関西クィア映画祭2011の開催中に、京都会場の西部講堂でインタビューを受けました。
収録が朝早かったのもあって、なんかとても温厚な感じになっています(笑)
インタビューは、関西クィア映画祭の共同代表として受けたので、いま見返すとやはりその枠組みでの発言をしています。特に冒頭の「クィア」の説明とかがその違いが分かりやすいのですが、やはりこれは映画祭としての説明。やはりラディカルさが足りない(苦笑)。私が、個人として自由に「クィア」を説明すると本当はこうなるはずなんです!
クィア:
「男女という制度」に挑戦する人たちの名乗り。レズビアン・ゲイの メインストリームの運動に満足できない人たちの名乗りでもある。
(【米国便り19】Queer クイア ってなぁに? )
ワタシ個人は、クィアとは、性/ジェンダー/セクシュアリティの領域におけるアナーキズムのことだと考えています!(Twitter)
【参考 映画祭版】
ところで「クィア」ってなんですか?
ヘンタイに生きる―
ひとりひとりが自分の性や生き方を選び決めていこうというありかたです。
これまではレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー(LGBT)など、性の領域で「ふつう」ではないと考えられている人々への蔑称でした。これを逆手にとって使うことで、様々な少数派を肯定し、LGBTだけでなく「普通ではない」生き方をポジティブにとらえ直す意図があります。
http://kansai-qff.org/2011/about
映画祭をしている時の不自由感の一つが、こんなところなんですよね。みんなと一緒に何かをするってことは、何かを断念することなんです。そのせめぎあいは、楽しくもあり、しんどくもあり…
ともあれ、カニカニに「いつもひびのさんがいっていることだった」と言われてしまったインタビュー、感想お待ちしています。