やっぱり『やもり通信』

海外生活一区切り。これからは日本の生活メインの内容になりそうだけど、タイトルはやっぱり『やもり通信』・・・で、いいかなっと。

4回目の「4年に一度」(2月29日)

そろそろ日付も変わりますが。

 

4年に一度の「命日」なので

 

お約束の『思い出のDVD』を横で流しながら書いています。

もう16年も経ったなんて信じられないほど、これを見ると、あの日のことが鮮明に思い出されます。

 

父の葬儀は・・・・いや、あれは葬儀ではなくて

「海へ還る」というサブタイトルを付けたお別れ会・旅立ちの会で、

その会を完全に仕切ってくれていたのが、父がまだ20代の頃のピチピチの(?)体育教師だった時に担任していた「体育科一期生」の当時の生徒たち

 

その「元生徒さんたち」も、あの時はもう50代半ば。

でも、当時のクラスメートの半分近くが集まり、

「37年ぶりのホームルーム」という形でお別れの会を仕切ってくれたのです。

 

ここまで幸せな教師人生を送れた人って

きっとこの世にも数えるほどしかいないに違いない。

あの時の思いは、今も変わらず。

また改めて思ってしまっています。

 

その時の、打ち合わせの時からのようすがずっと記録されているこのDVD。

 

最初の命日の2012年の時は、エジプトのカイロで家族一緒に見て

次の命日の2016年は、ハンガリーのブダペストで。

その次の2020年は、この坂戸で・・・みどりと一緒に見たんだったかなあ?

いや、DVDプレーヤーがなくて見れなかったんだっけ?

と思ったら。

世の中、コロナでざわざわしてきて、

『全国の小中高校の休校とか北海道では緊急事態宣言とか、TDLも上野Zooも休園』と日記に書いてありました。

DVDは見ていない模様。

父を偲びながら近所を5kmちょっと走ったりしていたらしいです。

コロナで出かけることもままならなくなり、近所を走る習慣がつきつつあった時期かな。

 

と、4年に一度の「父の命日」をふり返っているうちに日付が変わってしまいました。

 

 

次の命日は2028年。

うわ、60歳超えてる・・・?💦

ほんとに「温泉の旅」になってしまったいわき♨

決して無理せず、 “大人の振る舞い” をするぞ

 

と、心に決めて「いわき入り」したのはマラソン2日前の金曜日。

翌日土曜日の予定を終えた頃には、

「あ、そういえばお腹こわしてたんだっけ…」と、“思い出す”レベルにまでなっていて、更に

「体調が万全ではない場合は、完走は目指さず計画的にリタイアする」

という参加スタイルもあると聞き、前日の夜に自分の体と相談。

 

完走はもしかしたら無理かもしれないけどハーフなら大丈夫。

半分(中間点)まで走った後、さらに3〜4キロ行くとそこはゴール地点のすぐ近くなので、その後が不安だったら今回はここで離脱ということにしよう…

 

不本意といえば不本意。でも、そのうち今回はこのくらいがベストという気がじわじわしてきて、いそいそとシューズにタグ(タイム計測用チップ)を付け、スタート時の気温は2℃などという予想だったのでホテル近くのコンビニに走り、防寒用の「レインコート」を買ってきて。

 

しっかり準備をして

こんなのまで飲んで10時過ぎには就寝。

👆休息したい体に:キューピーコーワヒーリングドリンク

 

2時に目が覚めたのは、いつもより早く寝たせいか

あるいは、やっぱり体調イマイチだったのか・・・

 

そして、

次に目が覚めたときは、なんと8:15。😳

 

いわき駅前からスタート会場へのシャトルバスの最終便は8:25。

フルマラソンのスタート時間は9:00。

 

シュミレーションしていた「半分ちょっとで離脱計画」すらもこれじゃぁ無理…と悟った時には「やっぱり今回はご縁がなかったってことかー。」と妙に冷静な気持ちになっていました。

 

が、

さて、これからどうしよう。

せめて会場の雰囲気だけでも味わうために、ゴール地点の「小名浜港アクアマリンパーク」まで行ってみようか? とチラッと思ったけどすぐに却下。

 

雰囲気を楽しむほどの天気じゃなかったのが一番の理由かな。

 

となるともう温泉しか思いつかず、2駅となりの「湯本駅」へ。

 

そのあとは、もうただの観光客。

 

どうしてここにこんなにミュージシャンがいるのか分からないけど

なんだか気になるから写真を撮り

 

駅前をぷらぷらしながら、早目の時間でも入浴可のところを見つけて

硫黄のかおりたっぷりのお湯に浸かっていたら

5キロか10キロのレースを終えた地元の人と一緒になり

 

その人に「もし、これからランチするなら。」と、地元では有名らしい『奇聞屋』さんというお店を教えてもらい…

また別の人には「駅前の足湯の近くの和菓子屋さん、とっても美味しいからぜひ寄ってみて!」と言われ…

 

まずは、3キロほど先の『奇聞屋』さんまでぷらぷらと。

 

耳はAudible

池井戸潤の『BT'63』がめちゃめちゃ面白い。

 

美味しいパスタと、ものすごく久しぶりにサイフォンで淹れたコーヒーを味わい、

 

また『BT'63』を聴きながら今度は駅前の和菓子屋さんへ。

「駅前の足湯の近くの和菓子屋さん」はすぐに見つかって

こちらの『久つみ』さんでお土産&自分用にいちご大福。

 

湯本駅ではいわき行きの電車を待つ間、ホームに常設されている足湯コーナーへ。


そんな贅沢な2月25日(日) でした。

 

翌日、ホテルをチェックインした後は

帰りの「特急ひたち」の時間まで

宿泊者は無料で利用できるという『漫画読み放題コーナー』へ。

3,000冊あるという漫画の中から

ずっと気になっていた『ちはやふる』の最後の2巻(49&50巻) をいきなり読んで。

7〜8年のブランクがあったのに一気にあの世界に引き込まれて心を震わせながらいわき駅へ。

 

青くて広くて高い空を見ながら

ひたち14号で一路上野へ。

 

来年、リベンジするか

あるいはこの時期はあちこちでいろんな大会があるからもっと近場のに出てみるか・・・

今はまだ分からないけど

今回のいわきは、これはこれでとてもいい旅だったなぁ・・・と

思えてよかった(笑)

 

 

次のフルマラソンは4月の『かすみがうらマラソン』

とりあえず今回のいわきの「リベンジ」ってことでしっかり走れますように。

 

 

 

【ホテル情報】

いわきの駅前にはホテルがたくさんありましたが、

今回3泊したのは駅を出て東に500mほど歩いたところにある

ホテルフロンティアいわき

hpdsp.jp

このホテル、上記の『漫画読み放題コーナー』のほかにも

なにやら“ゲーミング・ホテル” という売りもあるようで

よく分からないけど

『eスポーツをプレイできる専用客室“@G(あっとじー)という部屋があるそうです。

www.famitsu.com

そういえば、ホテルのエントランス入ってすぐ右側には、青い光を放つ「ゲーミングPCエリア」なるものがありました。

 

さらに、今年の2月22日(今回このホテルを利用した前日)にホテルから徒歩3分という超便利な場所に複合商業施設がオープンしていて(イトーヨーカドー跡地らしい)

そこに入っている「スーパーマーケット(ヨークベニマル)」、「マツキヨ」、「ダイソー」を上手に利用すれば、ホテルで必要になったちょっとしたものや、一人用のご飯、惣菜などを簡単に手に入れることができてとても便利だと思いましたー。

 

 

 

フルマラソン元年だった2023年を2024年に引き継ぐための「いわき」がピンチ。

 

すでに2月も終わろうとしていますが・・・

 

また寒くなってきて。

 

でも、この週末の連休は

「いわき」に行くぞ!

 

ついにフルマラソンを制限時間内にきちんと完走できた(しかも2回も! )

去年2023年を勝手に “フルマラソン元年” と名付け、その勢いのまま

2月25日の『いわきサンシャインマラソン』にエントリー。

 

少し前に届いた参加賞Tシャツは妙に可愛らしく

これ着て走るのはちょっと恥ずかしいかも・・・と思ったり

でも、ちょうど最近買ったラン用ジャケット&シューズと色がオソロっぽいから着ちゃう?と思ったり

 

本番近づいてきたから睡眠もしっかり取らねば…と早寝を心がけたり、

 

少しずつ体を整え気持ちを盛り上げてきていたのに。

 

 

いきなりの腹痛&近年稀に見る下痢で、夜中に2時間トイレに籠ったのが

本番5日前の20日火曜日。

 

勘弁してくれ〜〜〜と思いながら、その日の午前中に病院に駆け込み

薬をもらい。

 

処方された薬は3日分。

抗生物質とか整腸剤とか4種類。

 

「水分をしっかり摂って、この薬を3日間飲みきれば良くなると思いますよ。」

との言葉を信じて、今日も薬を飲みながら

明日からのいわき行きの準備をしている、という・・・。

 

実際、発症後2日半が過ぎている今は下痢もすでに治まっていて

腹痛もほとんどなくなってはいるんだけど、食事をして腸がお仕事を始めるタイミングになると、まだオイラ本調子じゃないんだぜ、と言いたげな痛み、というか重みが少し…という状況。

そして、それも今晩一晩寝れば更に快方には向かうものと思われるので、

明日は予定通り新幹線に乗る予定。

 

というか、今回のいわき行きには幸いにも マラソン以外の目的 もあるので、

「フルマラソンを走るのは無理」という体調でも、この程度の腹痛の名残り(?)ならキャンセルは無し。

 

当日、やっぱりフルマラソン走るのは無理そう…と思ったら、走っていたはずの時間は「棚ぼた いわき観光タイム」にでもして、ゆっくり温泉にでも入って帰ってくることにしようと心に決めています。

 

そう。

大会パンフレットにもありました。

 

         やめる勇気を持ちましょう

 

当日の天気もあまり良いとは言えないようなので、

ここはひとつ、大人の振る舞いをしなければ・・・

と、思ってはいますが、

 

いや、思ってます。

無理はしない。

 

と、ここに書いておかないと、・・・

という思いで書いているようなものだな、これは💦

 

 

でも、明日は金曜日。

本番は日曜日。

この2日間で体調がどうなるか分からないので、

とりあえず、今はまだ「ピンチ」の段階でとどまっている、としておこう。

 

でも、無理はしません。

そうだ。

走れなさそうだったら、思い切って『スパ・リゾート ハワイアンズ』に行っちゃうってのもいいかも。

あ、水着が要るかー。

 

いや、のんびり温泉で十分。

 

というところで、日付も変わるので

今日はそろそろ寝ます。

 

 

・・・寒波の連休が始まる・・・

 

 

 

 

 

#東北みやぎ復興マラソン 2023

 2023年11月5日の【東北みやぎ復興マラソン】は、私にとってはリアルに走って制限時間内にゴール! を実現できた二度目のフルマラソンでした。

 

今年4月に【かすみがうらマラソン】33年ぶりのリベンジを果たせた時は心から喜んだものの、世の中には「ビギナーズラック」という言葉もあるし、

1回走れただけじゃねえ・・・

もう1回くらいは走ってみたいよねー

で、3回くらいちゃんと走れたら

「フルマラソン走れるようになったー!」って胸張れるかも。

 

そんなふうに思っていました。

(というか、今も思っています。まだ2回目だし。)

 

そして、その2回目として挑戦するなら、やっぱり【東北みやぎ復興マラソン】とも。

 

だって今回こうしてフルマラソン挑戦!というところまで来ることができたのは

コロナ禍の2020年8月、夫が見つけてくれたバーチャルのランイベント

【東北みやぎオンライン復興マラソン】に参加したのがきっかけなのだから。

 

結局2020年から2022年まで3年間開催されたオンラインのこの復興マラソンにはずっとエントリーしていたし、そのほかにもこの時期は “オンライン・マラソン花盛り” だったので、常に日本全国どこかのオンラインマラソンにエントリーしていることが、日々の「ぼっちラン」のモチベーション維持の要因のひとつになっていたのは間違いありません。

 

ということで、今回の【東北みやぎ復興マラソン】。

 

とにかく42.195kmを走りきれるのか

そして、時間的に可能だということで「日帰りラン」にしてしまったけど、走ったあとにちゃんと新幹線に乗って帰ってこれるのか

そんな個人的なことで頭がいっぱいになりつつも、

事前情報での

「約7割が震災の時に浸水したエリアだというコース」

大会HP https://fukko-marathon.jp/runner/course/ より

 

「エイドで提供される予定という超豪華“地元の味”」なども気になり、

👆これも大会HPから。実際はさらに「ホタテ浜焼き」や「塩あめ」なども。

 

そして、

当日、スタート前に聞いた

「全国のすべての都道府県からのエントリーがあった」ということにも驚き、

目の前にどこまでも続く参加者たちの姿(その人数)に驚き。

 

さらに、

今回も川内優輝選手もエントリーしている!ということで、いろいろな種類のドキドキでテンション上がるスタートとなりました。

 

が、まぁスタート前はいつものことながら前方はほとんど見えず・・・

 

いや、走り出してもしばらくは人、人、人・・・。

前方の『萩の月』の看板を見て「あぁ、自分は今、仙台にいるんだなぁ」と思いながら流れに任せて走るのみ。

 

震災後に作られた「東部復興道路(かさ上げ道路)」がこのあたりでしょうか。

まだ半分も来ていないので、まだ元気だった気が。

 

時々ちょっとコースを外れて、「あ・・・」と思った場所の写真を撮ったり、大会パンフレットに載っていたお馬さんを見つけて一緒に写真を撮ってもらったり、とそれなりに順調に(?) 後半戦へ・・・。

 

 

   じわじわと疲れが出始めるのが走り始めてから2時間半から3時間くらい・・・

というのは、私だけではないということなのか、

(いや、違うよな。みんなペースは違うんだから)

なんとも絶妙なタイミングで登場したのが27.6km地点の第10エイド。

  

  1箇所に3種類って・・・と、ちらっと思いましたが、それでもありがたく全種類しっかりいただきました。

 

このほかにも、34kmを過ぎたあたり(もうかなり疲れている…)では、津波の高さを表現したという慰霊碑のある公園をぐるっと廻るようにもなっていて、この公園を出る辺りで提供された「パプリカのガスパチョ」も美味しかった。

 岩沼市立千年希望の丘 慰霊碑

こちらの慰霊碑には足を止めたり、写真を撮ったりするランナーも多かったです。

脱帽してすぐ近くまで行き、一礼して・・・というランナーの姿もありました。

この大会名に【復興】という言葉が入っていることを改めて思い出した瞬間でした。

 

このあと(30km後半)はかなりヘロヘロでしたが、ちょうどほかのランナーたちとすれ違いながら走る時間が続いたので、あ〜 みんながんばってるなーー・・・

っていうか、こんなにたくさんの人が40km以上も走ろうと日本全国から集まって来てるのねー・・・

などと思いながら、いろんなコスプレランナーやとにかく切れ目なく流れてくる大勢のランナーたちに励まされながら足を動かしました。

 

そして、ついにゴール‼

 

・・・と、その前に、

これはどこの駅だったんだろう?

ゴール地点まであと車両132両というこの応援横断幕。

そろそろ足も動かなくなってきていたので、立ち止まって記念に1枚(笑)

 

街なかをしばらく走ったところで、沿道から

「もう少し!あそこの角を曲がったらすぐゴールだよ!」

と聞こえたものの、

え〜? “すぐ” ってどのくらい〜〜??💦 と思いながら角を曲がったら

 

意外と本当にすぐゴールが見えてきて。

 

あぁ、よかった。

ちゃんとゴールできた。

走り切れた。

20℃を下回る気温で曇り空。ほぼ無風。

前回の【かすみがうらマラソン】よりはずっと気象条件はよかったのにタイムは6分以上遅い?

と、走り終わってから記録を意識していたかのような発言をするのはやめておこう(笑)

とにかく完走できてよかった。

もう1回くらい走れたら、私はちょっとだけ自信を持って言うぞ。

「最近ですけど、フルマラソン走れるようになりました✨」と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 1万人強のエントリーに対し、今回の大会ボランティアスタッフは約2,000人 (‼) だったとのこと。

走り終わって会場を出たあとも、最寄りの駅までのすべての角に必ず案内板を持ったスタッフの方がいて「絶対に参加者一人も道に迷わせないぞ」という静かな気迫を感じました。

私たちの気づかないところでも色々と運営に携わってくれた方も多かったと思います。ボランティアスタッフの皆さま、ありがとうございました。

 

また、大会HPでは、SPECIAL MOVIES として

●スタート地点・折り返し地点 (13.5㎞) ・東部復興道路 (震災遺構荒浜小学校周辺) 

●フィニッシュ(ゴール)地点  に設置していたカメラでの映像が見られるようになっています。

こういうのも嬉しい。

(時間と気力さえあれば、自分の姿を探すこともできますゆえ 笑)

ハンドボール “彗星JAPAN” おめでとう✨

 
 我ながら・・・「気まぐれにわかファン」としか言いようのない態度とは思いつつ、昨夜は久しぶりに思いっきり彗星JAPAN を応援させていただきました!
 
昨夜 23:30 からのパリ2024オリンピック アジア予選決勝。
 
“ここで勝てばオリンピック出場が決まる!
という話題で、バスケ・バレーと球技界でも最近いろいろ盛り上がっていましたが
ハンドボールも、「自力で出場権獲得」というのはもう30年ぶりとか40年ぶりとか
そういうレベルらしく・・・
そんな中、
しかも、中東のカタールで、相手がバーレーンという超アウェイの状況の中
 
いや、素晴らしい試合でした!

ハンガリーで縁あって、一時はかなりのめり込んで応援していたハンドボールですが、その後カナダへ引っ越し、そしてここ数年日本での生活が続くうちになんとなく縁遠くなってしまっていました。
 
少し前のアジア大会での男女ともに優勝” という快挙ニュースはチラチラ耳に入っていたものの
「うわ〜 がんばってるなー!」という感じで試合結果をfacebookやTwitter(…あ、今は『X』か…)でチェックするにとどまっていて
今回のオリンピック予選でも準決勝の相手が韓国!と知ったときにも、応援したい気持ちはあったけどさすがに2:00からのライブは・・・💦という感じでした。
 
 が、その韓国にも快勝、そしていよいよ次は決勝‼ となった時に
ハンドボール情報発信マスター(笑) のこちらの投稿を見て
「今日こそはライブで応援しよう」と思ったのでした。

決め手となったのは、この投稿記事に貼り付けてある選手の皆さんの名前。
 
じっくり見たら、顔と名前が一致する人がみごとに半分しかいなかった・・・。
 
数年離れていたので、「期待の新人」(まだ知らない若い世代の選手)が数人いてもおかしくないけど
でも、なんかさみしー・・・
あのころは、ほぼほ全員の顔と名前が一致してたのに。
 
ということで
初めてハンドボールの試合を観戦した頃のように
すぐチェックできる場所にこのメンバー表を準備して、ゼッケンと名前、そしてその姿を一致させながらYoutubeのライブ中継で応援しました。
 
数年前のあのころ、「期待の新人」ということで応援していた若手選手たちがもう思いっきり主戦力としてガンガン活躍していて、で、当時から主力メンバーだった選手たちは、もう安定・貫禄・やっぱりすごい! と胸を高鳴らせてくれて
 
そしてそして、全く「初めまして」だった選手の名前が、ネット上で応援する人たちの間では
「このすごさ、やばい。」「安平、すごすぎ!」と当然のように連呼されていて・・・。
 
1時間ちょっとの、あっという間の試合時間の中で、
自分の中のハンドボール情報が一気にアップデートされたことを感じながら、
これからもこういうワクワクする試合を観戦する機会を持ちたいものだ…と思ったのでした。
 
そして、バレーボールやバスケットボールが面白いのと同様
ハンドボールもこんなに面白いし、選手たちも魅力的なのに
どうしてこう日本ではマイナースポーツのままなんだろう?とも思ったり。
 
でも、バスケにしても数年前まではここまでの注目度はなかったと思うので
なにかのスイッチが入れば、いつかハンドボールにもググッと人々の関心が集まるのでは・・・なーんて、久しぶりにスイッチが入って彗星JAPANを応援した私が言うことではないですけど💦
 
とにかく パリ行きを決めた彗星JAPAN, 今後も応援します。
がんばってください(笑)
 
そして、出場権獲得まであと一歩のところまで来ている女子もぜひがんばってほしい… と思います!
 
 
私にとってはハンドボール、(そして水球もですが)。
自分では全くやったことがなくても、ご縁があって一時期一生懸命応援していたスポーツにはやっぱり特別な思いがある・・・と実感した夜でした。
 
 
 
 

『銀河鉄道の父』を観て思ったこと、思い出したことあれこれ。

 

3ヶ月も放っておいたブログに、なんだか急に書きたくなって。

 

『銀河鉄道の父』

今年のGWに公開された映画。

GWがとても忙しかったわけでもなかったけど観ていなかったこの映画が

坂戸市内のホールで上映されるというポスターを見つけ、事前にチケットを購入して家から車で約20分の文化会館ふれあへ。

なんと、900円で観られるという嬉しさ!

 

タイトルから宮沢賢治に関する映画だということは分かるし

前情報として、この宮沢賢治のお父さんが主役であることも一応知っていました。

そして、そのお父さんを演じるのが役所広司であることも。

 

しかし、今日は 9月22日(金)。

私の頭の中には数日前、17日(日) に一応の最終回を迎えたTBSの日曜ドラマ『VIVANT』ノゴーン・ベキ の姿がまだ鮮明に残っており・・・

 

「息子賢治が生まれた知らせを受け喜びいっぱいの若き父」の姿で登場した役所広司さんが大写しされた時は、一瞬頭が混乱するくらい驚きました。

若いっ!💦

なんでこんなに若いの?

これ、役所広司だよね? こないだのベキと同じ役者さんだよね?

いや、今の撮影技術ってすごい。

と、まずここでぐぐっと引き込まれてしまいました。

(『VIVANT』を観ていない人には「いったいなんのこっちゃ」だと思いますが。)

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 実は、この映画の舞台となっている花巻市にはご縁があって…

父の実家がそこにあったので、小学生の頃までは夏休みに何度か家族で岩手県花巻市を訪ねたことがあり、この石碑の前で写真を撮ったことも覚えています。

※石碑の写真はこちらのページからお借りしました。

https://ihatovstn.jp/hanamaki-guide/poem-monument/

 北海道の私の実家には、昔のアルバムにこの前で撮った写真もあったと思うのですが(そして撮影当時はこういう柵はなく大きな石のすぐ側まで行けた、という記憶もあるけど...)

 今思い出すと、私の両親は「宮沢賢治」という人の存在をちょっと特別な感じで当時小学生だった私と2歳下の妹に教えてくれていたような気がします。

 

 例えば、こういうのが家の中にぶら下がっていて、

「これは良い詞だから暗記しなさい。」と・・・(笑)

 で、素直な私たちは(・・・少なくとも私は(笑))

暗記してましたねー。

小学生の頃ですから、暗記は今ほど苦ではなかった、・・・気がするし。

 

 まあ、昭和の家族の中ではありがちなエピソードって感じですかねー。

 

 ちなみにこの写真は〈雨ニモマケズ〉〈のれん〉で検索して記憶の中のに近いのを探してみました。こちらからご購入可能のようですよ(笑)

https://itousomekoujyou.co.jp/archives/3658

 

 この〈雨ニモマケズ〉、このころ覚えたものってやっぱりかなり記憶に残っているもので・・・

なので、映画の最後の方でこの詞がチラッと出てきたときも、しっかり話についていける自分、そして、どうしようもなく涙がこみ上げてくる自分を止めることができませんで。。。

 

 いや、一人で観に行ってほんと良かった💦

 

 他にも、

どっどど どどうど どどうど どどう」『風の又三郎』が、どういう背景の中で生み出されたお話だったかが分かると

 

じゃ、「キックキックトントン」は?

と、自分のお気に入りの話の背景が気になり・・・

(※小学校の国語の教科書に載っていた『ゆきわたり』)

 

そういえば、『セロ弾きのゴーシュ』も宮沢賢治じゃなかったっけ? 

あれは、どういう状況の中で作られた話だったんだ??

あぁ、『セロ弾きのゴーシュ』のお話レコード、よく聞いたよなあ・・・

 

 

などとストーリーとは別にあれこれいろんなことが頭に浮かんで、

なんだか観終わったあとは、どっと疲れが💦

いや、決してマイナスの意味ではないんですが。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

それにしても

代表的なもの(教科書に載っていたもの+α程度)しか読んだことのなかった作家

宮沢賢治は膨大な数の詩・童話を書き残していることを今更ながら知りました。

 

そして、そのほとんどが死後に世の中に出て、人々に読まれることになったことも。

 

役所広司の素晴らしさに負けない菅田将暉の賢治も素晴らしかった。

 

あぁ、語彙が貧弱。

 

でも、観てよかった。

 

 

坂戸シネマ倶楽部さんありがとう。

 

次回は、来月(だったかな?) 神木隆之介&佐藤浩市の『大名倒産』だとか。

予定が合えばまた観に行こう。

なんたって車で20分弱、900円✨

 

 

 

今ごろだけど『かすみがうらマラソン』ふりかえり

 

 2ヶ月近く前に、33年ぶりのリベンジなるか などと一人で盛り上がって書いたわりにはその後のこの扱い…(その後のふり返り(続報)皆無)。

 

自分の中での【フルマラソン完走】ってのは、実はそんなに大したことなかったのか? とつい思ってしまうけど

いやいやいや、あれはやっぱり “大したこと” だったよ・・・と、目をつむってあの時のあれこれを思い出せば明らかなので一応備忘録として書いておうかと。

 

 

1.・・・だから、“大したこと” だった。

2.リアルマラソンの醍醐味と初級者のお手本?

3.走り終えたあとのあれやこれや。

4.そして、彼らはやっぱりプロ。

 

 

1.・・・だから “大したこと” だった(笑)

◉12時前に寝る練習:いつも“寝るのは日付が変わってから” という良くない生活習慣から抜け出せない自分。でも大会当日の朝は5時台に起きて6時台の電車に乗り、その超早起きの状態で42.195kmを走らねば、というかなりチャレンジングなことになるので、少しでも良いコンディションで当日を迎えることができるようにと、約2週間に渡り「12時前に寝る!」という練習を続けました。そう。できたんです。この時期は。

 そして実際2週間以上続けることができたんだから、このまま習慣化させれば健康的な生活を送れる体になれるじゃないか! と思ったのに。 それは無理で。今も頑張ってはいるものの「12時に寝る」というのが精一杯。

◉アホのように天気をチェック:あの時期は本当に天気が不安定で、大会2日前くらいまで「当日は間違いなく雨」という予報が続いていて。 雨に降られながらの42.195kmなんて初心者ランナーには厳しすぎる。でもこればっかりは自分の力ではどうにもならない。そう分かっていても少しでも天気が回復してくれることを期待して一日に何度も天気予報をチェック。あんなに数時間ごとに天気予報をチェックしたことは今までなかったのではないかと・・・。

 

2.リアルマラソンの醍醐味と初級者のお手本?

 こんな感じで、いつもとちょっと違う自分を意識しながら迎えた当日。

 ありがたいことに前日までジャージャー降っていた雨も上がり、会場の一部はぬかるみでひどかったけど一般道を走るコースは全く支障がなさそう。

 スタート時の空ははまだ厚い雲で覆われていたけど、その後の予報を見るとお昼近くに太陽が顔を出し快晴に。

  でもそのあと午後3時頃からは再び雨・・・? これはなんとか3時前にはゴールしたい。

ということは、5時間以内で走ればセーフってことか・・・。

「前半起伏あり、後半ほぼ平坦」というとっても分かりやすいコースのようなので、前半を乗り切れば、あとはなんとか頑張れる・・・はず。 と自分を励まし、絶対オーバーペースにならないぞ!! と思いながら、“いつものペース” で進む。

と、

気がつけばほぼ半分の地点を過ぎ(いや、もちろんかなり疲れてきてはいたけど)、目の前には素晴らしい景色が❣

いや、本当に心が洗われるみごとな風景。

空の青さと、そこに広がるダイナミックな雲たち。

晴れてて本当によかった😭

ここで雨が降ってたらどんなに切なかったことか。

 

ほかにも途中の不思議なご当地ヒーローさん熟年アイドル(?)みたいなおばさまたちの踊り、怪獣さんたちの応援👇

 

あと、走りながらよっぽど録音しようかと思ったけどさすがにそんな余裕はなかった「カエルの大合唱」🐸

一瞬、なにが起こった?と辺りを見回すほどのものすごい音量で、たぶんあれはレンコン畑の横を走っているときだったと思うけど、ケロケロというのでは決してなく、グォグォグォグォ、ゴゴゴゴゴ… いや、もうよく覚えてないけど大迫力の大応援をいただきました(笑) あれはすごかった。誰か録音した人いないんだろうか・・・。

 

という素晴らしい環境の中、ふと気になってタイムをチェックする度に「1km6分半程度、5kmで35分程度」というざっくりとした目標の、ほぼその通りのペースで走っていた自分にもびっくり。この調子をキープできればその先に見えるのは制限時間内での完走』‼ 

 そして無事完走し、応援に駆けつけてくれた妹に『完全なラップ刻んで初級者のお手本のような走りだったねぇ』と褒めてもらったのでした(笑)

 

3.走り終えたあとのあれやこれや

①ゴールして参加賞を受け取り、攣りそうな足をなんとかなだめていた時の空。

天気予報ドンピシャ・・・

 

②ゴール後にもらったマックの「特別ご招待券」。埼玉からの参加者、かなりいたと思うんだが。 ま、ポテトの[S] 1個でぶつくさ言うつもりもないですが。

 

③新記録。6万歩超え。でもこれって99,999歩までしか測定できないってことなのか? と初めて気づく。ウルトラマラソンにでも出ない限り、一日で10万歩なんて普通ないと思うから余計な心配だけど。

 

④翌日はヒリヒリするほどの日焼け。雨の心配ばかりしてたので日焼け止めを塗るなんて発想ゼロだった結果。“痛い日焼け” なんて本当に久しぶりだった・・・。

 

 

4.そして、彼らはやっぱりプロ。

「チャリティーアンバサダー」としてこの大会を支えいた有森裕子さんが、スタート後しばらくの間、 参加者と一緒にコースを走りながら周りに声援を送っていました。

私はここにプロの技を見ました。

“自分も走りながら声援をおくる” ・・・それは、まあやろうと思えば、選手同士でも、なんなら部活のマネージャーでもできるかも。

でも、「有森裕子」がそれをやるのはどうか。

あの有森裕子氏ですよ。

彼女がランナーの束の中をススーーッと走って行ったと思ったらくるりとこちらを向いて後ろ歩きで手をパンパンたたきながら

「さぁ!みんな行くよ〜〜〜!!」

と満面の笑みで流れていくランナーたちに声をかける。

前後左右をランナーに囲まれながら前に進む参加者たちは、前方にこちらを向いて笑顔で声をかけてくれる有森裕子が目に入る。

 

ランナーの中には彼女をマラソンの女神と崇める人もいるだろし

そうじゃなくても憧れの気持ちとか

あるいは、あの有名人がそこにいる!というだけで舞い上がって

吸い寄せられたり、写真を撮ろうと近づいたり、・・・?!

 

そう、なにを隠そうこの私も「近くに行ったらハイタッチできるかも!」

などと思い(実際、走っている人たちをそういうテンションにしてしまうくらい彼女の声の張りとそのタイミングは素晴らしかった…と私には思えた)

人の波の間を縫うようにしてじわじわと彼女に近づいて行ってしまいました。(今思えばお恥ずかしい話である💦)

そして、あともう少しで彼女の目の前あたりに行く(彼女は後ろ歩きで声援を送っているので)となったあたりで、満面の笑みのままふっと視線をそらした有森裕子チャリティーアンバサダー。

 

その絶妙さに一瞬で色々なことを悟りました。

 

そうじゃん。

こんなところで誰かが有森裕子とハイタッチなんかしちゃったら、

え?じゃ、私も・・・ と急に進路を変えてこっちに向かってくる人もいるかもしれない。

それってよく考えたら(いや、普通に考えるだけで)かなり迷惑なことに違いない。

 

 私が何かの意思を持って自分に近づいていることを察した彼女は、すっと視線を外すことで私とのタイミングを微妙にずらした・・・ランナーが次々に走っていくこの流れを決して滞らせないために。

プロだ・・・。 

きっとこんなことはもう何度も経験してきて、その過程で培われた技なのでしょうが、

私はいたく感動してしまいました。

 

そして、もうひとり。

前回の川越ハーフマラソンで再会(笑)した川内優輝選手

今回はご本人ではなくそっくりさんの「M高史さん」がゲストランナーなのね…と思っていたら

大会の翌日になって、なんと「10マイル」(約16km)のレースに出ていたことを知り

 

しかも、その翌週 (‼) に走った『ロンドンマラソン』では、世界の主要6大会を全て完走したということでSix Star FinishersGet。

そのあとも5月に入ってすぐの『バンクーバーマラソン』で優勝したとか。

もちろんその後も文字通り超人的なペースで走り続けているようで・・・、

いやー、以前からすごいとは思っていたけど、本当にすごい。

 

そして、そんなすごい人たちと1つの同じ大会に参加して、同じコースを走ることができるマラソンってのも、またユニークなスポーツだな、と改めて思った『かすみがうらマラソン』でした。

 

長々と書いてしまった。

でも、おかげさまで (笑)33年ぶりのリベンジは無事成功

22歳だった自分に勝った!とほくそ笑んだ55歳の私は

本日めでたく(?) 56歳になりました。

今日はこれから有明ドームで小田和正コンサート♬

佳き1年のスタートとなりますように✨