グリニッジ

12月15日(月)
ボスがバハマから帰国したが、疲れ果てたらしく出社してこなかった。公共部のスタディを進め、僕は明日は休みを貰っているので終業前に同僚のLに僕のやっていたことを一通り説明しておく。なんだかちょっと喉が痛い気がしたので、夕食は家で一人鍋。

12月16日(火)
朝からグリニッジ大学で講評会。ちょっとした縁があり、ランドスケープ学科のゲストクリティークをさせていただいているのです。

クリティークってなんじゃいという方の為に一応説明しておくと、建築を含めデザインのコースでは課題の最後に学生達が各自の作品を発表し、それを先生を含め皆で講評し合うのだが、内輪だけでやるのではなく外部からゲストを読んで、学科の外の人からみた客観的な意見を言って貰ったりもする。これがゲストクリティークという役。僕はそもそもランドスケープや庭園の人間ではなく建築の人間なので、学外かつ専門外という2重の外部性を持っていることになる。建築のCritは何度も経験しているが、ランドスケープは僕にとっても全く知らない領域なので最初はドキドキしていたが、ファウンデーションコースなので基礎的なことが多く、問題なく理解できる。領域や文化が違っても、デザインの基礎は変わらないということが良く分かったので、あえて建築的な視線からみたアドバイスをするように心がけている。

今日講評したファウンデーションコースは異なる学科を卒業し、全然関係ない仕事をしていた人たちが改めて勉強しなおしにくるコースなので年齢層は高く、20代後半から40台といったところ。勿論手管も知識も足りないので作品のレベルはお粗末なものではあるが、自らの意思で大きなコミットメントをしている人たちなだけに、一生懸命学ぼうとする姿勢は普通の学生より純粋なくらいかもしれない。何がしたいのか見えて来ない未熟な作品が多いが、頑張っているのは分かるので何とか手助けができるように必死で考えて、ポジティブなコメントをメインに、少しだけ批判とアドバイスをしようとしている。これが自分が発表する以上に大変消耗するが、限られた時間の中で何を掘り出せるかという練習なので、僕自身とても良い勉強になっている。

とはいえ中には中途半端な知識を持っているが故に頭でっかちにやってしまっている人もいるので、そういう人は厳しめに批評する。本から得た理論や知識で作ってるプロジェクトなんて上辺だけのニセモノで、見ていてこれほど詰まらないものはない。反対に、どんなに拙かったとしても自分の身を切って血を流しているものは面白いし、手助けをしてあげたいと思わされる。

でも、講評会の後はいつも結構落ち込む。僕の心の中に住んでいるヨシオという住人が、「よくまー偉そうなこと言えますね。テメーこそウンコみたいなものしか作ってねーじゃねーか」と囁くので。たはー。

18時前に講評は終わり、先生と学生達とパブに行き、僕は一杯だけ飲んで引き上げる。
GoogleさんでFino restaurantを検索したら同名の違う場所のレストランを表示されてそっちに行ってしまったりしたので、Charlotte StreetのFino Restaurantには随分遅れて到着。ARYさん、ショーゴ、ミカさんと食事。綺麗なレストランと美味しい食事だった。