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hiroyukikojimaの日記

2009-10-11

小飼弾さんの書評に恐れ入るの巻

21:18

 小飼弾さんが、ぼくの新著『使える!経済学の考え方』ちくま新書書評を書いてくれた。

404 Blog Not Found:数理は有利 - 書評 - 使える!経済学の考え方

小飼さんは、今年出たぼくの4冊の本のうち、3冊を書評してくださってて、そのどれもがすばらしいんだけど、今回のは他の二冊とは違う意味合いですごいと思う。他の二冊は、数学の本なので、小飼さんが適切に評することができるのは、まあ、全く不思議ではないのだけど、今度の本は完全に経済学どっぷりの本なので、さすがに小飼さんは専門外のはず。専門外にもかかわらず、これほど的確にぼくの本を読みとけてしまうことには、震撼せざるを得ないのだ。小飼さんはこういう。

私事で恐縮なのだが、少なくとも私にとっての数理というのは、情緒の harness だ。そして著者も実はそうであることは、本書の行間からもびしばしと伝わってくる。著者の作品はいずれもそうなのであるが、対象が著者の本職でもある数理経済学ということもあって、本書ではそれが最も顕著となっている。

そうなのだ。ぼくがこの本を書く上で最も苦心したのは、読者に数式的な苦痛を負わせることを極力避けながら、にもかかわらず、数理的な解説から逃げることを一切しない、できるだけごまかさない、という矛盾した目標の達成だった。なぜなら、この本の大きな柱の一つは、現代の経済学は誰がなんと言おうが数理科学だ、ということだからだ。それで、小飼さんいうところの「話をする時は、相手に知識はまったくなく、知性は無限にあると思って話せ」を可能である限界まで試みてみた、そう自負してる。(それにしても、この言葉、いい言葉だよね。物書きとはこうでなけりゃいかん。座右の銘にしよっと)。

 いや、ただこれだけ言うためにこの日記を書いたんじゃない。それじゃ小飼さんとの間のヤラセだと思われかねない。(実は全く面識もメールのやりとりもないんだけどさ)。まさに今日、ある場所で、小飼さんってすげ、って思ったよ、という本題に移ろう。小飼さんは、書評の中でこう言っている。

私は常々、経済学 = 物理学 + 心理学 と唱えてきた。本書を読めば、経済学が第一項に関しては多大な成果を上げてきたことがわかるはずだ。数理は物理と相性がいい以上、それは当然のことと言える。そしてまだ果たされていない貧困の克服にあたって、この視点は今なお大きな価値を持つ。

その一方で、物理学で扱える経済では足りないことも、先進国ではますます明らかになっている。いくら経済成長しても幸福度は上がってくれない。経済において心理学が占める割合がますます大きくなり、そして今後も大きくなっていく以上、心理、そう感情そのものを数理の俎上に乗せずにはいられないというのは確かではないか。

今日、日本経済学会の秋季大会が専修大学であったのだけど、特別セッション神取道宏さんの講演の中で、小飼さんいうところの「経済学 = 物理学 + 心理学」ということがほぼ全く同じニュアンスで宣言されたのだ。神取さんは、問題解きの効能のあれやこれや - hiroyukikojimaの日記で紹介した通り、ゲーム理論の世界的大家であるだけでなく、めちゃくちゃレクチャーのうまい人で、今日の講演もわかりやすくすばらしいものだった。風邪で体調不良のなか行ってよかったと思える有益なものだった。

神取さんは、落ち葉が舞い落ちる画像を見せながら、左右に揺れる軌跡の中央に真っ直ぐな線を引き、それを「真空中の落体法則」と言った。物理では、実験によって真空を作り出せて、これを検証できる。これは経済では、完全競争などの一般均衡ゲーム理論の均衡にあたるが、そういう理想状態は作り出せない、とする。そして、現実がこの落体運動の直線から左右に揺らぐのはどうしてか、が問題であるとする。物理ではそれは空気抵抗であり、これも理論化できるし、実験で検証できる。他方、経済では、落ち葉の左右の揺らぎは「人間の心理」や「人間の非合理性」だと理解される、とする。まさにこれを解明するのが、行動経済学であり実験経済学である、と言うのである。そして、小飼さんいうところの「経済学は、物理の部分では、一定程度の成果をあげたので、これからは心理の部分の解明だ」ということが、まさに神取さんの口からもほぼ同じニュアンスで語られたのである。まさに、小飼さんの意見は、世界最先端ミクロ経済学者とどんぴしゃ一致してるってわけ。すげえ。そして、今回のぼくの本が、終章以外では、その「物理的な部分」での経済学の成功を解説している、というのもその通りだし、終章の最後で触れたぼくの未達の理論「論理的選好」が、「心理的な部分」を解明するぼくのアプローチである、というのもその通りなのだ。

小飼さん、書評だけじゃあきたらないだろうから、経済学の研究にも手を染めたらどうだろうか。何か貢献できても不思議じゃないと思う。ただし、それでなくとも若い経済学徒たちのポジション不足の昨今。それをクラウディングアウトしない形でお願いしたい。稼ぎは本業のほうでがばがばとどうぞ。

 でも、神取さんの講演が面白かったのは、「経済学 = 物理学 + 心理学」をこれからのミクロ経済学の方向性と位置づけながらも、その「心理学」の部分にいろいろな問題点を指摘したところだ。ここでいう「心理学」というのは、さっき言った通り、ミクロ経済学では「行動経済学」とか「実験経済学」の分野を指すのだけど、これらに一定の評価を与えながらも、ちゃんとその限界を問題提起しているところがよかった。いろいろ出されたけれど、ぼくが最も溜飲が下がったのは、「実験室では、普段と異なる戦略で行動をしてしまう」プレーヤーが実際存在する、という実験結果を出した論文の紹介だった。ぼくは常々、これは大きな問題点だろうと感じていたので、裏を取った気分だった。経済行動には、往々にして、人生を左右する局面がある。住宅を買うのもそうだし、転職するのももちろんだし、結婚や進学もそうだ。あるいは、巨額の株取引はもちろんだろう。こういうときに、自己責任のもとで取る行動と、実験室でささやかな報酬や利得のもとで行う行動が一致するとはとても思えない。行動経済学的な「アンケート結果」や実験経済学での実験結果を、そのまま実際の経済行動として鵜呑みにしてしまうのはものすごく危険だと思う。それをどう割引きどう演繹に用いるか、それが大きな課題となるだろう。

 神取さんのあとの清滝信宏さんの「流動性景気循環」も非常に示唆的な講演だった。この講演は、明らかに、世界同時経済危機後に浴びせられているマクロ経済学、とりわけリアルビジネスサイクル理論やそれを変形したニューケインジアン理論への罵倒を意識したものだったと思う。リアルビジネスサイクル理論への誤解を解きながら、その素朴な理解の仕方を示した上で、この理論の成果と限界をまとめあげた手練はみごととしかいいようがない。そして、現在起きているような大きな景気循環のうねりをシミュレートするには、この理論では力不足であり、どんな「現実的な制約や摩擦や歪み」が必要かを説いた。短時間の講演では、きちんと理解することはできなかったけれど、最後に、清滝さんが、自分の理論のアイデアを喩えるものとして、ジョーン・ロビンソンの次の言葉で締めくくったのは印象的だった。

ケインズ革命の核心は。人間の生活は時間を通じて行われるということをはっきり認識したことであった。すなわち、変えることのできない過去とまだ未知の将来との間に、たえず動きつつある瞬間において人間は生活をしているのだということをはっきり認識したことであった。

      ジョーン・ロビンソン『異端の経済学』ーー日本語版によせて, p1

清滝さんがこの言葉を言ったとき、ぼくはドキドキしてしまった。なぜなら、ぼくはこの言葉が大好きであり、この認識をモデル化することこそ、ぼくが経済学の中で夢見る未解決問題、数学で言えば「リーマン予想」「連続体仮説」の類似形であるからだ。だから、ぼくが最近出した二冊の本、どちらにもこの言葉は出てくる。『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫では、哲学における時間のパラドクス、とりわけマクダガードの時間論とケインズ理論をいっしょに論じているし、今回の本『使える!経済学の考え方』ちくま新書では、第6章「市場社会の安定をどう考えるかーーケインズ貨幣理論」の中でこの概念について徹底的に論じてる。この問題意識は、宇沢先生から伝授されたものだけれど、マクロ経済学の世界最先端学者である清滝さんもこの魔境に向かって突き進んでいるのだ、というのはとても勇気づけられた。

 それから、福田慎一さんの石川賞受賞講演における日銀金融政策のサーベイもとても参考になった。今までの三つの講演に共通して感じられたのは、今回の経済危機を大きな問題意識・課題として、経済学者たちは動き始めている、ということである。外野で、いろいろ悪口やあげ足とりを言う人もいるようだが、少なからぬ経済学者たちはちゃんと、プロとしての職業意識として、誠実に前向きに新しい問題と取り組み始めている。ぼくは、日本を含む世界の経済学会は、象牙の塔でもないし、閉鎖的で内部論理的な宗教団体でもないと思う。そして、ちゃんと自浄作用もあると思う。何より、ものすごく頭のよい人たちが、その能力をフルに使って、難問と取り組んでいるのだから、素直に期待していいと思うのだ。だって、学者はその本能として、難問があれば、それを解こうとするのだ。そして、過去にきちんと問題を解いた功績から学者になっているのだから、誰かがきっと突破口をみつけるだろう。もちろん、紆余曲折もあるし、迷走もすることもあるだろう。たくさんの意味のないパズルにも労力がさかれるだろう。けれど、本当に真理をみつけ出すのは、辛辣なだけがとりえの「評論家」などではなく、良かれ悪しかれ本能的に問題解決と取り組んでしまうサガを持った学者たちに他ならないと思うのだ。ぼくもささやかながら、何か貢献できたいいな、と思い新たにした。

 あれ、なんかいつのまにか、小飼さんの話からかなりそれてしまった。ま、いいか。

関係ないけど、YUIちゃんの新譜を聴きながら、これを書いてる。う〜ん、『カイジ』とYUI という取り合わせがなんだかなあ、と思いつつ、おまけのDVDを観て、YUI はボブにしてもかわいいな、などと顔がほころびてる自分がオヤジ丸出しだ。