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2012-01-03

閃きメソッド

ウォーキングを始めて半年ほど経つ。毎日歩いたり、しばらく歩かなかったりとイマイチ習慣に

なっていないのだが、歩く距離は段々と延びた。最初は1.5km歩いていたのだが、今では10倍近い

14kmを3時間程かけて歩く。


ウォーキングは健康維持はもちろんだが、何よりも”閃く”為に行っている。自分専用のwikiを

立てて、そこに思いついた事ややってみたい事をすべて書いている。で、歩く前にそれを読んで

から歩く。頭のウォーミングアップだ。


で、歩き始めると最初は歩く事を意識しているのだが、30分を越える頃になると段々と無意識に

歩けるようになる。そうするといろんな事がいろんな視点で、思いついてくる。閃きの時間の始

まりだ。


で、それを書き留めるのだが、深夜に歩いているので、紙には暗くて書けないのでiphoneの7notes

に書き留める。ポイントはすぐに書き留める事だ。すぐに書き留める事で、次から次へといろん

な事が思いつく。家に帰ると自分の専用のwikiに反映させる。これを去年の7月からやっている。


33歳になって思う事は、既に価値が高い物に乗っかるのではなく、やればやるほど積み上げる事

でき価値が高まるものへ最大限の力を割く必要があるということ。積み上げる事で誰にも到達で

きなかった世界を目指したいということ。その為の、積み上げる手法が必要であるということ。


19歳の頃にスタイル駆動コンピューティングモデルというアイデアを閃き、その実現を目指して

いるのだが、まだまだ輪郭すら見えていない。まだまだ閃きが足りない。

2012-01-02

筏の上で片足を上げる

川沿いにある温泉に行った。露天風呂は川を眺めながら入る事が出来る。川沿いの道を

トラックが木材を積んで走っている。県北の木材を中心部へと運んでいるのだろう。た

かだか5,60年前は、この川を筏を使って木材を運んでいたのだろう。もしかすると数千

年に渡って。そして、川下りの職が脈々と家系に引き継がれてきたに違いない。


産業革命以降、トラックが生まれ、川や道が急速に整備された。自分が子供の頃は舗装

されていない道路などはたくさんあった。それが奇麗に姿を消して、今では舗装されて

いない道など田んぼのあぜ道くらいのものだ。


小学校の頃、電話ボックスが自動販売機と同じくらいあちこちにあった。それも今では

携帯電話に取って代わられ、奇麗に姿を消している。テレホンカードなど、もう見る事

はほとんどない。たかだか33歳の自分ですら、驚異的な変化を目にしている。


今は「地球が一つになる過渡期である」という人が居る。自分の実感でもそう思う。地球

が一つになると、いろいろと厳しい環境に置かれる人も生まれるだろう。川で筏を組んで

木材を運んでいた人は、トラックに取って代わられるように。しかし、そうした変化は必

然であるから、抵抗してみたところで意味が無い。


去年は100冊読書を目指していたのだが、残念ながら100冊には届かなかった。主にビジネ

ス系と技術系の本を読んだのだが、現在を正確に予言している(過去に出版された)本が

たくさんある事に気がついた。これは、未来は現時点で既に予言されていて数千円払えば

読む事ができるという事を意味している。今年はこうした書籍を積極的に読み、自分なり

の未来像を作りたい。


今、自分は川を流れる筏の上にいる。

2012-01-01

2012

明けましておめでとうございます。

去年は震災などで暗いニュースも多かったけど、個人的には社会の基盤的なもの

が少しづつ変化するのを目の当たりにして、とても刺激的でおもしろい一年だった。


とある人が「開拓する力こそ重要」と言っていたが、本当にそのとおりだと思う。

去年は「行動すれば学べる」というのを皮膚感覚で理解できた。今まで行動は、

うまく行けば嬉しいし、うまく行かなければ凹んでいた。しかし行動の結果はど

うあれ、行動は面白いように必ず結果を返してくれる。


嬉しいとか凹むとか、そんなのはあまり意味がなくて「そこにどんな真実を見たか」

ということが重要なんだと思えるようになった。少しづつ、頭が切り替わるのを感

じる。


去年は技術や仕事に関して苦しい事も多かったのだが、その度に「苦しんでいる時

が最も成長している」という事を思い出した。そう考えると幸せになれた。


今年は、去年に積み上げたものが目に見える形として現われると思う。とにかく行動

しよう。行動を大量に行おう。意志を持って行動すれば、必ず反応があり、そこには

少なからず真実が含まれていて、それを見つけて行動を修正しよう。臆病にならない

ように気をつけよう。

2011-05-27

欠乏道

フリー(自由)ソフトウェアに触れたのは高校時代からだったか。その時から

能力を磨くことに不可欠なのは貢献だということが、漠然と頭にあった。技術

開発への貢献であり、人材面での貢献であり、文化面への貢献である。


貢献の本質は”欠乏の生成”ではないかと思う。単なる自己認識であるが、

自分は技術面、人材面、文化面で多くの貢献をしてきたと思う。そうした経験

に基づいて思うことなんだが、何らかの貢献で直接的に満足を得るなど少な

くとも今の自分には無理である。


貢献するより仕事をした方が金になり満足度も高い。しかし今まで仕事より

貢献を本能的に優先させてきた。なぜか?と自分に思うわけである。本能的な

選択である。


貢献は価値を生み出す。自分が産み出した価値を対価を求めず他に垂れ

流す。垂れ流された価値によって、他者が利を得て、自分が苦境に立つ事

なんてのはよくあることだ。自尊心が満たされず、嫉妬を抑えるのに必死に

なることもある。


しかし、だからこそ、自分のパフォーマンスを最大化できるのだ。頭を整理し、

選択し、決意し、行動する。生々しい成果だけが、自分を唯一納得させること

ができる。そうやって必死にバランスをとろうとする。そうした積み重ねが、強

固な精神力を育み、他者に影響されない自己の論理に基づく長期に渡る作

業を可能とするのだ。


欠乏を自ら積極的に生み出し、その欠乏の海で泳ぐ事が、比類なき能力へ

の道である。満足は一瞬の努力で得られるが、価値ある欠乏は一生の努力

で育む。


欠乏を求めて満足と戦うか、満足を求めて欠乏と戦うか。前者の欠乏は希望

だが、後者は悲劇でしかない。

2011-02-17

再定義の複製

高校時代、坂村健氏の「TRONからの発想」を読んでコンピュータアーキテクチャ

再定義という、すばらしくドキドキする未来があることを知った。自分はコンピュ

ータアーキテクチャの再定義とまで大きく夢を持てなかったが、カーネルアーキテ

クチャの再定義という夢を持った。新しいカーネルを開発すること、それが人生だ

と。


学業的にはどうしようもなくダメだったのだが、まずはLinuxカーネルを読もうと

思った。高校2年生、当時Linuxカーネルはバージョン1.2。ソースコードを見て

とてつもなく困難な事がよくわかった。カーネルは大規模で複雑である。しかも

すごい勢いで大規模化し複雑さは増している。そのカーネルを動かしているCPUも、

同じくらい複雑である。


自分には学歴的な自信の無さと、根拠の無い自信があった。根拠の無い自信に支え

られ結局、CPUは900ページほどのリファレンスマニュアルをノートに書き写し、

カーネルに関しては1000ページほどの「詳解Linuxカーネル第2版」をアウトライン

プロセッサに書き写した。そして2005年に大規模CodeReading手法「ひらメソッド

を提唱しwikiを用いてLinuxカーネルを読んだ。作成したwikiページは3800ページ

になる。ひとつの夢が達成された。


高校時代に「まずは」と考えた事に10年かかっている。


2007年にLinuxカーネルのCodeReadingを終えた時、自分には根拠のある自信が生ま

れていた。新しいカーネルを開発できる日は近い、と思えた。テクニック面では充

実したのだが、実際は「新しいカーネル」というものを、どのように考えて、どの

ように作れば良いのかまったくわからなくなった。それを生み出す為の、アイデ

アが無い。思想が無い。いろいろとあがいてみたものの”才能の限界”という言葉

が頭をよぎった。


自分は過去の困難に対して、ノートやアウトラインプロセッサ、wikiに書き写す

”コピー”によって克服してきた。であれば、才能すらコピーすれば良いのでは

ないかと思いついた。自分に才能の限界を感じるなら、自分をやめて才能有る誰

かをコピーしてなりきれば良い。そう考えた。


少なくとも、自分を捨てれば”自分の才能の限界”という制約から解き放たれる。


「まずは」かつてカーネルアーキテクチャを再定義した人の思考をなぞろう。10年

かかろうと20年かかろうと、何人コピーしようとかまわない。いずれ突破口は見つ

かるだろう。