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2011-08-18

小さな暴君の不可能性(園子温『冷たい熱帯魚』)

冷たい熱帯魚 (2010) 監督 園子温 脚本 園子温高橋ヨシキ

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主人公の社本は「小市民」の熱帯魚店主。死別した前妻の娘と新しい妻の折り合いが悪く、家族としては「終わっている」。外から見れば至極平凡で地味な人間。そんな男が巻き込まれた「事の顛末」を描く映画。強烈。


ある出来事をきっかけに社本は村田という男と出会う。村田はアウトローそのものの人物であり、自己の欲求を満たしサバイブし続けるためには騙しもやれば殺しもやる。村田には愛子というパートナーがいるのだけど、この二人はそうしたアウトロー的な生き方を共有する運命共同体として強固に結ばれている。社本はそんな二人に「利用」され悪夢のような状況に放り込まれる哀れな小市民、というのが簡単なお話の筋。


しかし、この映画が特異であり強いメッセージを持つのは、上に書いた話の筋とは反対に、この映画が村田と社本の関係を「利用する悪人」と「利用される善人」という形では描いていないからだ。村田が社本に「お前も悪人なんだろ」という挑発の言葉を投げかける象徴的な場面があるが、この映画は「社本が村田化する瞬間」、「社本の内なる村田性が発現する過程」をこそ観客に見せつける。


興味深いのは、「社本の村田化」、「善人の悪人化」がまさに、「悪人による善人の教導」という形で示されている点である。「利益誘導」ではなく「教導」。社本が村田化するのは、アウトローであることによって得られる利益に目がくらんだからではない。金欲、性欲、自己顕示欲といった世俗的な欲を満たすために悪人になることを選んだわけではない。そうではなく、自己の欲求を達するためにあらゆる手段を用いる村田の「生き方」に社本は感染しているのだ。


村田に教導された社本が村田化する過程、その過程こそがこの映画のクライマックスとなる。村田の社本への生まれ変わりとでも言える象徴的な場面ののち、「自分がしたいことが正しいことである」式の行動様式を採用することになった社本は、自らの「小さな家族」を支配する一人の「小さな暴君」としての振る舞いを見せる。


社本は結局「小さな暴君」であることを引き受けきれずに自壊するのだが、その理由はまさに彼が「小さな」暴君でしかありえなかったからであり、その「小ささ」を嗤う自らの娘(支配の対象)によって社本=村田の死が宣告される。


冷たい熱帯魚』は「小さな暴君」という形象の不可能性を描いた物語である。この寄る辺なき世界のなかで生きる人々は誰であれ多かれ少なかれ自己のみを正義の源泉とする「小さな暴君」であらざるを得ない。そのことを美談として見せること自体は全くもって可能なのだけど、『冷たい熱帯魚』を美談として読み解くのはさすがに難しいだろう。


小市民」の皆様におすすめ。素晴らしい映画です。

そのその 2011/08/24 20:15 まさに、僕の映画の、これこそが批評です。

hirokim21hirokim21 2011/08/26 14:17 ありがとうございます。ご本人からコメントいただけるなど思ってもいなかったのでとても嬉しいです。次回作、次々回作、楽しみにしています!

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