空文句と掛け声に終わった安倍首相の「地方創生国会」所信表明演説、「気概=竹やり精神」だけでは地方を救えない、「地方創生」キャンペーンの意図と役割を分析する(その4)

 2014年9月29日、安倍首相は「地方創生国会」と銘打った臨時国会所信表明演説を行い、「伝統ある故郷を守り美しい日本を支えているのは、中山間地や離島をはじめ地方にお住まいの皆さんです。そうした故郷を消滅させてはならない。もはや時間の猶予はありません。この国会に求められているのは、若者が将来に夢や希望を持てる地方の創生に向けて力強いスタートを切ることです。皆さん、一緒にやろうではありませんか」と呼びかけた。

 私も演説全文を繰り返し読んでみたが、聞こえてくるのは「やればできる」、「悲観して立ち止まるのではなく、可能性を信じて前に進もう」、「厳しい現実に立ちすくむのではなく、輝ける未来を目指して共に立ち向かおう」という威勢のいい掛け声ばかりで、どうすれば「厳しい現実」を「輝かしい未来」に変えることができるのか、その具体的な中身がいっこうに見えてこないのである。端的に言えば、「空文句」と「掛け声」を連ねただけにすぎない空虚極まる所信表明演説なのだ。

 各紙の論評も挙って厳しい。「安倍首相所信表明演説、具体性欠く地方創生」(日経新聞)、「臨時国会、地方創生 乏しい具体案」「首相所信演説、核心の説明が足りない」(毎日新聞)、「首相所信演説、地方消滅防ぐ青写真示せ」(産経新聞)などなど、共通して「中身のなさ」を指摘している。日頃から安倍政権支持の論陣を張っている日経新聞すら嘆かざるを得ないほどの全く中身がない所信表明演説なのだ。以下はその一節である。

「地方創生国会と自ら銘打った割には、今国会でどのような法整備を進めようとしているのかという説明が少ない。もう一つの柱となる女性の活躍推進でも、『女性が輝く社会』というスローガンばかりが前面に出る。29日に閣議決定した地方創生2法案は政策推進への第一歩にすぎないはずだ。その先の具体策を明示しなければ看板倒れになりかねない」(日経新聞、2014年9月29日夕刊)。

安倍首相の「地方創生」に関する所信表明演説は、「観光立国」、「個性を生かす」、「地方創生国会」の3つで構成され、文字数は約1600字、演説全体の4分の1を占めるにすぎない。しかもその内容は、各紙が指摘するように「地方創生」に対する政府施策を具体的に説明するというよりは、地元の人びとが血の滲むような努力を積み重ねてやっと実現した数少ない成功事例を「やればやれる」と断定し(他人のふんどしで相撲を取ること)、それを「地方創生」のビジネスモデルに仕立て上げているにすぎない。要するに、政府施策に頼ることなく、大きな都市をまねることなく、「それぞれの町が『本物はここにしかない』という気概を持てば、景色は一変する」というのである。

このような(最低)レベルの所信表明演説の草稿しか書けなかった側近官僚の劣化を指摘することはたやすい。だがより本質的には、安倍政権が本気で「地方創生」を実現する意思がなく、当座しのぎの対策でことを済ませようとしているところに根本的な原因がある。官僚にとっても「ないものは書けない」のだから、「やればできる」と「気概」を強調する以外に方法がないのである。

かって、日本帝国陸軍は武器も食糧も極度に不足している軍隊を前線に追いやり、「やれば勝てる」と突撃命令を繰り返して多数の犠牲者(餓死者)を出した。名著『失敗の本質、日本軍の組織論的研究』(野中郁次郎ほか、ダイヤモンド社1984年)を読めば分かるが、時代が違うとはいえ、安倍政権の「地方創生」には共通する点が多い。施策も財源も十分に整えることなく疲弊にあえぐ地方自治体や地方住民に「やればできる」と号令を掛け、「気概」を強調するだけで政府はなすべきことをしない。これは「竹やり精神」そのものであり、「地方創生」という旗印を掲げて「地方消滅」を推進する以外の何ものでもない。

最後に、この「竹やり精神」を最も顕著にあらわしている一節を紹介してこのブログを閉じよう。「やれば、できる。人口減少や超高齢化など、地方が直面する構造的な課題は深刻です。しかし、若者が将来に夢や希望を抱き、その場でチャレンジしたいと願う。そうした『若者』こそが危機に歯止めをかける鍵であると私は確信しています」と安倍首相は言う。「素手」と「気概」で困難に立ち向かえと言う安倍首相の言葉は勇ましいが、これを聞いた若者がいったいどう思うのか、そんなことは安倍首相の念頭には一切浮かばないのだろう。(つづく)