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広原盛明のつれづれ日記

2018-10-15

番外編、神戸市職労幹部は即刻総辞職すべきだ、腐敗幹部を一掃しない限り労働組合に未来はない、身辺雑話(6)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その129)

06:55

 このところ、神戸市市役所一家体制の土台となってきた市職労幹部のヤミ専従問題が次々と暴露され、果てしない泥沼状態に陥っている。9月末には、地方公務員法で認められている組合専従期間の上限7年を超えて専従を市から許可されていた役員が過去に10人(市職労6人、市従労4人)もいたことが明らかになった。うち最長期間専従者は20年、退職金も7年間を除いて減額されずに支給されたというのだから、まさに「労働貴族」ばりの特権待遇ではないか(神戸新聞2018年9月27日)。

神戸市における労使慣行の問題は「労使協調の弊害」といったレベルをはるかに超え、もはや「労使癒着による腐敗」の域に達していると言える。その中心人物と目されるのが 2000年11月(笹山市政第3期)から2017年3月(矢田市政3期+久元市政1期)まで17年間近くにわたって市職労委員長を務めた大森光則氏である。大森氏は、委員長就任前の本部役員や書記長などの時期を加えると上記の最長期間専従者に該当する可能性が大きく、市職労の中では「泣く子も黙るボス」だったという。

大森氏は退任後も市職労顧問となって事実上の院政を敷き(現委員長はパシリ的存在だと言われている)、かつ新設された共助組合(市職員互助組織)調査役に就任した。共助組合(事務局厚生課)は、大森氏の就任に伴い市役所3号館5階の事務局とは別に同館9階に市から無償で借りる形で前例のない調査役の個室まで設ける始末。共助組合はこの個室問題が明るみに出た時点で、「業務内容からみて個室の必要が認められない」として使用取りやめを決定したが、市幹部の一人は「個室は市職労顧問への便宜供与の色合いが強い。使用取りやめにヤミ専従問題が影響しているのは間違いない」とみている(神戸新聞2018年10月11日)。

私が今回のヤミ専従問題の中心人物として大森氏を挙げる理由は、以下の通りである。第1に、大森氏は1989年市長選における笹山陣営の選対として活躍し、阪神・淡路大震災後の1997年市長選では、笹山市長3選のために20数万人の直接請求署名を集めた神戸空港建設反対の市民運動に対して公然と敵対した当局側の人間なのである。以来、大森氏は笹山市政を支える「影の側近」の1員となり、市幹部からは一目も二目も置かれる存在になった。大森氏は次のように言う(神戸市職員労働組合執行委員長、大森光則、『神戸市都市経営は間違っていたのか』、神戸新聞総合出版センター、66〜67頁、2001年)。

「1997年の秋に震災後はじめての市長選挙が行われた。この選挙では、神戸の復興と被災者の公的支援をどのように実現するかということが大きな争点となった。(略)この市長選挙で市職労は笹山市長の推薦を決定し、その当選に向けて全力を挙げて戦った。この市職労のとった態度について、少なくない市民や運動団体から批判をいただいた。また、職員の中からも市職労が笹山市長を推薦したことについて『職員と市民に背を向ける』という批判が行われた。そして市長選が激しくなるのにつれて、多くの組合員から『市職労の団結』を願う声が寄せられるようになり、市職労として一人ひとり組合員の声や感情を大切にし、何よりも『1万組合員の団結』を守っていくことを改めて機関紙で明らかにしてきたところであった」

これまで自治体労働組合の行動原則は、「市民の幸せなくして公務労働者の幸せはない」というものだった。だが、ここではそれがいつの間にか「市民の幸せよりも組合員の声が大切、組合の団結が大切」にすり替わっている。つまり、市民の要求や幸せを第一義に考えるのではなく、組合員の利益を守ることが大切なのであり、そのためには市長の手足となり「団結」することが市職労の使命だというのである。まさに市役所一家体制を支える市職労の面目躍如と言うところだろう。

ところが、組合員の声を聞き、組合の団結を大切にすることが神戸市職労の原則であるかというと、必ずしもそうでないところが曲者なのである。震災後、インフラ偏重の復興計画によって未曽有の財政危機に直面した矢田市政は、新たに職員3000人の大リストラに乗りだした。それまでの人員削減と合わせると、なんと職員7000人(全体の3分の1)の大リストラを断行する計画だ。そして、その時の掛け替えのないパートナーに起用されたのが大森氏ら市職労幹部だったのである。矢田市長は、退職後に上梓した自叙伝の中で次のように語っている(矢田立郎、『道を切り拓く』、神戸新聞総合出版センター、54頁、2015年)。

労使交渉であるが、市職(神戸市職員労働組合)、市従(神戸従業員労働組合)両組合と支部をベースにして諸課題に議論を交わし、政策面においても先の数年等を見据えた業務のあり方を意見交換し、あるべき方向に収斂することができた。神戸市政の進むべき方向で不一致を見ることなく、大局を見据えた解決策を探って合意していく道筋をお互いにつけ得たことは成果と言える。この間、現・市職委員長で当時、支部役員から本部役員になった大森光則氏、また市職民生支部長であった大西清氏の組織を束ねる妙とその手腕から、お互いの人間と人間の信頼関係が築かれた。のちに私の市長在任時、大胆な行財政改革を断行しなければならなかったが、阪神・淡路大震災後の市政を揺るがせてはならないとして、市労連(神戸市労働組合連合会)の中核として支えてもらえた」

ここでの大森氏の役割は、当局の大リストラ計画を執行する「労務役員」のそれであり、組合員の声や要求に基づいて当局と交渉する「労働組合役員」の立場ではない。大森氏は、市当局と市民が対立する時は「組合の団結」を掲げて組合員を当局側に引き寄せ、当局と組合員が対立する時は「大局を見据えた解決策」を掲げて組合員を切って当局に協力してきたのである。だからこそ、大森氏は市長との人間的信頼関係の下でヤミ専従を当然のこととし、当局はそれを容認して市職労幹部を思うがままに利用することができたのだといえよう。

だが、権力に奉仕する連中が権力から棄てられる時がいずれはやってくる。神戸市の場合で言えば、矢田市政のもとでの行財政改革が終わり、久元市政のもとで新たな一歩を踏み出さなければならない現在がそうであろう。この段階になると、大森氏のような存在は利用価値がなくなり、却って足手まといになる。これまでの労使癒着関係を引きずった市長では腐敗幹部を切ることは難しいが、天下り人事で呼んできた国の官僚市長の場合は必ずしも不可能ではない。久元市政第2期目ではじまったヤミ専従問題の摘発は、大森氏など腐敗幹部の一掃なしには終わらないだろう。

市職労幹部は即刻総辞職しなければならない。そうしなければ、久守市長によって腐敗幹部が一掃されても組合は立ちあがれないだろう。腐敗幹部に操られてきたことの総括もできないような市職労には未来がないし、新執行部の選出も困難だからである。市職労の再生がなければ、当局の専制体制が強化されるだけだ。本来の労使関係を取り戻すことこそが神戸市の再生につながるし、市職員の意識改革の切っ掛けになる。いまこそ、神戸市職員は目覚める時なのである。(つづく)

さ水垂れさ水垂れ 2018/10/16 21:06 > いまこそ、神戸市職員は目覚める時なのである

であるのは、もちろん、職員を都合よく使っていた連中についても、追及の手を緩めないでもらいたものである。走狗であったのは、使う人たちがいたからだろう。「需要」が無ければ「供給」しても「売れない」。労働組合員でなくても、「雲の上」の「高級・キャリア」官僚でも、都合よく使い倒されているのは、しょっちゅうである。

腐敗の全容を明らかにして、どちら側の首謀者も取り逃がさないようにしてもらいたいものだ。

倉橋一博倉橋一博 2018/10/19 07:44 【申し訳ありません。コメントではありません】
東京都目黒区のコミュニティ施策を調べています。その件で、差し支えなければ広原先生のご連絡先を教えていただけませんでしょうか。よろしくお願いいたします。

hiroharabloghiroharablog 2018/10/19 17:08 倉橋さん。私のメールアドレスは以下の通りです。hirohara@skyblue.ocn.ne.jp

2018-10-06

番外編、市役所一家体制の基盤となった労使協調路線、身辺雑話(5)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その128)

06:49

 市議会でヤミ専従問題を追及された市行財政局長は、その温床に「阪神・淡路大震災以降の労使協調路線があり、震災後、労使協調で財政危機を乗り越えてきた。その中で組合活動をしやすいようにと配慮があった。なれ合いと言っても過言ではない」と釈明している。この釈明によれば、神戸市の労使協調路線は阪神・淡路大震災後の危機管理の一環として生まれたような印象を与える。だが、これは事実に反すると言わなければならない。神戸市の労使協調路線は、宮崎市長が2期目の市長選(1973年)において再選を確実にするため、宮崎氏が心ならずも神戸空港建設を断念して突如「革新市政」を標榜した時から始まっているのである(宮崎氏はこの方針転換をその後、「生涯の誤り」「一生の悔恨」と繰り返し嘆いた)。

 宮崎市政が「革新市政」かどうかは別にして、宮崎氏の変心をなじる保守候補との一騎打ちとなった1973年市長選では、市職労は「好機到来」とばかり市長選に取り組んだ。そして宮崎市政3期目以降は、市職労が接着剤となって社会、民主、共産の野党間を取り持ち、自民から共産までの全会派が与党入りする文字通りの「オール与党体制」ができ上がるのである。自民など保守会派は宮崎氏がもともと保守系であることを百も承知で「相乗り」を決め、社会・民主・共産など野党各派は政策協定もしないで市長与党(事実上の翼賛政党)となった。このオール与党体制(保守会派との調整も含めて)を取り仕切ったのが「影の助役」と呼ばれた某本部役員であり、この時から市職労が労働団体としてではなく宮崎市政を裏で支える「治組織」変貌したのだといえよう。

オール与党体制という「馴れ合い」の政治体制を維持するためには、政党間の複雑な利害関係を裏で調整する「影の政治組織」が必要となる。通常この種の組織は政党によって担われるのであるが、宮崎市政の場合は、市長の命を受けた(あるいは忖度した)市職労本部役員が有力メンバーとして活躍するようになった。政治工作には「ヒト」と「カネ」が要る。市職労本部役員(複数)の「ヤミ専従」が労使慣行となったのは、そのために必要な人員を確保するためであり、市職労のなかにつくられた「工作要員」を育成するためであった。

この体制が頂点に達したのが、宮崎市政の後継を争って2人の助役が死闘を繰り広げた1989年市長選である。笹山助役(市職労土木支部長)ともう一人の助役が立候補し、市職労は「身内候補」のために死力を尽くして戦った。以降、笹山市政と市職労は「労使協調」の域を超えて「労使一体化」することになった。笹山市長の言うことが市職労の運動方針になり、本部役員はすべて笹山市政のエージェント(代理執行人)と化したのである。

このことが最も激しくあらわれたのが、阪神・淡路大震災直後の都市計画強行決定であり、「神戸空港建設は止めない。神戸空港は希望の星だ」との笹山市長発言だった。被災者が冬の避難所(学校など)で震えている時に、笹山市政は市民の声を無視し、僅か3カ月でつくった即席プランを「震災復興計画」など称して決定した。都市計画審議会会場には多くの市民が詰めかけて抗議したが、その時「元支部長を守れ!」とばかり、人間の壁をつくって市民の前に立ちはだかったのが市職労都市計画支部の組合員たちだったのである。

そればかりではない。都市計画局職員は震災発生後数時間にして発令された市総務局長命令にしたがい、被災者の救出救命をそっちのけにして「復興都市計画」作成のための市街地調査(焼け跡調査)に駆り出されていた。「助けてくれ」「水をくれ」と叫ぶ被災者を尻目に、職員たちは2日間自転車で焼け跡を駆け回り、地図に焼け跡を記録し続けたのである。そして、このことを批判した私の論文や著書に対して、真っ先に「抗議表明」したのも市職労本部役員や都市計画支部役員だった。都市計画支部長は私に直接「抗議文」を届け、執行委員長は5年後に出版した著書の中で私を名指しで非難した(『神戸市都市経営は間違っていたのか、市職員にも言い分がある』、神戸新聞総合出版センター、2011年)。

震災後の1997年市長選においては、市民生活の復旧復興を蔑ろにして巨大なインフラ計画を推進する笹山市政の是非が焦点となった。「神戸空港建設反対」を旗印に立候補した市民候補(医師)に対して、市職労は市民側に立つどころか組織を挙げて笹山候補のために戦った。こうして、市職労は「市長の下僕」となり「市民の敵」になった。ヤミ専従体制がさらに拡充され、もはや神戸市政の「骨格」といえるまでに構造化された。冒頭の行財政局長の釈明の中にある「阪神・淡路大震災後の労使協調路線」とは、このことを指すと解釈すべきなのである。

神戸市の知人から寄せられた情報によれば、10月5日午後3時頃の久元市長のフェイスブックには、以下のようなメッセージが掲載されているという。

「今日の新聞各紙が報じていますように、神戸市職員労働組合のヤミ専従問題で

違法に神戸市が上乗せして支払った退職手当の総額は、12名の元組合役員に対して、約5000万円に上ることが判明しました。また、違法な上乗せの取り扱いについて職員部給与課と組合役員が確認していたことを示す文書も見つかりました。文書の日付は1997年5月6日で、それ以前から労使が癒着して組合役員に退職手当を上乗せしていたことが窺えます。行財政局には、市民のみなさんから抗議の電話がたくさんかかっているようです。あらためてこのような事態を招いていることにお詫びを申し上げます。市民のみなさんの怒りはよく理解できます。しかし、現在の行財政局の職員は闇に包まれていた事実を明らかにし、労使関係を正常な姿にしたいという強い使命感のもとに作業にあたっていることもご理解いただきますよう、お願い申し上げます。いずれにいたしましても、第三者委員会により実態の解明を進めてできるだけ早く全貌を明らかにしていきたいと考えています」

 文中にある1997年5月といえば、市長選を目前にした時期のことであり、市職労は当然のことながら「臨戦態勢」にあったことがうかがわれる。このような情勢の中で、市民の反対に抗して笹山市長が市長選に勝利するには市職労の全面支援が必要であり、そのためにはヤミ専従の本部役員たちに対して退職金を上積みすることも厭わない、むしろそれは「市長選ボーナス」として不可欠の対応だったのではないかと推察される。そしてこのことは、それ以前の市長選においても繰り返されていた労使慣行であり、労使協調路線維持のための必要欠くべからざる措置であった。(つづく)

大帝武大帝武 2018/10/06 10:04 サンフランシスコ市との姉妹都市関係解消を市長一人で決めてよいのか?

一方的に姉妹都市関係を解消することはできない
 サンフランシスコ市(以下、サ市という)で設置された従軍慰安婦像を巡って、2日、吉村はサ市との姉妹都市関係を解消すると発表した。しかし、サンフランシスコ市長は『一方的に姉妹都市関係を解消することはできない』との声明を4日発表した。サ市の辛坊強い当然の声明であり、大人の対応である。

こんな大事なことを市長一人で決められるのか!
 吉村は、市長になれば全権が与えられ、『自分一人で何もかも独裁的に決められると思っているのだろうか?少なくとも、こんな大事なことを決めるには、大阪市議会での議決が必要になると考えるのが普通の市長の考え方だと思うのだが、吉村がそういう風に考えた形跡は全く見えない。それとも、議会に『姉妹都市解消』を提案すれば否決されると思ったから提案さえもしなかったのだろうか?そうであるなら吉村の議会制民主主義の完全な否定である。

𠮷村、『行政としての姉妹都市関係は終了』??どういう意味?
 吉村は、『行政としての姉妹都市関係は終了してるから、サンフランシスコ市の声明に対して何ら反応する気はない。』と言っているそうだが、『行政』は、『議会』や『市民』とは一線を画した全く独立した別の機関だと思っているのだろうか?姉妹都市関係は行政同志の関係だけではない。最大のものは、市民同士の友好関係である。吉村はそんな市民のことは目に入らぬのだろうか?

一方的に離婚通知を送って離婚成立と叫んでいる男のような吉村
 姉妹都市関係の締結について、市条例に明文規定がなく、姉妹都市締結時には『市長決裁』ですましているから、姉妹都市の解消も、『市長決裁』だけでいいと吉村は思っているのだろう。しかし、姉妹都市締結時には、相手はまだいなかったが、姉妹都市を解消しようとしている今は、『サンフランシスコ市』という相手がいるのだ!吉村は、協議離婚が成立しないからと一方的に離婚通知を送って、『離婚成立!』と叫んでいる男のようなモノだ。だとすれば、吉村は、自分の部下である普通の行政マンの感覚とも市民の感覚とも大きくずれている。あるいは実際の所、吉村は行政のこともよく知らないのではないかと思うしかない。

法の隙間を狙って、1人独断で姉妹都市を解消!
 これでは、市長が間違った思い込みをしていても、どんな大事なことでも市長一人で決め断行できることになる。結果として、それが市にどんなに大きな迷惑や損失をかけても何らのチェック、是正の仕組みがないということになる。条例に明文規定がないからと言って、そんな法規定の『隙間』を狙って『姉妹都市関係を解消する』のが、大阪市のトップである大阪市長のなすことであっていいのだろうか?

サンフランシスコ市との姉妹都市は昭和32年以来、もう60年にもなる。
 60年前から、その間、5年ごとに大阪市とサンフランシスコ市は代表団を派遣して交流を続けてきた。それを何代の市長が引き継いできただろうか?少なくとも10人以上の市長がいるだろう。姉妹都市解消にあたって、吉村はそのうちの何人の元市長に報告して相談しただろうか?ほとんどやっていないようにしか見えない。

サンフランシスコ市との友好関係をこんな風に終わらせていいのか?
 サンフランシスコ市も大阪市も、これからも何百年も続く都市である。その友好をこんな風に終わらせていいのか?しかも、この従軍慰安婦像には、『大阪市』と言う名前は全く入っていない。少なくとも都市間の問題ではない。どちらかと言えば国家間の問題である。しかも日本政府はこのことについて何も言っていない。日本政府が言わないことを吉村一人が叫んでいる。

吉村は一体何をしたいのだろうか?
『戦時中には慰安婦が必要だった』と発言して、大ブーイングを浴びサンフランシスコ市から当時表敬訪問を断られた橋下の敵討ちがしたいのだろうか?だが、大阪市は吉村のモノでも橋下のモノでもない。過去、現在、未来の大阪市民のモノである。個人の怨念で大阪市を危うくしないで欲しいものである。

吉村の時代錯誤や侵略の無反省は世界に発信される
 吉村のこのような時代錯誤と日本のアジア侵略とその残虐行為や女性虐待を全く反省しないような態度は広く世界に発信されるだろう。そして、この間せっかく増えてきて、大阪市の最大の希望にもなっているインバウンド増加にも間違いなく悪い影響を与えるだろう。万博招致都市の決選投票でも、これで数十票を失ったのではないだろうか?万博は開催すれば大赤字が間違いないから落選した方がいいのだが、それ以外の一般のインバウンド増加の邪魔だけはして欲しくないものである。

2018-10-03

番外編、神戸市長が「市役所に亡霊が徘徊している」と市職労本部役員を批判、身辺雑話(4)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その127)

17:11

久元神戸市長は9月18日、市職労本部役員の「ヤミ専従」問題を解明する第三者委員会弁護士6人で構成)の初会合で大胆な言葉を放った。神戸新聞はその内容を次のように伝えている(2018年9月19日)。

 「冒頭に久元喜造市長は、ヤミ専従について『市役所に亡霊が徘徊しているような状況。消え去ってもらわないといけない』と述べ、調査の徹底と不適切な労使慣行の有無など実態調査を求めた。久元市長は『ヤミ専従は労使の癒着の中で生まれたと推認される。調査には市職員は一切介在させない』と強調。また『ヤミ専従のような違法行為は、どこの自治体でも既に解消されているのが常識だった。亡霊のようなものが存在し、実態を明らかにする必要がある』と指摘した」

 私はこれまで長年にわたって神戸市のズブズブの労使関係を目の当たりに見てきただけに、市長のこの踏み込んだ発言には心底驚いた。市職労(現業関係の市労連を含む)はこれまで一貫して助役(副市長)上がりの庁内候補を担いで市長選を戦い、その論功行賞によって本部役員はヤミ専従の黙認はもとより、退職後は市外郭団体の役員に就任するなど市幹部職員に匹敵する特権待遇を享受してきたからである。

 事実、久元市長が副市長から出馬した2013年市長選においても市職労は選対組織の中核部隊として奮闘した。「助役上がりの市長は要らない」との公約を掲げた対抗馬の市民候補に僅か数千票の差まで追い詰められたとはいえ、最後まで頑張りぬいて勝利を手中にしたのは、彼らの組織力のお陰だと言ってもいいだろう。13年市長選は、久元候補が一時は敗戦談話を考えたほどの大接戦であり、市役所一家体制(労使癒着体制)に対する市民有権者の批判はそれほど大きかったのである。

 4年後の17年市長選においても市職労は選対組織の中核を担い、久元市長は過去最多得票で再選を果たした。市職労本部役員たちはその論功行賞として今まで通りの待遇を期待し、これまで通りのヤミ専生活を送れるものと思っていた。ところがある日突然、労使一体で当選したはずの久元市長が一転して市職労に矛先を向けたのである。市職労側からすれば、「殿ご乱心!」というべき事態の発生であろうが、市長からすれば練りに練った作戦を実行に移したまでのこと―と言われている。

 神戸市関係の事情通から聞いた話によれば、久元市長は副市長時代から「ヤミ専問題」を熟知しており(彼はもともと自治体のヤミ専問題を監督する立場にある総務省官僚だった)、何時か大掃除しなければならないと考えていたという。しかし、最初の市長選が辛勝だっただけに本部役員を切るだけの力がなく、再選後まで待つほかなかった。今回の措置は満を持しての行動であり、以下のような手順で準備されたという。

(1)今年4月、市長室の腹心を「公正な職務の執行の推進、職員の人事・給与・研修」などを所管する行財政局に移動させた。同じく8月末には、担当副市長を任期途中で解任・更迭した。

(2)この間、ヤミ専問題を調査する第三者委員会を市職労の妨害を避けるため弁護士グループだけで内密に組織し、本部役員と関係の深い市職員や審議会関係の学者などは排除した。

(3)9月に入ってから関係ニュースを一斉に流す体制が整い、報道合戦が切って落とされた。9月28日の神戸新聞記事・「神戸市ゆがんだ労使協調」は、その核心を伝える内容である。

神戸市職員労働組合(市職労)のヤミ専従問題に関連し、神戸市は27日、過去の労組役員の10人に対し、専従期間の法定上限7年を超える違法専従許可を出し、退職金の不当な過払いがあったと発表した。同日夕の会見では、違法な退職金算定を市当局で長年引き継いできたことも認めた。市の積極的な関与が明らかになる事態となり、不適切な労使関係の闇が一層深まった。会見した市行財政局の遠藤卓男局長は、不適切な労使慣行の背景について『阪神・淡路大震災以降の労使協調路線』と釈明した。『震災後、労使協調で財政危機を乗り越えてきた。その中で組合活動をしやすいようにと配慮があった。なれ合いと言っても過言ではない。心からおわび申し上げる』と頭を下げた」

 「神戸市は1995年1月の震災で市役所が倒壊するなどの被害を受けた。復興と財政危機を乗り切るため、全国平均の2倍となる3割以上の職員削減や給与カットを断行。労組側にも協力を求めてきた。一方で市長選になれば、元副市長の組織内候補を組合側が応援する構図が続いてきた。市幹部OBの一人は「市長選挙労組が現職を支持し、市のトップが人事なども労組の意向を気にするようになった。不適切な関係は最初からやるべきではなかった」と声を落とした。ゆがんだ“協調路線”の流れは、元副市長ながら総務省官僚出身の久元喜造市長が就任したことによって変わった、とする幹部職員も多い。17年の再選で得た史上最多得票を背に『政策にスピード感を求めるようになり、組合とのなれ合いをなくしたかったのでは』と推し量る」

 「『不適切な運用は一掃したい』。会見で声を絞り出した遠藤局長。一方で労組関係者は『住民サービスの充実にも協力してきた。当局側も役員の組合活動の実態は知っていたはず。なぜ今になって切ろうとするのか』と戸惑いを隠せないでいる。 追及を強める市会からは厳しい声が上がる。この日の市会決算特別委員会では、市議から『退職金の過払いは不当利得。市民の血税だ。絶対返還しないといけない』『誰が関わったかはすぐ分かる。第三者委の調査を待たずに内部で調べるべきだ』などの指摘が上がった」(つづく)

大帝武大帝武 2018/10/04 00:41 吉村市長がサンフランシスコ市に『姉妹都市解消の通知』を今日(2日)送ったそうだ。

 『学テ』の結果で教員の給料を増減しようとするなど、この軽薄で短絡な若造の吉村市長を心配しながら見てきた。又も60年続いた友好を破壊する暴挙である。市長だけで決めてよいのか!

 大阪市とサンフランシスコ市(以下サ市という)との姉妹都市関係は、昭和32年の姉妹都市提携以来60年以上続いてきた。5年ごとに代表団の派遣や市民交流を続け、多くの先輩市長も熱心に交流を続けてきた。そんな姉妹都市関係を解消するという暴挙を、何の政治的な実績もないのに橋下人気のお陰だけで市長になれた若造の市長が、自分の思いこみだけでついにやってしまった。

 最初のきっかけは、橋下の『(戦中は)慰安婦は必要だった』という暴言(2013年5月)である。韓国系、中国系の住民も多いサンフランシスコ市で橋下発言への批判が高まり、外遊をしたくて打診していたサ市への表敬訪問も拒否された。15年にはサ市議会で慰安婦像設置に賛成する決議案が全会一致で決議され、昨年9月には中国系の民間団体が市内に慰安婦像を設置、サ市議会は昨年11月にその寄贈を受け入れることを決議し、市長も承認して市の公共物となった。

 強制的に日本軍の従軍慰安婦とされた人たちの悲しみ、苦しみ、怒りを冒涜する様な『橋下発言』をきっかけとして慰安婦像設置の動きは始まった。吉村はその碑文に『性奴隷』と記されているからけしからんと言っている。碑文の内容は日本政府との見解とも違うと主張している。しかし、日本政府はこの慰安婦像に関して何らのコメントも発していない。負ける喧嘩はしないということだろう。少なくとも吉村より大人の対応である。大人の対応が全ていいと言うわけではないが、日本政府は吉村ほど馬鹿でないことだけは確かである。

 サンフランシスコ市は70年大阪万博では、わざわざサンフランシスコ市のブースを出したほどの仲だったのである。そんな仲を、大阪市議会の議決もなしに吉村は自分の一存だけでぶち壊している。

 大阪市民は、吉村を一応市長に選んだけれども何もかも市長にお任せしたわけではない。こんな暴挙を勝手にやるようでは、もはや、吉村は大阪市の恥としか言いようがない。赤字確実な『万博大阪誘致』の反対票をパリの博覧会事務局総会での決選投票で増やす効果があることだけは吉村の手柄である。

2018-09-22

番外編、神戸市副市長の任期途中解任と市職労幹部の「ヤミ専」問題発覚の背景、身辺雑話(3)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その126)

07:51

つい最近のことだ。9月9日(日)の午後、市民団体の主催で「三宮再整備構想を考えるシンポジウム」が神戸三宮で開かれた。暫らく鳴りを潜めていた市民団体が久しぶりに大同団結し、神戸市政の目下の最大テーマである三宮再整備構想(以下、市プロジェクトという)の課題や問題点を考えようというのである。このシンポが単なる告発集会ではなく、市プロジェクトの問題を具体的に検証する学習・討論集会として開催されたことは高く評価される。シンポで開示された関係資料は貴重なもので、今後の検討材料としても大いに役立つに違いない。また、隣接する明石市の市民団体による駅前再開発事業の報告は、神戸市プロジェクトに対する鋭い警告となった。

このシンポの特徴は、市民団体だけではなく市議会野党各派(新社会、共産、無所属など)の市会議員の参加があったことだ。各市議から報告された市プロジェクトの問題点の指摘は、市民の知らない市の内部情報が数多く含まれており、神戸市政の(変わらない)実態や問題点が浮き彫りになった。この成果は、今後市議会でも大いに生かされることになるだろう。ここでは三宮再整備構想の内容を論じることが主目的ではないので概要紹介にとどめるが、市プロジェクトの中核事業は三宮駅前の超高層ツインタワー建設であり、このほど事業者として三菱地所が選ばれた。三菱地所は、東京・丸の内やグランフロント大阪など駅前再整備事業を手掛けた実績を評価され、神戸三宮でもオフィスを中心とするツインタワー建設計画を具体化するのだという(神戸新聞2018年9月11日)。

9・9シンポに参加した私は、『神戸百年の大計と未来』を書いた視点から市プロジェクトをめぐる庁内事情を次のように分析した。

(1)阪神大震災復興事業の大失敗によって、都市づくりの点でも財政運営の点でも失地にまみれていた神戸市政にとって、市政の抜本的再検討に取り組む機会は矢田市政による大リストラが終わった時点だった。この時期はまた久元市政(総務省元局長、市副市長への天下りを経て現職)への移行期でもあり、本来なら市長と官僚機構が率先してこの課題に取り組むべきだったが、両者が互いに様子見の状態にあったため、新しい一歩を踏み出すことができなかった。この間、70年余にわたって開発行政を推進して来た市官僚(テクノクラート軍団)が都市計画部門を中心に結束し、自らの失地回復のために用意したのが三宮再整備構想だと思われる。市長は事態の進行に気付かないわけではなかったものの、庁内の力関係で明確な意思表示を示すことはなかった(できなかった)。

(2)転機を迎えたのは、久元市政が第2期に入ってからのことである。大量得票で政治基盤を固めた市長は、当選直後の人事(2017年10月28日)で市プロジェクトの中心・鳥居副市長(都市計画局出身)の退任を決定し、鳥居副市長の後任には総務省時代の部下である寺崎氏を充てた(2018年4月1日)。なお、市プロジェクトは、鳥居副市長の退任後も岡口副市長(住宅・都市担当)の下で継続された。

(3)第2の転機は、玉田副市長の任期途中の解任(2018年8月31日)によって幕を開けた。これで副市長は岡口氏(みなと総局長出身)、寺崎氏(総務省官僚)の2人体制となるが、近く総務省から3人目の副市長を迎える準備が進んでいるというので、副市長3人体制のうち2人が総務官僚出身となる。これで久元体制は名実ともに整うことになる。

(4)問題は、岡口副市長所管の市プロジェクトの行方だろう。現在、市プロジェクトが凄まじいスピードで進んでいるのは、岡口副市長が担当を外れる(新しい副市長へ市プロジェクトが移管する)前に、一定の既成事実を積み上げたいとする市官僚側の思惑が働いているからではないのか。市長はこの事態に対していったい如何なる判断を下すのか。

注目すべきは、玉田副市長(人事、総務、財政担当)の解任直後から市職労幹部の「ヤミ専」問題がマスメディアで一斉に浮上したことだ。9月4日の神戸新聞は次のように報じた。

神戸市の一般行政職員でつくる市職員労働組合(約9千人)の複数の本部役員が少なくとも2015年以降の一定期間、組合活動に従事して勤務実態がほとんどないのに市から給与を支給される『ヤミ専従』状態だった疑いがあることが3日、分かった。市から支払われた給与は数千万円になるとみられる。市人事課は『ヤミ専従かどうか把握できていないが、あらためて確認する』としている。(略)市職員が組合活動に専従する際は、地方公務員法に基づいて年度ごとに市長の許可が必要となり、専従期間中は無給となる。しかし、市関係者によると、役員の1人は15〜17年度、許可を得るための手続きがされていないのに所属部署にほとんど出勤せず、事実上業務に携わっていなかった。同様に、専従許可を取っていない別の役員は18年度、いったん所属部署に出勤するものの、ほぼ連日午前中のうちに職場を離れていたという。この役員2人は通常勤務の扱いのまま給与を受け取っていたという。市人事課によると、18年度は市職員本部の役員12人のうち専従は3人。残りの9人について『勤務実態はこれまで把握してこなかったが、詳細な調査を行う』とした(略)」

また、産経新聞も同日、神戸市の「ヤミ専」問題の背景について次のように解説している(9月4日)。

「ヤミ専従は、かって大阪市など全国の自治体で相次ぎ問題化し、国側は『ながら条例』の厳格な運用を求めるなどしてきた。その後、是正されたとみられていたが、神戸市ではいまだ牋しき慣例瓩残っていた。大阪市では平成16〜17年、組合幹部によるヤミ専従やカラ残業といった職員厚遇問題が発覚。市の調査で組合幹部129人がヤミ専従により、17年1月から4カ月で計1万400時間以上の給与を不当に受けていたことが判明した。問題を受け、総務省は全国の自治体に『ながら条例』の運用適正化を通知。22年に公表された同省の調査結果では、条例の範囲を逸脱した組合活動を認めたり、勤務時間中の組合活動を『口頭承認』や『手続きなし』で認めたりする自治体は、都道府県神戸市を含む政令市レベルではゼロになったとしていたが、実態は異なっていたとみられる」

だが、事態はこれで止まらなかった。次回以降は、その劇的展開と背景について分析しよう。(つづく)

大帝武大帝武 2018/09/23 06:54 橋下徹が『日本維新の会は嫌いだ』と言いだした!
 橋下徹が、昨日(9月22日)、『日本維新の会は嫌いだ。無くなればいい』と発言したそうだ。『大阪維新の会は好きだが・・』と断っているので、どんな脈絡で言ったのか分からない。だから、コメントのしようもないが、維新の終末がいずれ遠くない時期にやってくることを予感させるものではある。

結党意義を紛失した『維新の会』
 橋下・維新の会は経済の衰退に対し、『大阪都構想』と言う全く間違った処方箋を提示した。だが、治癒に近づく「解決策」は一切示すことが出来なかった。宣伝しているのは『カジノと万博』くらいである。だが両者とももはや時代遅れ。カジノは問題ばかりで街の発展には全くつながらない。最近の万博も先進国では赤字ばかりである。有効な政策を提示できない政党の賞味期限は切れ消滅期限も近づいている。だが、一旦できた政党は厄介である。現職の知事や市長や議員もいるので、結党意義は見失っても簡単に死ねないから、最後まで断末魔のように暴れ、悪臭を発し続ける。


橋下徹とはいったい何者だったのだろうか?
 橋下徹とは何だったのだろう?彼のために大阪の政治は大混乱した。無駄な時間が流れ無駄な金が使われ今も混乱は残っている。それは彼一人の所為のようにも見えるがそうではない。橋下徹がでてくるだけの経済的、政治的、文化的な衰退状況があった。『間違っていてもいい、何らかの処方箋』に、大阪人はしがみつきたかったのだ。

直感(思い付き)、妄想の政治家だった橋下徹
 橋下徹は弁護士だが、法律の暗記みたいな勉強はしたのだろうが、『政治学』をちゃんと勉強したような形跡はない。口は達者だが、政治については素人同然だった。それでも、素人と自覚していれば、知事になっても、暫くは府の役人の言うことを聞いて、じっくり考えてから判断するものだが、彼は根拠もないのに自信家だから、知事になった途端に矢継ぎ早に責任の自覚もなく発信した。

役人嫌いの思い込みやマスコミ人の入れ知恵もあった!
 或は、知事になった最初に、橋下にレクチャーした府の役人がよほど出来が悪かったのだろうか?おまけに、橋下の周りには橋下と同じタイプの『役人嫌いのタカジン』やマスコミ人や『平松市政になって大阪市役所を逃げ出した学者紛い』がいた。中途半端な情報で、橋下徹は色んな『思い込み』、『妄想』をしてしまったように思える。

府庁舎のWTCビル移転問題が維新結党の原点!
 今も府庁舎の一部はWTCビルにある。府庁舎が遠く離れた埋立地・咲州のWTCビルに移るとは思わず郊外に自宅を構えた府職員が疲れ切った顔をしてWTCビルから帰宅するのに時々出くわす。それを知っている知事候補の栗原貴子さんは『府庁舎をWTCから大手前に戻す』と訴えたが、府職員の共感は得たが、府民の票につながるはずもなく惨敗した。しかし、府庁舎がWTCビルにいなければならない理由は、今となっては全くない。だが、松井は頑としてWTCビルからの撤退を拒否している。

最初の思い込みは『関西州と府庁舎のWTC移転!』
 WTCビルへの府庁舎移転で自民党がもめていた時に、『なぜ橋下徹は、府庁舎のWTCビル移転にこだわっているのか?』と自民党の府会議員に聞いたことがある。『WTCビルを関西州の本庁舎にしたいからだ』と即答された。WTCビルの最上階に立つと大阪湾が神戸・明石から和歌山まで一望できる。実に、そう思いたくなるようなすばらしい景色である。橋下徹もそこに立って殿様みたいに『関西州庁舎はここだ!』と思ったらしい。
 しかし、その後の経過は歴史が示すとおりである。
 まず府議会多数の同意を得られず府庁舎全体のWTCビル移転は断念した。関西州も兵庫県知事らから『ケンモホロロ』の扱いをされた。『州庁舎が大阪に行けば、兵庫や京都がこれまで以上に衰退する!』と他府県が警戒するのは当たり前である。『東京一極集中に対抗するため!』という発想は否定しないが、他府県も発展するような十分な全体構想、根拠がなければ、関西州に賛同を得られないのは当然である。橋下氏にはそれらの想像力、構想力、構築力がない。あるのは『願望と妄想』だけである。

2018-09-18

番外編、『神戸百年の大計と未来』(晃洋書房、2017年)の出版後日談、身辺雑話(2)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その125)

06:56

話は少し以前に遡るが、今からちょうど1年前に神戸市政を総括した『神戸百年の大計と未来』を神戸在住の友人3人とともに出版した。出版社は、学術書を広く手がけている京都の出版社・晃洋書房。350頁余のかなり分厚い本なので定価が相当高くなり、出版社が「このままでは売れない」というので思い切って3千円ぐらいまで下げた(印税ゼロはもとより、著者たちが逆に出版社に金を出して)。ところが、それでも売れないのである。

神戸市政に関する本を出版するのは、今回が初めてではない。阪神・淡路大震災の翌年に神戸都市計画決定(震災発生から僅か3カ月後)を批判した『震災・神戸都市計画の検証』(自治体研究社、1996年1月)と5年後にその詳細を論じた「阪神・淡路大震災における震災復興都市計画の検証―20世紀成長型近代都市計画の歴史的終焉」(原田純孝編著、『日本の都市法供⊇相と動態』、東大出版会、2001年5月に所収)、そして神戸市政の体質を歴史的に論じた『開発主義神戸の思想と経営―都市計画とテクノクラシー』(日本経済評論社、2001年10月)などがある。それからしばらく間を措き、満を持して出版したのが今回の『神戸百年の大計と未来』というわけだ。

私が神戸市政と関わったのは 今から50年前の原口市長・宮崎助役の時代からだ。それ以降、様々な研究活動や市の審議会委員として神戸市政に関わってきた。半世紀以上にわたる神戸市政との関わりを通して書いたのが今回の出版だったが、神戸新聞が立派な書評を書いてくれた割には売れ行きが芳しくないのである。神戸での出版記念会は昨年8月、討論会は今年5月にそれぞれ開いたが、本の売れ行きはいっこうに伸びない。我々の本の出来が悪いのか、それとも神戸市民は市政に関心がなく市役所に任せきりなのか、その市役所の職員は今までの市政に反省がないのか、あるいはほかに原因があるのか...いろいろ考えてみたが答えが出てこない。

そこで、今年5月の討論会に報告した出版趣旨のレジュメを再掲し、改めて原因を考えてみることにした。以下は、そのレジュメの「ポスト宮崎市政に向けて〜いま考えること、為すべきこと〜」の要旨である。

(1)はじめに、『神戸百年の大計と未来』をなぜいま書いたのか

神戸にとっての2010〜2020年代は、神戸港開港150年、市政施行130年、神戸都市計画策定100年、戦災70年、阪神淡路大震災25年という歴史的画期を迎える節目だ。現在は「成長と拡大の時代」から「縮小と成熟の時代」への歴史的移行期、折しも平成時代(1989〜2018年)は終わり、「ポスト平成時代」(2019年〜)に変わろうとしている。この節目に宮崎市政を批判的に継承し、「ポスト宮崎市政」への転換を図ることは、神戸市民と神戸市政に課せられた歴史的課題ではないか。本書は「批判の書」ではなく「再生の書」であることを心掛けた。

(2)神戸のいま、輝ける都市から黄昏の街へ

神戸はいま、「輝ける都市」から「黄昏の街」へ変貌しつつある。インバウンド(訪日外国人旅行者)が素通りする街になったのだ。海上都市(ポートアイランド六甲アイランド)の空洞化、郊外ニュータウンのオールドタウン化、新長田駅前再開発地区のゴーストタウン化はその象徴である。

(3)「計画され過ぎた」都市、神戸の悲劇

神戸市政ではいまだに高度成長時代の開発主義・拡大主義の伝統が拭いきれていない。肥大化した市役所機構の下で計画万能主義のテクノクラート行政の継続し、計画官僚が市全体を支配している。しかし「開発」と「再開発」だけでは街は再生しない。市民の「暮らしの文化」に根ざした都市の「自然成長力」が基本であり、そこから滲み出る「街の佇まい」が都市の光景を形づくるのである。これをいかに育てるかが、これからのカギとなる。神戸は都市の成熟段階に入った。都市発展のサイクルには、成長、成熟、衰退、再生・成熟の4段階がある。成熟段階の都市に求められるものは、「自然成長力=持続力」(サステナビリティ+イノベーション)の涵養であり、「まちなか文化」の再生である。そのカギは「都市内分権」と「市民力」にある。

(5)神戸はどんな街か、国際港を核とする近代都市・急進都市

神戸は近代都市計画のトップランナーだ。神戸は「官主導」により近代都市の形成(都市計画)に成功し、効率的な都市経営によって驚異的な都市成長を遂げてきた。市人口は神戸開港から僅か20年で人口は全国第5位、半世紀で全国第3位の急成長を遂げたが、急激な人口流入が狭隘な市街地と摩擦を引き起こし、都市問題の激化が周辺町村大合併による市域拡張、「大神戸」への動きへとつながった。

(6)「大神戸」構想の背景と推進力

大神戸」構想の原点は大正期の都市計画。関市長の「大大阪」の向こうを張って斎藤千次郎(日本船舶協会理事)が「大神戸計画意見」をぶち上げ、勝田銀次郎(船舶業、後の神戸市長)が「大神戸市論」を展開した。戦時中には、野田文一郎市長が戦時体制に呼応する「大港都神戸建設計画」「神戸大本営移転構想」を構想し、戦時体制便乗型計画の嚆矢を放った。このとき、戦後の公共デベロッパー方式に連なる「不動産資金特別会計」が創設された。

(7)戦禍の中での戦後高度成長型都市計画を布石

大神戸」構想を下敷きにした神戸市戦災復興計画は、戦後高度成長型都市計画の原型だった。戦後神戸を牽引したのは、2人のテクノクラート市長、豪放なカリスマリーダーの原口忠次郎(土木工学者)と市生え抜きの都市官僚・宮崎辰雄だった。20世紀の神戸を方向づけた1965年マスタープラン・マスタープランは「一つの哲学である」と権威付けされ、神戸市政の教本となった。神戸西日本経済瀬戸内経済の中枢拠点として発展させようとする1965年マスタープランは、1974・75年世界同時不況によって修正を余儀なくされたが、「大神戸」構想とマスタープラン行政はその後も変わらなかった。

(8)市役所一家体制の形成と桎梏

2人のテクノクラート市長による異例の長期政権(8期)は、その後も助役出身市長体制の継続によって70年余も続き、「市役所一家体制」の形成と官僚主導行政が定着した。神戸市政の特徴は「民主主義なき近代主義」と称され、市議会のオール与党化(共産党を含む)と労使協調体制が完成した。市民団体・業界団体・労働団体も系列化され、審議会メンバーの有識者も固定化されて知識人の系列化も進んだ。

(9)阪神・淡路大震災時におけるショック・ドクトリン型復興計画の展開

震災を「千載一遇のチャンス」とする都市計画決定が強行された。下河辺委員会による震災便乗型復興計画策定の下で、貝原兵庫県知事の「創造的復興」をスローガンとする被害総額をはるかに上回る巨大インフラ事業が計画され、事業化された。市民の反対を押し切って神戸空港建設が着工され、ポートアイランド第2期(医療産業都市)や新長田南再開発事業など巨大プロジェクトが次々と実行に移された。だが、人口減少時代の到来という時代の趨勢を読み誤った震災関連プロジェクトは、膨大な借金財政の肥大化を招き、職員の3分の1(7000人)をリストラするという荒療治に終わった。背景には、職員大リストラに手を貸した労組幹部の癒着と妥協があり、「元気が出ない症候群」が蔓延する行政現場があった。

(10)ポスト平成時代、ポスト宮崎市政に向けての3つの課題

・まず何よりも、「市役所一家体制」の刷新による行政組織の活性化が挙げられる。それには、市民参加の推進による市役所中央集権的機構の分権化すなわち区役所への行財政権限の移譲や区長準公選制の導入が不可欠だ。「まちづくり議会」を創設し、「まちづくりNPО」による政策提案権の保障および支援制度の確立することも必要となる。各分野の「市民政策委員会」(オンブズマン)の立ち上げによる市政点検および政策提言や審議会メンバーの刷新による新政策の展開も望まれる。

・ポスト平成時代のシンボル事業の展開が必要だ。時代の変わり目である「成長と拡大の時代」から「縮小と成熟の時代」への移行を象徴する「シンボル事業」の立ち上げ、「ポスト平成時代の神戸を考える」ミーティングを各行政区で開催する。市民提案の中から選ばれた「シンボル事業」を各行政区で具体化し、実行委員会を結成して推進する。「ポスト平成時代」という新しい時代に「ポスト宮崎市政」という新しい市政を市民とともにつくり上げる。

・全国の話題になるような神戸型プロジェクトの提起が必要だ。2020年東京五輪に全国が席巻されるなかで、神戸は「ポスト宮崎市政」を印象づけるシンボル事業に取り組む。たとえば、ゴーストタウン化した長田南再開発事業の「再・再開発」や空き商店街の都市ホテルへ転換、多国籍型大学の誘致による学生街への転換など。(つづく)

大帝武大帝武 2018/09/21 09:21 自民党の総裁選が終わった。
 予想通りの安倍圧勝である。安倍は党員票の55%を得たとか、石破は党員票で一定の票を取って存在感を示したとか、色々、自民党内部の自画自賛や論評が両陣営からなされているが、あまり意味のある話ではなく興味もない。
 少しこれはと思ったのは、小泉進次郎が石破に入れたと投票後発表したことだ。『安倍はこれで終わり、次は自分もやるぞ』と発表したに等しい。野党が非力の中で、国民は今後、小泉進次郎に注目し、安倍がこけても小泉新次郎を立てることによって自民党が生き続ける可能性を思わせるものでもある。
 安倍はいずれコケると野党各党は見ていただろうし、期待していただろうが、立憲民主党を中心とする野党が安心しておれない状況が、自民党の中で、すぐそこにあることを思わせるものでもある。自民の自滅を待つのではなく、政権奪取する政策形成能力と組織構築能力を持つしかない。立憲民主党は小さく閉じこもっていても何も生まれない。

 安倍の政策は現状肯定、自画自賛で、これはと思わせるものは何もなかったが、石破の政策ではそんなに感心したわけではないが、『地方重視』とか『防災省の新設』とか少しは目を引くものがあった。少なくとも、石破は地方の疲弊をそれなりに自覚しているということであろう。具体的な政策に踏み込んでいないのでまだちゃんとした評価はできないが、まず『地方の疲弊』を自覚していないと何事も始まらない。石破はスタートラインにだけは立っていたということだろう。
 安倍は全く鈍感である。地方でも有効求人倍率は増えているなどと、全く実態を知らない頓珍漢な話を平然と語っていた。高齢者が増え、高齢者が働けなくなって、そのため有効求人倍率が地方でほんのわずかに増えるのは当たり前である。地方都市の中心部の商店街は、今やシャッター通りで、街中、昼間にも誰も歩いていない。街の中心部に出ようと思っても、バス路線は無くなっているか、数時間に1本しかない。安倍はそんな地方都市の実態も全く知らないのだろう。

 次に注目したのは石破の『防災省の新設論』である。国土交通省がある中で、防災省の新設に賛成するわけではない。だが、地球温暖化に伴う異常気象の連続の中で、『防災を重視する姿勢』を石破が示したのはいいことである。
 元々、日本の建設省は、『治山治水にはじまる』と呼ばれるように、『防災』から始まった。国土交通省では、今でこそ道路局や都市局が大きい顔をしているが、元々の本流は河川局である。河川局は河川やダム重視で、その存在感を薄くしてきたが、異常気象の所為だと思うが、月替わりで日本各地でいろんな災害が多発している。
 こんな時代に、河川局が防災局と名を変え、防災を地方に任せるだけでなく、国土交通省が前面に出なければならぬ異常気象の時代が来ているのではないか。自衛隊が、防災・自衛隊と名を変え、防災重視に転じるべき時代にもなってきているのではないか?

 土木学会が東南海地震やそれに伴う巨大津波で十数兆円の損害が出ると報告書で警告を鳴らしている。
 その報告書に名を連ねているのは、京都大をはじめとする全国の大学の土木系の学者である。(大学名も少し偏っているという印象はある)。建築系の学者は一人も入っていない。事務局長は京都大の土木系教授である。だが、事務局次長は鹿島建設の社員である。

 ここが肝心であるが、実質、この報告書をつくったのは鹿島建設であることを意味しているのではないか。学者は少しの知恵と名前を貸しているに過ぎないということだろう。

 鹿島建設をはじめとするゼネコンが狙っているのは、防災関連の巨大土木工事の受注である。防災工事が不要であるなどとは私も言わない。必要とは思うが10年や20年で数兆円〜十数兆円にも及ぶ防災工事を日本の国家予算規模で全部やるのはどう考えても不可能である。どこまでやるのが適正なのか?
 神戸淡路大地震で多くの人が亡くなった主原因は家屋の倒壊と火災である。それらを、建築・住宅系の学者はどう思っているのか。火災対策も重要である。巨大な防災土木工事で津波災害を防ぐだけでなく、津波では逃げるのが最も重要である。土木学会は避難ビルや避難道路はどう考えているのか?マンションやビルが閉鎖的になり避難時に逃げこめない中で、どこのビルでも逃げ込めるようにする法律の改正が必要ではないのか。

 議論は始まったばかりという感じがする。土木系の学者だけでなく、建築・住宅系、経済学、法律学、社会学など文科系の学者が議論をして方向性を出す必要がある。

さ水垂れさ水垂れ 2018/09/22 22:08 本の売れ行きについて

調査済かもしれませんが、もしかしたら、教育機関や公共図書館の購入が減っているのではないか。と思うのです。

たまに、放送大学のラジオ放送を聴きます。スポットですがw。
司書or司書教諭?の資格取得のための講座で、(どっかの教授だと思う。忘れたw。)講師が、魅力のある図書館にするために、新しい本を入れるように二度以上w力説されていました。
補足的にではありますが、それが、厳しい出版事情を補うみたいなこともいわれていました。裏返せば、予算が厳しくなっているのではないかと思いました。

先生の書かれたご本が何冊もあるのですが、高等教育機関などで蔵書にしているのが、それぞれ何冊なのか、網羅的に検索できるサイトがあったと思いますが、検索して調べられたのでしょうか。

例の獣医学部の図書館は、地元自治体から、図書購入費として2億円だったかせしめてw、それを確かめに行く「観光客」wがいるようで、棚がガラガラであったとか、書かれて、ネットで広がっているようです。
火元の一つなのかもしれませんが、早稲田大学の憲法の教授のブログにも、視察記がありました。なんでも、その教授の実家は獣医であり、そのご子息が獣医学部の学生なのだそうです。なおかつ、その教授は札幌学院大学?(これも記憶が曖昧w。北海道の大学であることは間違いない。)の学部の新設で骨を折ったこともあるそうです。

こういったことは、どうでもいいのですがw、大学の図書購入費も削られてきているのではないかな、と思ったもので。

後は、府県毎になるのでしょうが、関西の公共図書館の横断検索で、蔵書の購入件数がどうなっているのかな、と思いました。
本来なら調べてご報告するのが好さそうには思うのですが、相当の無精ですので、すみません。手が届かない数十センチ先のものを、立ち上がらずにとるにはどうしたら好いか考えたり、棒のようなモノが近くにないかと見回したり、するほどの怠け者ですので、お許し下さい。

地元の県立図書館なんかでは、新しく入った本が図書館のサイトで見られるのですが、一年前の本まで並んでいます。利用者はたくさんいるようですが、だいぶ予算が削られてきたようです。

あとは、調べるのは大変でしょうが、役所や議会などもどうなのだろうか、と思います。

このあいだ、丸善日本橋店に行ったのですが、店内にいるお客さんが少なめに感じました。
書店に行かない人だと、ネットでは閲覧の順位が低ければ、目にしないで終わることが多いだろうな、と思います。
私の場合、そういうことがあるので、よく品揃えされている書店でぶらぶらして、目にとまった本とか関連の本をネットで買うこともあります。私みたいのばかりだと、書店がつぶれますね。