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片柳神父のブログ「道の途中で」

2018-05-27

バイブル・エッセイ(807)恐れずに生きる

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恐れずに生きる

 皆さん、神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。(ロマ8:14-17)

「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」と、イエスは弟子たちに言い残しました。洗礼を受けることによって、わたしたちは父と子と聖霊の愛の交わり、三位一体の愛の交わりの中に招き入れられるのです。それは、具体的に言えば、「神の子」とされるということだと考えたらよいでしょう。洗礼を受けたわたしたちは、父なる神の子として、三位一体の愛の交わりに結ばれるのです。

「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けた」とパウロは言っています。イエスと出会って父なる神の愛に触れるとき、わたしたちの心に「わたしは神様から愛されている。何も恐れる必要がない」という揺るがぬ確信が生まれます。それこそ聖霊の働きと考えてよいでしょう。聖霊が与えてくださるこの確信によって、わたしたちは「神の子」として三位一体の神と結ばれてゆくのです。

「神の子」の最大の特徴は、何も恐れず、自由な心で神の愛を生きることでしょう。「神の子」として神の愛を確信するとき、わたしたちは、将来のことへの恐れや不安から解放されます。「神様は、わたしを愛して下さっている。先のことは、神様がすべてよくしてくださる」。その確信が、わたしたちをあらゆる恐れや不安から解き放ってくれるのです。仕事がうまくゆかなかったらどうしよう、病気になったらどうしようといった心配事や、死の恐れからさえ解放されるのです。恐れや不安から解き放たれるとき、わたしたちの目は、自分の周りにいる家族や仲間に向かって開かれます。神様の前で兄弟姉妹である人々の苦しみに気づけるようになるのです。神様の子どもとして、苦しんでいる仲間たちに優しく、すべての人に対して誠実に生きるとき、わたしたちは三位一体の愛の中にいます。

 「神様はわたしを愛してくださっている」と確信するとき、わたしたちは自分自身についての不安からも解放されます。神の子として神の愛を確信するとき、わたしたちは「こんな自分ではだめだ。もっと優れた人間にならなければ」という思い込みから解放されるのです。「自分を責める必要などない、わたしはあるがままで神から愛されている」と信じるとき、わたしたちは三位一体の愛と固く結ばれ、「神の子」としての喜びと力に満たされます。そして、周りの人たちに、その喜びを、力強く伝えることができるようになるのです。「わたしは神の子、神から愛されている」という確信を、聖霊がわたしたちの心にしっかり刻んでくださるよう共に祈りましょう。