Hatena::ブログ(Diary)

辺境の偏屈屋の日記

2011-06-26 幸せの定義

地方、都市に住む問題

原子炉の定期定検は国のチェックを受けて、通常2〜3カ月で終了します。再稼動に対しての地元の了解は法律上必要とされていません。

しかし、電力会社としては、福島第一原発の事故が収束する気配もない状況下で、地元自治体の了承を得ずに運転再開することは難しいでしょう。

原発を停止する影響・地元の問題は、停止した原発の安全対策も大きな問題ですが、地元の経済へ波及する影響、その結果としての雇用への影響が無視できない問題となります。


浜岡原発の場合、原子炉建屋内には使用済み燃料を含めた燃料約9000体が残っているそうです。
御前崎市民約3万5千人の内、浜岡原発の仕事に携わっている方が、約1,200人で、中部電力とその協力会社で働いているといいます。
下請け企業などを含めると、何らかの形で原発にかかわる地元住民は3千人近くに上るそうです。

原発停止の問題は、地元に複雑な影を及ぼしています。地元経済がどうなってしまうか、先行きの雇用はどうなるだろうかと、地元の方の不安は募ります。

工夫を凝らして歳入増加を図る努力をさほどしなくても、原発の交付金により財政が支えられてきた街では、

本当に豊かな生活とは、
交付金による安定した生活、収入の計算が読みやすい原発のある生活なのか、

それとも限られた収入源ではありますが、原発のない、放射能被害のない地味な生活なのか。

幸せな生活とは何かを、再定義する必要があります。

原発をもたない街では、財政的に恵まれてきた原発立地の地域に対して、問題の共有がしにくい面があるかもしれません。
場合によっては、都市部に住む人達は、原発が立地する地域を冷ややかなまなざしで見ているかもしれません。

この問題は都市部に住む人達が、一刀両断に断ずるべき問題ではありません。
都市部の生活者は、犠牲を負うことなく安全な生活と電力による快適な生活を享受することが出来ました。
真の豊かさを定義するためには、原発のない都市部の生活者の負担と享受している便益と、原発を持つ地域や地方のの負担と享受する便益とを冷静に考えてみる必要があります。

都市部に住む方達の中には、過剰な税金を徴収され、自分の住む地域に使われずに、地方交付税となって、地方には活用できない大型施設などの無駄なハコモノや、車の少ない街に似合わない立派な道路や、橋や港湾施設が無駄に出来ているのではないかという疑問を持っている人も多いことでしょう。

それぞれが、再分配の仕方に疑問を抱いているのです。


これは、豊かさを求めてきた日本の社会が、真の豊かさとは何なのか、正面から向き合おうとしてこなかったことと相通ずる面があります。

住む場所によって、住民の負担と受ける便益は異なります。
個人の意志は自由なのだから、住む場所、職業は自由に選べます。嫌な地域ならば出て行けば良い。原発を支える人がいなくなれば、雇用水準は上昇して条件の良い仕事を求めて、他所から人が集まってくる。
市場競争と経済合理性に任せれば、一時的な齟齬はあっても、落ち着くところに収束していき、負担と受ける便益のバランスは、何処に住んでもそう変わらないようになると考えることもできます。

個人のレベルではそうかもしれません。
しかし、それで良いのだろうかと思います。
個人の与り知らぬこと、国に任せればよいこととする限り、国や官僚達に良いようにされ、国民不在の制度・政策が行われるようになります。


民主党が公約としていた農家への戸別補償は、ポピュリズムの最たるものでバラマキ政策であると思います。どうしてこんな政策を出してくるのか、そのセンスを疑いましたが、
戸別補償政策は、こうした地方と都市部の住民の負担と便益のバランスを考えてのことと思いますが、その前に必要なのはバラマキを行うことではなく、

原発のある地域に住むことと、原発のない地域に住むこと。
基地のある地域に住むことと、基地のない地域に住むこと。
経済的に豊かな都市部に住むことと、産業の不十分な地方に住むこと。

どの場合にも光と影があります。
また、都市部に住む人や地方にすむ人を一括りには出来ませんが、それぞれの要素は分析できます。

必要なことは、それぞれの光と影を明確にして、それぞれの住民に納得いくような再分配の仕組みを考えることです。
道州制などはその一つの方向性と思いますが、政治家の中でも議論が尽くされているとは思えません。
政治家は国民のことを思って議論を尽くして考えた政策だから、国民に周知徹底させる必要はないと、上から目線で政策の立案・施行を行ってきたのが従来のやり方です。

実際は、日本の国民のレベルは高いのですが、政治家や官僚が情報を握り、国民に知らせないために、情報格差が出来ていました。
一部の政治家や官僚は、その情報格差を利用して利権を拡大したり、私腹を肥やしてきたりしたのです。
その結果、個人間での経済格差が生じる場合がありますが、これは言ってみれば、違法なインサイダー取引に似たものです。

話が逸れましたが、要は、国民を巻き込んでの議論が必要だということです。



さて、交付金に関して、福島県はどうっだったのでしょうか。

交付金は周辺自治体に直接交付されるもの、県に交付されるものとを含め、福島県によると、各種交付金の平成21年度の総額は計約145億円だそうです。

このうち、県に交付された「電力移出県等交付金」は計62億円で、県は約52億円を公共事業に投じ、残る10億円は県内の全自治体に分配したそうです。

(「電力移出県等交付金」:立地県内の発電電力量が消費電力量の1.5 倍を越える場合に、2 つの電力量の差[「移出電力量」という]に応じて県に交付されるもの)

県が昭和49〜平成21年度までに受けた交付金の総額は、約2,700億円にもなるとのこと。

また、県には電力会社から「核燃料税」も入ります。
これは原子炉に挿入された核燃料の価格と重量に課税されるもので、15〜18年度では、計約103億円。
多くが県内の道路や橋、河川などの整備費のほか、福島空港の管理費、県立病院などの運営費、警察費など、県民全体のサービス向上に充てられたそうです。


原発が停止することで、こうした収入がなくなれば、限られた産業の地方都市にとって財政的に厳しいものになります。財政上の理由で、原発再開に賛同する自治体も既に出てきています。

国や電力会社は、表向きには地元に安全性を訴え、真摯に説明を尽くす風を装いながら、水面下では、交付金が入らなくなったら、オタクの街は破産するが、それでも良いのかなどという恫喝的な物言いがなされるような気がします。


私達は、原子爆弾の被爆をしたり、原子力発電の事故の被害を被ったりと、高い授業料を払いながら、
辛くて苦しい不況のなかで、魂の叫びに耳を塞ぎ、
個人や、国の豊かさ、幸せとは何かということに向き合うことなく、
子孫にシワ寄せを及ぼす形での経済の建て直しに躍起になるのでしょうか。