大学が始まったのでとりあえず行きました。
4限あたりで授業バックれたくなったけど、予習が無駄になるのがなんか悔しくてちゃんと出ました。
自分がここでバックれてどうすんだ、とも思ったし。バックれる意味がわからんよな。
とにかく授業中とかも気付けば思い悩んでます。
なんかサッカーの世界は自分が思ってる以上にシビアで、そのシビアさがあの試合に一気に降り注いでいた気がした。
確か似たものは去年の降格間際の試合にも降り注いでいた気がする。
自分は本当に非力なサポーターだ。
自分が非力なのか、それともサポーターという種族が非力なのか。
数が集まればサポーターも力を持つだろう。いや、数が集まったところで、バス囲んだり監督を解任させたりはできるかもしれない。
でもそれは表面的なものであって、果たしてチーム・選手の根本的な何かを変える力をサポーターは持つのだろうか。
本当に、真の意味で、「俺達の力で勝たせる」ことは可能なのか?
仮にこれが可能だとしても、サポーター1人の力はとても小さい。
人間、1人じゃ何もできないんだ。
応援している選手が解雇されるのをただ見ているだけしかできない。
もっとサポがどうすることもできないのは自然の摂理で
たとえば死んでしまった選手は生き返らない。
今、個人のサポーターができることなんてほとんどないんだと痛感している
それなら何のために応援しているんだろう
自分の非力が力に変わる奇跡を待つためなのか
自分がサポーターである意味ってあるのだろうか
「何か」が起きる時はあるのか
奇跡を起こす力が欲しい