序章(10)議員秘書の経験を求め再び手紙大作戦へ

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
 (1)キャピトルヒルからウェストミンスターへ
 (2)日本とイギリスの政治制度は似ているという誤解
 (3)政策転換の傾向は大きく異なる
 (4)情報収集とコネクションづくりは難航した
 (5)日本とのつながりを求めて英日議連へ
 (6)帰国が迫る中でのラストチャンス
 (7)卒業式まで待ったあいまいな内定
 (8)保守党本部の初日
 (9)選挙経験を求めボリス・ジョンソンのロンドン市長選対へ
 (10)議員秘書の経験を求め再び手紙大作戦へ
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 ロンドン市長選挙の選対本部でのポジションを得たことで安堵したのもつかの間、二か月後にはまた同じ立場に戻ってしまう。自宅アパートの解約の通知期限などもあり、選対本部での仕事が残り1ヶ月になる頃までに、議員インターンが決まっていなかったら、諦めようと思っていた。結果的には、いつも通りその期限設定のぎりぎりまで何も決まらず、アパートの解約をどこまで遅らせることができるか、会社への復職を特に理由もなくどこまで遅らせることができるか、と思案することになるのだが…。

 一般的に、職探しに限らず何かを選択する考え方としては、ストラテジック(戦略的)な考え方と、オポチュニスティック(機会的)な考え方の二つがある。どの議員の事務所で仕事をできれば自分にとっての学びが大きいか、というストラテジックな側面が一つ目だ。一方で、ストラテジックな側面にこだわるがあまり、結果的に希望していた経験ができなければ、何を目標としても絵に描いた餅であり、現実的にありうるオプションから考える、というオポチュニスティックな側面が二つ目だ。企業の買収戦略でも、基本的にはこの両面から考える。自社の強みや弱みを考慮した上でどういった企業を買収すると、もっとも自社の企業価値が高まる可能性があるかというのが、ストラテジックな観点だ。一方で、現在もしくは近い将来、売却される可能性のある企業や事業の中から、実際に買収するターゲットを絞り込んでいくのが、オポチュニスティックな観点だ。どちらの観点から考えるべきかという問ではなく、両方考える必要があるのは、仕事探しでも、企業買収でも同じ事である。

 私が望んでいたような数か月だけの経験など、通常の採用活動の中では想定しておらず、したがって、表面的に「ありうるかどうか」を測ることはことは難しく、「聞いてみないとい分からない」というのが正直なところだった。その意味では、この段階では、オポチュニスティックな観点からからの選択はほとんどなく、300名以上いる保守党の下院議員の中から、ストラテジックに「どういった議員の事務所でインターンをしたいか」を考え、何十人もの議員に手紙を書いて、その中でたまたま良いタイミングで人を探している事務所を見つける幸運に、恵まれる必要があった。作業としても気の遠くなる作業であるが、実現可能性を考えても気が遠くなる作業であった。ただ、自分に残された可能性はもはやそれしか無かったため、否応なくそれにかけることにした。

 そこで、ストラテジックに「どのような議員の事務所でインターンをしたいか」を考えることにした。私が議員秘書という立場からイギリス政治を見たいと考えた際の、基本的な問いはやはり、「政府と与党議員の関係はどのようなものか」ということであった。日本において、内閣・政府と与党議員の間の、一筋縄ではいかない関係性と、それゆえの首相の指導力の低下ということが、意識の中にあったからだ。その上で、公開情報で判断できる基準として、3つの基準を設定して、手紙を送る議員を絞り込むことにした。一つ目が政府「外」の保守党議員であること、二つ目が過去の議会の採決で政府に対する造反行動があること、三つ目が統治機構にかかわる委員会の委員であることである。

 議員秘書という経験を考えた際、最初はミーハー心から単純に、政権内にいる議員(フロントベンチャーと呼ばれる)の事務所が良いと思った。しかしよく考えると、私の目的からはあまり望ましくはないのではないかと思い始めた。イギリスの議員はいったん政府の役職を得てしまうと、基本的には政府の中にいる時間が長く、政府・議会の中でのもろもろの政治的な活動も、基本的にはスペシャル・アドバイザーと呼ばれる、政治任用で政府の中で政治的な役割を担う役職の方々が扱うこととなる。その結果、議員事務所と議員本人の接点は薄くなり、政府・議会内政治からは遠くなってしまう。政府と与党議員の関係を、政府にポジションのある議員の秘書という立場から見ることは難しく、むしろ、政府にポジションのない議員(バックベンチャーと呼ばれる)の秘書という立場から見ることの方が現実的だった。

 次に、そうした議員の中でも、政府と非常に考え方が近く政府に対して何らかの影響力を及ぼす必要があまりない議員よりも、そうではない議員の方が、私の知りたいと思っていた政府と与党議員の関係を知る機会が多いと考えた。2016年に国民投票Brexitが採択されたことにもつながるが、私が保守党本部で仕事をしていた2011年、EU離脱の国民投票をするべきか否かを問う動議が議会に提出された。これは、EUに対する国民的な反感が強まる中で、EU離脱を志向する有権者が10万人以上の有権者の同意を集めて陳情を行ったことに対して、議会の庶民院はこれを討議する検討を義務付けられていることによるものだった。動議の採決そのものについては、保守党だけではなく、野党である労働党も反対の姿勢だったため、否決されることが確実視されていた中で、保守党からどの程度の造反議員がでるかということに焦点が集まっていた。キャメロン首相の求心力や、欧州懐疑派議員の数やそれを支える市民運動の高まりの度合いを示すものとして、みられていたからだ。結果的には、保守党307名の庶民院議員のうち、実に81名もの大量の造反議員が生じた。この際の造反議員のリストを参考とした。

 最後に、議員が議会で所属している委員会の内容が、イギリスの統治機構にかかわるものか否かを選択基準の一つに加えた。もちろん、その議員が所属している委員会の議論の内容をその時点だけでもすべてフォローすることはできないであろうし、たった数か月の経験の中では、カバーできる内容はいずれにしても包括的なこととはならない。ただ、そのような経験をきっかけに議員と統治機構に関する議論もでればと思っていた。また、そのような委員会に所属している議員であれば、私がその議員の事務所で仕事をしたいという理由も明確に伝えることができる。私は庶民院の委員会のリストを見ながら、具体的にどの委員会をその対象とするか決めた。

 こうした三つの選択基準から手紙を送る議員を40名弱に絞り、ロンドン市長選挙の選対本部での仕事が始まった直後は、仕事から帰ってくると議員に手紙を書く日々が続いた。空きがあることが絶対条件であるにもかかわらず、空きがあるかどうかが分からないまま、こうした活動をしていることそのものは、党本部での経験を積む前と同じ状況であった。だが今回は、イギリスでは保守系の政治エリートの登竜門と呼ばれる保守党本部調査部での経験もあり、次の保守党党首候補とも呼ばれていたボリス・ジョンソン氏の選挙対策本部でも活動をしている。わずかな希望とともに手紙を送り続けた。手紙を送り続けた一か月ほどは、丁寧に「空きがない」と連絡してくれる返事を除いて、一切返事もない。三月も終わりに近づき、そろそろアパートの解約通知のタイミングを考え始めねばならないタイミングとなってきていた。そんな時、ジェイコブ・リース・モグ庶民院議員の秘書から、彼の議会事務所で空きが出るかもしれないので面接をしたい、とのメールを受け取った。議会の休会の関係で面接は4月16日に設定された。その他には私の送った手紙へのポジティブな返信はなかった。ロンドン市長選挙が5月3日に投開票されるため、選対本部での仕事が残り1ヶ月を切っていることになり、さらにあと数か月イギリスに残って議員秘書をやるためには、これが最後のチャンスだった。

 リース・モグ議員は前述の私の三つの基準に照らしてぴったりの議員であった。彼は政府にポジションのない一期目の議員であり、将来的にもあまり政府の仕事には興味がないのか、EU問題も含めてわりと頻繁に造反をしていた。さらに、庶民院の委員会であるProcedure Committeeという、議会の様々な手続き・ルールを見直すための委員会の委員をしていて、日本の国会とイギリスの議会の国会・議会運営上の違いを実地で知る機会、インフォーマルな場で彼の考えを知る機会もあった。なおかつ、彼の名前を聞けば保守党サポーターの誰もが「彼ならおもしろいに違いない」と言うような、やや変わった議員だった。

 数日前から選対本部の方にお願いして数時間の休みをいただいて、議会のカフェでリース・モグ議員に面接をしていただいた。議会の中にはセントラル・ロビーと呼ばれる広場が、庶民院貴族院の二つの議場の間にあるのだが、そこで彼と待ち合わせをすることとなった。当日は議会に訪れる人がいつもよりも多く、セキュリティを通過するために予想以上に時間がかかり、時間ぎりぎりでセントラル・ロビーに到着した。すぐには彼を見つけることができず、そこで待っていると、彼から携帯に電話があり、無事に落ち合うことができた。面接はいたってシンプルなものだった。特に難しい質問は何もなく、ストレートに私がなぜ彼の事務所で働きたいのかを聞かれ、また、日本のことをたくさん聞かれた。正直、日本について彼がここまで興味を持ってくれているとは思っていなかったので驚いた。後になって知ったのだが、彼は香港を拠点として資産運用会社で働いていた時に、日本も投資対象に含まれるファンドの運用を行っていたことがあり、そのため、日本経済についてもかなりの知識を持っていたのだった。彼はその場で、ロンドン市長選挙の後に私を彼の議会事務所で受け入れてくれることを約束してくれた。とても長い時間がかかったが、結果的にはイギリスに滞在した二年間のうち、残り三か月となったところで、ようやく、私が経験できる仕事の全貌が固まった。


(http://www.parliament.uk/)

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。