2010-04-15
小人になった男
私は小人になった男がテーブルの上を歩き回るのを見ている。小人になった男は煙草のフィルターほどになった足をばたばたと動かしながら、私が耳を凝らしてようやっと聞き取れるような極小さな声で何か喚き立てている。小人になった男はおそらく賭けに負けて小人になってしまったことに抗議しているのだ。しかし賭けは賭けだよ君、と私は小人になった男に囁くように言う。小人になった男に配慮した極小さな声で。そしてもし賭けに負けていたら自分が小人になっていたことを想像して私はぞっとする。しかし次の瞬間にはもう私は微笑んでいる。小人になって部屋の中を動き回るのも悪くない、と私はひとりごとを言う。小人になった私はこの見慣れた部屋の中、あらゆる場所で、新しい風景を発見することになるだろう。部屋は広大な空間としてのホール、テーブルは自由自在に走り回れるステージとなり、私はそこでローリング・ストーンズの「ブラウンシュガー」を誰にも邪魔されずに大声で歌うのだ。素晴らしいことだと私は思う。小人になったって世界は終わらない。むしろ新しく歴史が始まるのだ。そんなことを考えながら私はテーブルに頬杖をついて小人になった男を見ている。
ふと、時計を見るともう昼の十二時だ。私は小人になった男に「お腹すいただろう」と語りかける。もちろん極小さな声で囁くように。私はキッチンへ行き冷蔵庫を開けて中を物色する。いったい小人に何を食べさせれば良いのだろう?私は冷蔵庫からハムとレタスとそして卵を取り出してみる。しばらく思案してからハムとレタスを冷蔵庫にしまい、卵を三つ割ってボールの中で黄身と白身が溶け合うまで十分にかき混ぜる。そしてボールを持ってテーブルに戻り、その中に小人になった男を放り込む。小人になった男はすぐに卵に埋もれてしまい姿が見えなくなってしまう。浮かんでくるだろうかとしばらく見ていたがそんな気配はない。私はキッチンへ行って棚から小麦粉を取り出し、鍋に油をたっぷりと入れて火を付ける。そして小人になるということは新しい歴史の始まりではあるけれど、人生の終わりは小人だろうが私だろうが誰にも予測できないものだなと考える。
私はひょいと首を横に伸ばして壁に掛けてある小さな鏡に目を向ける。そこには横向きになって歪んでいるのかにやついているのか分からない、かろうじて笑顔に見える私の顔が映っている。
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