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2015-07-09

パレスチナ/イスラエルとLGBT「ピンクウォッシング」ってなに?「BDS運動」って何?


「パレスチナ/イスラエルとLGBT/クィア」とか、ピンクウォッシングってなに?とかについて考えるための情報を簡単にまとめたページ。

 関西クィア映画祭実行委員会での内部資料として書いたものですが、興味がある方のためにこちらでも公開します。


ひびのとパレスチナ

 わたしも、2002年にパレスチナに行きました。非暴力直接行動をうたう「国際連帯運動(International Solidarity Movement/ISM)に参加し、イスラエル軍の侵攻下のバラタ難民キャンプに行き、イスラエル軍に逮捕されました。またイスラエル滞在中にテルアビブで開催されたプライドパレードにも参加しました。

 私も、実際に現地に行って現場を見るまでは、イスラエルだけが一方的に悪いように言うのは、紛争の一方に荷担するようで躊躇がありました。しかし実際に起きていることを見てみると、これは確かに「イスラエルがパレスチナを侵略し占領していること」こそが問題の根源であること、そしてパレスチナ人は自分たちの権利を守るために(武装闘争を含む)正当なたたかいを続けてきた事を、明確に理解しました。それ以降私は、「どっちもどっち」とか、「イスラエルとパレスチナとの相互理解や歩み寄りが必要」とかの言説を拒否し、加害者としてのイスラエル政府に対して、加害行為を止めることを求める立場に立つことにしています。


現にここにある矛盾を顕在化させ イスラエルを自分の位置から批判するために

たとえそこがどこであっても

(「バイセクシュアル」の主張と、パレスチナの国際連帯運動(ISM)の非暴力直接行動への参加、イスラエルで「No Pride in the Occupation」と掲げる反占領の立場のQueerグループのこと、セクシュアリティーの話と反戦運動について、総合的にまとめて書いた文章です)

(ひびのによる)パレスチナ特集


「BDS運動」とはなにか

 イスラエル政府は、パレスチナを不当かつ違法に侵略し占領して、パレスチナ人の権利を侵害しています。これをやめさせるために、パレスチナの市民社会から2005年に呼びかけられたのが、BDS運動です。「イスラエルのアパルトヘイト」を止めさせるためのこの運動は、最近では世界的な広がりを見せています。

※BDS:Boycott, Divestment and Sanctions(ボイコット、資本の引き揚げ、そして制裁措置)


国際法および人権という普遍原理の遵守までイスラエルに対するボイコットと資本の引き揚げ、制裁措置を行うよう求めるパレスチナの市民社会からの呼びかけ(日本語)

パレスチナBDS全国委員会(英語)


【具体的取り組み】

ハリウッド女優も巻き込んだイスラエル占領反対運動(日本語・以下同じ)

STOP無印良品キャンペーン(このキャンペーンは成功)

ヨドバシカメラ前で43日間の抗議-日本企業も人事ではない「パレスチナ占領加担」リスク

ストップ!ソーダストリーム・キャンペーン(日本)

▼(京都)殺人ロボットを開発するテクニオン・イスラエル工科大学の研究拠点設置に反対!

▼(京都)イスラエル工科大進出…アジア初


【概要】

対イスラエルBDSキャンペーンの課題

イスラエルボイコット運動とは?

BDSとは

パレスチナ占領・支配への抗議に危機感募らせるイスラエル

世界各国で広がるイスラエル船舶の荷役拒否と BDS 運動(1)/ガザ自由船団ニュース

▼参考資料「ガザと映画祭とパレードと」ver.2PDF・約500KB)

勉強になる資料です。ちゃんと考えたい人にお勧め。


○この運動は、南アフリカ共和国におけるアパルトヘイト政策を止めさせるために世界規模で取り組まれた、国際的なボイコット運動の成功を背景にしています。

イスラエルに対するボイコットと資本の引き揚げ、そして制裁措置を求めるキャンペーンの成功のために── 南アフリカの経験


ピンクウォッシング」に反対する取り組み

 「ピンクウォッシング」というのは、「イスラエルがLGBTの権利を擁護している、LGBTフレンドリーである」という宣伝を積極的にすることを通して、イスラエルがまるで人権を尊重している国であるかのようなイメージを創り出し、そのイスラエルが同時にパレスチナを不当に攻撃占領し多数のパレスチナ人を殺している、という都合の悪い事実を洗い流して忘れさせる、という宣伝工作のことです。(「ピンク=セクマイ色」)

 おそらく多くのセクマイ当事者にはそんな意図もないし考えたことがない人の方が多いと思いますが、セクマイ課題の社会運動の現場は、イスラエル政府による世界的な広報宣伝活動の重要な舞台の一つになっています。私自身正直ビックリしていますが、日本のイスラエル大使館も実は積極的に動いていて、関西クィア映画祭宛にさえ、大使館側からの連絡もあるくらいです。という事情があり、セクマイ界隈でのイスラエル政府のやっていることについては「ピンクウォッシング」という言葉まで作られて、世界中で抗議行動がなされています。


バンクーバー・クィア映画祭が「ピンクウォッシング広告」を掲載したため、Sins Invalidは、自身の映画『罪なき罪ークィアと身体障害』を映画祭から引きあげる

東京レインボープライドへの質問:イスラエル大使館のブース出展と出展基準について

《イベント》マサキチトセ×Janis対談イベント「わたしたちのピンクウォシング」

「フツーのLGBTをクィアする」経緯 (2015年4月まで)

翻訳:G. ヒレル「パレスチナのクィアがうんざりしている質問8つ」 (2013)


Outside the Frame映画祭(英語・サンフランシスコ・ピンクウォッシングに反対する映画祭)

映画『Pinkwashing Exposed: Seattle Fights Back』(英語)



関西クィア映画祭とイスラエル問題

これまでの経緯

『0メートルの隔たり』(2005年の作品/89分)

2007年の映画祭では、映画の上映と、ひびのによるレクチャーを行いました。

映画は、イスラエル「建国」時にイスラエルに行った祖父母を持つ、カナダ在住のユダヤ人の監督が、当時の映像もちりばめながら、現在のイスラエルに住むパレスチナ系のゲイとレズビアンのカップルを記録したドキュメンタリーです。

ナクバから60年:イスラエルによる占領にも、ホモフォビアにも、反対するために(2008年開催)

映画『0メートルの隔たり』の上映と、ヨルダン人留学生のお話、そしてひびのによるお話。「ナクバから60年」とタイトルすることは「日帝支配からの解放60年」と書くのと同じで、その言葉だけで立ち位置が鮮明に分かる用語です(ナクバ=大惨事。1948年5月14日のイスラエル「建国」のことを指すパレスチナ人の言葉)。

2009年1月の映画祭会期中にあったガザ空爆に抗議するために、関西クィア映画祭の会場にひびのが掲示した『No Pride In The Occupation』のポスターに対して、で寄せられた意見と回答

「パレスチナではレズビアンが殺されている」にどう答えるか(2009年に開催)

2012年、KQFF開催直前に、米国総領事館広報部による後援決定の連絡を領事館から電話で受けた直後に、イスラエル大使館文化部から映画祭携帯に電話があった(こちらからイスラエル大使館に連絡したことはそれまで一度もなかった)。

『いてはいけない人』(2012年の作品/68分)

2013年の映画祭で、映画の上映と、ひびのによるレクチャーを行いました。イスラエル大使館広報部の方から上映後のレクチャーしに無料で行くよと提案があったが、いくつかのやり取りの後おことわりして、結局ひびののレクチャーだけになった。

映画自体は、「パレスチナのクィアがうんざりしている質問8つ」では、ピンクウォッシング映画の例として明示的に挙げられている作品です


関連映画

『Garden/ガーデン』

山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映。京都★ヘンナニジイロ祭でも上映。

▼『Citizen Nawi』(2007年の映画

『0メートルの隔たり』にも登場するNawiさんのドキュメンタリー。試写も済ませ、上映を決定し、監督とやり取りする段階で返事が途絶えて上映できなかった作品。

https://youtu.be/7hpGYtm9kd0

http://www.imdb.com/title/tt1092055/

http://ticketing.frameline.org/festival/film/detail.aspx?id=1459&fid=42

http://ticketing.frameline.org/shop/item.aspx?catid=12&id=333

『City of Borders/分断の街で』2009年東京国際L&G映画祭で上映

KQFFでも試写したが、同年は『Citizen Nawi』を選択したため上映しなかった。私は、分かりやすい構図として描かれていたのが物足りなくて『Citizen Nawi』を推した(が、結局上映できなかった)。『0メートルの隔たり』に出てくるビアンカップルが、これにも出ている。

『アウト・イン・ザ・ダーク』(2012年の映画

東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で2013年に上映。同年は関西クィア映画祭ではこの『アウト・イン・ザ・ダーク』も試写した上で『いてはいけない人』の上映を選択した。両作品ともピンクウォッシング映画として「パレスチナのクィアがうんざりしている質問8つ」では明示的に例示されている。


パレスチナ人達の声を伝える短編映像

情報提供Mさんありがとう


An Interview with A Queer Palestinian (The Inner Circle)

クィアなパレスチナ人としての経験(イスラエルとの接点)やイスラム教との関係性について語っています。

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Haneen Maikey: Proud, Palestinian, Queer

al-QawsのディレクターHaneen Maikeyがトロントに来た際に、クィアパレスチナ人としてしたスピーチ。

5 PQBDS PSA “This is Violence Against Women”

イスラエルの軍事的占領は女性への暴力である、というPalestinian Queers for BDSが作ったビデオ。

▼Ghannai3anTa3rif(singing sexuality)のシリーズ

https://www.youtube.com/watch?v=ELFTkCrJkpM&list=PLlnBYKx54Vg5wouwCPaRj3BA7ykc1BHaR

詳細については記事:https://electronicintifada.net/content/sexuality-and-gender-taboos-challenged-haifa-project/12486https://electronicintifada.net/content/though-small-palestines-queer-movement-has-big-vision/12607参照

アラビア語です。

al-Qawsが始めた、パレスチナのアーティストや人をフューチャーして、ジェンダーやセクシャリティの多様性を訴えるビデオ。

Trans/National (Janani Balasubramanian)

アメリカのトランス/クィア/有色アクティビスト。パレスチナにも何度か足を運んで、ピンクウォッシングについてなど取り組んでいる。

パレスチナやイスラエルに特別言及してるわけじゃないけど、男ホルがイスラエル製で打つたびに自分の血管に植民地主義が流れるって言っている。

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Liberation in Palestine, A Queer Issue - Haneen Maikey

ロンドンで開催された学会での報告、なのかな。

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BDSの判断基準

 上記全てを踏まえて改めてBDSの判断基準を読んでみるとき、いくつか留意すべき大事な点があることを改めて気が付きます。


イスラエルに対する国際的なカルチュラル・ボイコットのPACBIによるガイドライン(2014年7月版)[仮訳]

PACBI Guidelines for the International Cultural Boycott of Israel (Revised July 2014)

○BDS運動は、個人をその (市民権や人種、性別、宗教といった) アイデンティティーやその人の意見によってボイコットすることを道徳的見地から受け入れない。//よって、単にイスラエル人の文化的な活動に携わる者がイスラエルの文化的機関に所属しているという点のみでは、当ボイコットの対象となる理由にはならない。// しかしながら、もしある個人がイスラエル国家やイスラエルと共犯関係にある機関を代表する場合、あるいはイスラエルの「イメージ刷新」戦略に関与するための任務を請け負っていたり、そうした活動の勧誘を受けたりしている場合には、その個人もBDS運動が呼びかけるこの制度的ボイコットの対象となる。


○(a)こうしたイベントやプロジェクトの多くは、不確かで、グレイゾーンにあり、評価をするのが難しい。(b) 重要なことは、ボイコットは共犯的な機関に対するものに限らず、そうした機関に備わっている有機的なつながりに対してのものでもある。そうしたつながりというのは植民地主義的な統治とアパルトヘイトを再生産するものである。(c)戦略的には、すべてのボイコット可能なプロジェクトが、積極的なボイコットのキャンペーンの対象とならなければならないわけではない。アクティビストたちは、彼女ら/彼らのエネルギーをその都度最も優先すべきキャンペーンに注ぐ必要がある。


○イスラエルの文化的な作品は(公的なイベントと反対で)、公的なイスラエルの団体によって資金援助を受けており、それ以外他の政治的な縛りがなければ、それ自体としてボイコットの対象にはならない。ここでの「政治的な縛り」とは、イスラエル政府の、あるいは共犯関係にある組織のイメージ刷新やプロパガンダの試みに、直接的あるいは間接的に供することが、資金の受け取り手に課されているという条件がある場合を特に指している。イスラエルの文化的な作品は、その文化的活動従事者が納税している市民としての権利の一部として公的な資金を受け取り制作した場合、政府の政治的なまたプロパガンダ的な利益に供することが縛りになっていないのなら、ボイコット対象ではない。


 ひびの的に解釈するなら、それがイスラエル人によるものかどうかが問題なのではなく、パレスチナ解放という目的に寄与するかどうか、という判断基準で、判断すべき。その際「沈黙」による同意効果を共犯とみなす厳しさや、制度の持つ暗黙の強制力、意図しているかどうかに関わりなく結果として生じる影響への行為者表現者の責任、といった事にも厳しく留意すべき、という感じでしょうか。

「BDS & Frameline」:「有色クィア女性のメディアアートプロジェクト」が声明を発表


 サンフランシスコの「有色女性クィアのアートプロジェクト(QWOCMAP)」が、Frameline映画祭イスラエル政府との協力関係に抗議して映像作品の提供をやめ、声明を発表。

 関西クィア映画祭は、過去にここから作品の提供をうけている。

Queer Women of Color―有色女性のクィアたち

関西クィア映画祭2010


http://hosted-p0.vresp.com/268466/2ea4172d88/ARCHIVE


Dear QWOCMAP Commnunity,


Earlier this Spring, QWOCMAP sent the following letter to Frameline:


After a meeting of the QWOCMAP Board of Directors, we made the difficult decision to not participate in the Frameline San Francisco International LGBT Film Festival or curate a QWOCMAP Screening Program for the 2015 Festival.


We appreciate the decade-long partnership we had with Frameline, which opened up additional opportunities for QWOCMAP Filmmakers to screen their films. The decision to step out of our partnership was not taken lightly. QWOCMAP engaged in considerable thought and discussion on this issue. We believe it is important to give Frameline the opportunity to address the community concerns about the receipt of funding from the Israeli government and related organizations.


We would also like to support Frameline as it increases its openness to community concerns, and encourage the organization to engage in candid public discussion about the nonviolent Boycott, Divestment and Sanctions (BDS) movement. The international urgency of the movement, and the call for an academic and cultural boycott, are important to the future of social justice and the larger LGBTQ movement, of which both our organizations are an important part.


We do hope to partner with Frameline again in the future and we wish to keep the channels of communication open. We are happy to be a resource during what we see as a time of growth and strengthening of both of our missions to better serve LGBTQ communities. QWOCMAP serves an intensely marginalized community that stands at multiple intersections, and we believe that building partnerships and aligning ourselves with other movements is essential to our mission.


We would like to make ourselves available to continue to foster honest and compassionate conversations with Frameline and lend our experience and expertise about how we, QWOCMAP, work to represent and open space for the voices of our diverse and multi-faceted queer women of color, gender nonconforming and transgender people of color community, as well as our families, friends and allies/co-conspirators-in-equity-and-justice. We believe that it is only through sincere dialogue and understanding can we truly be inclusive of the communities we want to serve.


QWOCMAP History


QWOCMAP does not make any decision hastily. We take the time to engage in learning and discussion, and consider the impact and consequences of our actions and our work in the community.


In 2005, a few community members approached to tell us that our queer Latina screenings should focus on immigration. QWOCMAP believed that any exploration of the forces behind immigration and migration in the U.S. should include a multi-racial, transnational discussion that acknowledged Native American/Indigenous/First Nations sovereignty. Which is exactly what we did with our “Multiple Borders” Festival Focus of our 2009 Queer Women of Color Film Festival.


Therefore, when Palestinian civil society issued the original campaign for Boycott, Divestment & Sanctions (BDS) and the call for an academic and cultural boycott of Israel in 2005, the questions for QWOCMAP became:


How can we respond as an organization?

How can we strengthen our practices to meet our mission?

How can we address this injustice in a way that is distinctly QWOCMAP?


With this in mind, we fine-tuned our fundraising policies to ensure that we did not inadvertently accept in-kind donations of goods from Israeli companies or funding from its government. This meant that we stopped soliciting donations from companies like Starbucks, and sought out new information and then focused our fundraising efforts on local businesses and restaurants. This was a difficult choice to make because QWOCMAP is a small organization that provides free programs to our community without any corporate funding, but we were happy to take on the challenge.


Our support of the BDS movement also meant taking individual actions, and stepping up QWOCMAP’s work to amplify the voices of the Southwest Asian, North African/Arab, Middle Eastern, Muslim & South Asian (SWANA/AMEMSA) community. We developed intentional and transnational partnerships with organizations to create an environment of welcome and inclusion, in order to combat the racism and Islamophobia that fuels further oppression of the Palestinian people.


In 2009, we began years of fundraising to support a filmmaking workshop “Bridge To Truth: Queer SWANA/AMEMSA communities,” which took place in 2012. This culminated in a Featured Screening at our Queer Women of Color Film Festival in 2013, which highlighted a panel discussion with filmmakers that bridged LGBTQ rights, spiritual acceptance, liberation struggles and social justice movements. We deliberately declined films that we felt were apologists for Israel’s human rights violations and focused our curatorial efforts on the diversity of the SWANA/AMEMSA community.


In 2010, we decided that “Justice Heals” would be the Festival Focus of our Queer Women of Color Film Festival in 2015, knowing that we could facilitate a dialogue that would explore policing, militarization and foreign policy from the perspective of filmmakers. This year, our Community Conversation “Film & the Nation-State,” explored these issues from Cincinnati, Ferguson and Baltimore to Guatemala and Latin America, to Syria and Palestine in ways that opened possibilities for reciprocal solidarity. It pushed us to become more than allies, to make ourselves accomplices and co-conspirators for justice.


In 2012, only weeks before our 8th annual Queer Women of Color Film Festival, QWOCMAP responded to news that “Israel in the Garden” festival was taking place next to our screening venue by issuing a statement on safety and implementing policies to ensure that our communities remained safe and free of surveillance.


Also in 2012, we began fundraising to support a filmmaking workshop for LGBTQ Muslims of color, which will be “inclusive of all Muslims including those that identify with Islam politically, culturally, religiously, ideologically and/or spiritually.” This workshop will take place in Fall 2015.


BDS & Frameline


When QWOCMAP first partnered with Frameline in 2004, they had accepted funding from the Israeli Consulate off and on over the years. In 2010, that funding became more consistent. At the time, we thought that it was important to maintain a relationship with Frameline, as it allowed us to give opportunities to QWOCMAP Filmmakers, and it gave us the chance to engage in discussions about the BDS movement and the queer boycott of Frameline with many different communities. We were happy to have broad compassionate conversations about social justice that explored the complexities involved, which included acknowledgement of the Holocaust in Europe, the West/Global North deliberately positioning the formation of the nation-state of Israel as a wedge in the Middle East region to support their own foreign policies, and Israel’s former triangle with Apartheid-era South Africa and the U.S. government as an occupying force. Further, these conversations acknowledged the Israeli government’s treatment, abuse, and violation of the human rights of Palestinians, of Muslims and Christians, of Arab people, of Ethiopian and other Jews of African descent, of Southeast Asian migrants, of refugees from Africa, of anti-Zionist Jewish people and of LGBTQ people.


Ultimately, our support of the BDS movement led us to our decision to step out of our partnership with Frameline. We will continue to engage in discussion with them and allow them to respond to community concerns around the ways in which the Israeli government uses its ostensible support of the LGBTQ community to cover up its violations of the human rights of Palestinians and many others.


In order to meet our mission, QWOCMAP relies on listening to the concerns of our community, thorough learning and planning, and being intentional in all of our practices. We believe that by facilitating and broadening discussions about the roots and impacts of oppression, we can all learn about histories, struggles, and connections between social justice movements transnationally.


QWOCMAP strongly believes in the possibilities of political education, and we want our community to have every opportunity to build solidarity as we learn, love and live together while fighting for our collective liberation and justice.


In love and light,

QWOCMAP

LGBT映画祭Framelineによる、イスラエルのアパルトヘイトとの共犯関係に抵抗しよう

 先月の6/19(金)から、サンフランシスコ(SF)で、「パレスチナのためのクィア映画祭」である「Outside the Frame」が開かれました。これは、同時期にSFで開催されたLGBT映画祭Framelineイスラエル政府との関係をやめないことに抗議して開催されたものです(確かFrameline映画祭は、米国もしくは世界で初めて開催されたLGBT映画祭のハズです。)。以下はその紹介のウェブページを邦訳したものです。ピンクウォッシングを考える参考までに、紹介です。

(※厳密な訳ではありませんので、だいたいの意味をとる程度にご利用ください)



LGBT映画祭Framelineによる、イスラエルのアパルトヘイトとの共犯関係に抵抗しよう

http://outsidetheframefest.org/


 クィア・コミュニティーの一員として、私たちは、イスラエルのアパルトヘイトとの共犯関係にあるFramelineに挑戦する映画祭「Outside the Frame」を開きます。この映画祭は、イスラエル政府とのパートナー関係をFramelineが続けているために、Framelineから映画を引き上げた、もしくは上映申し込みをしなかった映画製作者の作品を上映します。映画祭は、帝国主義に反対する闘いの中におけるLGBTQIの映像文化の役割を信じ、また寄与している他の人々からの作品も含む予定です。


 Outside the Frameでは、最先端の映画や、ライブパフォーマンスを上演します。それは、正義のための広い国際運動の文脈の中に、ゲイ/レズビアンの課題を位置づけるでしょう。映画祭では、映画製作者とパフォーマンスアーティストとが一緒に、パレスチナにおけるイスラエルの政策に反対し、イスラエル大使館による寄付金を通じたFrameline映画祭ピンクウォッシング抵抗します。


 映画祭は、クィアの解放運動のルーツに戻り、ラディカルな社会変革の未来をもう一度想像します。映画祭は資本主義に反対し、政府や団体からの支援金を受け取ることを拒否します。全てのプログラムは無料で、全ての人に開かれています。


同化ではなく解放を

映画祭は、解放ではなくて同化が支配的な物語になった事に対して共に疑問を呈することを、全てのクィアな人達に呼びかけます。例えば、ただ単にクィア系の文化企画に資金を出したり、イスラエルのプロパガンダに使われるクィア映画制作を支援するだけなのに、イスラエルがクィアの"友達"である、という物語です。パレスチナ解放を含む社会正義を求めるクィア活動家として、私たちは知っている。イスラエルがクィア解放の闘いを組み入れようと試みているその一方で、イスラエル政府は、パレスチナ人クィアを含むパレスチナ人を殺し、追放し、権利を否定し続けている。これはピンクウォッシングであり、Framelineは関与をやめなければならない。その代わりに、2005年にパレスチナの人達が呼びかけた文化と学術におけるボイコットに公式に関わるべきであり、パレスチナの人々がボイコットの呼びかけをやめるその時までイスラエル政府との繋がりを絶たなければならない。




背景

http://outsidetheframefest.org/background/


 イスラエルのアパルトヘイトに対する闘いは、ここ米国においても、人種的正義のための広い闘いの一部です。私たちは米国の活動家として、米国政府による資金援助と政治的軍事的な支援によってイスラエルが行動していることを認識しており、それは完全に、イスラエルの戦争犯罪の共犯です。私たちは皆、解放と平和な世界のための闘いである国際的なBDS運動(ボイコット・資本引き上げ・制裁)に参加しています。「Outside the Frame」は、私たちにとって、クィア解放の文化を創造し探求する場です。参加してください。


 ほぼ10年前、パレスチナ人の闘いを支持するクィア達は、「Frameline(サンフランシスコのLGBT映画祭)」に対して、イスラエル政府と協力することやイスラエル政府から資金を受け取ることをやめるよう働きかけました。これは、イスラエルの虐殺政策に反対するために、ボイコットと資本引き上げと制裁をパレスチナ市民社会の数百の団体が呼びかけていることに、つながっています。電子メールやハガキ、署名、そして、イスラエル政府との協働を望まない多くのクィア達の抗議にも関わらず、Framelineはこの問題を真面目に検討することを拒否しました。


 イスラエルは1948年に建国された事になっています。しかしその前の時代、武装民兵がパレスチナ人への虐殺攻撃を行い、人々を追い出し、村を破壊し、土地を奪いました。イスラエル政府パレスチナ人と交渉する意図がないことを私たちは見てきました。なぜなら、イスラエル政府アパルトヘイト分離壁を建設し、今もパレスチナに新しい入植地を作り続けているからです。今年初めに、ガザと西岸地区で3000人以上のパレスチナ人を殺したことによっても分かるとおり、これらのイスラエル政府の行いは、今日まで続いています。Framelineがピンクウォッシングとの共犯関係をやめることが、この最近の虐殺でますます重要になりました。


 数年間に渡って、イスラエル政府との関係を維持するという決定における頑固さをFramelineは強めてきました。今年は、アラブのクィアやその仲間たちとこの問題で面会することを拒否するくらいです。Framelineの年に一度の映画祭やFramelineの配給事業から、自分の映画の上映申し込みをやめたり、自分の映画を引き上げる映画製作者の数が増えており、私たちは励まされています。


 

2014-08-31

ガザの破壊のすさまじさを視覚的に表現した作品を3本

停戦となりました。イスラエル政府によるガザへの攻撃が、実際どのようなものであったのか、映像と写真で強く伝わってきます。ぜひごらん下さい。


■拡散歓迎■


京都の岡真理です。


ガザの破壊のすさまじさを視覚的に表現した作品を3本、ご紹介します。


1)ジョン・グレイソン作 「ガゾント」

2)メディア・タウン作 シュジャイヤ地区空中撮影ヴィデオ

3)ルイス・ウィルド ガザ戦争地図


■1.ガゾント


カナダの映像作家、ジョン・グレイソンのショートフィルム「Gazont(ガゾント)」。「ガゾント」とは、ガザとトロントの合成語です。


8月、テルアビブ在住のイスラエル人が、グーグルアプリを使った「ガザ攻撃:コード・レッド」と題する、ガザ空爆のシミュレーション・ゲームを創りました。

https://medium.com/sky-news/gaza-the-videogame-12a492bc7f2e


グレイソンの「ガゾント」は、この、ガザ空爆のシミュレーション・ゲームの体裁をとりながら、しかし、ガザをトロントの街に重ねて表現しています。ミサイルで破壊されるのは、トロント市民生活空間です。ガザで起きていることが、その質・量においていかなるものなのか、人間の想像力を刺激します。


D



■2.シュジャイヤ地区空撮ヴィデオ


7月20日、地上戦の開始直後に徹底的に破壊されたガザ市のシュジャイヤ地区。それを空中から撮ったヴィデオです。

https://www.facebook.com/mediatownps


D

メディアタウンは、ガザのヴィデオ制作会社です。


シュジャイヤ地区の破壊された様子はいくつかの写真で目にしていましたが、この空撮の動画で初めて、破壊の全貌――地区全体が廃墟となっているさま――を知りました。

にわかに想起するのは、東日本大震災津波の被災地の光景です。そして、原爆投下後の広島…。言葉を失います。


■3.ガザ戦争地図


フォトジャーナリストのルイス・ウィルドが作成した、ガザの北部と中部の7か所の地点のパノラマ写真です。

http://www.kolor.com/virtual-tours/20140818-kolor-lewis-whyld/#s=pano115


ぜひ、見てください。


おか

2014-08-23

「ジェノサイドの時代の愛」 詠唱:ハイダル・イード

 以下に書かれている岡さんのお母さんのお話とは異なりますが、私自身も、大学に入った頃、先輩たちが明確にパレスチナを擁護し、「一方的に」イスラエルを批判している(ように見えた)にに対して、素直に賛成は出来ませんでした。それは、紛争に対して「あまりに一方的」に見えたのです。

 でも、実際に現地に行ってみて分かったことは、その先輩たちの路線が正しかったということです。

 イスラエル/パレスチナ間の問題は、イスラエルによる不当で一方的な侵略と占領と、それに対するパレスチナの正当な抵抗です。もちろんイスラエル人にもいい人や素晴らしい活動家もいるし、パレスチナ社会にも問題がたくさんありますが、そういった議論をするためにも、「イスラエルによる侵略と占領に反対する」という立場と認識を明確に確立する必要があると私は今は思っています。南アフリカのダーバンで開催された人種差別に反対する国際会議で、「シオニズムはレイスズムである」と主張されている(それを巡ってもちろん米国が退席するなど大問題になった)こと、そのラインを譲れない一線として動いてきた歴史があることなどを思うと、その思いは一層強くなります。

 話が長くなりました。また転載となりますが、是非お読みください。


 なお、明日京都では以下の集会もあります。併せてお知らせです。


パレスチナ人女性が語る、パレスチナ問題と占領下での保健医療活動

8月24日 (日) 16:00〜18:30 (15:30開場)

京都大学 吉田南キャンパス 総合人間学部棟地下1B05教室

http://www.ngo-jvc.net/jp/event/event2014/08/20140824-gaza-event.html

(事前申し込みとなっていましたが、当日飛び入りもOKとなりました)


■拡散歓迎■


京都の岡真理です。


先週末、実家に帰りました。70代半ばの母がガザで起きていることについて、「ガザの人たちは望んでいないのに、原理主義の武装勢力が勝手に戦争をしているんでしょう?」と、質問というよりも、同意を求めてきました。新聞とテレビだけしか見ていないと、そういう理解になるのだという典型的な例だと思います。


攻撃し大量殺戮しているのはイスラエルであり、いちばん悪いのはイスラエルでありながら、パレスチナ人に大量に犠牲が出るのは、ハマースが武装抵抗をおこなうからだというような理解をしている人々が多いのではないかと思います。そのような言説戦略をイスラエルが採っており、それを主流メディアがそのまま無批判に流しているからです(日本において、このメディア戦略は見事に成功していると言えるでしょう)。


こうした「理解」は2つの点で誤っています。


ひとつは、占領下や植民地支配下の住民はあらゆる手段を行使して、自らの解放(民族自決)のために闘うことが国際的に認められている、ということ。そして、「あらゆる手段」の中には武装抵抗も含まれるということです。


イスラエルはハマースその他の武装組織の武装解除を停戦合意の条件にしていますが、ガザも西岸も、もっと言えばイスラエルそれ自体が違法な占領地であり、そうである以上、占領下の住民たちの武装闘争パレスチナ人に正当な権利のはずです。しかし、イスラエルは、ガザのパレスチナ人を大量殺戮することによって(それ自体が人道に対する罪であり、ジェノサイドの罪です)、彼らの正当な権利を放棄させようとしています。


ハマースが武装抵抗さえしなければパレスチナ人は殺されないのに、という考えは、イスラエルの目論見に加担することになってしまいます。占領さえなければ武装抵抗もありません。パレスチナ人に対するジェノサイドを止めるのであれば、ハマースの武装抵抗ではなく、不法な占領を続けるイスラエルこそが本来、非難されなければいけないはずです。


もうひとつは、単に攻撃が止んで攻撃開始前の既成事実――すなわち占領下での封鎖という状況――に戻るだけの停戦なら自分たちは要らない、あくまでも封鎖からの解放を求めて闘うというのは、ガザの住民たちの総意なのだ、ということ。このことは、ガザのさまざまな者たちが、世界に向けて訴えています。


愛する者を失い、家を破壊され、悲惨な境遇に置かれ、一刻も早く長期にわたる停戦を誰よりも望んでいるのは、ほかならぬガザの人々のはずです。その人々が、しかし、それでも、これだけの犠牲を払ってもなお、封鎖の解除を求めて闘い続けているのだということ。いま、カイロで長期的停戦のための協議が続けられていますが、ハマースの代表団は、そもそもが不法な封鎖の解除というガザの180万の住民たちの思いを実現するために、外交交渉という場で闘っているのだと思います。日本の主流メディアは、こうした声をほとんど報じていません。今日、先に紹介した「ガザの婚礼」でも、結婚式に込められた抵抗の思いは漂泊され、単なるエピソードとして消費されてしまったのではないかと思います。


もうひとつ、従来、パレスチナ人の抵抗というと、ハマースのロケット弾や自爆攻撃といった暴力的抵抗ばかりが論じられがちです。しかし、武装闘争は抵抗のひとつの手段に過ぎず、パレスチナ人はつねにすでに非暴力の抵抗闘争を闘ってきました。かぎりない抑圧の中で、自らの人間性を手放さないでいること、それもまた抵抗です。英語で人間の生の物語を紡ぎ、非人間化されたパレスチナ人の表象に人間性を回復すること、それもまた抵抗です。


ここで、ガザのパレスチナ人非暴力のレジスタンスの例をもう一つ、ご紹介したいと思います。エレクトロニック・インティファーダでアリー・アブーニウマが、ガザのハイダル・イードのパフォーマンス・ヴィデオを紹介しています。


「ジェノサイドの時代の愛」と題されたそれは、エジプトの詩人の詩をイードが翻案し、それを、ガザのスライド写真をバックに詠唱しているものです。アラビア語が分からない方でも、その響きの美しさは堪能できると思います(原文サイトでヴィデオを見ることができます)。


この想像を絶する大量殺戮と大量破壊の中で、このような作品が生まれることに讃嘆を禁じ得ません。もてる資源を駆使して、このようなアーティスティックな形での抵抗が試みられているのだということ。ガザのパレスチナ人は、もてる手段のすべてを行使して、占領と闘っているのだということ。そのメッセージを深く受け止めたいと思います。


「ジェノサイドの時代の愛」 詠唱:ハイダル・イード

http://electronicintifada.net/blogs/ali-abunimah/listen-love-time-genocide-performed-haidar-eid


アリー・アブーニウマ 

エレクトロニック・インティファーダ 2014年8月16日



パレスチナ人知識人でありアクティヴィストのハイダル・イードは、エジプトの詩人、故アブドゥルラヒーム・マンスールの詩を翻案したパフォーマンス・ヴィデオをつくった。言葉は飾り気のないものだが、ガザにおける今回のイスラエルによる集団虐殺のイメージを背景になされるイードの詩の詠唱は忘れがたいものだ。


子宮の収縮と陣痛のあいだで

私たちは甦るだろう


子宮の収縮と陣痛のあいだで

知恵が生まれるだろう、

自由の歌が生まれるだろう


過ぎ去ってしまったもの、逝ってしまったもののすべてが、

なお、生まれている、あなたの瞳のなかで


ヴィデオの最後に現れるのは、イード自身の次のような言葉だ。


パレスチナ人、とりわけガザの人間たちは、1948年以来、果てしのない集団虐殺を生きてきました。私たちはもはや、抑圧の条件をただ緩和するための交渉などできません。権利のすべてか、さもなくば、何もないか、です。権利のすべてとはすなわち、占領の終結、アパルトヘイト植民地主義の終結です。


[翻訳:岡 真理]

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以上



はてなには「vimeo」の映像を直接貼り付けできないので、ぜひ、直接以下のサイトで映像をごらん下さい。

http://electronicintifada.net/blogs/ali-abunimah/listen-love-time-genocide-performed-haidar-eid

2014-08-22

ガザのたさくんの物語

2002年に私も個人として参加した国際連帯運動(ISM)のサイトの紹介です。

ガザの写真集です。


■拡散歓迎■


京都の岡真理です。


ISM(国際連帯運動)のHPから、サラ・アル=ゲルバーウィーのフォト・エッセイ「ガザのたくさんの物語」をご紹介します。


サラは、1991年生まれの23歳。ガザのイスラーム大学出身です。

イスラーム大学は6年前のキャストレッド作戦でも爆撃され破壊され、今回も、爆撃に遭いました。テロリストの兵器開発センターだという理由で。

サラは、そのとおりだ、と言います「もっとも危険なテロリズムがここで行われていた――知を築くというテロが!」と。


原文のサイトには、たくさんの写真が掲載されています。破壊される前の美しいイスラーム大学の写真もあります。ぜひ、それらの写真を見ながら、お読みください。


ガザのたさくんの物語

http://palsolidarity.org/2014/08/more-stories-from-gaza/


サラ・ゲルバーウィー

ISM / 2014年8月9日


亡くなった者たちについて書こうとすると、どこから書き始めたらいいのか、途方に暮れてしまう。死者の数は今、1898人に達している。うち子どもが433人、女性が243人、85人が老人。負傷者は、9837人。


彼らは、何千もの物語を遺して逝った、癒しがたい痛みとともに。


ぼくは、イブラーヒーム・イスマーイル・アル=グール。左の写真がぼく。ぼくには、双子の弟がいた。

ぼくたちはいっしょに生きてきた、ママのお腹のなかで9か月、それから外に出て10日間だけ。

ぼくたちはずっと一緒に生きていくのだと思ってた。一緒に遊んで、一緒に幼稚園に行って、それから一緒に学校に行って、大学に行って、友だちも一緒。ぼくたちは永遠に親友だと思ってた。

ぼくの双子の弟は、殺されてしまった。もうちょっと成長して、外の世界生活を見ることもなく。

ぼくは、ぼくの分身、ムハンマドを亡くした。


ぼくが亡くしたのは双子の弟だけじゃない。ぼくはママも亡くした。パパも、お兄ちゃんのワーエルも。ぼくにはもう、ママともパパとも、お兄ちゃんとも知り合うチャンスがないんだと思うと、ぼくはとっても悲しい。それから、ぼくの2人のすてきなお姉ちゃんたち、ハナディとアスマーも。二人も殺されてしまった。

ぼくのお兄ちゃんやお姉ちゃんたちは、アイスクリームの冷凍庫の中にいる。右側の写真がそれ。病院はいっぱいで、もうそれ以上、死んだ人たちのための場所がなかったから。

それ以上の痛みの場所も。


8月3日、日曜、アル=グール家は10人の家族を失った。イブラーヒームの家族と、イブラーヒームの叔父の5人の家族だ。


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ぼくはラーミー・ラヤーン。ぼくには、ぼくのことをこの地上の誰よりも愛してくれる母と父がいた。ぼくは1人息子だった。両親はぼくに何でも与えてくれた。ぼくは彼らの人生そのものだった。


ぼくには愛する妻と4人の子どももいた。ぼくが殺されたとき、いちばん上の子はまだ8歳だった。ぼくは仕事中に殺された。銃を持っていたわけじゃない。ぼくが手にしていたのはカメラだ。


彼らはぼくの人生を盗んだだけじゃない。家族全員の人生を盗んだのだ。ぼくが死んだのは一度きりだけれど、可哀そうな僕の家族は、毎日、いったい幾度、死ぬのだろう、ぼくなしで生きなければならない今となっては。彼らは決して忘れないだろう。決して許さないだろう。


ぼくはモーメン・クライケ。パレスチナ人のフォトジャーナリスト。27歳。

2008年、ぼくは仕事中、イスラエルの空襲を受け、両脚を失った。

2014年、同じ敵によって、自宅を失った。

ほかに何を失うかなんて、誰も予想できない。


Screen shot 2014-08-09 at 21.20.47

私たちのみなが同じ痛みを分かち持っている。私たちのみなが知っている、感じている、喪失とは何を意味するのかを。私たちの誰ひとり想像することはできない、私たちの残りの人生が――もし、これを人生と呼ぶのが正しいとして――この瞬間ののち、いったいどのようなものになるのか。


私たちは瞳を失った。私たちの無垢な、可哀そうな、純粋な赤ちゃんたちが殺された、何の罪もないのに。この子たちだって人生を愛していただろうに、でも、生きる機会を与えられなかった。でも、それは、――生きることは――この子たちのささやかな権利だった!


Had a House3

Mideast Israel Palestinians  AP

ここに、私たちの家があった。

私たちには生活があり、思い出があり、喜びがあり悲しみがあった……そのすべてが瓦礫の下に完全に埋められてしまった。何もかもが一瞬でなくなってしまった。

家を建てるには、時間が必要、健康も、お金も必要。小さなディテールが生まれて、それが積み重なって、一つ一つのピースが「生」の鼓動を打つまでになるには、たいそう長い時間が必要。


たくさんの物語が、今、この場の限界を超え、意味を失ってしまった。たくさんの感情が、もう二度と感じられない。たくさんの匂いが失われてしまった。

残されたのは、ただ、破壊と、喪失の悲しみと、果てしない死の匂いだけ。


Screen shot 2014-08-09 at 21.29.35

これが私の大学

私はここで、自分の未来を築いた。人生でもっとも輝いていたときだった。世界への扉だった。この建物で、私は友人たちと、卒業式でたくさんの写真を撮った。友人たちを愛するのと同じくらい、この大学を愛していた。


私の大学は美しかった。そう思うでしょう? テロが行われるように場所に見える? 私の答えはイエス。もっとも危険なテロリズムがここで行われていた――知を築くというテロが!ここで、私たちは占領に対して、教育と知識でいかに対抗するかを、そして、世界に、私たちが何者であるのかをいかに知らしめるかを学んだのだから。私のことばこそが私の武器!


  • サラ・アル=ゲルバーウィー パレスチナ人市民。1991年サウジアラビア生まれ、現在はガザ地区在住。ガザ・イスラーム大学で経営学を学ぶ。現在はメディア・プロジェクトのコーディネーターとして働く。

[翻訳:岡 真理]

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以上

2014-08-20

「怪物と闘う者は、自らも怪物とならぬよう心せよ」


■拡散歓迎■


京都の岡真理です。


2008年-2009年のキャストレッド作戦のとき、地上戦を前にイスラエルは、外国人のみガザを出ることを許可しました。そのとき、ガザにいた何人かのインターナショナルズ[占領下のパレスチナ人の人権擁護活動をする外国人アクティヴィスト]は、ガザにとどまることを選びました――彼らの命より、私たちの命の方が価値があるのですか…?と言って。


そのひとり、イタリア人のヴィットリオ・アッリゴーニさんは、キャストレッド作戦のあとも封鎖下のガザにとどまり、パレスチナ人生活をともにしてきました。しかし、2011年4月、何者かに誘拐され、殺害されました(ハマースはじめ、パレスチナのさまざまな党派が犯行を指弾しました)。


ヴィットリオさんが、キャストレッド作戦のとき、ガザから発信し続けたルポはその後、“Stay Human"(人間であり続けること、人間の側に留まり続けること)というタイトルで出版されました(原著イタリア語、英訳あり。日本語版は翻訳が進行中です。一日も早く日本語版が刊行されることを待ち望んでいます)。


人間であり続けること――


「ガザの婚礼」で言及した、イブラーヒーム・ナスラッラーの小説『アーミナの婚礼』のテーマもそれでした。ある日、アーミナの夫はアーミナに言います、


――ねえ、アーミナ、人間が真に敗北するのはいつか、知っているかい?人間はね、この世に自分以外に大切なものはないとなってしまったときに、真に敗北するんだよ……


以下、エジプト系アメリカ人の詩人、ヤヒヤ・ラバービディの詩をご紹介します。

英語のあとに、日本語訳を載せています。


An open letter to Israel

http://electronicintifada.net/content/open-letter-israel/13764


Yahia Lababidi

The Electronic Intifada 18 August 2014



He who fights monsters should see to it that, in the process, he does not become a monster. ? Nietzsche


Tell me, what steel entered your heart,

what fear made you rabid,

what hate drove out pity?


How could you forget

that how we fight a battle

determines who we become,

when did you grow reckless

with the state of your soul?


We are responsible for our enemy,

compassion is to consider the role

that we play in their creation.


If you prick us, do we not bleed?

… If you poison us, do we not die?

and if you wrong us, shall we not revenge?


Strange, how one hate enables another;

how they are like unconscious allies,

darkly united in blocking out the Light.


Yes, we can lend ideas our breath, but ideals ?

Peace, Justice, Freedom ? require our entire lives

and, all who are tormented by such ideals

must learn to make an ally of humility.


Truth, and conscience, can be like large, bothersome flies

ー brush them away and they return, buzzing louder

nearly 2,000 dead, in Gaza, 500 children

no, these are unbearable casualties to ignore


To speak nothing of the intangible casualties:

damage done to our collective psyche, trust, and sleep

no more nightmares, please, give us back our dreams

we can still begin, again, and must

wisdom is a return to innocence.


イスラエルに対する公開書簡


ヤヒヤ・ラバービディ

エレクトロニック・インティファーダ / 2014年8月18日


怪物と闘う者は、自らも怪物とならぬよう心せよ――ニーチェ


教えてくれ、いかなる鋼(はがね)がおまえたちの心に入り込んだのか、

いかなる恐怖がおまえたちを凶暴にしたのか、

いかなる憎悪が憐れみを追い払ったのか?


なぜおまえたちは忘れるのか

私たちがいかに闘うかが

私たちが何者となるかを決めるということを

おまえたちがなりふり構わぬようになるとき、

おまえたちの魂のありようもまた?


私たちは私たちの敵に対して責任がある

共感共苦は熟慮する

敵の創造において私たちが果たす役割を


おまえたちが私たちを刺す時、私たちは血を流さないか?

……おまえたちが私たちに毒を飲ませるとき、私たちは死にはしまいか?

おまえたちが私たちを虐待するとき、私たちは復讐を誓わないか?


奇妙なことだ、一方の憎しみは他方を

まるで無意識の同盟者であるかのように、

暗く結びつけるのだ、光を閉めだして


そうだ、私たちは考えに息吹を与えることができる、だが理想は――

平和、ジャスティス/公正、自由は――私たちの生のすべてを要求する

そしてそれらの理想に苦しむ者はみな

学ばなければならない、ヒューマニティ/人間であることの側に立つことを


真実、そして良心は、大きな、うるさい蠅のようでありうるのだ

――払い除けても、舞い戻ってくる、さらに大きな羽音を立てて

2000人近くが死んだ、ガザで、500人の子どもたちも

否、無視するなど耐え難くてできない死傷者たち


手を触れることのない死傷者たちについて何も語らないでいることが

私たちの集団的なプシュケー/魂を毀損する

二度とこのような悪夢を繰り返してはならない、お願いだ、私たちの夢を返してくれ

私たちはまだ始めることができる、何度でも、そうしなければならないのだ

知恵とは無垢なるものに回帰することだ


  • ヤヒヤー・ラバービディーはエジプト系アメリカ人の思想家、詩人。5冊の著書がある。アル=ジャジーラ、ガーディアン紙をはじめさまざまな媒体でとりあげられている。

[翻訳:岡 真理]

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以上

2014-08-19

カイロ停戦協議


■拡散歓迎■


京都の岡真理です。


カイロの停戦協議は、すでに報道されているとおり月曜深夜(19日(火)現地時間午前零時)、期限切れを迎え、24時間の延長になりました。24時間の延長が期限切れとなるのは、日本時間、20日(水)の午前6時です。


パレスチナの通信社マアーンが、今日、停戦協議の状況について知らせるところでは、


「エジプトが仲介する交渉15日目にして停戦合意が準備されている。イスラエル代表団は、詳細を閣僚に報告するため、カイロを離れた。複数の消息筋は、エジプトの弁護士たちが文書を準備していると語った。[中略]パレスチナ側の党派間で大きな不一致はなかったと消息筋は言う」

http://www.maannews.net/eng/ViewDetails.aspx?ID=721457


この情報が正しければ、双方、合意に達したということになります。

その内容については、間もなく明らかになるでしょう。ガザの封鎖の全面解除が実現されることを祈ってやみません。。。。


以下、アリソン・ドゥジャーによる停戦協議に関する記事をご紹介します。これは昨日、協議が24時間延長される前に書かれたものです。停戦協議に両者がどのような姿勢で臨んでいるかが具体的に述べられています。


カイロの停戦協議はまた、ファタハとハマースが統一政府の再構築に向けて協議する場ともなっているようです。


停戦の期限切れを前に、パレスチナ側は封鎖解除を、イスラエルは「ガザをラーマッラーに」することを望んでいる

http://mondoweiss.net/2014/08/ceasefire-palestinians-ramallah.html


アリソン・ドゥジャー 

Mondoweiss / 2014年8月18日


本日、イスラエルとパレスチナの当局者は、今回の停戦が現地時間の午前零時に期限切れとなる数時間前、長期的停戦についてエジプトの仲介で協議し、ガザ地区の封鎖について再検討するために会合を開いている。5日間の停戦は、「プロテクティヴ・エッジ作戦」全体を通して、10回近くの人道的一時休戦のあとで、先週水曜に始まった。


外交チームが先週、3日間にわたり会合を行った。しかし、イスラエルは会合全体に出席していたわけではない。だが、水曜日に、5日間の停戦が発表される数時間前にエルサレムで開かれた記者会見でイスラエルの情報大臣、ユヴァル・ステイニツは、イスラエルの外交チームは協議を通して「ガザをラーマッラーにする」ことを目指すと語った。


この目的に向けて、交渉者たちは、自分たちの主たる任務はガザを、オスロ合意後の西岸と同じように非武装化することであると述べた。「我々が望んでいるのは停戦以上のものだ、我々は、ガザの非武装化を欲している」とステイニツは言った。「別の視点から考えると、ガザはまさにラーマッラーのようになるだろう。経済的見地から言っても、ガザはラーマッラーのようになるだろう。嘘じゃない、ラーマッラーの生活は、ガザよりはるかに安楽だ」、と彼は続けた。


そのような合意のもとで、地中海で治安部隊が小火器を継続して使用することが認められるだろう。現在のところ、治安部隊はハマースが統括しているが、パレスチナの交渉チームは、西岸に拠点を置くファタハを長とする[西岸とガザの]統一チームで構成されているので、カイロの交渉はことによると、ガザの現地政府の再構築についても議論するかもしれない。


パレスチナ人当局者がモンドウェイスに語ったところによると、パレスチナの諸党派間の関係は、前向きで友好的。PLOはガザについてイスラエルと交渉する一方で、何としてもテクノクラートによる民族的同意を得た政府を再建したいと考えている。「我々は初めて、試合の流れを変える力を持っていると感じている」、PLOのスポークスマン、ジャビール・アブーイードは民族統一政府の可能性についてそう語った。


先週の72時間停戦の延長は、双方が永続的協定に到達したいと思っていることを示唆している。「平穏は平穏をもって応えられる。だが、もし、ハマースが爆撃を再開すれば、我々の対抗攻撃はかなり激しいものとなろう」とステイニツは述べ、イスラエルが、空爆の再開を取り下げていないことを示唆した。


カイロのパレスチナの交渉チームは、今年[アメリカの]ジョン・ケリー国務長官が仲介し、4月に失敗に帰した9か月にわたるイスラエルとの直接交渉のときよりも、目立ってより良い立場にある。パレスチナ人当局者たちは、[国際刑事裁判所の]ローマ規定に加盟するための書簡を起草したと語った。これに加盟すればパレスチナは、イスラエルを戦争犯罪の廉でハーグ[の国際刑事裁判所]で訴追することができるが、彼らはこれを留保している。同時に、国連の人権理事会も、ガザにおける38日間にわたるイスラエルの攻撃によって繰り返された数多くの戦争犯罪や人道に対する罪の可能性のあるものについて調査するために動いている。国連人権理事会の報告書は、2015年3月に出る予定。


イスラエルは明らかに、人権調査を不愉快に思っている。ステイニツはそのブリーフィングの半分近くを、これら人権調査について、[調査団メンバーの]法学者は[イスラエルに対し]バイアスがかかっている、ハマースの違法性については調査しない、調査団に軍事専門家がいないことなどを理由に違法であると訴えることに費やした。米国の下院議員スティーヴ・イスラエルがニューヨークポストに語ったところでは、先週、彼が7人の議員らとともにイスラエルでネタニヤフ首相と会合をもった際、首相は、イスラエルをハーグ[の国際刑事裁判所]に訴追するというパレスチナ側の試みを押し返してくれるよう、米国議会の支援を要請した。「首相は我々に、ICC(国際刑事裁判所)に持っていこうとする戦略が絶対に成功しないよう一緒に働いてくれと頼んだのだ」とイスラエル議員は言った。


人権調査とICCに対してイスラエルが懸念するのも無理はない。調査は進行中だが、その事前報告は深刻だ。南部の町フザーアでは、「デイリービースト」のジェス・ローゼンフェルド記者が、浴室に積み重なったパレスチナ人の遺体を発見している。民間人を処刑したことは一目瞭然だ。パレスチナについてのラッセル法廷も、イスラエルに対する戦争犯罪の容疑をさかんに集めている。


ガザの死者の数は2000近く、うち400人以上が子どもだ。国連の避難所は、人道的に保護されたスペースとして不可侵が保障されており、家を追われた民間人が避難していたが、イスラエル軍はそのうち6つの避難所を砲撃した。一例として、[ガザ南部の]ラファにある国連の学校に対する砲撃では、9名が殺され、27名が負傷した。「この特別な施設については、私たちは、33回にもわたってイスラエル軍に対し、ラファのこの学校は避難民を収容するために使われていることを伝えていました。最後に伝えたのは、攻撃の1時間前です」、UNRWA[国連パレスチナ難民救済事業機関]のスポークスパースン、クリス・ガネスは言う。


地上戦の初めの頃、イスラエル軍は3回にわたり、エル=ワファー・リハビリテーション病院を攻撃した。最初の2回の攻撃のとき、病院の職員とまだ栄養チューブや酸素ボンベにつながれていた患者たちは病院の中に閉じ込められた。国際赤十字委員会(ICRC)が2014年7月17日、病院の中に残されている者たちの人道的避難について調整を試みた。3度目の砲撃が始まったのは、ICRCが施設の部長に、イスラエルが攻撃の中止に同意したと知らせようとした直前のことだった。


それでもなお、パレスチナ政府とICCが相対する場でイスラエルの罪を裁こうとしているのは国際社会である。ローマ規定に加盟するのを留保することでパレスチナ当局者は、国連の加盟国が、自分たちのためにイスラエルに圧力をかけてくれる限り、カイロでイスラエルに対し、自分たちの目的を実現するための影響力を行使できる立場にある。もし、イスラエル当局者が、今や8年目に入った封鎖の実質的部分の解除に同意しないならば、パレスチナ・チームはイスラエルをハーグに引き出せばよいのだ。PLOの中央評議会は投票の結果、ローマ規定に加盟するのを支持することを決めた。草の根のキャンペーンもイスラエルをICCに引き出そうと行動を開始している。


「私たちが今、していることに対して彼らができる唯一のことは、集団懲罰です」、アブーイードは語る。彼は、PLOが今日、これまでの何年間よりも強力な政治的つながりをもっていることをよく認識している。


パレスチナのチームは当初、カイロで、人間と物資の自由な移動を認めるガザの封鎖の全面解除と、ガザ港およびガザ空港の再開を求める予定だった。ガザでは2000年まで空港が機能し、2006年に封鎖が始まるまで港も機能していた。現在、交渉者たちは、あるパレスチナ人当局者によれば、封鎖の諸局面を引き剥がすべく努力しているという。しかし、イスラエルが言うには、ガザの経済生活を管理するこれら[海や空に関する]基本的な側面は今回の協議では触れない。「海に関することは最終的地位[交渉]で」とステイニツは言う。代わりにイスラエルは陸上に関してのみガザの検問所を通した人間と物資の移動に焦点を当てるだろう。ガザについて今日、合意に達しなければ、ロケット弾とイスラエルの空爆がすぐにでも再開されるだろう。


[翻訳:岡 真理]

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以上

2014-08-18

テルアビブで今次最大規模の反戦デモ

パレスチナの記事、今日は二つ載せます。

一つは「テルアビブで今次最大規模の反戦デモ」というもの。

岡さんも書いている通り「たとえそれが1967年の占領のみを問題にし、ユダヤ国家の自明性を疑わないものであったとしても」かすかな希望であること。

そして、私にとっては、人口約818万人のイスラエルにおいて1万人のデモというのは、人口比だと人口1億2718万人の日本だと約15万人のデモに相当すること、が、率直にすごいという思いを抱かせます。私たちは、他の課題においても、例えば北朝鮮への経済制裁に反対する15万人のデモなんて、とても作れていないという現実が、あるから。


■拡散歓迎■


京都の岡真理です。

16日(土)、イスラエルのテルアビブで、今回のガザ攻撃が始まって以来、最大規模の反戦抗議集会がありました。


イスラエルのハアレツ紙の報道では数千人、イスラエルの情報サイト+972では1万人が参加となっています。


イスラエルのユダヤ系市民の中に、それでもまだ、封鎖・占領の解除こそが平和への道だという声をあげる人たちがいることは、かすかな希望ではあります(たとえそれが1967年の占領のみを問題にし、ユダヤ国家の自明性を疑わないものであったとしても…)。


しかし、2008年-09年のキャストレッド作戦のときには、攻撃開始後10日目にして、テルアビブでやはり1万人規模の抗議デモが組織されていることを考えると、希望よりもむしろ、イスラエル社会が6年前よりもはるかに後退していることの方を実感します。


以下、ハアレツ紙の記事をご紹介します。

集会は午後8時に始まり、記事は、集会途中の9時半にアップされています。文章が一部、未来形になっているのはそのためです。


(ハーレツの記事より)

http://www.haaretz.com/news/national/.premium-1.610850


何千人もの人々が土曜の夜、「方向を変えること:戦争から離れ、平和に向けて」というスローガンのもと、テルアビブで開かれた平和集会に集った。


ラビン広場でこの集会が開催されたのは、ガザとの境界近くに位置する諸都市の住民たちとの連帯集会が行われた二日後だった。


右派のアクティヴィストたちは対抗デモを計画し、同じ時間に近くで開催される予定だ。イスラエル警察は二つの陣営を遠ざけておく計画を立てている。


集会は午後8時に始まり、作家のダヴィド・グロスマン、ジャーナリストのズヘイル・バフルール、[左派政党]メレツの議長ザハヴァ・ガルオン、[左派政党]ハダシュ議長のムハンマド・バラケ、[イスラエル南部の都市]スデロットの住民、遺族の代表、その他アクティヴィストたちのスピーチがおこなわれる予定。


集会ではまた、アヒノアム・ニニ、ミラ・アワド、ヤイル・ダラール、アダム・ゴリツキーらのパフォーマンスも予定されている。


集会は当初、先週、開催される予定だったが、警察と銃後司令部の要請により延期された。テルアビブ地域で当時、1000人以上の集会を禁じていたためだ。


フェイスブックのイヴェント・ページには以下のように書かれている。「戦争と死の苦痛に満ちた一か月が過ぎ、イスラエル社会を二つに引き裂く扇動と憎悪の高波の前で、私たちは、平和と民主主義のためのデモを呼びかけます。(暴力の)次のラウンドは回避できます。私たちは、これまで以上に残忍な戦争、限りない憎悪、私たちの隣人と私たち自身の破壊という深淵に沈み込む必要などないのです。

「合意だけが、長期にわたる安全と、南部および国全体の住民たちにとっての静穏を保証します。[戦争ではない]ほかの道もあるのです――パレスチナ人と即刻対話をすることです。公正な平和、ガザの開放、レイシズムに反対し、ともに生きるためのアラブ人とユダヤ人の確固たる姿勢を確実なものとするために。二国家による政治的解決だけが、独立とジャスティス(公正/正義)、安全保障とこの国に生きる人々すべての希望を保証するのです。」


抗議集会で発言したメレツ議長のザハヴァ・ガルオンは、「首相は惨憺たる結果を招いた、この軍事作戦の結果ではなく、5年間にわたり、和平に向けての外交路線をとることを拒否した結果だ」と語り、ベンヤミン・ネタニヤフ首相を激しく非難した。


またガルオンは首相を、「外交を凍結し、アラブの平和イニシアティブを受け入れるのを拒否し、パレスチナのアッバース大統領との対話を9か月も引き伸ばし、合衆国とイスラエルの関係を破壊し、パレスチナの統一政府を承認するのを拒み、入植地建設を大幅に許可し、それらによってパレスチナ人との和平合意のチャンスをことごとく破壊した」として糾弾した。


彼女は続ける、「あなたは、今、あなたが喜んで受け入れようとしている枠組みを、64名もの兵士と民間人、そして2000人ものパレスチナ人の死、50万人近くの住民たちを家から根こそぎにしてガザをおそろしいまでに破壊するという代償を支払わずに達成することができたのです。」


作家のダヴィド・グロスマンはスピーチの中で「この戦争のどちらの側も勝利の青写真を持っていない。あるのはただ、筆舌に尽くしがたい死と破壊のイメージだけだ。どのイメージも、両者にとって敗北を描いている。


イスラエルとハマースのあいだの紛争に軍事的解決などない。南部のイスラエル人の苦しみとガザの人々の非人間的な苦しみを終わらせる軍事的解決などない。ガザの人々を窒息させている封鎖が解除されない限り、イスラエルの人々ものびのびと呼吸することなどできない。」


広場周辺の通りは集会のあいだ通行禁止となった。


[翻訳:岡 真理]

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非難など要らない、ただ、友人を返してくれ


■拡散歓迎■


京都の岡真理です。


先ほど、JSRのメルマガ最新号を転送いたしました。その催し案内で、23日(土)、東京の増上寺で開催予定のガザの犠牲者のための追悼アクションが紹介されていました。亡くなった子どもたちの数だけ靴を並べるのだそうです。


他者を非人間化すること(=人間とみなさいこと)が、ジェノサイドを可能にします。

ジェノサイドに抗するとは、死者の数という数字に還元されてしまった者たちの、否定された人間性と尊厳を私たち自身のなかで回復することから始められなければならないのだと思います。たとえば、靴を並べることによって。この靴を履いている身近な愛する者と、ガザの見知らぬ死者を重ねることで、その靴を履いて同じように笑い、走り、生きている彼・彼女らの姿を思い描くことによって……。


ガザ・イスラーム大学で英文学を学ぶ20歳の学生、ムハンマド・マタルの「非難など要らない、ただ、友人を返してほしい」をご紹介します。


きのう、ご紹介したフォト・エッセイ「ガザのたくさんの物語」の著者、サラ・アル=ゲルバーウィーも、イスラーム大学の出身でした。いずれも、大学で学んだ英語を武器に、パレスチナ人個々の生の物語を紡ぎ、世界に向けて発信しています。それは、イスラエルに虫けらのように殺され、死者数という統計数値に還元されていくパレスチナ人1人ひとりの否定された人間性を今一度、私たちの中で回復させるという「レジスタンス」にほかなりません。


人間性を否定する封鎖や占領に抗して武器をもって闘っている者たちもいます。武器を持たずとも、電気があるかぎり、こうして英語で自ら物語を紡ぐことによって、占領や封鎖やジェノサイドを可能にする他者の人間性の否定という暴力に抗して、闘っている者たちがいるということを、ぜひ多くの方に知っていただきたく思います。


現地の情報は、現場に入られたジャーナリストの方々がつぶさに報告してくださるでしょう。ガザのパレスチナ人自身が世界に向けて発信するこれらのエッセイや物語を私が好んでご紹介するのは、それらの書き物自体が、彼・彼女らのレジスタンスにほかならないと思うからです。




非難など要らない、ただ、友人を返してほしい

http://electronicintifada.net/content/i-dont-want-condemnations-i-want-my-friend-back/13763


ムハンマド・マタル

エレクトロニック・インティファーダ / 2014年8月16日


待ってくれ!

国連が会議の開催を呼びかけている。


もしもし?

もしもし。


「元気か、ハーリド?」 ぼくが訊ねる。

「ぼくはだいじょうぶだ、きみは?」 ハーリドが答える。

「元気だ。ぼくたちは家から避難はしたよ。あそこの状況がどれだけ危険か、きみも知っているだろう。昨日、アメリカ製のミサイルのシャワーを浴びたよ。爆発続きで眠れなかった」、ぼくは言った。

「神がきみときみの家族を助けてくださいますように」ハーレドが言った。

「ところでハーレド、シュジャイヤ地区で起きたことをきみはどう考える?」ぼくは訊ねた。

あれは、ジェノサイドだ。

「わかってる。神よ、あれらの罪なき人々をお助け下さい。OK、きみはどこにいるんだい、そこは安全かい?被害はない? ここ、国連の学校にしばらく滞在したらどうだい?人間が住むようなところじゃないけどね、でも、ここなら安全だ。」

国連学校の一つが、数分前、イスラエルの戦闘機の標的とされた。

「ハハ、心配要らないよ。ぼくたちは安全だ。どこよりもいちばん安全な場所にいるよ」ハーレドが言った。

天国にでもいるのか?

「でも、地上部隊がハーン・ユーヌスの東の地域に侵攻していると聞いたよ」、ぼくは言った。

「いや、連中はまだだいぶ遠いよ。ぼくたちは安全だ、心配いらない。」

「何か欲しいものはあるかい?遠慮なく言ってくれ」、ぼくは言った。

ありがとう、ムハンマド、でも、大丈夫だ」、ハーレドは答える。

「ああ、もう行かなくちゃ。また連絡くれよ」、ぼくは言った。

「もちろん、電話をくれてありがとう」、ハーレドは言った。

「なに言ってんだよ! 親友じゃないか!きみがどうしてるかチェックするのはぼくの義務さ。そんなこと言わないでくれよ。とにかく、自分のこと、気をつけるんだぞ」、ぼくは言った。

じゃあな。


2日後、ぼくは、ハーレドがバイクに乗っているところをイスラエルのドローン[無人機]に狙い撃ちされたことを聞いた。

ハーレド・サハムードは20歳、学生だった。ガザのイスラーム大学で機械工学を学んでいた。


バイクに乗ることが、それほどまでに脅威なのか!?


イスラエルはパレスチナ人に対する攻撃を続けるだろう、合衆国が、偏った「国際社会」なるものの監視のもと、この組織的な不正のプログラムを支援し続ける限りは。


ガザのパレスチナ人は苦しみ続けるだろう、イスラエルが、「俺の物は俺の物、お前の物は交渉しだい」という原則を主張し続ける限りは。


非難など要らない。


国連の会議も要らない。


国際援助も要らない。


ぼくは言う、「ぼくのハーレドを返してくれ」


*原文サイトに、海辺に座るハーレドの写真があります。


[翻訳:岡 真理]

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以上

2014-08-17

私はパレスチナ側の暴力を認識できていないのだろうか?


説得力がある。紹介記事です。


■拡散歓迎■


京都の岡真理です。


現在、古居みずえさん、土井敏邦さん、志葉玲さんなどのインディペンデントのジャーナリストの方々がガザに入られ、現地から報告を届けてくださっています。


個々の方々のブログ等でも読めますが、パレスチナ情報センターのアーカイブが随時、リンクを貼ってくださっており、ここで、その他の情報とあわせて、最新の更新記事を読むことができます。

http://palestine-heiwa.org/#ac


これらインディペンデント・ジャーナリストのみなさんのご努力に心からの敬意を捧げ、その安全をお祈りするとともに、アーカイブの更新作業という地道な作業を通して、パレスチナの貴重な情報社会に届けてくださっているパレスチナ情報センターのみなさまにも心から感謝いたします。


■---■---■


ガザで起きていること、それは、イスラエル国家によるパレスチナ人に対する、紛れもないジェノサイドです。70年近く前、パレスチナを不当に占領下者たちが、50年近くにわたりガザを占領し、さらに、その住民たちを7年以上、封鎖下におき、そして今、その住民たちを大量殺戮している――それが、今、ガザで起きていることです。


しかし、主流メディアの報道は、イスラエル側の主張に沿う形で、問題を、イスラエル対ハマースという構図に切り縮め、そうすることで問題の本質、すなわち、これがガザに対するジェノサイドであり、ガザの全住民たちがいま、イスラエルによる「漸進的ジェノサイド」と、その占領と封鎖と闘っているのだ、という事実を隠蔽していると思います。


マイケル・メリーマン=ロッツの「私はパレスチナ側の暴力を認識できていないのだろうか」をご紹介いたします。問題の本質とは何であるか、暴力の「現象面」だけに捉われることがいかに問題の本質から私たちの認識を逸脱させてしまうか、ということについて、たいへん示唆に富むテクストです。


メリーマン=ロッツは、「アメリカの友人奉仕カウンシル」の中東担当として、長らくパレスチナ・イスラエル問題に深くコミットし、第二次インティファーダのもとで、双方の暴力のありようを潰さに体験してきた人です。


第二次インティファーダで、双方の暴力が頂点に達していたとき、ホロコースト生還者を両親にもつサラ・ロイさんが語った言葉が思い出されます――「パレスチナ人の自爆攻撃という忌むべき犯罪が生起するのは、この「占領」という文脈においてなのです。占領がなければ、自爆攻撃もないのです」(サラ・ロイ「ホロコーストとともに生きる――ホロコースト・サヴァイヴァーの子どもの旅路」より。『みすず』2005年3月号)



私はパレスチナ側の暴力を認識できていないのだろうか?

http://mondoweiss.net/2014/08/acknowledge-palestinian-violence.html


マイケル・メリーマン=ロッツ 

Mondoweiss / 2014年8月12日


先月ずっと、ガザで起きていることについて書いたり、語ったりする中で、私は多くの人々から、私がイスラエルとパレスチナの問題で一方の側に偏った立場をとっていると、そして、私がパレスチナ側の暴力を認識しそこなっていると言って批判されている。同じような批判がほかの多くの者たちにも向けられているのを目にし、この問題についてとりあげてみたいと思った。


この問題に関して一定期間、アクティヴィズムに関わってきた者ならだれでも、彼あるいは彼女をして長期にわたるアクティヴィズムに関わらせる契機となった特別の瞬間というものがある。私の場合、その瞬間とは、2人のイスラエル人兵士が2000年10月、ラーマッラーで殺されたときだ。


私がエルサレムに行くタクシーを拾おうとしていると、二人の兵士がラーマッラーの警察署に連れて行かれるところだった(警察署はタクシー乗り場の隣にある)。警察署の外で30分はゆうに立っていると、群衆が集まってきた。彼らは、その日、あとで予定されている葬儀のときに誰かを暗殺することになっていたイスラエル兵士のスパイ2名が捕まったという噂を聞きつけて、やって来たのだ。男たちはスパイではなかったことが分かるのだが、状況や歴史を考えると、故なき噂ではなかった。


警官たちが警察署の周りの壁を輪になって取り囲んだので、私はタクシーでエルサレムに行こうとタクシー乗り場に歩いて行った。私の乗ったタクシーが出発すると、誰かがタクシーを止め、兵士が殺されたと叫んだ。私はラーマッラーの野菜市場の前でタクシーを飛び下り、アル=マナーラ広場(ラーマッラーの中央広場)を横切り、私を自宅に届けてくれるビールゼートタクシーに向かった。アル=マナーラ広場を横切ったところで、青年たちの一団が二人の兵士の遺体を引きずって、広場に入ってきた。それらの男たちの一人が、私ののど元をつかみ、私を脅した。ほかの者たちは、兵士の遺体を蹴ったり、残忍な扱いをしていた。私は、襲ってきた男をなんとか説得して解放してもらうと自宅に戻った。数時間後、イスラエルのアパッチヘリコプターがラーマッラーの警察署を爆撃するのを見た。


これは、私にとって、人生の転換点となる瞬間だった。残忍な暴力と怒りを経験したのはそれが初めてだった。特権的で庇護された環境で育って、私は、このような極端な暴力がこんなにもすぐに現れるということが理解できなかった。その前にも、人が撃たれるのを遠くから目撃したことはあったが、自分の知らない誰かが撃たれるのを遠くから眺めるのは、驚くほど、心に響かない経験だった。だが、兵士の殺害という、生々しい出来事が私を揺さぶり、居心地のよい現実の外へと私を押し出した。それによって私は、自分が目撃したことについて、人間の本性について、そして、私が今なお答えを出そうと闘っている暴力というものについて、数多くの問いを自問し始めた。


それはまた、私にとって、ここにとどまり人権問題に関わってこのまま働き続けるか、それとも立ち去るかという決断を下さねばならない瞬間だった。私はとどまることを選んだ。とどまるという決断によって私は、さらなる暴力にさらされることとなった。パレスチナ側、イスラエル側双方の暴力に。


2001年5月、西エルサレムで何台かの車が爆破された。一台は、私が教会に行くときにいつも通る道で爆発した。私は爆発の音を、現場から2ブロックほど離れたところで聞いた。2002年3月初旬、1人のパレスチナ人がイスラエルの協力者であるとの容疑でアル=マナーラ広場に逆さ吊りにされ、喉を掻き切られた。イスラエル侵攻のさなかのことだった。私の職場の同僚と私は、カメラをつかむと、銃をもったパレスチナ人の男たちに占拠された通りを抜けて殺害現場へと向かった。私たちが到着する前に、遺体は下されていたが、地面はなお血で染まっていた。それから一週間もたたず、私が教会から戻る途中、パレスチナ人の自爆者が、エルサレムのフレンチヒルの交差点でバスの傍らで自分を吹き飛ばしたのだった。私を乗せたタクシーが交差点を通るほんの30秒前のことだ。また、銃を持ったパレスチナ人の男が、私が昼ご飯を食べていたレストランの前で、イスラエルに協力したという容疑で二人の男性を撃ったこともあった。これらすべての出来事によって私は、パレスチナの暴力とイスラエル人が感じている恐怖のいくばくかを明瞭に理解した。


しかし、それと同じ時期、私は、イスラエル人によって犯される信じがたい暴力も見た。デモに参加している人々が撃たれるのを私は見た。ベイト・リマ、ベニ・ナイームその他の西岸の街で起きた処刑を調査したこともある。ある処刑現場にやって来たとき、頭蓋骨の欠片や髪の毛や血が地面や処刑現場の壁にまだ残っていた。私は、「防衛の楯」作戦[第二次インティファーダさなかの2002年3月から5月にかけて西岸の諸都市に対して行われた侵攻作戦]のあいだずっとラーマッラーにいた。首の後ろに銃口を突きつけられながら、自宅の周りを歩かされたり、装甲兵員輸送車が隣の家を撃ちまくっているあいだ、バスルームの床の上に縮こまっていたこともある。ある女性から、糖尿病の母親が薬もなく、道路が封鎖されて病院へ行くこともできないために死にかけているという電話を一晩中、受けていたこともある。イスラエル兵たちが私たちのオフィスを襲撃し、そのときから行方不明になった同僚を探したこともある。検問所でパレスチナ人たちの顔にブーツの跡がありありと残っているのを見たこともある。イスラエル兵らが彼らの頭の上に立っていた証拠だ。兵士らが子どもの前で彼らの親を辱めたり、同じ兵士たちが子どもたちを攻撃したり恐がらせたりするのも目撃した。


もっとも重要なことは、ほぼ3年間、私が職場で朝、最初にしたことは、殺害と負傷に関して、前日、届いた現場報告とレポートに目を通すことだった。私は、第二次インティファーダにおいて殺されたパレスチナ人ほぼすべての死の状況の詳細を綴った報告を、ほか何名が負傷したのかと合わせて、注意深く読んだ。それら殺された者たちの家族を訪ね、殺害の現場検証にも加わった。私はまた、パレスチナ人側の暴力行為についても、他のパレスチナ人に対するものであれ、イスラエル人に対するものであれ、ほぼすべての報告を読んだ。


やがて暴力は溶け合い始めた。個人的な暴力行為は意味を失った。暴力によって影響を受けるパレスチナ人やイスラエル人にとって些末なことだという意味ではない。そうではなくて、私にとって、暴力行為は紛争を規定することを止めたということだ。しだいに、現在の物理的暴力行為は紛争の歴史から切り離して考えることはできないということ、そして、その歴史とは、植民地主義パレスチナ人の追放の歴史である、ということが明らかになっていった。同様に明らかになったことは、私が目撃した物理的暴力行為は、イスラエルの占領とその民族的排外主義、そして差別的政策を規定する[物理的暴力よりも]はるかに悪質な法的暴力や構造的暴力とも切り離すことができない、ということだ。


端的に言えば、私の意見では、イスラエルの暴力とは、新植民地主義の軍事的占領アパルトヘイトのような不平等を維持するために行使されなければならない暴力であるということだ。パレスチナの暴力は、この占領アパルトヘイトのような不平等に対する不可避の反応なのだ。暴力とはそれゆえ、占領とイスラエルのアパルトヘイトが終わったときに初めて、終わるだろう。


このことは、暴力が暴力に対してバランスをとりうるといったような状況ではないことを意味してもいる。紛争の力のダイナミクスがこのようなものであるなら、バランスなど存在しない。両者が互いに傷つけ合い、しかし、パレスチナとイスラエルの圧倒的な力はイスラエルにあり、イスラエルがパレスチナ人の権利を否認していることが、紛争の核心である。


非暴力を固く信じる者として、私は、全当事者による暴力を終らせるために、そして、公正な平和へと至る長期にわたる変化のために積極的に活動を続けるつもりだ。しかし、この変化は、紛争における実際の力のダイナミクスと歴史的不正が認識されず、理解されず、取り組みもされなければ、実現することはできないだろう。


真実は、紛争を引き起こしているのは、イスラエル人に対するパレスチナ人の行動の歴史ではなく、いまだ解決しない植民地主義によるパレスチナ人の追放と継続する彼らの権利の否認こそが、紛争を引き起こしているのである。


パレスチナ人の追放の歴史、占領の現実、そして法的、構造的不平等という現実が、私がこれからも引き続き、それについて語り、それを終わらせるために取り組むつもりのものであって、個人的な暴力行為についてではない。個人的な暴力行為は、より大きな変化が実現して初めて終わるということを認識しているからだ。多くの者にとってこのような意見は、バランスを欠いたものに映るかもしれないが、パレスチナとイスラエルでは、バランスなどという現実は存在しないのだ。


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マイケル・メリーマン=ロッツは、フィラデルフィアのアメリカの友人奉仕委員会のパレスチナ・イスラエルのプログラム責任者。1996年からパレスチナのアクティヴィズムに関わる。

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[翻訳:岡 真理]

2014-08-15

「二度と繰り返さない」というのは、《誰の上にも二度と繰り返さない》ということを意味するのだ!


以下は、ホロコースト生還者らによるイスラエル非難声明と、岡さんによるその説明です。


■拡散歓迎■


京都の岡真理です。


イスラエルは「世界のユダヤ人のための祖国」を自称しています。

しかし、世界には、イスラエルという国のありようを肯定しないユダヤ人が大勢います。


イスラエルはまた、「ホロコースト犠牲者であるユダヤ人の国」と自称しています。

しかし、今、そのイスラエルが、アラブ人に対するジェノサイドを公然と叫び、それを実行するなど、比喩ではなく文字どおり、かつてのナチスドイツの似姿となっています。


「ホロコーストの犠牲者であるユダヤ人がなぜ、同じことをパレスチナ人に…?」という問いをよく耳にします。その問いに端的に答えるならば、「二度とこのようなことを繰り返してはならない」というホロコーストの教訓が、シオニズムにおいては、「二度とユダヤ人がホロコーストのような目に遭ってはいけない」と解釈されている、ということです。


シオニストにおいてホロコーストとは、世界中のいかなる者の上にもこのような悲劇が二度と起きてはならない、という普遍的教訓としてではなく、シオニズム国家を維持するためにイスラエルがパレスチナ人という他者に対して行使するあらゆる暴力を正当化するための資源として利用されている、ということです。


しかし、この地上のいかなる者の上にも、このような暴力が二度と繰り返されてはならない、ホロコーストを経験したからこそ、あるいは、ホロコーストの犠牲者の子ども、孫だからこそ、それを人間の普遍的教訓として、自らの信念として生きているユダヤ人が大勢います。


以下にご紹介するのは、今般のイスラエルによるガザ攻撃を非難する世界のユダヤ人の声明です。署名者は現在300人を超え、今なお、増え続ています。生還者38名に、生還者や犠牲者の子どもたち、孫たち、ひ孫たち、生還者や犠牲者を親族にもつ者たちが署名しています。


本文中、作家のエリ・ヴィーゼルが指弾されています(エリ・ヴィーゼルは自身のホロコースト体験をつづった自伝小説でノーベル平和賞を受賞しています)。ヴィーゼルは、英米の主要紙に6万ドルの意見広告を掲載し、その中でハマースを非難し、イスラエルを擁護しました。「私は、自らの人生で、ユダヤ人の子どもたちが火の中に投げ入れられるのを目にした。今、私が目にしているのは、ムスリムの子どもたちが人間の楯に利用されてる姿だ。どちらの場合も、それを行うのは、死の崇拝者たちだ」、「今日、私たちが耐え忍んでいるのは、ユダヤ人対アラブ人の戦闘でも、イスラエルとパレスチナの戦闘でもない。それは、生を讃える者たちと、死を称揚する者たちのあいだの闘いなのだ。それは、文明と野蛮のあいだの闘いなのだ」


ヴィーゼルの意見広告については以下で読むことができます。

http://www.algemeiner.com/2014/08/01/elie-wiesel-condemns-hamas-for-using-children-as-human-shields-calls-on-gazans-to-reject-hamass-child-sacrifice/


以下、イスラエルのガザ攻撃を非難する世界のユダヤ人の声明です。


ナチスのジェノサイドの生還者、および生還者と犠牲者の子孫たちは、ガザにおけるパレスチナ人の集団殺戮を全面的に非難する。

http://ijsn.net/gaza/survivors-and-descendants-letter/


ナチスのジェノサイドの生還者として、また生還者および犠牲者の子孫として、私たちは、ガザにおけるパレスチナ人の集団殺戮と、歴史的パレスチナの継続する占領および植民地化を全面的に非難する。私たちはさらに、合衆国がイスラエルに対し、この攻撃を行う資金を提供していること、そして、西洋諸国がより広範に、イスラエルを非難から守るためその外交手腕を利用していることを非難する。ジェノサイドは、世界沈黙することによって始まる。


私たちは、イスラエル社会において、パレスチナ人に対する極端な人種主義的非人間化が、熱狂的なレベルにまで達していることに不安を掻き立てられている。イスラエルでは、政治家も評論家も、ザ・タイムズ紙やエルサレム・ポスト紙で公然と、パレスチナ人のジェノサイドを訴え、右派のイスラエル人は、ネオナチの記章を自分たちのものとして使っている。


さらに、イスラエルが総力を挙げてガザを破壊し、何百名もの子供を含む2000人近くものパレスチナ人を殺害しているという、決して正当化しえないことを正当化しようとしてエリ・ヴィーゼルが、露骨な嘘を広めるべく、これらの紙面で私たちの歴史を悪用していることに対し、私たちは嫌悪と怒りを覚える。国連のシェルターや家や病院や大学を爆撃するのを正当化できるものなど何一つ存在しない。人々から電気や水を奪うことを正当化するものなど何一つない。


私たちは、私たちの集団的声をあげ、現在進行中のパレスチナ人に対するジェノサイドを含むあらゆる形態のレイシズムを終わらせるために私たちの集団的力を行使しなければならない。私たちは、ガザに対する封鎖を即時、終わらせることを訴える。私たちは、イスラエルに対する全面的な、経済的・文化的・アカデミックボイコットを訴える。「二度と繰り返さない」というのは、《誰の上にも二度と繰り返さない》ということを意味するのだ!


署名


Survivors:

生還者

1. Hajo Meyer, survivor of Auschwitz, The Netherlands.

2. Henri Wajnblum, survivor and son of a victim of Auschwitz from Lodz, Poland. Lives in Belgium.

3. Renate Bridenthal, child refugee from Hitler, granddaughter of Auschwitz victim, United States.

4. Marianka Ehrlich Ross, survivor of Nazi ethnic cleansing in Vienna, Austria. Now lives in United States.

5. Irena Klepfisz, child survivor from the Warsaw Ghetto, Poland. Now lives in United States.

6. Hedy Epstein, her parents & other family members were deported to Camp de Gurs & subsequently all perished in Auschwitz. Now lives in United States.

7. Lillian Rosengarten, survivor of the Nazi Holocaust, United States.

8. Suzanne Weiss, survived in hiding in France, and daughter of a mother who was murdered in Auschwitz. Now lives in Canada.

9. H. Richard Leuchtag, survivor, United States.

10. Ervin Somogyi, survivor and son of survivors, United States.

11. Ilse Hadda, survivor on Kindertransport to England. Now lives in United States.

12. Jacques Glaser, survivor, France.

13. Norbert Hirschhorn, refugee of Nazi genocide and grandson of three grandparents who died in the Shoah, London.

14. Eva Naylor, surivor, New Zealand.

15. Suzanne Ross, child refugee from Nazi occupation in Belgium, two thirds of family perished in the Lodz Ghetto, in Auschwitz, and other Camps, United States.

16. Bernard Swierszcz, Polish survivor, lost relatives in Majdanek concentration camp. Now lives in the United States.

17. Joseph Klinkov, hidden child in Poland, still lives in Poland.

18. Nicole Milner, survivor from Belgium. Now lives in United States.

19. Hedi Saraf, child survivor and daughter of survivor of Dachau, United States.

20. Michael Rice, child survivor, son and grandson of survivor, aunt and cousin murderd, ALL 14 remaining Jewish children in my Dutch boarding school were murdered in concentration camps, United States.

21. Barbara Roose, survivor from Germany, half-sister killed in Auschwitz, United States.

22. Sonia Herzbrun, survivor of Nazi genocide, France.

23. Ivan Huber, survivor with my parents, but 3 of 4 grandparents murdered, United States.

24. Altman Janina, survivor of Janowski concentration camp, Lvov. Lives in Israel.

25. Leibu Strul Zalman, survivor from Vaslui Romania. Lives in Jerusalem, Palestine.

26. Miriam Almeleh, survivor, United States.

27. George Bartenieff, child survivor from Germany and son of survivors, United States.

28. Margarete Liebstaedter, survivor, hidden by Christian people in Holland. Lives in Belgium.

29. Edith Bell, survivor of Westerbork, Theresienstadt, Auschwitz and Kurzbach. Lives in United States.

30. Janine Euvrard, survivor, France.

31. Harry Halbreich, survivor, German.

32. Ruth Kupferschmidt, survivor, spent five years hiding, The Netherlands.

33. Annette Herskovits, PhD, hidden child and daughter of victims, United States.

34. Felicia & Moshe Langer, survivors from Germany, Moshe survived 5 concentration camps, family members were exterminated. Live in Germany.

35. Adam Policzer, hidden child from Hungary. Now lives in Canada.

36. Juliane Biro, survivor via the Kindertransport to England, daughter of survivors, niece of victims, United States.

37. Edith Rubinstein, child refugee, granddaughter of 3 victims, many other family members were victims, Belgium.

38. Jacques Bude, survivor, mother and father murdered in Auschwitz, Belgium.


Children of survivors:

生還者の子どもたち


39. Liliana Kaczerginski, daughter of Vilna ghetto resistance fighter and granddaughter of murdered in Ponary woods, Lithuania. Now lives in France.

40. Jean-Claude Meyer, son of Marcel, shot as a hostage by the Nazis, whose sister and parents died in Auschwitz. Now lives in France.

41. Chava Finkler, daughter of survivor of Starachovice labour camp, Poland. Now lives in Canada.

42. Micah Bazant, child of a survivor of the Nazi genocide, United States.

43. Sylvia Schwarz, daughter and granddaughter of survivors and granddaughter of victims of the Nazi genocide, United States.

44. Margot Goldstein, daughter and granddaughter of survivors of the Nazi genocide, United States.

45. Ellen Schwarz Wasfi, daughter of survivors from Vienna, Austria. Now lives in United States.

46. Lisa Kosowski, daughter of survivor and granddaughter of Auschwitz victims, United States.

47. Daniel Strum, son of a refugee from Vienna, who, with his parents were forced to flee in 1939, his maternal grand-parents were lost, United States.

48. Bruce Ballin, son of survivors, some relatives of parents died in camps, one relative beheaded for being in the Baum Resistance Group, United States.

49. Rachel Duell, daughter of survivors from Germany and Poland, United States.

50. Tom Mayer, son of survivor and grandson of victims, United States.

51. Alex Nissen, daughter of survivors who escaped but lost family in the Holocaust, United States.

52. Mark Aleshnick, son of survivor who lost most of her family in Nazi genocide, United States.

53. Prof. Haim Bresheeth, son of two survivors of Auschwitz and Bergen Belsen, London.

54. Todd Michael Edelman, son and grandson of survivors and great-grandson of victims of the Nazi genocide in Hungary, Romania and Slovakia, United States.

55. Tim Naylor, son of survivor, New Zealand.

56. Victor Nepomnyashchy, son and grandson of survivors and grandson and relative of many victims, United States.

57. Tanya Ury, daughter of parents who fled Nazi Germany, granddaughter, great granddaugher and niece of survivors and those who died in concentration camps, Germany.

58. Rachel Giora, daughter of Polish Jews who fled Poland, Israel.

59. Jane Hirschmann, daughter of survivors, United States.

60. Jenny Heinz, daughter of survivor, United States.

61. Jaap Hamburger, son of survivors and grandchild of 4 grandparents murdered in Auschwitz, The Netherlands.

62. Elsa Auerbach, daughter of Jewish refugees from Nazi Germany, United States.

63. Julian Clegg, son and grandson of Austrian refugees, relative of Austrian and Hungarian concentration camp victims, Taiwan.

64. David Mizner, son of a survivor, relative of people who died in the Holocaust, United States.

65. Jeffrey J. Westcott, son and grandson of Holocaust survivors from Germany, United States.

66. Susan K. Jacoby, daughter of parents who were refugees from Nazi Germany, granddaughter of survivor of Buchenwald, United States.

67. Audrey Bomse, daughter of a survivor of Nazi ethnic cleansing in Vienna, lives in United States.

68. Daniel Gottschalk, son and grandson of refugees from the Holocaust, relative to various family members who died in the Holocaust, United States.

69. Barbara Grossman, daughter of survivors, granddaughter of Holocaust victims, United States.

70. Abraham Weizfeld PhD, son of survivorswho escaped Warsaw (Jewish Bundist) and Lublin ghettos, Canada.

71. David Rohrlich, son of refugees from Vienna, grandson of victim, United States.

72. Walter Ballin, son of holocaust survivors, United States.

73. Fritzi Ross, daughter of survivor, granddaughter of Dachau survivor Hugo Rosenbaum, great-granddaughter and great-niece of victims, United States.

74. Reuben Roth, son of survivors who fled from Poland in 1939, Canada.

75. Tony Iltis, father fled from Czechoslovakia and grandmother murdered in Auschwitz, Australia.

76. Anne Hudes, daughter and granddaughter of survivors from Vienna, Austria, great-granddaughter of victims who perished in Auschwitz, United States.

77. Mateo Nube, son of survivor from Berlin, Germany. Lives in United States.

78. John Mifsud, son of survivors from Malta, United States.

79. Mike Okrent, son of two holocaust / concentration camp survivors, United States.

80. Susan Bailey, daughter of survivor and niece of victims, UK.

81. Brenda Lewis, child of Kindertransport survivor, parent’s family died in Auschwitz and Terezin. Lives in Canada.

82. Patricia Rincon-Mautner, daughter of survivor and granddaughter of survivor, Colombia.

83. Barak Mich?le, daughter and grand-daughter of a survivor, many members of family were killed in Auschwitz or Bessarabia. Lives in Germany.

84. Jessica Blatt, daughter of child refugee survivor, both grandparents’ entire families killed in Poland. Lives in United States

85. Maia Ettinger, daughter & granddaughter of survivors, United States.

86. Ammiel Alcalay, child of survivors from then Yugoslavia. Lives in United States.

87. Julie Deborah Kosowski, daughter of hidden child survivor, grandparents did not return from Auschwitz, United States.

88. Julia Shpirt, daughter of survivor, United States.

89. Ruben Rosenberg Colorni, grandson and son of survivors, The Netherlands.

90. Victor Ginsburgh, son of survivors, Belgium.

91. Arianne Sved, daughter of a survivor and granddaughter of victim, Spain.

92. Rolf Verleger, son of survivors, father survived Auschwitz, mother survived deportation from Berlin to Estonia, other family did not survive. Lives in Germany.

93. Euvrard Janine, daughter of survivors, France.

94. H. Fleishon, daughter of survivors, United States.

95. Barbara Meyer, daughter of survivor in Polish concentration camps. Lives in Italy.

96. Susan Heuman, child of survivors and granddaughter of two grandparents murdered in a forest in Minsk. Lives in United States.

97. Rami Heled, son of survivors, all grandparents and family killed by the Germans in Treblinka, Oswiecim and Russia. Lives in Israel.

98. Eitan Altman, son of survivor, France.

99. Jorge Sved, son of survivor and grandson of victim, United Kingdom

100. Maria Kruczkowska, daughter of Lea Horowicz who survived the holocaust in Poland. Lives in Poland.


以下略


[翻訳:岡 真理]

2014-08-14

「パレスチナを擁護して」ラテンアメリカからパレスチナ連帯声明


『ボリビアのエヴォ・モラレス大統領が7月30日、ガザ地区と西岸のパレスチナ人に対するイスラエルの現在進行中の攻撃という事態に対し、1972年に結ばれたイスラエル・ボリビア間のヴィザ協定を破棄した際、声明でイスラエルを「テロリスト国家」と宣言した』だって。

立場をすごくはっきり出していて、素晴らしいと思いました。私も、イスラエル国はテロリスト国家だと思います。


■拡散歓迎■


京都の岡真理です。

2008-09年の冬、ガザがイスラエルの大攻撃に見舞われた際、まっさきに連帯を表明したのが、メキシコのサパティスタ民族解放軍でした。マルコス副司令官によって書かれたその連帯声明は、文学的な散文詩でした。

今回も、ラテンアメリカの名だたる知識人および政界人が連名でガザへの連帯声明を発表しました。以下にご紹介いたします。


ラテン・アメリカからイスラエル・ボイコットの呼びかけ

http://electronicintifada.net/blogs/jimmy-johnson/fidel-castro-alice-walker-bolivian-president-condemn-israel-join-latin-american



ジミー・ジョンソン


エレクトロニック・インティファーダ

2014年8月10日


ボリビアのモラレス大統領、合衆国の作家アリス・ウォーカー、退陣させられたホンデュラスのセラヤ大統領、キューバのカストロ元首相、キューバのミュージシャン、シルヴィオ・ロドリゲス、エクアドルの作家エドゥアルド・ガレアーノをはじめとする、主に中南米およびカリブ海諸国の著名な政界人が、「ヒューマニティ擁護のためのネットワーク」の名のもと、力強い言葉で表現されたパレスチナ人との連帯声明に署名している。(カストロ元首相は声明が発表された直後に署名。)


「パレスチナを擁護して」と題されたその声明は、イスラエルによるパレスチナの植民地主義占領とガザ地区に対する現在進行中の攻撃、そして合衆国の帝国主義およびヨーロッパによるイスラエルの行動に対する共犯を非難するとともに、グローバルなボイコット・投資引上げ・制裁キャンペーンに対する支持を呼び掛けている。


声明は、ボリビアのエヴォ・モラレス大統領が7月30日、ガザ地区と西岸のパレスチナ人に対するイスラエルの現在進行中の攻撃という事態に対し、1972年に結ばれたイスラエル・ボリビア間のヴィザ協定を破棄した際、声明でイスラエルを「テロリスト国家」と宣言したことを出発点としている。


以下は「パレスチナを擁護して」声明の全文と、最初の署名者のリストである。




私たちは、「ヒューマニティ擁護のためのネットワーク」の創設者であり、多民族国家ボリビアの大統領である、私たちの仲間エヴォ・モラレスが、イスラエルをテロリスト国家であると宣言したその言葉を私たち自身の言葉として語る。


私たちは、パレスチナの領土の強奪と植民地主義占領によって創設された国家によってパレスチナ人民に対して実行されているジェノサイドに対する私たちの絶対的嫌悪を表明する。


私たちは、パレスチナ人と彼らのレジスタンス組織、とりわけガザにおける組織が、自分たちを殲滅し、かつて自分たちの祖国であったものの中でかろうじて残っているわずかな一部を奪いとろうとするイスラエルの試みに対して英雄的闘争を繰り広げていることを認め、それに対する連帯を表明する。


私たちは、パレスチナ問題に関するその諸決議が、ワシントンによって、まったき不処罰という形で組織的に侵害されている国連安全保障理事会の異常な不作為を前にし、政治的、財政的、そして軍事的にイスラエルを後援し、支持する合衆国の帝国主義的役割を非難する。合衆国は、歴史を通じて偽善とシニシズムをもって行動してきたが、イスラエルの行動を支持する一方で、自らの主権を擁護するラテン・アメリカやアフリカ、ユーラシアの人民に対して制裁や介入をすると言って脅すことで、またもやその偽善とシニシズムを明白に示している。


私たちは、ヨーロッパ連合を構成している諸政府が、いくつかの場合には当初段階から、現在、生起している事態と共犯していること、そして、寡頭メディアが無条件にワシントンの独裁者たちに従属していることを糾弾する。これを戦争などと呼ぶのはいい加減にしてほしい。実際には、世界でももっとも装備が整った軍隊の一つが、その防衛力が量的にも質的にも比較にならないほど劣っている人民に対して犯しているジェノサイドにほからならない!


私たちはあなたに、イスラエルというテロリスト国家に対するボイコット・投資引上げ・制裁キャンペーンに加わるよう勧める。今は、非難声明を出すだけでなく、積極的かつ創造的な連帯をすべき時だからだ。偽善的にも「プロテクティヴ・エッジ(防護の刃)」などと名づけられたテロリズムの軍事作戦の開始以来、過去数週間にわたり、私たちはパレスチナで1600人以上もの人々が殺され、9000人以上もの人々が負傷するに任せてきた。


私たちはアパルトヘイトとジェノサイドの終結、そして壁と違法な入植地の終結を要求する。1967年11月22日に採択された国連安保理決議242号は、イスラエル国家によって一貫して無視されてきたが、この決議どおり、イスラエルがガザ、西岸、東エルサレムから撤退し、「6日戦争」(1967年)以前に存在した国境に戻り、パレスチナ難民の帰還権を保証することを義務付けた国連安保理の諸決議に従うよう、世界の諸政府がイスラエルに対して要求することを私たちは求める。


私たちは、対話と交渉と、平等な権利と国際的に承認された国境を有する二国家の存在に基づいて、パレスチナにおける紛争が真に政治的に解決されることを要求する。私たちはこの解決はまず、ガザに対する封鎖の即時解除とパレスチナ人政治犯の釈放によって始められなければならないと信じる。私たちはALBA[私たちの複数のアメリカの人民たちのボリヴィア同盟]の諸政府、メルコスール[南米南部共同市場]その他の南の諸政府を、ガザにおけるイスラエルの野蛮な行動に反対する連帯の姿勢ゆえに祝する。


私たちは、革命家ネルソン・マンデラの次のような言葉を私たち自身の言葉として用いる。「私たちにはよく分かっている。私たちの自由は、パレスチナ人の自由がない限り、完全なものではない、ということを。」勇敢なパレスチナ人民と、国際法を侵害する「犯罪」国家に対する世界の諸国民のますます大きくなる非難の声の前に、イスラエルは道徳的かつ政治的に、この戦闘に敗北したということを確認する。パレスチナ人の壊すことのできないレジスタンスは、自由な祖国における彼らの子どもたちの笑顔によって、すぐにでも報われるだろう。


イスラエルのテロリズムと合衆国の帝国主義に反対し、パレスチナの民族自決の権利と、世界のすべての民族の自決権を擁護して!


2014年8月4日 ラパス、ボリビア


以下署名

Evo Morales, Bolivia; Adolfo Pérez Esquivel, Argentina; Pablo González Casanova, México; Eduardo Galeano, Uruguay; Roberto Fernández Retamar, Cuba; Federico Mayor Zaragoza, España; Silvio Rodríguez, Cuba; Luis Arce Catacora, Bolivia; Gianni Vattimo, Italia; Gabriela Rivadeneira, Ecuador; Alice Walker, Estados Unidos; István Meszáros, Hungría/Reino Unido; Samir Amin, Egipto; Alfonso Sastre, País Vasco; Nardi Suxo, Bolivia; Enrique Dussel, México; Marta Harnecker, Chile; Carmen Bohorquez, Venezuela; Cesar Navarro, Bolivia; Miguel Barnet , Cuba; Franz Hinkelammert, Alemania/ Costa Rica; Héctor Arce Zaconeta, Bolivia; Piedad Córdoba, Colombia; Reverendo Raúl Suárez, Cuba; Martín Almada, Paraguay; Fernando Rendón, Colombia; Graziella Pogolloti, Cuba; Sacha Llorenti, Bolivia; Ana Esther Ceceña, México; Luis Britto, Venezuela; Rafael Cancel Miranda, Puerto Rico; Atilio Boron, Argentina; Theotonio Dos Santos, Brasil; Alfredo Rada, Bolivia; Farruco Sesto, Venezuela; Obispo Pedro Casaldaliga; Catalunya-Brasil; Ángel Guerra Cabrera, Cuba/ México; Juan Carlos Trujillo, Bolivia; Mel Zelaya, Honduras; Hildebrando Pérez Grande, Perú; Patricia Villegas, Colombia/Venezuela; María Nela Prada, Bolivia; Stella Calloni, Argentina; José Steinsleger, Argentina/México; Omar González, Cuba; Hugo Moldiz, Bolivia; Pascual Serrano, España; Raúl Pérez Torres, Ecuador; Obispo Raúl Vera, México; Joao Pedro Stedile, Brasil; Boaventura de Sousa Santos, Portugal; Rodrigo Álvarez Cambras, Cuba; Socorro Gomes, Brasil; Katu Arkonada, País Vasco/Bolivia


[翻訳:岡 真理]

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以上