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日暮れて途遠し このページをアンテナに追加 RSSフィード

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 告発、告訴の問題は、現在次のブログをメインにしています。
再審請求に向けて:http://hirono-hideki.cocolog-nifty.com/blog/

本日、金沢地方検察庁に電話連絡をしました。追って、エントリを書きます。
2008年1月21日

本日、金沢地方検察庁に電話連絡をしました。追って、エントリを書きます。
9月25日20時49分

 まだ書いていませんが、簡単にご報告しますと、今年度の新しい担当者のお名前は、「タカマツ」。たぶん、高松と書くのでしょう。当日不在ということで、 まだ声も聞いていないのですが、例の捜査官室長のような上司の人が、対応に出て、尋ねもしないのに、名前を教えてくれました。  とても変わった名前で、「戸澗(とま)」というそうです。  なお、この部分は、エントリに記載後、消去する予定のお知らせです。 10月4日23時31分


 ここ一ヶ月間のアクセス状況を公開しました。10分ほど前の記録になります。 2007年9月26日22時33分
2008年10月6日、金沢地方検察庁に電話連絡。応対したのは岸田さん。 2008年10月29日0時55分

2006-08-05 *1154749943*[司法全般]反社会性人格障害について

[]関係者の実名公開について

 相変わらずアクセス数は伸び悩んでいます。告発状や告訴状を公開することについて、私自身これまでためらいがなかったことはありません。ネット上で情報の公開をするようになったのは、2003年の8月頃からで、ちょうど3年ほど経過したことになります。問題が表面化してから14年4ヶ月ほど経過しているので、初めの10年間というのは、いわば非公式で裁判所、検察、警察を相手に問題を訴え続けてきました。同じことの繰り返しで、埒があかなかったこともあり、公開に踏み切り、社会全体を対象に訴え続けた来たのですが、これもさほど効果が出ていないのかもしれません。

 これまでも少数ですが、ご意見やご感想のようなものを頂くことがありました。全く無関係と断じる人や、複雑すぎて戸惑う、怖い等の反応がありました。これは、メールと個人サーバを中心に情報発信をしていた頃のことです。

 昨年の11月頃から、活動の主軸をブログの方に移し、現在に至っております。同じような趣旨説明も繰り返し行ってきたと思いますが、初めて見る人には、問題の取っ掛かり自体が掴みにくいかもしれません。

 当初、事件の発生地でもある石川県内を中心にそのような活動をしていたのですが、とりわけ無関心で、関わりを避けたがる傾向が強いように思われます。私としても、無理強いをしてまで読ませ、考えさせると言うことは出来ません。確かに全部読むとなると相当の負担にもなり、仕事や生活にも差し障りが生じるかもしれません。

 ただ、これまでのところ、やめろとか、消えて無くなれとまでの意見は受けていませんので、一応の問題性や、必要性はかろうじて認められているのかもしれません。

 ところで今日「サイコパス」をキーワードに、少し検索をしていたところ、「集団ストーカー」という言葉を、ずいぶん久しぶりに見つけました。もう2年ぐらい前でしょうか、その言葉を知り、少し調べたことがあります。

 しかし、ストーカーはマスコミにも喧伝され、広く認知されたのに対し、集団ストーカーの方は、ごく一部でしか、知られてはいないようです。

 少し気になるブログ上の記事を見つけたので一部引用になりますが、ご紹介させて頂きます。

 私のケースは、警察が加害組織であると考えています。 

 警察などの行政機関からターゲットにされているとすると、被害者以外の一般市民は、被害者は、革マル・中核などの極左暴力団体の構成員、カルト団体の構成員、性犯罪の常習犯、麻薬・覚せい剤の常習犯など、何か犯罪に関係する人ではないかと、考えるかもしれません。 被害者であることがわかると、社会的信用まで著しく低下しかねません。 しかし、声を挙げているほとんどの被害者は、犯罪とは関わりのない一般市民であると思います。 (例え、犯罪の容疑があっても、住居の中を盗撮すると、違法捜査になります。)

 今のところ、被害者は加害行為を自ら止めることは困難です。 被害者の人たちは、大変な思いをしながら、毎日を過ごしています。  職を失った人も、たくさんいます。 不幸にも、自殺された方もいるとのことです。 被害者の人たちは、みなさん、加害行為に負けないよう気持をしっかり持とうと、頑張っています。 

   

 加害組織の中にいる心ある人たちは、違法行為を中止するように動かなければいけません。

 何度でも、繰り返します。 行政機関が違法に、非同意の一般市民に干渉してはいけません。  また、非同意の一般市民に人体実験のようなことをしてはいけません。

http://diary.jp.aol.com/3tsffret8/

 どうも警察不信という風潮は、根強く浸透しているようです。それが間違っているとは思いませんし、事実が含まれていないと言うことはないと考えています。また、このところは行政機関の問題や不祥事もしきりに表面化しているようです。

 なかには行き違いや、誤解のようなものも含まれているのかもしれませんが、過度の期待を抱き、それに警察や検察、あるいは裁判所が応えてくれなくて、感情的に攻撃批判を繰り返したところで、あまり進化はないように思われます。

 社会全体がますます複雑化するなか、犯罪そのものの意味や態様も複雑になり、理解そのものも困難になるのかもしれません。基本的に、これまでの犯罪というのは、個人責任が大原則であり、結果を発生させるというのも前提条件になっていました。

 これを逆に捉えると、結果が出なければ警察は関与しない、問題にすらしないということになりそうです。この結果というのも刑法学的に見ると、かなり奥の深い意味があるようです。そのあたりは専門書を購入するなりネットで検索を掛け調べるなり、自分で勉強する必要がありそうですが、時間的な余裕もない生活で出来ることも限られるかと思います。

 長々と説明をしていてもきりがなく、読むのが嫌になる人も大半かもしれません。この社会というシステムは、そのあたりも考慮された仕組みらしく、大抵は簡単に処理されるようになっているのではと思われます。

 私自身、そのような簡単な処理のために、取り返しのつかないほど大きな不利益を蒙り、人生が狂ってしまいました。ただ、これは形式的な処理であり、水面下では緻密を極めた膨大な事務処理が惜しみなく投入された、数少ない事例ではないかと考えています。

 帰趨が定まったところで、それは類型的に簡単な処理として運用されるのかもしれません。

 そこには、事件の関係者のみならず、その家族や従業員、取引先など多数の人々の生活にも影響を及ぼしうるものかと私は考えてきました。

 そのための判断材料としても、私は情報を発信、公開してきたのですが、どうにも進展は見られないようです。このあたりは、報道機関であるマスコミも踏み込みにくい領域になるのかもしれません。まさに「手出しできない奴ら」です。

 事件の真相に最も近いのは、おそらく私だけなのかもしれません。それだけにこれまで身の危険というものも意識してこなければなりませんでした。

 真相に近いと言っても、特定し得る事実というのも、実のところ不確かです。細かい事実というのは、膨大な量になりますが、点と線が複雑に絡み合っています。

 幸いなことに、本件では、総体的に犯罪事実の存在を特定しうる事実は特定できています。それは、大きな犠牲の副産物のようなもので、唯一真相に辿り着く、手がかりとなったものです。

 つまり集団ストーカーのような被害を受けた私自身が、傷害事件を起こすことで警察の関与を受け、もう一人の当事者であり、被害者となった被害者AAさんがしばらくの間、意識不明で生死が危ぶまれる状態であったことで、関係者から供述調書が作成されました。

 このようないわば偶然の機会がなければ、決して表沙汰にはなることがなかった事件かもしれません。

 これまで組織的犯罪行為への関与が濃厚や人物や、微妙または重視される立場の人物以外は、実名での公開を控えてきました。しかしながら、それでは複雑化した問題を理解するのがいっそう困難になり、後日、誤解や偏見の火種となりうるかもしれないという思いをいっそう強く意識するようになりました。

 これまでのところ、苦情や抗議のようなものは一切受けていません。思い当たる節もあり、強い態度に出れないのか、あるいは全然情報が伝わっていないのか、大きく分けて二者択一の可能性があるものと推測されます。

 実名を公開することは、大いに問題のある行為だと考えています。しかし、事実を特定することで、反論、弁明の機会も保証されうるはずです。捜査攪乱の意図で、利用され巻き込まれる二次的被害者が出ることも十分に予想される問題であり、正しい判断に導くためにも、良質な判断材料を公開、提供すべきだと考えました。

 そのあたりを踏まえ、これからより踏み込んだ細かい事実をいくつかエントリとして書く予定でいます。ただ、実際に犯罪を犯した人については、実名を公開できないことがあるかと思います。これはより強く保護の対象にされているためであり、むしろ皮肉な結果なのかもしれないのですが、私としても抱えるリスクを必要以上に大きくさせることは出来ないと考えたためです。

 ブログ内のエントリや、これまでの公開情報に余り目を通されていない人には、全く気がつかないことかと思いますが、この事件には、次のような社会的に大きな事件や問題との接点も存在しています。それだけに公益性も高く、ある程度の行き過ぎも容認されているのかもしれません。

民事裁判八百長判決を出した古川龍一裁判官は、転任先の福岡で司法史上最大の不祥事とも言われた、妻のストーカー事件に関わる不正を引き起こし、検察をも巻き込んだ。

http://www.aiben.jp/page/frombars/topics/32.html

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/saikousatyousahoukokusyo.htm

※同じ民事裁判で、原告側訴訟代理人となった長谷川紘之弁護士宅に強盗が押し入った。同日の午前、加害者は能美郡辰口町(当時)でも、民家に押し入り強制わいせつ事件を起こした模様。福井刑務所内で得た情報では、弁護士の妻は強姦されているという。

 弁護士宅の合い鍵を持ちながら、不在ではないときに押し入り強盗を敢行しているが、そもそも弁護士の社会的声価をおとしめ、他の弁護士にも無言の圧力を加えるための、外形的事実を作り上げる目的で、依頼された実行者であった可能性も否定できない。

 なお、新聞報道によると「金に困ってやった」とあり、数百万円の借金があったらしい。判決は早めに出て、服役、福井刑務所にいたらしい。同じ第二工場の一人の受刑者からしか、話を聞くことはなかったが、その本人も、金沢で強制わいせつ事件を起こし服役、冤罪であると訴え続け、再審請求もすると言っていた。市場急配センターや金沢市場輸送と同じ、金沢近辺の運送会社の社員であり、石過運送と言っていたと記憶している。

 その運送会社には、中西運輸商から金沢市場輸送の配車係になった吉村哲が、昭和61年頃に勤めていたという経緯もある。なお、吉村哲の父親は、平成3年頃、被告訴人の一人である安田繁克らと一緒に金沢市場輸送でイワシの運搬の仕事をしていた。

 イワシの運搬の仕事は、ミール同様市場急配センターが元請けで、それを金沢市場輸送が請け負うというかたちになっていた。

 中西運輸商については、平成6年頃金沢大学付属病院で、精神鑑定を受けた際、同じ精神科の閉鎖病棟にいた七尾市近辺出身のHRという人物が、労働組合の組合長だったかをしていたとき、ある中年女性を解雇したことに絡み、中西運輸商から依頼され右翼団体の人間から、執拗な攻撃を受け精神的な重圧に耐えきれず、ある日突然、精神がおかしくなりうつ病と診断されたらしい。

 出会った頃は、ほぼ快方の状態に見えたが、それでも尿を自分で出すことが出来ず、管を使って看護婦さんに出してもらっていた様子。本人曰く、発病がきっかけで、性格の方も別人のように大人しくなったという。

 被告訴人の一人であり金沢市場輸送、市場急配センターの会長であり実質的経営者でもあった竹沢俊寿は、資金面で中西運輸商の社長を救ってやったことがあると自慢していた。竹沢俊寿は表立った運送会社の経営とは別に、いわゆる闇金のような金貸しをしていたという噂もある。

 福井刑務所で古い知己であるという富山県内の人物の話では、朝鮮から若いときに渡来した朝鮮人という話もあったが、竹沢俊寿本人にそのような外国訛りは全く感じられず、真偽は不明。他にもそのような話を聞くことはなかったが、ヤクザの組長をしていたとか、土建屋を経営していたという話は、本人を含め、複数から聞いていた。

 中央大学を中退したとか、空手部に在籍しいていたというのも本人の自慢の一つだった。

 ヤクザの組長をしていた頃、一時所属していた組員に松浦という男がいて、これがイワシの運搬の仕事の事実上のリーダー的存在だったが、安田繁克はその松浦の愛人の息子で、松浦の紹介で入社したという話だった。

 平成10年11月20日頃市場急配センター事務所で会見した松平日出男、労務の責任者という堂野の二人は、竹沢俊寿は司法書士の免許を持っている法律のプロで、私に是非相談に行くよう、しつこく哀願じみた口調で繰り返していた。

 堂野ももともとは、松浦の紹介で10トンダンプの持ち込みで、イワシの運搬をしていた一人。元ボクサーで、県外のようだったが、暴力ダンク組長のボディガードをしていたという話。「カタワと結婚したいてかぁ」とその時、残虐な笑いとともに言葉を浴びせかけ、松平日出男も横で大いに同調し、満足そうに笑っていた。利害をともにし、事件に深い関与と理解が想定される人物。

 平成2年ぐらいには、金沢市内寺中町あたりのアパートか家に住んでいた模様。一度、本人に頼まれて、自宅まで送り届けたことがある。また、その愛人という大野という女性は、金沢市内涌波あたりに住み、確か大同生命の保険外交員をしていた。堂野の紹介で渋々保険の契約をした覚えがある。その女性は、少なからず私の当時の妻にも接触していた模様。

 またその大野という女性の息子は、平成3年当時確か16歳で、市場急配センターの荷卸し手伝いのような仕事をしていた。出所後安田敏に聞いた話では、その後市場急配センターで運転免許を取り、運転手もしていたらしい。

※古川判事と同じ頃金沢地方裁判所で裁判官をしていた村木裁判官は、転任先の東京高裁刑事部に所属中、少女買春という事件を起こし、世間の注目を集めた。古川判事は、民事だけでなく、刑事での再審請求の裁判官の一人でもあったが、私の記憶の範囲では、村木という判事は再審請求事件にたずさわっていない。

 古川判事同様裁判官として、致命的な不祥事を引き起こし、転落したことになるが、裏で工作部隊の暗躍があり、罠に陥れられたという可能性も否定できない。古川判事の場合は、本人ではなくその妻の非行がきっかけになったと言えるはず。

※平成7年頃か、O兄弟の父親大網○○が二人の少年の殺人事件を引き起こし、逮捕され、無期判決が確定した。検察の求刑死刑で、遺族も死刑を強く求め、法廷に位牌を持ち込んでいたと聞いたようにも思う。

 新聞報道によるとうらぶれた労務者風の年配者に、40万円を無心されなかなか返済してもらえず、車の購入にお金がいることになったことで、強い催促をし、被疑者を追い詰め、窮鼠猫をかむようなかたちで、殺されたという単純な事件。北国新聞の報道では、そのような被害者側の落度が遠回しに協調された印象が否めなかった。

 新聞報道には一切出ていないが、暴力団との組関係もあったような人物で、窃盗を繰り返し、何度も服役していたらしい。兄弟分という人物は、東京でヤクザをやっていて、平成3年の春頃には独立して事務所を開いたという。これで組長というかたちになっていたのかもしれない。

 その人物は、能都町(現在能登町)姫の出身で、○○(○○○)という人物。昭和58年の春頃、私は大網自動車、Oプロパンの慰安旅行に同行した。一台のワゴン車で東京に行った。7,8人ぐらいで。その時の、宿泊先が大目という人のマンションだったらしい。後日、被告訴人OKNからそのような説明を受けた。

 再会したのは平成2年頃の、被告訴人OKNの結婚式のとき、その時東京でヤクザをやっていると聞き、いかにもそれらしい人物になっていた。前回会ったときの面影は全く感じられず、別人のようにも思えた。2次会となった金沢市の繁華街片町のスクランブル交差点の側のおでん屋で、私はコウジという人物に、ビール瓶を振りかざされ、頭を殴らそうになったが、それを止めたのが被告訴人HTNだった。

 このコウジという人物は、東京で父親と知り合い、その後、金沢で被被告訴人OSNと一緒に生活、行動するようになったらしい。福岡であったか九州の出身者で、具体的な事情は聞かなかったが、父親が命の恩人になったという話を聞いた。

 周一自身も、昭和62年ぐらいか、一年間ほど東京で生活していたらしい。何かの訪問販売をしていて、確か岡山県内で大事故を起こし、金沢市内入江にある「八幡のすしべん入江店」の裏あたりにある病院にしばらく入院していた。

 この病院は、保険金詐欺の片棒を担いでくれるような噂のある病院だった。そのような目的で入院している若者の患者も少なからずいた様子。

 被被告訴人OSNの入院と前後して、被告訴人KYNもしばらくその病院に入院していた。酔っぱらって小型ダンプカーに体当たりを挑んだような話もあったが、ひき逃げのようなもので相手も見つからなかったような話だった。

 被告訴人KYNの入院の時は、少なくて2回は面会に行った覚えがある。詐病のような若い患者が何人かいて、親しく交流していた様子だった。被被告訴人OSNの面会ははっきり覚えていないが、たぶん1回は言ったように思われる。交流というのは被被告訴人OSNの時だったかもしれない。ずいぶん前のことだし、当時はあまり意識もしていなかった。同じ患者とその後も付き合いがあったかも不明。

 安田繁克の家というのもその病院の近くらしい。母親はスナックを経営していると聞いたが、家の近くと聞いたような覚えも少しある。店の名前までは聞いていない。住所は東力で、私もその近くの東力2丁目のアパートの住んでいた。

 本恒夫も同じ東力だったが、私自身町内や地域との交流は皆無の状態だったので、その辺りのことはよく分からない。ただ、安田繁克の場合、子供の頃からそこに住んでいた可能性もあるので、知人もいて近所付き合いもあった可能性はある。

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