西部劇の魅力(5)

先日『大草原の小さな家』の時代について調べていたら、

ローラさんの1935年に出た原作本の一部の表記が、1950年の版では書き換えられているという事を、北山耕平氏の下記サイトを見て知りました。

北山氏は宝島の編集長や数々の雑誌に携わり、著作、翻訳等多彩な活動をされている方です。氏はアメリ先住民族の精神復興運動に尽力されたり、その他先住民族の造詣に深く、先住民の方々が受けている誤解や偏見に対して、事実の究明をされています。

Native Heart

北山氏が典拠されているのは、下記サイトです。


『American Indians in Children's Literature (AICL) 』


さて、北山氏のサイトから、そのまま引用します

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ローラ・インガルス・ワイルダーが「大草原の小さな家」の初版のある部分を十数年後に書き直していた背景になにがあったか、あるいは野蛮人は人間ではないという無意識に焼き込まれた保守思想
プエブロ・インディアン出身の教育者であるデビー・リース(Debbie Reese )さんは子どものために書かれた文学作品のなかに描かれているアメリカ・インディアンの研究をする先生でこのブログでも過去にも取りあげたことがあるが、そのリース先生が11月1日付のブログの記事「Edit(s) to 1935 edition of LITTLE HOUSE ON THE PRAIRIE?」(1935年版の「大草原の小さな家」に書き換え?)で興味深い指摘をしている。


それは1935年にアメリカで初版が刊行された『大草原の小さな家』(写真上左)という本についてだが、後に刊行された1950年版(写真上右)では挿絵が変更されただけでなくて、本文にも書き直されている部分があるというのだ。初版が出たあと、誰かが著者であるローラ・インガルス・ワイルダーに文章の変更を要求して受け入れられたらしい。


初版ではその個所は次のように記述されていた。

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そこでは野生の動物たちが、見渡すかぎりどこまでも続いている牧草地にでもいるかのように、自由に歩き回って餌を食んでいました。どちらを見ても人間はいません。その土地に暮らしていたのはインディアンだけだったのです。

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これが2版以降はこうなっている。

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そこでは野生の動物たちが、見渡すかぎりどこまでも続いている牧草地にでもいるかのように、自由に歩き回って餌を食んでいました。どちらを見ても入植者はいません。その土地に暮らしていたのはインディアンだけだったのです。

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英語では初版は「people」となっているところが、再版からは「settlers」に変更されている。settlers には「移住者、開拓者、入植者」という意味がある。この変更は、ある意味で重要だが、無意識のうちに焼きつけられている人種偏見をぬぐい去るに至ったかどうかは疑問が残る。なぜならその土地にはすでにネイティブの人たちが長く暮らしてきていたからだ。その個所でローラ・インガルス・ワイルダーが、インディアンとそれ以外の人を区別して書き表したかったのなら、ほんとうは「白人」「white people」とするべきだったかもしれない。

デビー先生は過去にも「大草原の小さな家」にはアメリカの保守とされる人たちの考え方が色濃く反映されていて、「アメリカ・インディアンを野蛮人として描く傾向があり、自分たち以外を野蛮人として、人間的に劣る存在として表現する」と指摘した。結局アメリカ人だけでなく、日本人も含めて、成長過程で保守思想を吹き込まれた人たちは、「どこかに劣った者たちがいなくてはならない」と考える差別にとりつかれているようだ。・・・・・

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書き換えられた箇所は、非常に興味深いところです。
初版と2版との表記の違いは僅かな部分ですが、大きな意味があると思います。

善良で誠実さの溢れる作中人物を配した作者の目からすると、当初は、ネイティブアメリカンは視界に入っていながら、人間にカウントされていなかったということでしょう。
恐らく、この物語を読んだり、後にTV番組を楽しみにしていたアメリカ人達は、とても健全な家庭を持ち、豊かで教育熱心な理想や道徳とかいった意識の高い方達が多かったのではないでしょうか。
ローラさんの作品が出版された時、常識的な健全なアメリカ人達は、この物語の記述に違和感を感じていなかったものと思います。

人間にカウントしないということは、つまり特別に認識するに足る存在ではなかったということではないかと思います。

入植者たちに対して私が西部劇で見たような荒々しく粗暴な態度をネイティブアメリカンが取っていたなら、人間にカウントしない、つまり特別に認識するに足る存在どころではなく、入植者たちにとって極めて大きな害をなす存在であり、何らかの特別な分類にカウントしていた筈だと思います。
それは、例えば、コヨーテや狼などの、人間に害をなす人間以外の特別な存在として、何らかの分類を行い、そこにカウントしていたと思います。

ただし、作者のローラさんは子供の頃だった感性を生かして書かれたのでしょうが、お母さんのキャロライン・インガルスさんは先住民族を嫌っていたようです。
それまでに先住民族と接した経験や、伝え聞く噂もあったでしょう、未開の文明を持った粗野な野蛮人と思っていたかもしれません。商店などで先住民を見かけたりした際に、良い印象を抱くことができなかったのでしょう。

私は原作本を読んでおらず、TVで放映された内容しか知りませんが、
ドラマでの父親のチャールズ・インガルスさんはネイティブアメリカン智慧を評価して、見かけや風俗だけで人を判断すべきでないと考えていたように思えます。
演じたマイケル・ランドン氏の、開拓民のような逞しく頼りがいがありながら、知的で爽やかな風貌が、とても素敵なお父さん像として印象に残っています。

この人は自分で家や小屋を作ったり、家畜の世話をしたり、家族の精神的な支えにもなったり。
しかも、机上で物を考えたり、内奥の本質を見抜かずに見かけで判断し嫌悪することはなかったようです。実際に見て、会って、話をして、その発言の内容が実際はどうなのか検証して、その内容を重視して、人間を判断していたのですね。文字にすると、何か小難しく理屈っぽい感じがしますが、このお父さんは、自ら、実際に泥まみれになりながら生活をして、人間としてすぐれた感性を持っていた人として描かれています。

初版の原作本からは、TVドラマは大分変えられているのでしょうが、
教育の場で、どういうことを教えなければいけないかということを、このお父さんの生きざまから、私達は学ぶことができると思います。