「子供の義賊」に学ぶ。

3日ほど前から、「光明」を書いている。
絶望の時代、どこに明るさを見つけるのか。
きのうは被災地の「子供の笑顔」と書いた。
被災地からの情報も、「ここに来て」やっと本音が出てきたとも書いた。
  
今朝、ブログを閲覧していて感激した。
北村隆司さんの「どう思う、子供の義賊」という記事だ。
   http://agora-web.jp/archives/1423963.html
「避難所の子供数人が無人気仙沼信用金庫に行き、現金数千万円を持ち出し、そのお金を全て避難所にいる老人に配った」という。
子供いわく、「義援金が集まっても現地には1円もこない。悪い事とは判っていたが、こうするしかなかった。お爺さんお婆さんは涙を流し喜んでくれた」と。
  
人の物を盗んではならない。
罪を犯せば罰を受ける。
人間社会のルールだ。
ルールを破れば人と人との秩序が保てない。
物心ついた時からルールの虜になる。
理性的に考え、行動する人は「義賊行為」を支持しない。
そんな発想が生まれてもこない。
「どう、思う」かと聞かれてたじろぐ。
  
ボクは、義賊行為を支持する。
ためらいながらも紹介してくれたブログの作者に拍手を送る。
ボクは人間社会のルールを無条件では守らない。
守るべきかどうかは自分の意思で考える。
自然のルールを優先する。
  
日本は法治国家
子供でも泥棒は泥棒。
罪と罰を与えればよい。
これが人間社会のルール。
しかし、人には人間のルールや掟を犯してもやらなければならないことがある。
大人は選択肢をみずから狭めている。
子供の視野は広い。
子供の義賊が罪に問われるならば、何十倍もの名誉・共感を獲得するだろう。
  
このブログを見せていただいて暗闇のなかに一筋の光を感じた。
そして、その光明は、311が日本人に与えてくれたものだと思う。
義賊の子供たちの背中を押したのは、毎日繰り広げられる悲惨な現実だったと思う。
  
災害は発生主義。
発生してからが勝負だ。
いままでの経験則は役に立たない。
こだわりを捨て、生きることに集中できる人が生き残る。
その人の「価値観」が問われる。
  
311の悲劇は子供たちの背中を押した。
勇気を与えた。
押されたのは子供たちだけではない。
すべての日本人の背中を押した。
絶望の時代に悶々としている人たちの。
  
ボクは「子供の義賊」に学べと言いたい。