2012-01-22
閻魔様が見てる
久しぶりにダイアリーを見たら、前回の記事が4カ月以上前でした。冬なのでペンペン草も生えません。
こんなんだから、新しいブログとか全然試してません。ええ。
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http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4077578.html
↑こんな2chのまとめが、何やら大いに流行っている模様。
多くのブロガーが派生エントリを書き、それがまたブクマされている。
自分は、元の文は400ブクマくらいの時点でざっと読み、後半は飛ばして死にオチなことだけ確認した。
派生文の方をむしろ熱心に追いかけている。
で、ブクマコメやら何やらを見ていて、「創作でも実話でも関係ない」「真偽を追求するのは野暮」と考えている人が多くて驚いた。
えっ、お話が本当かどうかって、出来の良し悪しとは別に気にならない? マジで?
…何と。
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私は嘘が嫌いである。これは理屈じゃない。
食べ物を粗末にしてはいけないのと同じレベルで、嘘を言ってはいけないと思っている。
いわゆる「優しい嘘」もあまり好きじゃない。あれは必要悪ではあるかもしれないが、善ではない。
『モモ』(岩波書店刊、ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳)の登場人物、ベッポ爺さんの、こんな考えに共感する。
「世の中の不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ」
現実問題としては、思い出を語る時に何らかの修飾が入る、そのくらいは仕方ないかと思う。語ってる本人にも虚実の区別はつかないのだし、そこは聞き手が割り引くしかない。
虚構新聞みたいに、入れ物に「嘘在中」と書いてあるフィクションなら、むしろ好物だ。フィクションだからこそ楽しめる事は沢山ある。
「釣りか本当かは読者の判断に任せるよ」になるとズルい気はするけど、ギリギリ嘘をつくことから逃げてはいるな、という感じ。
でもフィクションだと知りながら実話だって言っちゃったら、完全に故意の、言い逃れ不能な嘘だ。嘘つきだ。ユー・ライアー・ライアー!
だが、そこまでの「嘘=悪い事」という強い刷り込みは私個人の物で、社会的に共有されるべきとまでは思わない(もう少し共有されてると勘違いしてたけど)。
話の虚実を気にしない人に対しても、「えー…」と困惑はするがそれだけだ。嘘をポンポン言う人は、まあちょっと嫌だが、それでも他の点で気が合えば仲良くできると思う。
上で出て来たベッポ爺さんは、正反対の性格のジジという青年と、とても親しい友人同士なのだ。
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とはいえ、面白けりゃ話の真偽はどうでもいいというスタンスだと、水伝や血液型性格診断などのニセ科学も肯定されてしまうかも、なんて点は気にしてほしい。ブコメでその辺りを指摘している人もチラホラ見かけた。
私がニセ科学を嫌いなのは嘘だからだが、あれらは単に嘘なだけでなく色々な実害を伴っている。
真偽を気にしない方針で行くのであれば、詐欺師にカモられたりカモる片棒を担いだりせずに済むような、別の判断基準を持った方が良いと思う。
例えば…何だろう。少しでも金の絡む話には絶対関わらないとか?
ゲーセンの女の子の話では、病気が美しく描かれている事も気になった。
病死展開は物語の定番の一つなので、フィクションと明示してあればまだ仕方ない。「お話だからこんなに美しいんだね。現実とは違うんだね」と思える。
が、実話と銘打っていたらスルーできない。心にザラッとくる。
そんなんじゃねーよ、病気は。そりゃ稀にそういう症例もあるかもしれないけども。
ほとんどの病人は、全然美しくなんかない、泥まみれの辛い戦いを地道に続けてるんだぞ。
あんたや家族が病気になった時も、こんな美しい日々はきっと訪れないし、それが訪れないのは誰かが悪いせいじゃないんだぞ。いわゆる現実の厳しさって奴なんだぞ。分かってんのか。
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しかしまあ結局の所、世の中の辛い事を全部直視していたら皆死んでしまう。
今日を生きるために、人は能天気であらねばならない。
仮にこの世から全ての実話風フィクションが消えたとしても、多くの人は様々な苦痛の実際から目を逸らすんじゃなかろうか。自分の身にそれが降りかかるまで。
だとしたら、お話の真偽に一々目くじら立てるのは、確かに詮ない事だ。
まあ要するに纏めると、私は虚構を実話として語るような嘘は嫌いだけれど、大抵はそこまで気にしないようだし世の中から嘘を消す事も出来ないんだから、そういうものだと思って生きるしかないってことだ。
なお、このエントリは、件の話が虚構に決まってる!という主張ではありません。
個人的にあの話は、良くて事実2割ってとこだと踏んでるけど、特に根拠は無いので。
