2012-02-08
石原新党の狙いは保守大連立政権樹立への導火線と起爆剤を仕掛けることにある、(大阪ダブル選挙の分析、その11)
本当かウソかは知らないが、12月3日の産経新聞は、石原新党の基本政策(草案)の概要を報じた。極右政党の機関紙を目指している産経新聞のことだから、「好機至れり」として“誇大宣伝”に打って出たのかもしれない。
しかしそれにしても、その内容たるや「憲法9条改正による国軍の保持」、「軍事産業の育成と核武装」、「国家公務員3分の1削減」、「首相公選制」、「皇室男子継承」、「平成版教育勅語起草」などなど、戦前はおろか、まるで1世紀以上も前に時計の針を戻したような項目がズラリと並んでいるのだから驚く。
こんな時代錯誤の政策をもし本気で考えているとしたら空恐ろしくなるが、それがまるきり「虚構の話ではない」と思わせるところに、石原新党の狙いと役割があるのだろう。それほど現在の政局は「出口のない膠着状態」に陥っているからだ。
当初、石原氏は橋下氏や大村氏との「大都市首長連合」を掲げて、「地方から中央をぶっ壊す」と言明していた。ところがここにきて、平沼氏などとともに右寄り急旋回を始めたのはなぜか(ただし、産経報道がウソでないとすればの話であるが)。
私は、石原氏の本当の狙いは「第3極」を立ち上げること自体にあるのではなく、その“振り”をすることで(あるいは部分的に実行することで)、「2大政党制をぶっ壊す」ことにあると睨んでいる。要するに、民主・自民両政党の目先の権力争いに終止符を打ち、財界直轄の“保守大連立政権”を樹立するための導火線や起爆剤として「第3極」を打ち出しているのだと思うのだ。
理由はいくつかある。まず「産経広告」のような時代錯誤の基本政策では、新自由主義バリバリの大阪維新の会やみんなの党が石原新党に「乗れない」と思うからだ(国民新党もあやしくなるだろう)。グローバリゼーションや地球市民社会を幻想と断じ、「一国家一文明」を唱えるような国粋主義は、なによりも日本を従属的な経済・軍事同盟に縛りつけておこうとするアメリカの戦略にも反する。こんな国粋政党に政治資金を出す財界(グローバル企業)はいまどきいないのではないか。
そうなると、大言壮語するばかりで自らの手足を持たないような政党は早晩存在感を失い、マスメディアにも相手にされなくなる。石原新党はたちあがれ日本と同じく、「立ち枯れ日本」へ没落していく以外に道がなくなるのだ。
石原氏もバカではないから、まさかこんな自滅作戦は選択しないと思う。となると、残る選択肢は大阪維新の会等との連携になる。しかし維新の会顧問の堺谷氏などは石原氏との「抱き合い心中」を極度に警戒しているので、なかなか新党結成には踏み切らないだろう。「産経広告」の後ではなおさらのことだ。
しかし「石原新党」になるか「橋下新党」になるかは別にして、何らかの形で「第3極政党」が出てくることはまず間違いない。なぜなら「第3極政党」の狙いと役割は、独自の政策を持った自立した政党の擁立ではなく、その策動を通じて「保守2大政党制をぶっ壊す」こと、すなわち政界大再編の機運をつくることにあるからだ。
次期総選挙では、「第3極政党」の国会進出によって民主・自民両党を横断する政界再編の大波が襲うだろう。そして財界直轄の大連立政権の樹立によって、消費税増税、TPP参加、比例代表制廃止、年金・社会保障改革、憲法改正、沖縄軍事基地再編など、長年の財界懸案事項が次々と実現に移されていくことになるかもしれない。
石原新党や橋下新党などへの目下の動きは、所詮「目くらまし策動」の一環に過ぎないのだから、それにだけ目を奪われることは要注意だ。問題は、その背後に流れる財界直轄の大連立政権樹立への策動にある。この動きに対抗するためには、これまでの革新政党間の共闘に加えて、新たに広汎な革新的市民層が参加できる「革新版救国戦線」構築の準備が求められると思う。「極右第3極」の動きに対抗する「革新第3極」の構築である。
「革新第3極」への準備は、目下のところ必ずしも政党結成の形をとる必要はない。「ラウンドテーブル」(円卓方式)で革新諸派が自由に話し合う場をつくり、そこから全国民・全世界に対して「国のかたち」を問うメッセージを継続的に発していけばよいのである。いわばマスメディアも巻き込んで「国民総討論」の場をつくり、世論動向を左右できるぐらいの情報発信力を持てるようにすればよいのである。「9条の会」の面々をはじめ、いまこそもっと広汎な人たちが立ちあがるときだ。傍観座視して日本を「立ち枯れ」にしないためにも。
2012-01-30
大阪維新の会に群がるシロアリが“軍隊アリ”に変身する日(1)、(大阪ダブル選挙の分析、その10)
1月27日の石原知事の定例記者会見以来、国政レベルでも民主・自民2大政党の機能不全状態を“右から”打開しようとする第3極・「石原(極右)新党」をめぐる策動が一段と加速してきた。石原氏はこの日、国民新党の亀井代表が昨年末から仕掛けていた新党構想に「協力と合意」したことをはじめて明言し、「東京よりも国家が大事。政治家は必然性があれば1人でもやる」と国政進出の決意のほどを披歴した。(1月28日各紙)
目下のところ、石原氏は国政進出の大義として「地方から国を変える」といった地方分権的なニュアンスを強調しており、その手法としては「東京と大阪・愛知がアライアンス(連携)を組んで中央集権をぶっ壊していく」と大阪維新の会や愛知県大村知事との連係プレーを匂わせている。この1月末から2月上旬にかけて石原・橋下・大村の「首長連合会談」が名古屋で予定されているというが、具体的な内容はその時に話し合われるのだろう。
しかし、筋金入りの「極右ファッシスト」(憲法改正論者・核武装論者)である石原氏のことだから、新党結成の目的が単なる「中央集権の打破」や「地方分権の実現」にあるといった言辞をそのまま信用することはできない。「地方から中央集権をぶっ壊す」との発言は、明らかに「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉郵政選挙のキャッチコピーを意識したものであろうが、ぶっ壊そうとするのは中央集権ではなくて議会制民主主義や政党政治そのものであるかもしれないからだ。
本来であれば、アメリカと財界直轄の民主党・自民党の2大保守政党に代わって、国民主権の立場に立つ革新政党と地方利益を代表する良質の保守政党が「第3極」として台頭してこなければならない情勢のはずだ。にもかかわらずそれが現実のものとならず、「石原(極右)新党」のような「第3極」が登場してくるところに、日本の戦後民主主義の脆弱さと革新政党の非力さを感じるのは私一人だけではあるまい。
とはいえ、このような政局の急展開に驚いたのは、かねてから大阪維新の会に秋波を送り、「第3極」の受け皿になろうとしていた「みんなの党」の渡辺代表だった。渡辺代表は、大阪ダブル選挙では頼まれもしない橋下候補の「押しかけ応援演説」に出かけて親密ぶりをアピールし、今国会の代表質問ではたびたび大阪維新の会の大阪都構想に言及して、国会議員を持たない大阪維新の会に代わって首相に地方自治法改正を迫るなど、橋下氏に摺り寄るパフォーマンスに躍起になってきたからだ。
こんな見え見えのみんなの党の動きが、野田首相から「大阪維新の会にたかるシロアリ」などと暗に揶揄されたのは記憶に新しいが、「シロアリ=みんなの党」が石原新党に対抗するために打ち出したのが“軍隊アリ“への変身だとすれば、これは無視できない危険信号だといわなければならない(「軍隊アリ」については後述する)。
私がその兆候として注目したのは、1月28日に開かれたみんなの党第2回党大会の異様な光景だった。みんなの党の党大会参加者全員が開会冒頭に直立不動で「君が代」を斉唱し、そこから報告や議論が始まったのだ。自民党や「たちあがれ日本」など札付きの保守右翼政党といえども、最近の党大会で参加者全員が直立不動で君が代を斉唱することなどあまり聞いたことがない。にもかかわらず、みんなの党がこの期に及んでこのような挙に打って出たということは、何かしら不気味な感じがして思わず背筋が寒くなるというものだ
大阪維新の会は、すでに大阪府議会で日の丸掲揚と君が代の起立・斉唱を義務付ける条例を強行採決し、目下それをはるかに上回る強権的な教育基本条例案や職員基本条例案の強行採決を狙っている。「競争主義」という旗印の下に“権力”(首長)の命令に教員や職員を従わせるためだ。これは戦前の軍国主義教育と同じく「物言わぬ民」をつくるファッショ的策動に他ならない。こんな折もおり、みんなの党が大阪維新の会に摺り寄るために「君が代斉唱」をしたのであれば、「第3極」政党が雪崩を打ってハシズムに合流していくことになりかねない。
事実、第2回党大会において渡辺代表は、石原新党の動きに「遅れじ」とばかり、大阪維新の会との政策的一致を強調するとともに、国政や総選挙でも連携を図っていくことを力説し、「大阪維新の会の動きを全国に広げ、みんなの維新を成し遂げよう」との大会宣言を採択した。国政政党が一地域政党の「提灯持ち」を駆ってでることなど前代未聞の出来事といいたいところだが、それをなりふり構わずやるところに彼らなりの政局観と危機感があるからだろう。
「軍隊アリ」とは、「アリとキリギリス」の童話に出てくるような働き者のかわいい存在ではない。昆虫図鑑などによると、一般のアリと異なって巣を作らず、軍隊のように10メートル以上(ときには20メートル近く)もの隊列を組んで足早に行進し、行路で目に付いた獲物は昆虫であれ鳥類であれ大型動物であれ、片っ端から集団で襲いかかる獰猛(どうもう)な習性を持つ大型のアリらしい。とくに幼虫の育成期には激しい攻撃性が特徴で、周辺一帯が「アリの河」のように埋め尽くされるという。
もともと大阪維新の会は、橋下代表の言動にみられるように「軍隊アリ」のような攻撃体質を持つ集団だ。その大阪維新の会が「第3極」の台風の目になり、みんなの党や石原新党が合流するようになると、もうこれは立派なファッシスト政党が誕生しても不思議ではない。問題はそのとき、これまで橋下氏に摺り寄ってきた(持て囃してきた)既成政党やマスメディアがどういう態度をとるかということだ。
私は前回の日記で、大阪維新の会が国政進出しようとするのであれば、ファッショ的性格を隠すような戦術をとる旨の事を書いたが、石原新党の動きやみんなの党の豹変ぶりを思うと、この観測は当分お蔵入りさせた方がよいと考えるようになった。(つづく)
2012-01-24
大阪維新の会の国政進出の舞台裏を分析する(1)、(大阪ダブル選挙の分析、その9)
巷間伝えられる大阪維新の会の国政進出については、私などはハシズム一流の誇大宣伝(デマゴギー)と脅かし(ブラウ)の一種かと思っていた。ところが最近になって、維新の会が次期衆院選に進出するとかいった観測記事が一斉に流れ始めたのには驚いた。1月21日の朝日新聞(1面)に続いて、23日には毎日新聞が1面トップで扱うなど日増しにそのボルテージが上がってきているからだ。
私は維新の会が掲げる政策の空虚さからして「国政進出などあり得ない」「できっこない」と考えてきた。だが中身はなくても外見では勢いがあるハシズムの姿を見るにつれて、最近ではあながちそうとも言い切れないと思うようになった。「まさか?」が「ほんと?」に転化する日が、ひょっとすると来るかもしれないと感じるからだ。
各紙の報道によると、維新の会は次期衆院選で200以上の議席確保を目指して250〜300人規模の候補者を擁立する準備を進めているのだという。そのため3月に立ちあげる「維新政治塾」の塾生数をこれまでの100人程度から一挙に400人規模に増やして、候補者選考を兼ねて塾生の養成に当たるそうだ。「道州制に向けて同志を糾合したい」というのである。
それにしても、当初は大阪の一地域政党としてスタートしたはずの維新の会がなぜかくもやみくもに国政進出しようとするのか。ひとつには時々刻々変化(豹変)する橋下氏の「気まぐれ体質」もあるだろうが、より本質的な原因は、大阪ダブル選挙で掲げた大阪都構想が「イレモノを変えればナカミも変わる」といった中身のない話だっただけに、もし「イレモノ」である大阪都構想が実現できないときは、地域政党としての維新の会は瓦解する以外に道がないという危機に常時直面しているからだ。
そこで、橋下氏が考え出した次なる作戦は「売れている間に行ける所まで行く」ということ、すなわち一方では大阪府・大阪市の一体的リストラを強行してマスメディアの注目を集めながら、他方ではその余勢をかって「改革政党」の看板で国政に進出するとの「二正面作戦」に切り換えることであった。つまり、地域政党としての実を上げるためには国政上の課題を解決しなければならず、そのために国政に進出するという口実である。
国政進出に当たっての維新の会の公約は、大阪都構想を下敷きにした道州制の導入だという。だが財界や既成政党などが掲げる従来の道州制とは違って、橋下氏は「日本の国を一からリセットするために、国と地方の関係を作り直そうというのが維新の会の道州制だ」と主張するらしい。関西財界が古くから掲げてきた道州制は「大阪州」ではなくて、近畿各府県を統合する「関西州」のことだ。維新の会が大阪都構想を実現するために道州制を主張するのであれば、「大阪都=大阪州」でなければ辻褄が合わない。
しかし、各紙は政策上の最重要ポイントであるこの点については全く触れていないし、維新の会も完全にダンマリを決め込んでいる。大阪ダブル選挙で公約したばかりの「大阪都構想」をキャンセルして国政に進出するのか、それとも「大阪都=大阪州」のことを道州制と言っているのか、このことを維新の会がはっきりさせなければ大義名分が立たない。
おそらく維新の会は「大阪都=大阪州」という形で「ミニ道州制」を打ち上げ、「中京都=中京洲」を掲げる「減税日本」などと連携して国政選挙に臨むのはないか。そしてそれがもし成功すれば、今度はそれこそ手のひらを返したように本格的な道州制の導入を目指して軌道修正を図り、大阪都構想のことなどはゴミ箱に捨ててしまうに違いない。ハシズムの本質は「つくるように見せかけて壊し続ける」ことにあるからだ。
したがって、当面は大阪市労連を主敵に祭り上げて「公務員バッシング」を繰り返しながら、市職員の削減や賃下げによって市役所をスリム化し、一定の世論点数を稼ぐ算段だろう。また区長の公募選考や市役所の機構改革を通して市政に「新風」を吹き込み、「刷新」の空気を盛り上げてマスメディアを惹きつける戦術も欠かさないだろう。
他方、強権的手法として悪評高い教育基本条例案や職員基本条例案に関しては、都教委の「君が代処分」に対する最高裁判決などの影響により、原案をそのまま府議会・市議会で可決することはかなりハードルが高くなった。またこのまま強行突破すれば、国政に進出するうえで“ファッショ政党”の批判を浴びないとも限らないので、この点に関しては「爪を隠して」かなり譲歩をするにちがいない。
こうして「日本の国を一からリセットする」、「国と地方の関係を作り直す」、 「国の姿を地方から変える」などのスローガンを前面に出して、維新の会はあたかも「改革政党」であるかのような装いを凝らしながら国政進出を図るのであろうが、そのときに直面する壁は予想以上に厚いものとなるだろう。
第1は政策上の矛盾だ。道州制導入をそのまま公約に掲げれば「大阪都構想」との矛盾を避けることができない。ダブル選挙で掲げたばかりの公約をキャンセルすれば、維新の会は大阪府民の手酷いしっぺ返しを食らうだろう。しかし「ミニ道州制」程度の公約ならば、全国の選挙区で戦うには余りにも貧弱で有権者に広くアピールすることなど思いもよらない。
第2は、候補者資質(選挙の玉)の問題だ。維新政治塾には多くの希望者が押し掛けているというが、その実態は「選挙に出たいだけ」の人物が多いと聞く。無理もない。松下政経塾の卒業生が立候補できないで浪人をしている時代だ。ただ単に「選挙に出たい」程度の人物は掃いて捨てるほどいるのである。まして、次期衆院選までの「即席塾」で要請できる人材など多寡が知れている。
名古屋の地域政党「減税日本」結成のときでもそうだった。河村市長が即席で集めた候補者は、当選後の議会活動で「幻滅日本」といわれるほどの“粗悪品”であることが判明した。橋下氏が塾長を務める維新政治塾には果たして“粗悪品”が交じっていないと言い切れるのか。また「道州制に向けての同志」といえるほど思想的に訓練されているのか。
維新の会はいま「飛ぶ鳥を落とす勢い」のようにも見える。その勢いが国政進出という冒険に駆りたてているのであろうが、背後にハシズムの“激しい焦り”を感じるのは私一人だけではあるまい。常に危ない橋を渡らざるを得ない橋下氏は、自分の人気が単なる一過性のものにすぎないことをよく知っている。「多くの人を一時期騙すことは出来るが、長く騙し続けることは出来ない」という鉄則を忘れることができないからだ。(つづく)
2012-01-20
ハシズムを増長させる「政治討論番組」、(大阪ダブル選挙の分析、その8)
大阪ダブル選挙から2カ月近く経過し、このところ松井知事と橋下市長の過激な言動にはますます磨きがかかってきた。内容を吟味すれば、「憲法無視・法律違反の連発シリーズ」といったところだが、マスメディアがまともな批判をしないのでまるで言いたい放題といったところだ。大阪維新の会がこれほどメディア業界に甘やかされているところを見ると、「ハシズム」が意図的に野放しされているとしか思えない。問題は「それがなぜなのか」ということだろう。
先日(1月15日)、朝日テレビで橋下市長と山口二郎氏(北大教授)の討論番組があった。だが、その中身は「ディベイト」というよりは「汚いバトル」そのものだった。山口氏自身は、かって小選挙区制導入の太鼓を先頭に立って叩いたり、民主党の政権交代に際しては舞い上がってベタホメするなど、とかくその時の政治権力の意向に沿って行動する尻軽のタレント学者だ。しかし、今回の大阪ダブル選挙に限っては珍しく「反ハシズム」の一陣に加わった。
それが橋下市長の気に障ったのだろう。とにかく番組では、初対面の山口教授に対して敵意をむき出しにして攻撃に次ぐ攻撃に出た。それも論戦ではなくて個人攻撃が中心だ。橋下氏の攻撃の特徴は、周知のごとく自分の意見や主張を批判するものは誰であろうと容赦なく敵視し、相手の人格までも全否定するというものだ。それも「私情」を交えたレベルの個人攻撃だから、言葉も態度も品性を欠くことおびただしい。下劣そのものだ。この番組を見ていた遠方の友人がメールで次のようなコメントを送ってきた。
「日曜日、テレビをみていたら大阪市の橋下市長と北大の山口教授の話が聞けました。橋下市長の早口でまくしたて、相手に考える余地を与えない話し方と、答えられないことに対する馬鹿にした話し方がなんとも言えない感じがしました。相手に考える隙をあたえず、本人の言っていることをきちんと考えられないほどのテンポ、すごいですね。おかしなことを言ってもわからないほど、相手に時間を与えません。相手に対する非難というか、馬鹿にしたような感じとか、あれが今の若者に受けるのでしょうか。若者の間に現在の社会を破壊したいという願望のある者が少なからずいるということですから、ああいうタイプがいいのかもしれませんね。でも、あの話術はすごいとしか言いようがありません。田舎者のノンビリにはついていけません」
全く同感だ。私もこの番組は、「テレビというリング上での“レフリーのいない殴り合い”」としか思えなかった。NHKの政治討論番組のように司会者(解説委員)が見るから強引に出演者の発言を規制するのも嫌だが、キャスターやコメンテイターが「レフリー」としての役割を果たさず、討論の「ルール」もないのであれば、腕力が強い「反則技」の常習犯が勝つに決まっている。これではフェアーな討論番組とは到底言えない。
だが恐ろしいことは、面白半分の視聴者が「これが討論番組だ」と思ってしまうことだろう。タレント時代の掛け合い番組ならまだしも、現在は公的存在(公人)である橋下市長に対して、テレビ局が視聴率を取るためにだけ「自由に喋ってください」という約束でもしていたのなら、これは政治討論番組としては自殺行為に等しいといわなければならない。
このままでは山口教授ならずとも橋下市長との「討論番組」に出る人は今後いなくなるだろうし、お相手するのは大阪維新の会の顧問の面々など「同じ穴のムジナ」だけになってしまうのではないか。そうなれば番組は「ハシズム宣伝」の場となり、政治世界の劣化がますます進むことになる。確固とした政治的見識と民主主義的教養を備えたキャスターを起用し、かつ討論のルールを事前に番組出演者に了解させない限り、この種の醜いバトルはこれからも無くならないからだ。
話を変えよう。松井知事は同じ15日、大阪湾埋め立て地の咲洲庁舎(旧WTC)へ大阪府庁を全面移転する意向を表明した(1月16日各紙)。この記事を見た多くの大阪府民はおそらくびっくり仰天したのではないか。咲洲庁舎移転案はすでに二度にわたって府議会で否決されており、しかもその理由が「咲洲庁舎には耐震性に問題がある」という決定的なものだったからだ。
大災害時には緊急対応拠点になる行政庁舎は、防災上万全の態勢を整えていなくてはならない。これは鉄則だ。建物自体が構造的に耐震性に富み(災害時においても一定以上の損壊がなく建物の機能が基本的に維持できること)、同時に立地場所が非常事態への対応にとって支障のない条件を備えていること(地盤沈下や液状化などの被害がなく、周辺との通信・交通条件が安定的に確保されること)の2点が鉄則なのである。
咲洲庁舎(旧WTC)は、昨年3月の東日本大震災の余波(震度3の長周期地震動)で大揺れに揺れ、建物が使用不能になったことで、さすがの橋下知事も全面移転を断念せざるを得なかった代物だ。それを三度挑戦しようとするのだから、松井知事が「気が狂ったのか」と思われても仕方がない。
埋立地の公共建築が大震災時に役立たなかった教訓は、阪神淡路大震災時の神戸市中央病院の事例ですでに経験済みだ。神戸市は、大震災の前に市民の反対を押し切って市立中央病院を埋立地のポートアイランドに移転させたが、地震で市内との連絡橋が壊れてポートアイランドは「陸の孤島」になり、中央病院は対岸の膨大な死傷者を目前にしなが何ひとつ救援に当たることができなかった。
咲洲庁舎(旧WTC)は、地盤沈下や液状化などこの点でも決定的な欠陥を抱えており、災害時には通行不能になる可能性が極めて高いと地盤の専門家に指摘されている。にもかかわらず、松井知事はなぜ性懲りもなく全面移転案を持ちだすのか。それも今回は大阪府庁舎の跡地を美術館にするという「隠し玉」を忍ばせてのことだ。巷間伝えられるところによれば、最近大阪維新の会に急接近している公明党を移転賛成に踏み切らせることができれば、3分の2の議決要件を満たすことができるので俄然その気になったといわれている。
だが庁舎移転の問題はそれだけにとどまらない。地方自治や住民自治の本旨からして、行政庁舎の立地場所は都市計画の中心課題である。次回は、ハシズムが意図する「大阪都構想」との関係で、庁舎移転の問題を考えよう。(つづく)
困ったものです
橋下市長が周到に準備していたと思われるのに、山口さんはあまりにも準備不足。橋下市長について、ほとんど何の予備知識も無かったのではないかと思えるほどです。さらに悪いのは、どういう人に対して、何を語りかけるのかという戦略も見えませんでした。橋下支持者に再考を促したいのか、それとも橋下不支持者に結束を呼びかけたいのか。山口さんが何をしたいのかが分かりませんでした。
一体、山口さんは、なぜこの出演を引き受けたのでしょうか。教育問題が主なテーマだということは、事前に知らされていたのでしょうか。渡辺淳一さんが橋下サイドの発言をすることは知っていたのでしょうか。橋本市長の教育論についてテレビで議論できるせっかくの機会だったのに、このような結果に終わったことは大変残念だと言わざるを得ません。
2012-01-07
橋下市長にひれ伏す大阪市労連委員長の卑屈さと惨めさ、(大阪ダブル選挙の分析、その7)
新春早々(1月4日)、朝日新聞の夕刊写真を見て驚いた。大阪市労働組合連合会(市労連)の中村委員長が、傲然として突っ立っている橋下市長の前で床に頭を擦り付けんばかりに最敬礼をしているではないか。「平身低頭」とはまさにこのことだろう。まるで“絶対君主”に対する“家臣”(召使)のような卑屈な態度だ。
昼間のラジオニュースで市労連が勤務時間中の組合員の選挙活動について市長に謝罪したことを知っていたが、委員長個人がわざわざ市長室に出向き、マスメディアの前でこんな惨めな写真を撮らせたことは知らなかった。きっと橋下市長が「格好の宣伝場面」になると見て、マスメディアを総動員してその瞬間を待ち構えていたのだろう。
夜のテレビニュースで改めてその場面を見たが、こちらの方は新聞写真以上にリアルだった。市労連委員長は直立不動で謝罪の言葉を述べ、庁内組合事務所の使用継続を要請したのに対して、橋下市長の方は組合の政治活動を激しく攻撃し、庁舎からの組合事務所退去を高圧的に要求するなど言いたい放題だった。これをボクシングの場面でいえば、組合が「棒立ち」状態で一方的に殴られ放しになっていたに等しい。
しかも、最後の場面が傑作だった(というよりは、余りにも惨めだった)。市労連委員長が「今後の話し合いはマスコミのいないところで」(裏取引の意味か?)と追従笑いを浮かべて持ちかけたが、市長には「それは出来ない」と一蹴され、おまけに別れ際に握手をしようとしてにべもなく拒否された。市役所一家体制のなかで長年当局と慣れ合ってきた労組幹部(ダラ幹)の体質が、余すところなく暴露された瞬間だった。
橋下氏が大阪府知事に就任した時、対する大阪府職労の態度はもっと毅然としたものだった。職員の待遇問題に関する交渉では深夜まで一歩も引かず(結果的には賃下げされたが)、労組幹部のみならず組合員個人も知事の主張に対して公開の席上で堂々と反論するなど、労働組合の正当な権利を主張する態度を崩さなかった。それにくらべて、市労連委員長のこの卑屈で惨めな態度はいったいなにゆえなのか。
大阪市労連は、長年にわたる解同(部落解放同盟)との“根がらみの癒着”によって、組合内部には現在においても外部に公表できないような数々の深刻な問題点を抱えている。本来ならば組合として自浄能力を発揮すべきところだが、悲しいことに組合中枢部と解同との「太いパイプ」の存在によって事態を解消できず、これまで自浄能力の発揮など望むべくもなかった。
また、大阪ではこのような解同との癒着や組合の腐敗に対する市民の監視の目も著しく弱かったことも事態の解決を遅らせてきた一因だろう。大阪市政の実態を監視する数多くの市民団体があるにもかかわらず、なぜか解同問題(だけ)は避けて通る傾向があったことは否定できない。行政や組合とは直接関係のない市民団体の間でさえ、解同問題を真っ向から批判するパワーに不足していたのである。
この点、京都市職労も同様の問題を抱えていたことは間違いない。しかし、弁護士・研究者・ライターなどを中心とする外部の市民団体「市民ウォッチャー」の飽くなき追求活動と行政訴訟活動を通してその実態が次第に明らかになり、市民世論の高まりのなかで市職労自身が漸く自らの問題として取り組むようになった。関西の自治体においては解同・同和問題はそれほど重たい課題なのだ。
中でも特筆されるのは、1990年に創刊された月刊誌『ねっとわーく京都』の存在だろう(私も現在コラムニストとして参加している)。同誌は2012年1月現在で277号を数えるが、その20年有余のバックナンバーを繰ってみると、同誌がどれだけ解同問題の追求と事実解明に力を注いできたかがよくわかる。また同誌は京都だけにとどまらず、解同問題に悩む全国自治体の同和行政担当者の得難い情報源ともなってきた。しかし京都と目の鼻の先の大阪では、『ねっとわーく京都』の問題提起に学ぶことは少なかった。
今後、橋下市長は組合を「主敵」に位置づけ、組合攻撃を機軸にして市役所解体作業を進めるだろう。解同問題の不正を暴くことで市民の怒りを誘い、同和行政を解消して市政を立て直すのではなく、府市統合という「大阪都構想」を実現するための手段として同和問題を利用しようとするのである。だが、市労連幹部にはまだこの事態が正確に理解されていないらしい。だから、市労連委員長のように下手に出て、内密に話をすれば、何とか切り抜けられると思っているのである。(つづく)
寺園敦史
広原先生
ご無沙汰しております。フリーライターの寺園です。『ねっとわーく京都』と市民ウォッチャーの活動について高く評価してくださり、ありがとうございます。わたしは『ねっとわーく京都』内部の人間ではありませんが、かつての常連ライターとして今回の一文を拝読し、少し誇らしい気持ちになりました。おそらく内部では様々な声があったでしょうが、京都市職労が同誌刊行をバックアップしたことの意味するところは大きく、問題解決のために果たした役割もまた大きかったと思います。
いまの大阪市役所内部の組合に、かつての京都市職労と同様の役割を果たすことを期待するのは難しいとは思いますが、市民一人ひとりにできることはいろいろあると思います。たしかに市民ウォッチャーは京都市の同和行政の問題点に関し、いくつもの住民訴訟をやって来ましたが、実は市民ウォッチャーの中でも同和行政に強い関心を持つメンバーはそれほど多くはなく、各住民訴訟は多くても5、6人で構成(しかもどの裁判もだいたい同じメンバーで構成)する弁護団でやってきました。わたしの取材活動にしても、とくに難しいことは何もやっておらず、誰にでもできることしかやっていません。これは謙遜して言っているのではなく、実際その通りだったのです。
つまり、大阪にはおそらく京都以上に同和行政や解放運動の問題点を痛感している弁護士は多いはずですから、本格的に取り組む意思のある市民が数人もいれば、かなりインパクトのある運動をつくっていくのも可能ではないかなあといつも思っているのです。ただこの運動は、長期に及ぶ「しこみ期間」を要しますので、目先の選挙目当てのネタで同和行政の問題をとらえている限り、役に立ちませんね。
今年も先生のご健筆をたのしみにしています。
ところで、維新の会は、公明党との協力を発表しましたが、維新の会が国政進出しようとした場合、その他の政党との関係はどうなりそうでしょうか。いくら維新の会が人気者だからといって、公明党以外の既成の主要政党と対立したままでは、国政進出は難しいのではないかと思います。特に、大阪の自民党が、維新の会と関係修復する可能性はありますか。