いやはや

相手のことを嫌うのは自由だし、人格や落ち度を責めるのも別にかまわない。が、その際に自分の落ち度や自分がかけた迷惑を棚にあげて、あげ足取りに終始するのは違うだろう。
少なくとも表面上は落ち度を認めたほうがいいと思われるのだが。だいたい相手が怒ったらダメージが大きいのは自分のほうなのに。

雑感

自分のことをほめているツイートをRTする場合は、基本的に公式RTを使いTL上に他者のアイコンを表示することで、フォロワーに誉められ感をアピール。
他人のツイートからおもしろい話、情報を引っ張ってくる時には非公式RTを使いTL上に自分のアイコンを表示。人間というのは安易にできているもので書いてあることは表示されているアイコンの所有者の発言であるという風に錯覚してしまいがち。結果、フォロワーに「あの人はなんでも知っていて凄いな。」という印象を与えることに。
恐ろしく巧妙なRT術ですな。実際、こういう風にRTを使いわけることでフォロワーに印象操作をしているプロの方はいらっしゃるわけで。
プロだから宣伝・営業活動をして何が悪いといわれたらそれまでなんですが、いいか悪いかおいといて、そのいやらしさに自分は呆然と立ちすくんでしまうのです。
自分の知ってることだと場の流れ関係なく知識をひけらかし会話に参加してくるのに、自分の知識の不備や記憶の誤りを指摘されると完全スルー。けっこう気づかれてるような気がするのですが、本人はうまくやってるつもりなんでしょうね。プロだから博識なキャラを守らなければいけない、というのかも知れないけど、すんなりお礼言ってしまうほうがいいのでは。
まあ、どうでもいい話ですね。

PUNK 雑談

SEX GANG CHILDREN のアンディ・セックスギャングは、顔の黒子から毛が生えてるので有名なJohnny mopedのファンだったらしい。かってPanic Buttonってバンドやってたとのこと。個人的にはなんとなく納得がいく話ではあるが、ほんとどうでもいい。
速い曲での、意味不明な叫び声を入れるときの入れかたが似てる気がする。

景山民夫「私は如何にして幸福の科学の正会員となったか」(太田出版

「俺にとっての民夫はフルハム三浦だけだぜ!」
、というわけで、景山民夫のこうした側面には目を向けないようにしていたのだが、 「あら、こんな本がお家に一冊あったら素敵じゃない?」という出来心、要するにネタとして買ってしまったのだが、ほんとに悲しくてツラくなる一冊だ。 嬉々として信仰を語ったり、無理解な世間に対する怒りをぶちまける民夫くんの姿は、飄々としながらも熱い感じで、ある意味ではまったく変わってないのだけど、その変わってなさがより悲しくなってくるというか。
あの景山民夫が、こんな子供騙しのイタコごっこバブル宗教(お前のような龍馬がいるかっ!)にハマるなんて、誰も考えもつかなかったしなぁ…。蛭児神建の「出家日記」を読んだときの「なんだかなぁ」という気分を想い出して何ともいえない感じ。 苦しみの中で救いを求める人の中には、他の何か(嫁だったり、宗教だったり、宗教やってる嫁だったり)を取り込むことで生き方を変えて救われようとする人がいるのだが、そんなことやったって、その人の根本の部分も、抱えている問題にしても結局のところ何一つ変わったりするわけもない。新しい生き方との間に産まれた新しい歪みがよけに痛々しく感じられるのは、ほんとにイヤな話ですな。
 こんな時は吉祥寺の「生郎」の半時間煮込まれた細めんを喉に詰まらせてみたくなりますね。