EPISODE 4 入院

息子のお宮参りの後も食事制限と夜のウォーキングを続けた。
そして、2週間以上経ち、いよいよ入院の日が来た。
入院前は、絶対安静にされたり経管栄養等のチューブだらけにされるのではと、
ちょっぴり不安を感じていた。
また、家のカミさんが1人で子供2人を面倒見れるかという心配もあった。
しかし、入院しなくちゃいけないんじゃあ行くしかなかった。
その日は、カミさんと娘の朝飯を作っておいてから1人で出掛けた。
家から甲府駅までは歩いて移動して、駅からは病院の最寄駅である常永駅まで電車、
その後は梨大付属病院まで歩いて移動した。
病院についてから手続きを済まし直に病棟に通された。
病棟に入ってみると殆どの看護婦さんが若いのに気が付いた、
うちの職場の看護婦さんの大半がオバさんなのと比べたら、エライ違いだった。
 …もしかして、俺って何気に失礼な事、書いてたりして…、
入院の説明に来てくれた看護婦に至っては、まだ1年目の娘だった。
その説明のときにわかったのだが、
俺は、やはりDM(糖尿病)と診断されていた。
また、この入院は、教育入院(検査有り)である事、
そして、そのカリキュラム等が説明された。
入院のカリキュラムの中には、
検査、ビデオや講義による糖尿病学習、
そしてカロリー計算などが有った。
また、病院の敷地内に限って、
ウォーキングする事を許された。
1通りの説明を受けた後、
体重測定をしてもらった。
この時の体重が79kg、遂に70kg代に突入した。
そうしている内に昼食の時間になった。
そこで、俺の制限カロリー(入院中)が判った。
2000kcal(25単位)と思ったよりも高かった。
俺の予想では、1600〜1800kcalだった。
この日は、特に組まれた予定が無かったので、
外で1時間ほどウォーキングした後、
何所に何があるのかを把握する為に、
院内を歩き回った。

入院してから数日が経ち、糖尿病教育も次第に進んでいき、
糖尿病食事療法のための食品交換表第6版を基にしたカロリ−計算等が、
出来るようになっていった。
また、糖尿病食が決して特殊な食事ではない事も判った。
要は、バランスなのだ。
因みに、糖尿病食の栄養バランスは、
 糖質: 50%以上
 蛋白質:15〜18%
 脂質: 20〜25%
以外にも糖質(炭水化物)の割合が高かった。
現在は、入院時と比べ大幅にカロリーUPをしているが、
栄養バランスは変えていない。
それから俺の場合、症状が非常に軽い為か、
インシュリン注射や内服薬等の薬物療法の必要が無かった為、
そちらの方の指導は行われなかった。

入院生活にも慣れた頃、
自宅では子供の世話に追われて、
中々はかどらなかった介護福祉士筆記試験(第17回)の試験勉強を再開した。
「怪我の功名」とはこの事か?
勉強が急ピッチで進んだ。
それから、糖尿病教育も試験科目の「医学一般」と重複していたので、
物凄く役に立った。
「死中に活あり」という言葉の通り、
入院という逆境をチャンスに変える事が出来た。
おかげで、前回(第17回)の試験は実技で不合格になったものの、
筆記試験は合格した。
そして、その時の勉強が今回(第18回)の試験にも活かされ、
再び筆記試験が合格した。
尚、実技試験は結果待ちである。
今考えるとこの入院生活が無かったら、
筆記試験が、2度も合格する事が無かったと思う。

入院中は、どういう訳か職場からは面会が来なかったが、
地元の友人2人と身内の何人かが、お見舞いに来てくれた。
特に、俺のお袋が来てくれたときは、
俺が、私生活でも不満やストレスを感じている事を見抜いていたようで、
話すように促されたので、殆ど洗い浚いブチ撒けてしまった。
カミさんは専業主婦なのに、
夜中に「ミルク作ってきて!」とばかりにたたき起こされ、
朝飯は自分で用意させられ、
挙句の果てには「あんた何もしないんだから」などと言われて、
不満やストレスを感じないわけが無い!
しかし、今は子供の為に耐えるしかない!
さすがに、オフクロもこれには腹が立ったようだ!
後でカミさんは、かなり怒られたらしい!
話を戻そう。
その日、オフクロはオヤジから預かったといって、
3万円ほど置いていってくれた。
後日、外出が許されたときに、その金の一部で、
ヘルスカウンター「ウォーキングスタイル」オムロン HJ-113と、
オムロン 体重体組成計 HBF-306を購入した。
これで、大雑把ながらも基礎代謝と消費カロリーを割り出す事が可能になった。
このときは、自分の情けなさを感じつつも、親に感謝した。
オムロン ヘルスカウンタ ウォーキングスタイル HJ-113 「楽天シニア市場」
体脂肪計【オムロン】HBF-306

入院生活もそろそろ終盤!!
その頃になると講習の方はほぼ終了しており、1日の殆どが自由な時間になっていた。
また血糖値の測定もしなくなり、何時には病室にいなければいけないという事もなくなっていたので、
好きな時間にウォーキング等が出来るようになっていた。
ただ、ウォーキングする時はブドウ糖を持ち歩く事を薦められていた。
この頃は、「インシュリンや内服をやってる訳じゃ無いのに、なんでだろう?」と思ったが、
俺の場合、少し無理して運動してしまう傾向が有る為だということを、
後で、担当の看護婦さんに指摘されてされた。
つまり、消費カロリーが摂取カロリーを大幅に上回ってしまう為に低血糖を引起しかねない状態だったようだ。
そして、そうこうしている内に、退院に向けた外泊(一時帰宅)の日がやってきた。
帰るや否や、
俺が以前に、私生活の愚痴をオフクロにこぼした事で、
自分が責められたということが元で、カミさんとモメた!
カミさんの行ってた事には、正直、納得いかなかったが、
犬も喰わないような夫婦喧嘩を子供に喰わせるような真似はしたくなかったので、
出来る限りの我慢をしつつ、カミさんの言葉を受け流していた。
今でも、子供が居なけりゃ離婚したいと思う事は時々有る。
そのことは、これ以上書くとみっともないので、ここまでにしておこう。
外泊中の食事は、
その前の日当たりに、栄養士さんから最終的な栄養指導を受けており、
外泊中の食事をカロリー計算して、その計算表を提出するという宿題を出されていたので、
それに基づいた食事をしたつもりだったが、
計算をしてみたら、少々抑え過ぎてしまっていた。
次の日は、オフクロと上の妹が来る事になっていたので、
昼前に上の子を連れて迎えに行き、その後、一緒に買物をした(買物をしてもらった)。
因みに、カミさんは調子が悪いという事で、寝込んで(フテ寝)いた。
家に着いて食事をした後、子供達と遊んでもらって夕方頃まで一緒に居た。
そして、オフクロと上の妹が帰る時、俺も一緒に病院へ戻った。
病院に戻った次の日の朝、担当の先生から明後日あたりに退院と告げられた。
そろそろかなとも思っていたが、余りにも突然だったので、
正直、驚いた!
最初は、入院なんてしたくないと思っていたが、
いざ入院してみたら、安静度フリーという事もあり、
以外にも快適だった。
いま、俺が思う事は、
この入院生活は、自分自身にとって、
非常に大きなターニングポイントであったという事だ。
確かに、DM(糖尿病)は、完治することの無い怖い病気だ。
非常に大きな逆境だと思う。
しかし、この入院生活で自己管理の仕方次第で、
病状を改善できる事を知った。
だから、俺は「病気と戦う」のではなく「病気と上手く付き合っていく」という考えで、
ライフスタイルの見直しが出来たので、良いチャンスだったと思っている。
事実、退院する時に担当の看護婦さんが、
「この調子で健康管理が出来れば、DMで入院という事は、二度と無い筈です。」と言っていた。
勿論、入院費という高い授業料を払う事となったのは、言うまでも無いが…
また、健康管理やライフサイクル以外にも色々な面で、
自分自身を見直すきっかけになった。
以前にも書いたことがあるが、今年の介護福祉士国家試験合格も、
この入院が無ければ、成し得なかっただろう。
因みに昨年は、筆記試験だけが合格した。
このブログを書くきっかけになった事や、
「人生の巻き返し」や自己啓発等の意識改革を始める気になったのも
元はと言えば、やはり自分がDMになってしまった事が始まりだ。
これからも、この病気とは上手く付き合って行こうと思う。