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2013-03-06

MANGOが『奴隷スタイル』のネックレスを売って炎上した話

スペインのMANGOというファストファッションで有名なブランドが、ネットで「COLLIER STYLE ESCLAVE」という名前のネックレスを売っていたところ、「奴隷はファッションじゃない!」という至極最もな批判に晒され、さらにフランスの女優にChange.orgを使った署名活動までされて炎上したという話です。


http://stream.aljazeera.com/story/201303041953-0022582


確かに「奴隷」という穏やかではない表現を使ってしまったことはまずかったと思うのですよね。


日本語で言えば「エスニック」ぐらいのニュアンスで軽く出してしまったのではないかと思いますが、問題は何でこんなことが起きてしまったのか、ということではないでしょうか。


言い換えれば「誰か途中で止めろよ」という話です。


実際どうだったかというのはさっぱりわからないのでただの個人的な推測なのですが、おそらく本件はいわゆるファストファッションの特質というか構造と関連があるのではないか、という気がしています。


ファストファッションの特徴として、デザインの良し悪しの判断を徹底的にリアルな顧客の反応から引き出そうとする、という点があります。


事前に何が売れるかはよくわからないから、とりあえずそれっぽいデザインの商品を少しずつ生産し、何店舗かに出してみたうえで、その反応(購買だけでなく、試着後の返品のデータ等も含めて)に基づいて売れそうな商品について増産&広く展開する、という考え方です。


これがうまく行くと、原理的には売れる商品ばかり作れてしまうので在庫が積み上がってしまうリスクを下げられるし、さらに商品がいつなくなるかわからないことによる「レア感」や「生鮮食品感」みたいなものを出せてしまったりもするわけですね。


今回の件は、このモデルの副作用だったのではないかな、という気がしています。


つまり、デザイナーが上げてくる大量の商品をまずは出してみる、というこのスタンスが「奴隷スタイル」という言葉をそのまま外に出してしまった理由ではないかなーと思うのです。


ここが例えばユニクロのような品番の少ないブランドと圧倒的に違うところで、ユニクロだと少ない商品を柳井さんまでしっかり上げてどさっと大量生産するわけです。


なので、どっかで「奴隷はないだろ」という話になりやすい構造ではあるのだろうと思います。


まあ、実際のところMANGOでどういうスクリーニングプロセスを経て商品が出て行っているかは全く知らないので、これまでの話は完全に憶測なのですが、何となくそんなことを考えてみました。


品番が極端に多いアパレルという分野の中でも、特にファストファッションだからこそこういうことが起きやすいのかなー、という話でございました。暇つぶしになれば幸いです。

2013-02-14

ヨーロッパで牛肉に馬肉が混入していた話

また徒然なるままの話ですがとても興味深い話なので暇つぶしにどうぞ。発端はイギリスのスーパーで売っていた冷凍ラザニアに馬肉が入ってることが判明したことで、何しろイギリス人は馬を食べないのでそれは問題になったと。それでまあ「偽装表示」の問題として一国に話が留まっていればまだ良かったのですが、サプライチェーンEU全体に広がっていたことによって、問題が雪だるま式に大きくなっていっているというのが現状のようです。http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-21456388


まず上流ですが、フランスの食品会社から、同国の製造工場、精肉会社、オランダキプロス商社、最後にルーマニアの食肉センター(屠畜場、解体屋さん)にいたるまで複雑なサプライチェーンを通ってきていると。次に下流のほうを見ると、今判明しているだけでもイギリスに加えてアイルランドオランダドイツスウェーデンと広がっていて、もう完全に収拾がつかない状況になってしまっています。テスコとかバーガーキングでも馬肉見つかってるようですし。ルーマニアの業者を訴えるメーカーさんも出てきています。


それで、じゃあどうするんだという話に当然なります。EUって本当に大変だなあと思うのですが、もうどこまで広がってるかわからないから、とにかくEU27カ国はみんなランダムテストをせい、とそういう話になっているようで、そういうお達しが下ったわけですね。EUで役人をやってる人はほんとにすごいなと思います。。想像するだけで荷が重いというか。。日本も食に関する偽装表示やら安全性については何度も問題になってきているし、それが故に先進的な取り組みも多くなされてきているのかな、と思うのですが、EUというレベルでいろんな食品を事前にチェックする体制をきちんと整備しようと思ったら大変に違いありません。


さらに、これが単純に「偽装表示」の問題に留まっていればまだマシだったと思うのですが、よりハードな「安全」に関わる問題であるかもしれない、ということが明らかになってきているようです。というのも、馬に使われるフェニルブタゾンという薬(痛み止め、解熱剤)があって、これが人体に対してあまり嬉しくない作用をもたらす可能性があるようなのですね。EUのボルジ委員という偉い人が「我々が直面しているのは、安全性というよりも、むしろ偽装表示の問題だ」と言っているようなのですが、ランダムテストの結果いかんでは「安全」の方向に話が思いっきり振れてしまうかもしれません。http://www.cnn.co.jp/business/35028058.html


余談ですが、イギリスでは「馬ってどんな味するんだ?」という好奇心がニッチな盛り上がりを見せていて、馬肉を扱っている小さな業者さんにとってはやや嬉しい状況になっていたりもするそうです。http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MI6Y4V6TTDUZ01.html


早く収拾がついて、かつ原因究明&効果的な対策という流れになるべくスピーディに事が運べばいいんだろうなあと思うとともに、世の中ってほんとに面白いなあ、と改めて思った次第です。

2013-01-31

ジンバブエの話

ジンバブエっていうと以前ものすごいインフレになった際にニュースになって、そのイメージくらいしかない人が多いと思うのですが、ついさっきBBCで興味深いニュースを見たのでシェアします。ちなみにインフレになった理由は政府が白人の大規模な農地を強制的にぶんどって黒人に再分配したことによって引き起こされた食糧生産の著しい下落に端を発していると言われています。


http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-21257765


それで今回のニュースなのですが、ジンバブエ政府が持ってるお金が先週公務員の給料払ったら217ドルまで減ってしまった、2万円くらいしか口座に残ってません、という話。財務大臣のBitiさんによると、翌日には300万ドルまで戻ってた、ということでとりあえず大事には至らなかったよう。


面白いのが、一時的にそこまで減ってしまったことをわざわざ発表したのは、今年実施予定の大統領選(&憲法改正国民投票)をやるお金がないので今年は無理です、ということを伝えるためだったとBitiさんが言っている点。ということは彼は独裁者として名高いムガベ大統領側の人なのかなと思ったら、むしろ連立を組んではいるものの民主化を目指す側の政党の偉い人のようです。本当にお金がないということなのか・・。


とりあえず大統領選国民投票にはそれぞれ2億ドルずつ必要なためお金集めに奔走しているのだけど、失業率がとても高いこともあって税収的にかなり厳しいようです。でもBitiさんはギリシャよりはマシだよ、てなことを言っています。それぞれの国にそれぞれの政治がありますね。

2013-01-27

大衆=平均人=専門家の時代(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』)

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)


久しぶりにとてつもない本で、「今」という複雑な現象の集積を一つのコンセプトでここまで明確に切れてしまうオルテガの力量に感服しました。オルテガ1930年スペインヨーロッパについて説明したことは、現在の日本でも完全に通用すると感じましたし、時代を遠くから眺めることで時代の平均から自らを引きはがすことを哲学というなら、この時代に足りないのはまさにそれなんじゃないかな、という気がします。各人が何らかの分断された領域の専門家であり、そうであることによって何となく蓄えてしまった自信を基に、今という時代を一刀両断してみせたりする場面にたまに出会いますが、あれは本当に意味がないと思います。かつてないほど全体が把握しづらくなっているということを謙虚に受けとめること、そして同時に全体を把握することへの意思を持ち続けること、それがいかに大事かを改めて学びました。


哲学が支配するためには、ーープラトンがまず初めに望んだようにーー哲学者そのものが支配する必要はないし、ーー次にプラトンが少し控え目に望んだようにーー皇帝哲学する必要さえないのである。そのいずれの場合もまったくいまわしいことである。哲学が支配するためには哲学が存在するだけで十分である。つまり哲学者哲学者であるだけで十分なのである。約一世紀前から、哲学者は、哲学だけをやらない何でも屋で、政治家であったり、教育者であったり、文学者であったり、あるいは科学者となってしまっているのである。

2013-01-26

映画のマジックを支えるテクノロジー(クリス・ケニーリー『サイド・バイ・サイド』 )

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観てきました。とても教育的というか勉強になる映画でした。映画が好きな方は観ておいて損はない映画だと思います。大雑把に言えば、映画の副題にある<フィルムからデジタルシネマへ>というのがテーマの映画です。キアヌ・リーブスが著名な映画監督(director)、撮影監督(cinematographer)、編集者(editor)、カラリスト(colorist)、機器メーカー等にインタビューして回っています。


まず、こうした役回りの人たちがいることを知らない人も多いと思います。例えば映画撮影の現場では映画監督より撮影監督のほうが力を持っているということを知っていますか?その理由は、フィルムで撮った映画はその場では確認できず、早くて翌日にならなければ実際にどんな映像になったのか、ディレクションをしている監督自身目にすることができないことに起因しています。そこでは撮影監督のマジックのほうが実質的な権威を帯びることになります。


でも編集者という人もいて、彼も独特の権力を持っています。それは言わずもがな、撮った映像のどこを使ってどこを切り捨てるか、その決定をする力のことです。さらにカラリストがいます。カラリストは編集された映像の色合いを調整することで、観客の体験をコントロールします。


もっと言えば、ここに末端の観客に映画を届ける流通、すなわち物流と劇場も絡んできます。特に、劇場はその大きさによる体験の相違や映写機の室、あるいは幾度の上映によるフィルムの劣化など、観客の映画体験に非常に大きな影響を与えるポジションを担っています、実は。


こうした様々なプレーヤーに映画のデジタル化はとんでもなく大きな影響を与えることになります。撮影した映像はその場で確認できるようになり、それによって編集すべき映像の量もはんぱではないほど増大し、色の補正もフィルム時代とは全く違うレベルに突入します。デジタルであればデータは劣化しないし、物流コストも圧倒的に低下します。


じゃあデジタルにすればいいじゃないか、というとそこが難しくて、いろんな点で一長一短あるわけです。それぞれの思いや信念みたいなものもある。だけど推進したい人とメーカーは物事をどんどん前に進めていく。誰もが不可避的に態度の選択を迫られる。


その過程というか、各自の逡巡についてはぜひ映画館で観てもらえればと思います。こうしたことは映画に固有の問題であるということではなく、音楽にしても絵画にしても、様々なアートフォームに共通する部分がとても多いのではないかと思います。


そういう意味で、文化的に豊かな世界を楽しみ続けたいなーって思っている人は結構楽しめると思います。でも、結局ストーリーテリングが大事だよね、というところは変わらないと思います。と言いながらもストーリーテリングとそれを支える映像技術は以外ときれいに切り離せないのかなとも思いました。そこにこそ映画のマジックがあるのかしれません。