日曜日の食卓で

とりとめなのない話が書かれていると思います

白旗あげて

久しぶりに家にいる土曜日。身体がだるくてたまらない。ここ二三週間の疲れが一気に出てきたようにも思える。昨晩は送別会で、酒に弱くなった事も実感させられた。
いま部屋の中には洗濯物があふれ、洗っていない食器群が小さな流しを充たしている。だのに何も手に付けられない。ため息のようにしか息を吐けない。
とりあえず珈琲を飲みつつ、事態の進展を見守るぐらいしかやりようがない。おれが見守っていては事態は進展しないのだが。
こういう時には小説でも読むしかないのかも知れない。さっききまぐれに昔読んだ小林信彦の「世界でいちばん熱い島」を読んでみたのだが、以前読んだ時とは異なる感触を得た。安心して読書出来る気分でいたなら、読み進めていたかも知れないが。

冬が来たのだ

ヒムズ・オブ・ザ・フォーティーナインス・パラレル

ヒムズ・オブ・ザ・フォーティーナインス・パラレル

昨日ぐらいから、根雪になりそうな雪が降り始めている。朝になって晴れれば、また溶けちゃうかも知れないのだけど、それでも昨日見た雪には「もう冬だな」と思わせるものがあった。何と云うか、もう判を押すしかない決裁書類を見たような気分だ。
裏庭に積んであった薪をストーブにくべるが如く、このCDをプレーヤーのトレイに載せる季節がやって来た訳だ。
1曲目"After the Gorld Rush"のベースが鳴りだすと、薪ストーブを前にしたような暗い暖かさと、終ったものたち、過ぎ去ったものたちへの回想が部屋を充たしはじめる。アコースティックでシンプルなアレンジ、k.d.ラングの深い声は、降り積もった雪の優しさで、スピーカーの前のおれを包みこむ。音の良さはやはりノンサッチというレーベルによるものか。忘れるしかないようなものを思い出させる優れた歌曲は、みなカナダ出身のアーティストによるもので、個人的にはレナード・コーエンの"Hallelujah""Bird on a Wire"、そしてニール・ヤング"After the Gold Rush""Helpless"が良い。
冬が終るまで、何度かまた聴く事になるだろう。

晶文社の話

*「http://d.hatena.ne.jp/solar/20051116/p1
特別深いつきあいのある出版社ではないので思い入れはないのだが、おれにとっての晶文社には独特の匂いがあって、若い頃には、あの犀のマークを見ると、ちょっと敬遠していた。
今思うと、晶文社におれはある種のスノビズムを嗅ぎ取っていたのだろう。当時のおれのテリトリーで表現すると「68/71黒色テント的な匂い」とでも云おうか。テント芝居をやってんのに主役級の役者はホテルに泊まる、みたいな(今となっては、それが何故いけないのかさえ、失われた気がする。おれにも社会にも)。クラシック音楽の環境に身を置きながら、民俗音楽や歌謡曲に肩入れするようなスノビズム。そういや水牛楽団っていうのもあったな、聴いた事ないけど。ある意味階級的差異を感じとっていたのかも知れない。
それでも手持ちの何冊かの本には、あの犀のマークが背表紙を飾っている。坪内祐三「雑読系」小谷野敦「軟弱者の言い分」イタロ・カルヴィーノ「魔法の庭田口ランディ「できればムカつかずに生きたい」山形浩生「新教養主義宣言」などなど。そして小林信彦「東京のロビンソン・クルーソー」。
ご存知のように出版社と云うのは、その社長や編集者の嗜好がそのまま商品に体現されるものだ。個性的な出版社というのは「馬から落馬」と云うようなもので、濃淡はともかくもその個性なくしては出版社と言うことは出来まい。


今更云う話でもないが、ご冥福をお祈りしたい。それと、今回はじめて晶文社出版が設立した意味を知る事が出来た。