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Westminster日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-09-11 序章(9)選挙経験を求めボリス・ジョンソンのロンドン市長選対へ

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
 (1)キャピトルヒルからウェストミンスターへ
 (2)日本とイギリスの政治制度は似ているという誤解
 (3)政策転換の傾向は大きく異なる
 (4)情報収集とコネクションづくりは難航した
 (5)日本とのつながりを求めて英日議連へ
 (6)帰国が迫る中でのラストチャンス
 (7)卒業式まで待ったあいまいな内定
 (8)保守党本部の初日
 (9)選挙経験を求めボリス・ジョンソンのロンドン市長選対へ
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリス首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリス選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 2011年9月から保守党国際部での仕事が始まり、その後、10月には保守党調査部に場所を変えて仕事をしていた。前述のとおり、調査部での仕事については期限が設定されておらず、いつまで続けるかは、次に何をやれるかが決まってから考える、ということになっていた。党本部、選挙議員秘書という3つの希望のうち、二つ目、三つ目について、いつ、どのような仕事を、どうやって獲得するのか、それを常に考えながら、党本部で仕事をしていた。イギリスでの追加滞在期間は全部で1年間と決めていた。当初は2012年の年明けから2か月ほど議員秘書をやり、その上で、3月から2か月ほどは5月に行われるロンドン市長選挙選挙対策本部で経験を積みたいと考えていた。

 したがって、保守党本部での仕事が始まった直後から、党本部でお世話になっている職員の方々にも協力していただきながら、受け入れてくれる議員を探していた。特に国際部のBroom氏は、最初に私に機会を与えてくれた人でもあり非常によくしてくれたが、なかなかうまくいかなかった。保守党本部は当然のことながら、きわめて政治的な組織であり、明文化されている権限以上の大きな影響力がある一方で、それを行使することをあまり良しとしない。実質的に党首を支える組織として、党首と一体で見られる党本部が、個々の議員に対して大きな影響力を行使することは、党首であるキャメロン首相と個々の議員の関係にも影響を与えかねない。あくまでも最後は個々の議員の事情と理由により、判断がされる中で、私を受け入れてくれる議員を見つけることができずにいた。

 そうこうして、最初の4か月が経過して、2012年の年明けを迎えた。年初こそはひき続き議員秘書の機会を探していたが、このままでは、仮に議員秘書の機会を得ることができたとしても、開始するタイミングによっては、ロンドン市長選挙とのあいだで選択を迫られることになってしまう。私は方針を変えて、まずはロンドン市長選挙の選対本部での経験を優先することとした。保守党本部でロンドン市長選挙の選対本部を担当している方を紹介していただき、すぐに面接をしていただいた。私の調査部での経験もあり、彼としては喜んで参加してもらいたいとのことだった。ただ、後に詳述するが、実際の選挙対策本部の運営そのものは外部のキャンペーン会社に外部委託されており、私を受け入れてくれるかどうかは、その選挙対策本部で一緒に働く方との面接に委ねられるとのことだった。メールで先方に紹介してもらい、私の経験や動機などを説明しつつ、インタビューを求めた。先方から、私の調査部での仕事のサンプルをリクエストされ、これを送付したもののここにも落とし穴があった。インタビュー設定のためのメールのやり取りはGメールでやっていたものの、私の調査部での仕事のサンプルは守秘義務観点からも保守党のメールアカウントで送付したのだが、それが何かの理由で送信エラーとなり、それにお互い気づかぬまま二日ほど経った。再度、ロンドン市長選挙の選対本部の方に連絡を取り事情を伝えて、仕事のサンプルも改めて送付をして、ぜひイギリスを出発する前に面接をしていただきたいとお願いをした。そして、翌日午前中のインタビューの快諾をいただいた。

 翌日の朝、三月から二か月強を過ごすこととなる選挙対策本部の入ったオフィスに向かった。選挙対策本部は保守党本部から少し離れていて、ロンドンの観光地で有名なピカデリー・サーカス駅のすぐ近くにあった。サヴィル・ロウという、大通りからは一本裏側に入った、高級スーツの仕立て屋が数多く店を構えている通りにある。一説によると、日本語の「背広」というのは、このサヴィル・ロウがなまって「せびろ」と伝えられ、それに当て字をされて「背広」となったということのようだ。ビルの二階にあるそのオフィスは、日本の小学校の教室1.5個分ほどの割と広い部屋があり、その奥に、いくつかの小部屋とキッチンなどがあった。二か月後には選挙直前の活動で、動き回りづらくなるほどの人と熱気に満ちるそのオフィスも、その時はまだガランとしていて、数名のスタッフが、食べ物のゴミなども散乱した合宿所状態で仕事をしているだけであった。

 選対本部での面接は非常にあっさりとしたものだった。私の調査部での仕事のサンプルを見て、受け入れてくれることに、ほぼ決めていたようだった。ごく一般的な、なぜやりたいのか、どんなことをやりたいのか、これまでどんな経験をしてきたのかについて聞かれた後、すぐに、いつから働けるかという話になった。その後、党本部調査部の方と調査部での最終日を決めて、選挙対策本部では3月5日から働くことが決まった。