2010-08-09
大津島(馬島)、回天記念館へ
七月二十日、東京出身・在住である友人のR君が私の住む街徳山へやって来た。挨拶もそこそこに、一時間ばかりかけて、空きテナントだらけでほぼシャッター街、ほぼ廃墟と化した徳山の街を案内して回った。もちろん、地方都市における中心街の空洞化、大衆娯楽施設の郊外への移転などの問題は徳山に限らず全国的なものだが、徳山はそれの見本市のような街であり(実際、徳山駅ビルの倒産という全国初の第三セクター倒産という前例がある)東京出身・在住の彼の目には新鮮に写ったのではないだろうか。街を一通り案内した後、とある居酒屋で久しぶりに一緒に酒を飲んだ。徳山の街は商業的にはほぼ崩壊してしまったが、歓楽街というものを持つ都市が近くにないため、飲み屋だけは意外と多く、細々と繁盛している。人口十六万人の都市としては多い方ではないだろうか。
そして翌朝、前夜遅くまで酒を飲んでいたため睡眠不足ではあったがなんとか起きることができ、二人で徳山の沖合いの島、大津島(馬島)へとフェリーで渡った。この日、回天記念館が定休日だということは事前に知っていたのだが、それでも私も久しぶりに大津島の風景を見たかったし、徳山在住といえどもきっかけがないとなかなか大津島へ行くことはないので定休日も構わず渡島した。フェリーから見る瀬戸内に点在する小島と潮の匂い、それらは長らく故郷を離れていた私にとって本当に懐かしいものだった。はっきり言えば、上京とともに徳山を離れることによって、私はそれらの風景を一度捨てたのだけれど、そんなことは関係ないよとでも言うように、風景は昔と変わらずそこにあった。
大津島へ着くとまず最初に回天記念館へ向かった。木々に囲まれた坂の小道を少し登ったところにそれはある。木々が夏の太陽を遮り、湧き水が岩から流れ落ちている様は、遠い昔、他界した父方の祖父と一緒に島根県益田市の父の実家裏の山を散策していた頃の記憶を少しだけ思い出させてくれた。
写真では見づらいが、記念館へと続く小道の脇には、訓練中や実際の出撃において戦死した人々の名前が刻印された石碑がある。北海道出身者や東京都出身者が意外と多いことに驚いた。回天の実物大らしきものは一応正確に復元したものらしいが、いざそれを目の前にしてみると、戦争末期の一部の日本人がどれだけ狂気を秘めていたのかが分かる。そして、多くの若者に「死んでこい」と命令した上層部が「一億玉砕」を唱えながら、たった二発の原子爆弾によってあっさりと無条件降伏を受け入れたその事実に、個人的には悔しさを覚える。最後まで戦うべきだったとは言わない。しかし、戦うことはできた。村上龍の『五分後の世界』はそういう観点の基に書かれた小説である。
記念館周辺を一通り散策した後、我々は坂を下り、発射場跡地へと向かった。発射場跡地へはトンネルの中を通って行く。かつて、魚雷はこのトンネル内をトロッコで発射場へと運ばれたそうだ。そして、搭乗員もまたこのトンネルを通って発射場へと向かった。トンネル内には回天に搭乗する若者たちの写真がいくつか展示してあったが、その搭乗する若者たちが皆一様に笑顔だったのが印象的だった。回天に乗り込むことが当時の誇りであったのかもしれないし、あるいはポーズだったのかもしれない。それは誰にも分からない。
トンネルを出てから発射場跡地へ向かう道を、当時の搭乗員の心境になぞらえて進むことはできない。そんなことができるわけがない。現代に生きる我々は、ただその事実のみを記憶するしかない。過去に何があったのかを知り、それを記憶するだけだ。もちろん、感傷がそこに入り込むだろう。それは仕方のないことだ。ただし、感傷が記憶を捏造してはいけない。過去に起こった出来事をできるだけ客観的に見つめ、それを正確に記憶することによって歴史が現れる。私はそういうスタンスの元に生きている。
写真では見づらいが、発射場跡地横の突堤で一人魚釣りをする初老の男性がいた。私はその男性に「何が釣れますか?」と大声で呼びかけた。男性は「今日はダメじゃあや」と返事を寄越してきた。もちろん、「英霊の魂が釣れるんや」という返事はなかった。
発射場跡地を離れると、さっきまでの曇り空が嘘のように、文句の付けようのない青空が広がり、容赦のない真夏そのものの太陽が我々を照りつけた。丁度昼時だったので何か食べたかったが、どうやら回天記念館が定休日の日には定食屋も定休日らしく、我々は空腹のまま帰りのフェリーを待った。猫が二匹、階段の陰で昼寝をしていた。人間慣れしているのか、触っても身動きひとつしなかった。フェリー乗り場に近い防波堤では数人の若者が上半身裸になって魚釣りをしていた。小高い山の方ではときおり種類の分からない鳥がさえずっていた。自分を含め、様々なものがスローモーションで流れているようだった。時間というものは一定ではない。場所や空間によって伸びたり縮んだりするのが時間だ。そのような時間軸の変容の果てに今があり、我々はそのような時間軸の変容を経た歴史の真っ只中を生きている。そして、時間軸は今後も変容し続け、誰かが我々を記憶し続ける限りにおいて歴史は続いていくだろう。
【追記】共に渡島したR君が大津島体験を綴ったエントリはこちら
- 52 http://twitter.com/hiroshin_hsmt
- 5 http://www.google.co.jp/search?q=回天記念館&hl=ja&rlz=1T4DAJP_jaJP268US268&ei=zJVhTMDnB5G9caepgOEJ&start=10&sa=N
- 4 http://ezsch.ezweb.ne.jp/search/?query=大津島&start-index=27&adpage=5&ct=2097152&sr=0000&t=20100816204636
- 4 http://mixi.jp/show_friend.pl?id=4895488
- 3 http://d.hatena.ne.jp/Hainu_Vele/20100808/1281639510
- 3 http://twipple.jp/
- 3 http://twitter.com/
- 2 http://cgi.search.biglobe.ne.jp/cgi-bin/search_bl_top?start=10&ie=utf8&num=10&q=回天記念館&lr=lang_ja
- 2 http://clip.mitaimon.com/post/999203032
- 2 http://d.hatena.ne.jp/Hainu_Vele/


















