライアー・ライアー!
だが、そこまでの「嘘=悪い事」という強い刷り込みは私個人の物で、社会的に共有されるべきとまでは思わない(もう少し共有されてると勘違いしてたけど)。
話の虚実を気にしない人に対しても、「えー…」と困惑はするがそれだけだ。嘘をポンポン言う人は、まあちょっと嫌だが、それでも他の点で気が合えば仲良くできると思う。
上で出て来たベッポ爺さんは、正反対の性格のジジという青年と、とても親しい友人同士なのだ。
***
とはいえ、面白けりゃ話の真偽はどうでもいいというスタンスだと、水伝や血液型性格診断などのニセ科学も肯定されてしまうかも、なんて点は気にしてほしい。ブコメでその辺りを指摘している人もチラホラ見かけた。
私がニセ科学を嫌いなのは嘘だからだが、あれらは単に嘘なだけでなく色々な実害を伴っている。
真偽を気にしない方針で行くのであれば、詐欺師にカモられたりカモる片棒を担いだりせずに済むような、別の判断基準を持った方が良いと思う。
例えば…何だろう。少しでも金の絡む話には絶対関わらないとか?
ゲーセンの女の子の話では、病気が美しく描かれている事も気になった。
病死展開は物語の定番の一つなので、フィクションと明示してあればまだ仕方ない。「お話だからこんなに美しいんだね。現実とは違うんだね」と思える。
が、実話と銘打っていたらスルーできない。心にザラッとくる。
そんなんじゃねーよ、病気は。そりゃ稀にそういう症例もあるかもしれないけども。
ほとんどの病人は、全然美しくなんかない、泥まみれの辛い戦いを地道に続けてるんだぞ。
あんたや家族が病気になった時も、こんな美しい日々はきっと訪れないし、それが訪れないのは誰かが悪いせいじゃないんだぞ。いわゆる現実の厳しさって奴なんだぞ。分かってんのか。
***
しかしまあ結局の所、世の中の辛い事を全部直視していたら皆死んでしまう。
今日を生きるために、人は能天気であらねばならない。
仮にこの世から全ての実話風フィクションが消えたとしても、多くの人は様々な苦痛の実際から目を逸らすんじゃなかろうか。自分の身にそれが降りかかるまで。
だとしたら、お話の真偽に一々目くじら立てるのは、確かに詮ない事だ。
まあ要するに纏めると、私は虚構を実話として語るような嘘は嫌いだけれど、大抵はそこまで気にしないようだし世の中から嘘を消す事も出来ないんだから、そういうものだと思って生きるしかないってことだ。
なお、このエントリは、件の話が虚構に決まってる!という主張ではありません。
個人的にあの話は、良くて事実2割ってとこだと踏んでるけど、特に根拠は無いので。
2011-09-16
こんなゲームほしい
直前のエントリを見て、そんな計画を考えた事すらすっかり忘れてる自分に笑った。
http://b.hatena.ne.jp/entry/dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-2056.html
↑のブコメの後半をもうちょっと膨らませたくなったので、独り言。
麻雀ゲームの対戦相手を、自分でカスタマイズしたい。
グラフィックとか打ち筋とか台詞とか。
でもって、自分が作ったキャラと卓を囲みたい。
或いは、自作キャラを野に放って、他の人と遊ばせたい。
放った後のキャラ達の対戦成績なんか分かると、もっといい。
キャラ自作可能な格ゲーも面白そう(MUGENが既にあるけど)。
ゲームバランスはかなり悪くなるだろうけど、一応対策考えてみる。
キャラや技ごとに合計ポイントを決めておくといいかもしれない。
スピード・威力・判定の強さ・隙等にそれを割り振るの。
で、数値でそれを割り振るとなると、一部の人以外は大変なので、
ダイヤグラムをグリグリ動かせるような感じがいいな。
(ツクールでも昔出てたので、既存のアイディアかも)
それか、対戦を重ねて行くうちに、自動調整できるようにするとか。
あんまり調整が利きすぎてもつまらなそうかな…。
当然、作ったキャラはNPCとして動かせる。野にも放てる。
…自作キャラと対戦して喜ぶとか、我ながら自己完結ぶりが酷いけど。
MMDの成功を見ると、「作って共有」という遊びはかなりイケる気がする。
ツクールシリーズなんかも未だに続いているわけだし。
あと、似たような事で、オンラインゲーで自分の影武者が作れるといい。
今でも、傭兵として他人のキャラを借りられるようなRPGはあるけど。
もっと行動パターンレベルで自分を模倣するキャラができてほしい。
AIが普段の自分の行動を分析して覚えるの。
それもやっぱり、麻雀ゲームなんか相性良さそう。
自分の打ち筋を覚えた影武者が、自分のいない間もネット上で対戦する。
で、帰ってきて戦績を確認。AIが賢くなるにつれ、戦績も良くなる。
もちろん自分の腕が上達すれば、戦績が上がる。
育てゲーと腕磨きゲーの両方を兼ねたシステム。
噂の強いアイツと、影武者とはいえ対戦できるってのも、魅力的。
人気のある人の影武者なんかは、要請に応じて分身してもいい。
いつもの影武者だと思って対戦してたら、実は中身が入ってた!とか。
やっぱ本人は影武者より断然強ぇー!とか。
うふふ。こういうの考えると楽しいなあ。
暗いけど。超暗いけど!
