北西航路開通……


二年も前の記事の件で恐縮ですが、こちらの記事によると、幻の北西航路が開通した模様。
北西航路』とは、アメリカ大陸を北回りして、アジアまで到達する航路のこと。
ヨーロッパから西回りでアジアに到達するには、はるばる南アメリカ沿岸を南に向かい、ホーン岬を回るしかなかったため、当時の航海者は北回りで到着できるショートカットを探していた。ところが、アメリカ大陸の北側は、北極海の氷に閉ざされた世界であり、船が通り抜けられる場所はありませんでした……最近まで。というのが、北西航路の物語。筆者は、昔『大航海時代』というゲームをやっていた頃、ここを通ったことがあり、キーワードとして気になっていました。
それが、温暖化が原因で、最近通れる状態になっているらしいのです。
ちなみに、北ヨーロッパから東回りでアジアに到達する『北東航路』もあと一歩のところらしい。
近々、これらの航路を通って世界一周を達成するヨット乗りが現れるのでしょうけど、温暖化のまぎれもない証拠。かなり複雑なところです。

[参考URL]
急激に海氷が減少、北極海の「北西航路」が開通


にわかポリネシアブーム?2


にわかポリネシアブーム2です。
あたご海難審判結審とか、本当に久々に『ちはや』を訪れたこととか、書いておくべきことは幾つか出てきておりますが、まずはポリネシアのお話から。
筆者の頭の中でポリネシアと縄文が結びついてしまってから久しいのですが、『ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源』のホームページを見るにつけ、いよいよその結びつきが深くなっています。
今は、地名編、古典編、国語編、雑楽編などがあるうちの、地名編はひとまずおいておいて(本当に多数の地名を解釈しているため、身近な地名でもないと追い切れないのです(^^;;)、古典編を読み漁っております。
これがまた興味深い内容で、日本書紀古事記に出てくる昔の神々や英雄(?)達の名前が、ポリネシア語で読み解くとその事績をあらわした名前になっているということで、これも驚き。
そもそも、上代日本の人名は、なにやら意味不明の長々しい言葉になっていることが多く、不思議な響きをもっています。曰く、ニニギの尊(天孫降臨で高千穂に降り立ったとされる神)は『アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギ』、妻となった姫は『コノハナサクヤヒメ』、大物主神の妻は『ヤマトトトビモモソヒメ』などです。
これらの名前が、ポリネシア語で読み解けるということ自体がかなりの驚きです。
そもそも、大和朝廷縄文人を征服した北方民族が打ち立てた朝廷であり、日本書紀古事記の記述は、北方民族の持ち込んだ神話体系だと筆者は勝手に思い込んでいたのですが、ここに出てくる人物名がポリネシア語で読み解けるとなると、かなり事情は違ってきそうです。
そうなると、これらの英雄に名前をつけたのは(贈り名を贈ったのは)ポリネシアの流れを汲む縄文の人たちだということになりそうで、日本書紀古事記に出てくる古代の神話の時代は、まだ縄文人の一派が主流派だったと思えてしまいます。
と、すると、天孫降臨などの事績は、縄文の人たちの間で起きたことであり、もともとの縄文人の国に、別の縄文人の一派が乗り込んだ事績を表していることになるのかも知れません。大和朝廷が北方系の朝廷だとするならば、先住民族の神話や古代史がどこかで朝廷の建国神話に紛れ込んだことになります。
果たしてそうだったのでしょうか?

それ以外に、航海日誌的に興味深いのは、言葉の解釈の随所に『アウトリガー(船の転覆を防ぐためにつけるフロート)』や帆柱が出てくること。
もし、古代人が人名や地名をアウトリガーカヌー(片舷からフロートを張り出した艇)にちなんでつけたとするならば、その時代(紀元元年〜300年ころ?)にはすでにアウトリガーがあったと考えなくてはなりません。
もちろん、比較的小型の船でポリネシアメラネシアから日本まで航海しようとするならば、アウトリガーかなにかが無くてはまともに航海できなかったでしょうが、このホームページの説が本当だとすると、言葉の面から傍証を得たことになります。
文字すらも無い古代においても、意図的にかなりの大航海が行われたように思われるこれらの事績は、なんだか、オーパーツ(本来その時代からは出土する筈のない高度な遺物)の世界をさ迷っているようでなかなか楽しいです。

[航海日誌中の関連URL]
海を越えた縄文人
にわかポリネシアブーム
[参考URL]
ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
縄文と古代文明を探求しよう!!


にわかポリネシアブーム?


筆者は久々にポリネシアブームになっております。
大体、筆者はだぼはぜというか何と言うか、一時期特定のテーマにのめり込んで熱中するが、何かのきっかけで別の話題にとびつき……という悪い癖があります。
中には、数年を経て昔のテーマに戻ることもあり、ポリネシア(含むメラネシアミクロネシア)はその一つ。
きっかけは、日本の各地に残る意味不明の地名の数々(何でそれが気になりだしたのかと言われると、それもまた困ってしまうのですが)。 たとえば、「埼玉」。日本の県なので、耳慣れてはいるのですが、サイ+タマ。タマは「玉」だとしても、「サイ」って何でしょうか? サキだとしても、サキのタマ? これでは何を表しているのか今一つ分からない。きっと故事でもあるのか、それとも当て字で、昔は別の意味があったのか(アイヌ語?)と思っていると、以下のようなホームページに行き会いました。

ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源

このホームページは、しばしば日本語では意味不明な日本の地名を、日本語の祖語のひとつだったと考えられるポリネシア語で読み解こうというもの。思わず目からうろこの解釈もあり、筆者は最近ちょくちょく読んでいます。
日本の地名はそもそも(今の日本語から見ると)外国語によって名付けられている、というのはアイヌ語起源説も共通ですが、縄文時代に航海民族であるネシアの人々の一派が日本に到来しており、日本人の祖語にポリネシア語の一派がまじっているという議論には、(ネシアの島々で縄文式土器とそっくりな土器が発見されるという話と考え合わせると)なかなか共感できるものがあります。
不思議なひびきの古い地名や、意味不明の隠語の数々の謎の一端に光を当ててくれるようでなかなか魅力的な考え方です。

ちなみに、ホームページではまず、オリエンテーション、入門編がお勧めです。
あとは解釈の羅列になってしまいますので、突然読むと入り込むのが難しいかも知れません。
阿蘇山などの「アソ」地名、富士山や芦ノ湖近辺の「アシ」地名、「アサマ」や「タラ」などの山岳地名、湾などに見られる「カサ」地名、マタギの隠語の解釈などなかなか興味深いです。

それにしても、惜しむらくは、日本の遺跡からまだアウトリガー艇(転覆を防ぐために舷側からフロートを延ばしてある形式の艇)や、ダブルカヌーが見つかっていないこと。
縄文遺跡から見つかるような小型のくり舟では航海はさすがにちょっと無理で、少なくともある程度の大きさかアウトリガーは必要な気がしますし、また、日本は(アジアでは例外的に)頑固な横帆文化ですが、ネシアの人々は伝統的に縦帆であったらしい事などが気になるところ。
文化の底流でいろいろ入り交じってしまったのかもしれませんが、生活に密着した便利なものは、おいそれとは変わっていかないらしいことを考えると、舟の形や帆の形式などは、津々浦々に、すくなくともある一定の期間根付いていても良さそうなもの。特に縦帆のように取り扱いがしやすく、便利なものであればなおさらです(それとも、縄文頃のネシアには、まだアウトリガーも縦帆も無かったのかも知れません)。
アジア東端のこの小さな島の歴史の起源は、まだまだ複雑な要素をはらんでいるかのようです。

[航海日誌中の関連URL]
海を越えた縄文人

[参考URL]
ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源

ちょっとシンプルすぎ……(Google Chrome を使ってみました)


巷で話題の新ブラウザ『Google Chrome』を試してみました。
結論から言うと、ちょっとシンプルすぎ。
筆者はうっかり(?)Willcom D4 を使っている関係上、結構モバイル環境での接続をするのですが、Chrome にはこれをサポートする機能がありません。手作業でモデム接続のオンオフをしなくてはならないところがどうも不便でいま一つ。
ブラウジングそのものは、画面を可能な限り広くブラウズに使えるようになっているインターフェースと、タブを表示した瞬間によく使うページや最近のブックマークがぱっと出てくる操作感はなかなか爽快。

タブ作成⇒表示された中から見たいページを選んでブラウズ

の繰り返しで、次々に情報をたどっていくことができます。
ただし、RSS は現状未対応?に思えるのですが、この点はマイナス。
また、IE only ページのブラウズをしたい際には、Firefoxプラグインを入れておくと、右クリックで IE 呼び出しができるのですが、Chrome は現状そうもいかず。
うーむ、メインブラウザとしては、ちょっと力不足かと。

でも、従来のブラウザとちょっと発想を変えた製品であることは間違いなく、使っていて面白いことは評価しています。
コンテンツ至上主義といいましょうか、見ているコンテンツがあくまでも主役。画面はあくまででかく、ブラウズは直感的に(ドロップダウンなどを使わず、とにかく今見えているものをクリックすれば動く)、PC 環境の不便な所への対応や多様なオプション、集めた後の情報の整理などはあくまでも副次的、という、ちょっとテレビ的な特性のあるブラウザに思えました。(これに対して、PC 環境との整合性が気になるのが IE、情報整理に力を入れているのが Firefox かと思います)。 Firefox の時は、素早いブラウジングとブックマークツールバーが楽しい特徴でした。ブックマークツールバーRSS をぺたぺた貼り付けて、最新情報をどんどんチェックしたくなりましたが、Chrome は、お気に入りのサイトに関して、どんどんタブを開いて、ブラウズしていきたくなる製品ですね。

とまれ、機能不足で使ってはいませんが、楽しい製品であることには間違いありません。
今後の発展に期待したいところです。


あたご海難審判


ようやく少し仕事が落ち着いてきました。
遅ればせにはなってしまいますが、今月 4 日と 11 日に以前の記事で書いたイージス艦『あたご』の海難審判があったようですので、メモ的に書いておきます。
復習しておきますと、この事故は、帰港しつつある自衛隊イージス艦『あたご』と、漁に出ようとしていた『清徳丸』が房総半島沖で衝突したもので、『あたご』が『清徳丸』の左舷側に当たる形となっていたことから、あたごの避航義務が一つの焦点になっていたものです。
当初、衝突 12 分前に『あたご』の見張り員から『清徳丸』の右舷灯が見えた(これは、両船がお互いに右舷側を見せてすれ違う位置関係で、このままいけば『清徳丸』左舷に『あたご』が衝突することはあり得ない)という証言があったものの、その後、見張りの引き継ぎがなされていなかったこと(継続監視していなかった)、自衛隊側の証言がちぐはぐなこと、さらに『清徳丸』に後続していた『金平丸』の GPS に、衝突進路に乗っていた『あたご』を避けるために右転し、避けきれないと感じて左転する航跡が残っていたこともあり、より先行していた『清徳丸』が『あたご』と互いに右舷側を見せてすれ違う進路だったことはほぼ考えられない状況だったことも明らかになりました。
これらの事実を受けて、当時防衛大臣だった石破氏が、遺族のもとに謝罪に訪れ、一度防衛省側が非を認めた形となっていたと記憶しています。

ですが、今回の海難審判の場では、『あたご』側の当事者はいずれも事実関係について争う姿勢を見せているようです。
焦点となっている主張は、<『清徳丸』は、そのまま行けば『あたご』の艦尾 820m のところを通る進路だった(この進路であれば、あたご側に避航義務はない)が、清徳丸が右転した>ということです。
前述のとおり、当初もごく初期に一時主張されていたものですが、いろいろな報道の出る中、可能性が低いとして消えた見方だと思っていました。
これを受けた第二回の審判では、後潟前航海長から「漁船が停泊していると誤認した」、誤認の原因については「うまく言えない」との言葉が出るなど、進路、速度、見張りの経緯について、依然として説明がちぐはぐな印象を受けます。停泊と誤認していたのに、「そのまま行けば艦尾 820m のところを通るはずだった」というような具体的な主張がなぜ行われるのか。
腑に落ちない主張ですし、残っている客観的証拠からすると、通りにくい主張にも思えます。なぜ今さらこの主張なのでしょうか。

『あたご』のレーダー記録があれば、このような主張の混乱なく、ある程度客観的に事実が明確化できると思うのですが、結局はあたごのレーダー記録が出てきていないこと、当事者の片方が不在であることもあり、客観的な事実が見えにくいままになってしまっています。
今後の同様の事態を避けるため、レーダー記録にどんな機密があるかはわかりませんが、事故時には情報公開を義務付けるべきではないかと思っています。

※この記事を書くにあたって、毎日、朝日両新聞の特集ページを見直してみましたが、事故直後の鮮度の高い情報へのリンクが外れていました。記事がまだリンクされている3月はちょうど 6ヵ月前なので、たぶん自動制御なのだと思うのですが、当時の記事がそのままたどれない(記事の関連リンクをたどっていくと、公開されてはいるようなのですが、特集ページからまとめて見ることができない)のは、残念なことです

[追記]
探してみると、12 日、17 日、25 日にそれぞれ第三回、四回、五回目の海難審判が開かれたようです。
第三回は舩渡前艦長側から、件の航跡図を示しての再主張、第四回は清徳丸の僚船『金平丸』の市原義次船長から、『清徳丸』の右転を否定する証言。第五回は横浜地方海難審判理事所から、『あたご』に避航義務があり、『あたご』側に過失があるとする旨の請求(通常の裁判で、検察側が求刑するようなもの)が行われました。
これはまだ結論ではありませんので、結審までもう少し時間がかかる模様です。
海の事故の一ケースとして、見守っていきたいとおもいます。


[参考URL]
イージス艦事故:「あたご」前艦長ら争う姿勢 海難審判
イージス艦事故:「あたご」当直士官ら一部落ち度を認める(第二回)
航跡図示し説明 あたご海難審で前艦長(第三回)
漁船の右転否定 イージス艦あたご海難審判(第四回)
あたご海難審判 元艦長らの過失指摘、勧告を請求(第五回)
毎日新聞:イージス艦衝突特集ページ
朝日新聞:イージス艦衝突特集ページ


[航海日誌中の参考情報]
事故・座礁・遭難
お粗末と言われても……


ビクトリノックスが好き


ビクトリノックス(スイスアーミーナイフのメーカー)には、昔からなんとなく思い入れがあります。
きっかけは多分、小学校の時の友だちがチャンプ(20種類以上のツールのついた最上位機種)を持っていたこと。誕生日プレゼントでもらったそうで、大切にしていました。
それ以来、なんとなく憧れがあり、自分でもチャンプを持っていたこともありました。
でも、チャンプの機能はさすがに過剰で、半分以上使わない機能があり、もったいないような気がします。本体が太すぎて使いにくいところもあり、やっぱり、もう少しツールは絞っても、薄目のツールになっていることが理想だと思っています。

で、今回、ひょんなことでホームページを見てみたら、なんと、ヨット乗り向けの『マリナー』と『スキッパー』という機種が出ているではないですか。
マーリンスパイキ(ロープ仕事用の先の尖ったツール)とシャックルオープナー(蝶ネジ回し)が付いているのが魅力で、ナイフは波刃になっているので、多分太めのロープでも切れそう。
なかなか魅力的で、ちょっと食指が動いたのですが、残念なことに、その他のツールの取り合わせがあまり良くない。
缶切り、栓抜きは、昔に比べて実用性は落ちているとは思うものの、フネの航海を考えるとあっても悪くない(セン抜きはともかく、長期航海では、缶詰くらいは積むと思うので)とは思うのですが、下位機種の『マリナー』には、コルク抜きがついていないのがマイナス(代わりにプラスドライバーがついている)。停泊中はワインくらい開けたいこともあるので、筆者的にはコルク抜きは欲しいところ。
上位機種の『スキッパー』にはこれが付いているのですが、もう一つのツールで付いているのが、あまり役に立たないプライヤー。チャンプを持っていた時に何度か使ってみたのですが、小さすぎて力が入らず、これが一番実用にならなりませんでした。筆者的には、このツールよりも、長期航海を考えると、爪切り代わりに使えるハサミの方が良い。
結論から言うと、『マリナー』にコルク抜き、『スキッパー』ならプライヤーの代わりにハサミが付いていると最高なんだけどなぁ……。でもって、ロック付きはちょっとサイズが大きいので、もうひとサイズ下げて、普通の『オフィサー』シリーズのサイズにおさめてもらえるといいんですけど。
無理かなぁ……。

とまれ、小物好きにはなかなかたまらない、ビクトリノックスのページなのでした。
普通の製品カタログだけで、本当になんのケレンも無いんですけどね(^^;;。


■参考URL
ビクトリノックスジャパン


責任感が消える……??

と、大層なタイトルをつけましたが、雑文です。近頃起こる不注意事故(つい先日、『あたご』事故に続いて明石海峡でも海難事故が発生しました。オートパイロットにまかせっきりにしていての衝突だそうです)を見ていて思うことです。

日本はある意味、職人の国だと(だった?)思っており、そこが魅力的な土地だったと思っております。
仕事の上でも、管理者の管理を待たず、自分の受け持った仕事には誇りを持ち、細心の注意を持ってやり遂げる。
職人ですから、いい加減な仕事は出来ない。仕事の品質を保証するのはプライドだったと思います。ですから、過酷な労働でも引き受け、黙々とやり遂げる人が多かった(のではないかと勝手に思っています)。
一方、上司の方でも、多少利益確保の上では的外れだったとしても、無意味なことにコストと時間をかけていると短絡的に叱らずに、そういった部下を何かと尊重してきたのではないでしょうか? そうした人々がやがて世界に通用する品質の Made in Japan の製品を作ってきた。
いつの間にか、そういった職人気質の方は少なくなり、尊重もされなくなってきました。標準化という名の下に、どうしても切り捨てられたり、より原価の低い人に置き換えられたりしてしまうようです。
標準化・共有化は大変良いことなのですが(ある意味、筆者の仕事はそういったことを推進する仕事ですし……)、それと職人を認めないことはまた別の次元の話だと思いたいです。突出した職人を尊重しつつ、その技術をみなで吸収するという共有化でないと、組織がレベルアップしていかないような気がするのですが、なかなかそううまくはいきません。ほうっておくと職人を尊重することと、標準化を進めることが相反することになってしまっているようにも思えます。
そういった流れの中で、今はきっと、昔に比べると、全てを自分で取り仕切る『自分の城』は狭くなっているのかも知れません。一方で、やらなくてはならないことは増えていっているとすれば……。
いきおい、職人というよりはサラリーマン、サラリーマンというよりは賃金(日雇い)労働者の気分が現場に蔓延しやすい状況なのかも知れません。
仮に、職人気質の人が現場に居たとしても、理解者の少なさに『やってられるか』ということなのかも知れません。
日本がもともと職人の風土なのだとしたら、今は日本全体が長期的に疲弊して、士気阻喪の過程にあるのかも……。
士気が阻喪すれば、事故の数は自然と増加します。1995 年に大復活を遂げたアメリカのコンチネンタル航空も、復活前は社員の労災の数などが非常に多かったそうです(自分でわざと怪我をしたケースも多かったようですが、これも士気低下の一種ですね……)。復活後、これは急減したそうです。
人が人を尊重する職場を作っていきたいものです。
もっと良い形が無いものかと、最近良く思います。