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hisak71の日記 Twitter

2010-08-03

インド・ラダック旅行記 (7/17-7/25) 1日目/2日目 [デリー、レー、ピャン]

勤続年数が一定以上になると受けられる長期休暇制度(サバティカル)を利用して、風の旅行社主催の「ラダックの桃源郷秘仏を訪ねて ー川崎一洋さんと往く・仏教美術巡りー」というツアーに参加してきた。インドというかチベット文化圏に行くのも、ツアー参加も初めてであったが、非常に充実した旅だった。

普段、神社には参拝に行ったり、関連本を読んだりしたことはあったが、仏教にはそれほど傾倒してこなかった。「孔雀王」という漫画を中学生の頃に読んだり、、大学生になって三島由紀夫にはまっていた頃、「豊饒の海」第三巻の「暁の寺」で大乗仏教のウンチクに触れた程度。最近は「聖おにいさん」がお気に入りだった (今回の旅行でかなり役立った。。)。いずれにせよ、系統だった知識は何も持っていなかったので、あわてていくつかの本で勉強した。で、疑問点は川崎先生にお会いしてからお尋ねしようという魂胆。。

ラダックは説明が難しい。インドの北東部で、インドパキスタン中国に囲まれた場所。現在は行政区分としてはインドのジャンムー・カシミール州なのだけど、チベット文化圏に属している。かといってチベットと同一というわけではなく、言葉も少し異なる。チベット自治区が(悪い意味で)漢化が進んでいるため、ラダックは「チベットよりもチベットらしい」と称されることもあるようだ。詳しくはこちら。

wikipedia:ラダック wikipedia:チベット

イスラム中国チベットインドの歴史の理解ぬきでは、何が起きたのかよくわからなくなってしまうと思う。そういう意味では勉強のしがいのある奥深い場所といえる。


より大きな地図で インド・ラダック を表示

位置関係はこんな感じ。3つあるピンのうち真ん中のレーという街を拠点として、東端をタクトクとする上ラダックと西端をラマユルとする下ラダックを見て回る。点線な国境ラインが生々しい。

1日目 成田からインドのデリーへ (7/17)

2日目 ラダックのレーへ (7/18)

3日目 上ラダックその1 (7/19)

4日目 上ラダックその2 (7/20)

1日目[成田からインドのデリーへ] (7/17)

午前10時に成田空港で集合。ツアーに参加するのは初めてだったのでドキドキする。成田からは参加者5名と川崎先生、添乗員のNさんが搭乗する。東京組は全員一人参加だったので少々驚く。確かに、僕の周りには、一緒に標高3500mの高地で仏像や壁画見まくろうぜ、と言って来てくれる友人はいない。。妻からも「高いところはいやだ」と言って断られたし。

というわけで初めてのエアインディアに搭乗。

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楽しみにしていた機内食。とてもおいしかった。どの航空会社もカレーにすりゃいいのに、と思う。

デリーの国際空港に到着後、空港近くのホテルへ。ホテルのレストランでまたカレー

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マトンマサラ。マトンの肉は柔らかいしパクチーも大量。すばらしい。

2日目 [ラダックのレーへ] (7/18)

午前4時に起床。レストランにて昨夜遅く関空から香港経由で到着した関西組の参加者7名と初顔合わせ。トーストなどの簡単な朝食を取って、デリーの国内線の空港に移動する。飛行時間は1時間ちょっとだけど、きちんとした機内食が出た。

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これはベジタリアン向けのカレー。朝だったからマイルドにしてみた。

レー (Leh)

デリーの空港で預けた荷物が飛行機に積まれていなかったというハプニングに遭遇。僕だけではなくツアー参加者全員の荷物を含む数十個の荷物が無かった。「もう荷物はないよ、何か?」という感じで手をふる係官の仕草が忘れられない。ツアーで良かったと心から思った。添乗員のNさんは大変だったと思う。。ちなみに荷物は翌朝届いた。

現地ガイドのスタンジンさんと合流して、いよいよラダック最大の街であるレーへ。まず最初にホテルにチェックイン。

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Namgyal Palace Hotelというところ。見た目新しいホテル。

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部屋からの風景。ちなみにここで標高3500mぐらい。急いで階段を登ろうとするとすぐに息切れがする。

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ホテルの前の通り。地方の静かな道という雰囲気の写真だが、これは朝だから。。実際には車はひっきりなしにクラクションを鳴らしながら通り、牛がフリーに闊歩する。

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真ん中に写っているのは、ラダック王国のかつての王宮跡。17世紀前半、センゲ・ナムギャル王によって建てられた。西チベットにあったグゲ王国を占領したり、ザンスカールを併合するなどして、レーを中心とするラダック王国の勢いが非常にあった頃のもの。右の小高い山にはお寺が見える。今回のツアーではどちらにも行っていない。

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休憩でお茶した時に撮った写真と動画。右端にイスラムモスクが見える。仏教、ヒンズー、イスラムが狭い街に同居。生活に密着している宗教を否応なしに見せつけられる。動画をクリックすればyoutubeのサイトに飛んで、HD品質を見られると思う。しかし、縦長で撮影したのでありがたみはゼロだ。。大失敗。

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旧市街を歩く。街の入口のトンネル。左が観音菩薩で、右が弥勒菩薩らしい。川崎先生が非常に分かりやすく教えて下さる。

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このような二階建ての建物もあちこちで見かける。左の黄色が文殊菩薩。真ん中の白色が観音菩薩。右の青色が金剛手菩薩。よく見るとそれぞれの色で何か文字が柱に書いてある。こういう文字が読めれば面白いかなあと思って、iPhoneチベット文字の学習アプリを購入したけれど、全く身につかなかった。。

昼食はチベット料理。

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これはトゥクパだっけなあ。かなりの薄味。練り唐辛子を大量投入すると美味しい。あと、モモと呼ばれる餃子を食べる。

午後からいよいよ車5台に分乗して寺院めぐり。

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途中、インダス川がよく見える撮影ポイントに立ち寄る。来てよかったなー、と思った瞬間。このように水があるところだけ緑がある。

グル・ラカン(Guru Lhakhang)

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ピャン(Phyang)村。この後訪れる多くの村がそうあるように扇状地となっている。「風の谷」だなあ、と一人で感動する。

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小高い丘をぜえぜえいいながら登ると、今回の旅の最初のお堂にたどりつく。グル・ラカン(Guru Lhakhang)だ。15世紀ごろの創建らしい。

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最初に目に飛び込んできた壁画。ヘーヴァジラという守護尊。赤色を基調として、ギザギザ眉毛に火焔、というサキャ派の様式に則っているようだ。8人の茶吉尼に囲まれている。サキャ派については後述。ここのお堂は他にも薬師如来釈迦阿弥陀如来、持金剛、ターラー、大黒天などなどそろい踏み。ここには是非もう一度行きたい。

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真ん中の円筒状の釜は「プルカン」と呼ばれるもので、火葬に用いられる。

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で、遺灰の一部はこの小さな塔のように固められて納められる。「ツァツァ」と呼ばれるらしい。

ピャン寺 (Phyang Gompa)

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16世紀後半の創建。カギュ派。千手観音などいろいろあったのだが、グル・ラカンで少し興奮しすぎたせいか疲れて、あまり写真を撮っていない。印象的だったのはゴンカンと呼ばれる護法堂。お寺を守るための忿怒尊が祀られている。動物の剥製も中にぶらさがっているし、とても気安く写真を撮れる雰囲気ではない。

カギュ派には詩人としても有名なミラレパが属している。カギュ派自体がいろいろ分立しているのでややこしい。詳しくはこちら。

wikipedia:カギュ派 wikipedia:ミラレパ

時代的には11世紀頃なのでそんなに古い話ではないのでは?と思う日本人もいるかもしれない。実は僕もそうだった。空海中国から日本に密教をもたらしたのは9世紀初頭で、学術的には中期密教と分類される。ラダックをはじめとするチベット文化圏にはインドの後期密教が直接伝えられた。そのため、日本ではあまり見かけない仏や美術様式がこの地には生きていて、それが魅力的なのだと思う。日本でもこの時代に浄土宗禅宗など鎌倉仏教が花開いたので、両方分かる人が比較すると面白いかもしれない。

このあと、ホテルに戻って夕食。夕飯は中華料理だったかな?台湾から20人ぐらいの観光客が来ていたためだろうか。台湾ではチベット仏教が人気あるらしい。昔、清はチベット仏教を国教としていて、清が崩壊した際に多くのお坊さんが台湾に移動した。道理で静かな人たちだと思った。。

就寝。この夜はつらかった。ダイアモックスという高山病の予防薬を飲んでいるのだが、呼吸が苦しくなって何度も目が覚める。ちなみにこのダイアモックスというのは、処方せんが必要な面倒くさい薬。僕は近所の内科で出してもらった。副作用として利尿作用や手足のしびれを感じる場合がある。次の日の夜からは、半錠ではなく1錠まるごと飲むようにしたら気絶したように眠ることが出来るようになったがあまりオススメできない。服用するとかえって眠れなくなるという方もいらっしゃった。

インド・ラダック旅行記 (7/17-7/25) 3日目/4日目 [上ラダック]

3日目と4日目はレーの南東、上ラダックと呼ばれる地域の寺院をまわる。4日目にはタクトクで行われるお祭りを見学することにもなっている。

3日目[上ラダックその1] (7/19)

6:30に起床。昨日、国内線に積み込まれなかった荷物をホテルで待ったため、出発は10時頃だったかな。寝不足などの疲れが解消されたので、のんびりできて良かった。

シェイ (Shey)

16世紀にレーにラダック王都が遷都する前に都があったところ。8世紀半ばの吐蕃の崩壊の混乱の後、10世紀にラチェン・パルギゴンがシェイに都をおいた。シェイとは水晶の意味。

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昨日のピャン寺の写真と何が違うのか見分けるのが難しくなってきたかもしれない。。

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8個の仏塔がある。チョルテンと呼ぶ。8つの聖地を表している。ほとんどのお寺にあった。

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シェイ寺の壁画で、これは獅子吼観音(センゲータ)。珍しいらしい。

大乗仏教の祖とされるナーガールジュナや、他にもお釈迦さん、持金剛、阿弥陀如来などもあった。

ティクセ寺 (Tikse Gompa)

15世紀半ばに創建。ゲルク派ゲルク派チベット最大の宗派。成立は新しく14世紀で、ツォンカパが開祖ダライ・ラマはこの宗派。ツォンカパの本性は文殊菩薩とされている。ちなみにダライ・ラマ観音菩薩化身とのこと。あと、黄色い帽子をかぶっているお坊さんが描かれていたらゲルク派

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ティクセ寺の全体像。でかい。基本的に白色のところはたぶん僧房で、茶色がお堂。自動車でこの写真の後ろに回り込むとチョルテンがあった。お寺の中にレストランがあるのでお昼ごはんはそこでカレーを食べた。

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中庭にあった護摩壇。詳しくは忘れてしまったが、良いことをお祈りするときと呪い系とで護摩を焚く向きが異なるようだ。

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六道輪廻図。人間道、天道修羅道餓鬼道地獄道畜生道。真ん中の円にある鳥・蛇・豚は、それぞれ貪瞋痴(とんじんち)の三毒を表す。多くのお寺のお堂の入り口にはこの六道輪廻図と四天王(多聞天増長天持国天広目天)が描かれていた。

お堂の中の写真はあまり撮っていない。ゲルク派の守護尊であるヤマーンタカがゴンカン(護法堂)にあった。ここのゴンカンも異様に怖かった。

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弥勒菩薩大仏像。大きいよ。2階建ての建物の2階から参拝している。1980年に完成したようだ。

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大仏像の裏の壁画には如来の形をした弥勒が描かれている。水瓶を持っているのが弥勒像のポイント。水瓶には伝法の継続という意味が込められているらしい。

スタクナ寺 (Stakna Gompa)

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インダス川を超えてスタクナ寺へ。スタクナとは「虎の鼻」の意味。川を超えて、ぽつんとある小さい山の上にある。

スタクナ寺はカギュ派の一つであるドゥクパ派である。4日目に訪れるヘミス寺もドゥクパ派だが、本によると"別系統(ブータン系)"とある。なのでドゥクパ派の説明はヘミス寺で。

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これはなんだろう。。誰か教えてください。。マハーカーラ(大黒天)の一種? でも羽が生えているしなあ。。楔が強烈。

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チャクラサンバラという守護尊。この後の写真で出てくるカーラチャクラとの見分け方のポイントは左手に持っている梵天の首。女性パートナーと明らかに合体している。

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持金剛。腕を交差させて金剛杵と金剛鈴を持っているのが特徴的。

マト寺 (Matho Gompa)

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ラダック地方唯一のサキャ派の寺院。サキャ派中国元朝との密接な関係が特徴的。当時、チベット軍事的にはモンゴルの支配下にあったが、チベット仏教国師に推戴されて王権儀礼を演出したらしい。チベットにサキャ寺という総本山がある。

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メモ書きには、カルキグンポ、サキャ派の守り神と書いてあるけど、、さて? 二日目のグル・ラカンで見たようなゲジゲジ眉毛に火焔がサキャ派の美術様式を伝えている、と言っていいのかな?

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メモには記していなかったけれど、たぶん金剛界の曼荼羅のタンカ。大日如来ではなく阿しゅく如来が中心にいるようだ。

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四面の大日如来。メモには一切知大日如来と記してあるけど、さて、、どうやって見分けるのだろう。。智拳印をしていないこと?

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ただの千手観音ではない。よく見るとすべての手に目が描かれているので、千眼千手十一面観音だと思われる。

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マンタカ。このような守護尊はお堂の入り口付近に描かれていることが多い。

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新しいお堂の一切知大日如来。手に持つ丸い鏡は王を表しているらしい。周りのたくさんの仏像で金剛界曼荼羅を表している。このような新しい像が作られるほど、このお寺は豊かなのだと思う。どのようにお金がまわっているのかガイドさんに聞けばよかった。。

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マト寺からの風景。中心の下よりに、お昼ごはんを食べたティクセ寺が見える。

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動画。山の地層が大変なことになっている。

これにて3日目のスケジュールは終了。ホテルでの夕飯はもう覚えていない。カレーかなあ。確かこの日の夜に、川崎先生による勉強会が開催されて、チベット仏教の歴史や代表的な人物、金剛界の五仏、といった説明をして頂いた。特に金剛界の五仏は、あとあと曼荼羅を見る上で非常に役立った。

4日目[上ラダックその2] (7/20)

午前8時に出発。タクトク寺のお祭りのスケジュールが読めないので、まずはタクトクに向かう。途中、数十年ぶりに立ち小便をする。あの開放感というのはなんだろうね。

そういえば、前日の勉強会の復習ということで、シェイのすぐそばの磨崖仏に立ち寄った。

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結構古く、7〜10世紀のものらしい。中心は智拳印を結んでいる大日如来。あとは左から、宝生如来、阿しゅく如来阿弥陀如来、不空成就如来。きちんとそれぞれの動物も描かれているよ。例えば、阿弥陀如来(右から2番目)の足元には孔雀が見える。この磨崖仏の道路のすぐ脇で、車がびゅんびゅん行き交っている。そんなところでまだ綺麗な状態で残っているのを見て、大事にされているんだろうなと感じられた。

タクトク寺 (Tak Thok Gompa)

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お祭り会場に着いた。これは新しいお堂。タクトク寺はニンマ派に属する。ニンマというのは「古い」という意味で、パドマサンバヴァを開祖とする。チベット密教をもたらしたとされ、8世紀後半の人物。このパドマサンバヴァ、宗派を超えてとっても人気がある。日本でいうと、役小角安倍晴明のような立ち位置か。腐女子以外に大衆への人気があるかどうか知らないけど。。こうしたお祭り(ツェツェと呼ぶ)では、このパドマサンバヴァの化身、8変化が出てくる。この新しいお堂にもパドマサンバヴァが中心に祀られてあった。この後、人はもっと膨れ上がる。我々も含まれるのだが人込みがすごい。特に欧米人が多い。有料の席に座っているのはほとんどが欧米人。特等席らしきところには日本人もいる。地元の人達は正装。みーんなとてもお祭りを楽しみにしているのがよく伝わってくる。

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午前10時スタートと聞いていたが、結局午前11時すぎに始まった。インド時間だ。

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こんな仮面をかぶった小坊主がお布施を強要して笑いを取る。強要された方は笑っていなかったけどね。。こういう時の欧米人はとてもケチで、断固として拒否する人たちもいて面白かった。

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ブォーっていう低音が好き。ブブゼラは見習うべき。後半の仮面姿の踊りは、祭りを行うにあたってこの地の悪霊を鎮めている。

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お昼はタクトク寺近くの民家で、宿泊しているホテルが作ってくれたお弁当を食べる。ここでバター茶を初めて飲んだ。しょっぱいので驚く。炒った麦の粉をバター茶と混ぜて団子状にして食べる。お腹がたまるたまる。写真の畑は麦。

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タクトク寺に向かう。階段の奥に洞窟があって、パドマサンバヴァなどが祀られている。結構見ごたえはあったが、お祭りということもあってかなり混んでいる。また、僕はこの日ぐらいからお腹の調子が悪くなってきた。トイレへ急ぐ。。ちなみにこのタクトクが今回のツアーで最も標高が高かった場所。3800mぐらい。

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バスに群がる人々。このバスはマツダだ。ラダックで見かけた小型車のほとんどがスズキヒュンダイ。トラックはタタが多く、一部トヨタ

チェムレ寺 (Chemrey Gompa)

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一枚くらい自分をさらしてみる。時間は順序するが、タクトク寺に向かう途中のトイレ休憩の際に、チェムレ寺をバックに撮影してもらった。山肌にびっしりと僧房が見える。

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チェムレ寺はドゥクパ・カギュ派に属する。レーにラダック王国の王宮を作ったセンゲ・ナムギャル王が中央チベットから招聘したタクツァン・レイパによって17世紀中頃に建立された。この白い帽子をかぶっている人がその方。

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パドマサンバヴァはここにも。ちなみにチベット語ではグル・リンポチェと呼ばれる。グルは「先生」、リンポチェは「宝」の意味。

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そしてパドマサンバヴァの周りにはその八変化が。とっても尊敬されている。

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カーラチャクラ。この守護尊は結構好きである。色彩がきれいだと思う。

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ゴンカン(護法堂)にはしばしばこのように動物の剥製がぶらさがっている。

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この方は誰だろう。忘れてしまった。釈迦の弟子?

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いくつかの文字が組み合わされている。なんと書いてあるのかわからないけれど、こういうの好き。

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次のお寺に向かう途中、インダス川を渡った。結構流れが速い。橋にかけられた旗がカラフル。

ヘミス寺 (Hemis Gompa)

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この日、最後のお寺。ラダック最大のヘミス寺に到着。ドゥクパ・カギュ派に属する。タクツァン・レイパ3世によって建立された。ここの宝物館というか博物館がすごい。非常に裕福なお寺であったことが実感できる。博物館の中はカメラなどは持ち込み禁止なので、川崎先生の話をじっくりと聞くことができた。博物館を出る頃はお堂の閉館時間の18時近くであわててお堂に向かう。

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ここには大きなお堂が二つある。左のドゥカン・パルパという方は修復中。右のドゥカン・チェンモに参拝した。

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メモには記録がない。買ってきた本によると、名前はAyushpati (チベット語ではTsedag)と呼び、激怒している文殊菩薩とある。確かに剣を持っているけれど。。ヤマンタカの古い型、という記述も本にはあった。

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馬頭観音。よく見ると髪の毛から馬がのぞいている。wikipediaによると、馬頭観音はヒンズーではヴィシュヌ神の異名らしい。

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最後にちょっとなごもう。。ラダックではいたるところで、犬がこんな感じで日中寝ている。

これにて上ラダックは終了。5日目からは下ラダックへ向かう。

2010-04-17

Ruby: Revactor

RevactorをRuby1.9.1で試したところ単純に理解しきれないところがあったのでまとめておく。

まずgemを用いたインストール。とは言ってもgem自体になれていないのでこちらのサイトを参考にさせて頂いた。id:taigou:20090202:1233579475

$ gem sources -a http://gems.github.com
$ gem install rev
$ gem install revactor

READMEにあるサンプルプログラムを動かしてみる。

require 'revactor'
myactor = Actor.spawn do
  Actor.receive do |filter|
    filter.when(:dog) { puts "I got a dog!" }
  end
end
myactor << :dog

"I got a dog!"と表示されるのを期待したが出ない。いろいろ調べると同じ問題をNewsgroupで聞いている人がいた。http://www.rhinocerus.net/forum/lang-ruby/68602-rev-actor-tcp-monkey-patching.html

最後に

Actor.sleep(0)

を付け加えれば、確かにきちんと表示されるようになった。Newsgroupの議論によれば

When doing anything with Actors, just remember you're "queuing up"

operations which will run later... later being whenever you call

Actor.receive. Actor.receive is the only way to defer control to other

Actors (keeping in mind Actor.sleep is just shorthand for Actor.receive)

上の例だとmyactorはspawnされただけなので、メインスレッドから何らかの形でActor.receiveが呼び出されないとコントロールがActor側に渡されないという事らしい。次のような形でも動作する。

parent = Actor.current
myactor = Actor.spawn do
  Actor.receive do |filter|
    filter.when(:dog) {
      puts "I got a dog!"
      parent << :foo
      }
  end
end
myactor << :dog
Actor.receive do |f|
  f.when(:foo)
end

サンプルとしては、tools/messaging_throughput.rb がより分かりやすいと思われる。

この後、よーしお父さんmongrelでベンチとるぞ、と意気込んだものの、mongrelのbuildに失敗する。Ruby1.9との相性が良くないみたいだ。1.9必須のrevactorのREADMEにはmongrelとの親和性の良さをアピールしているんだけど。。とりあえずmongrelpassengerで試す前に、次はrevactorをsocketで試してみよう。

2009-10-08

NHK大河ドラマのオープニング

Youtubeをぼけーっと見ていたら、大河ドラマのオープニングが意外とあることを知ってしばらくはまってしまった。せっかくなのでまとめてみた。

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オープニングの完成度はかなり高いと思う。iTunes Storeで購入済み。「天地人」のような変なCGはないし、NHK交響楽団とリズムのパーカッションが重なるところはぞくぞくする。オープニングの最後に山内一豊が築いた高知らしき碁盤の地図が流れるところが大好き。ドラマ自体は、まぁ、、ね。。仲間由紀恵、見たさになんだかんだ言いながら最後まで見ていた。土佐をもらった山内が、長宗我部の家臣である一領具足たちを虐殺したところは、よくぞきちんと再現したと評価している。

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なんというかミーハーですいません。松嶋菜々子見たさでした。。オープニングは、まあ普通? この大河が秀逸だったのは、秀吉役の香川照之。この人が演じた秀吉の設定が一番好き。中国大返しでこんな演技をする秀吉が今まであっただろうか。

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中盤からの合唱がかっこいい。どこの合唱団だろう。慶應ワグネルかな? 放映当時は高校生だったのか。。長男の義信との確執や、諏訪家との微妙な関係をこの大河で知った。義信の傅役だった飯富虎昌(児玉清)を失って悲しむ信玄のシーンが何とも印象的だった。

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武田家つながり。視聴率を無視したとも思われる骨太な大河であった。なかなか仕官出来ない葛藤をよくあそこまでやったと思う。曲はめちゃくちゃかっこいい。ちなみに妻のお気に入りはこっちだ。

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マイベスト。ぜひNHKにはこの時代を果敢にまたやって頂きたいと思う。オープニングもかっこよすぎる。最後に「後醍醐天皇 片岡孝夫」というテロップが流れるとなぜかジーンとする。高師直北条高時が好きだった。当時は大学1年生。護良親王が殺害されるシーンの辺りから、なぜこの時代を描くのが困難とされてきたのが分かってきた。去年の5月ぐらいに鎌倉に一人旅して、鎌倉宮や高時の腹切やぐらを訪問したのを思い出す。あの時代を勉強し直して、また行ってこようかな。

(追記)この曲を何度も聞いているうちに、僕が愛してやまないZガンダムサントラと似ている部分があるのに気づいた。Zのサントラ三枝成彰が手がけている。うーむ、エヴァ鷺巣詩郎メガゾーン23の音楽もやっていたのを知った時と同じ衝撃。

Youtubeで見つけられなかった他の好きな作品は、「峠の群像」、「真田太平記」、「武蔵坊弁慶」、「跳ぶが如く」。あー、もう、時代劇チャンネルに入ってしまおうか。今年11月からは念願の「坂の上の雲」が始まる。作曲は久石譲。変なCGは多用せず、変に視聴者におもねる事もなく、骨太なオープニングをまずは期待する。

2009-09-27

熊野三山参拝記 (9/13, 14) -2日目 新宮、那智-

月曜日の朝。6時半に起床して7時から朝食。温泉粥と干物がとってもおいしかった。朝食後お風呂に入って、8時45分ごろに宿を出発。今日の予定は、新宮と那智をまわってから、新宮に戻りレンタカーを返却するというコース。

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湯の峰温泉から再び国道311号で本宮へ向かいT字路で右折。熊野川沿いの国道168号で新宮へと向かう。大津荷の辺りで本宮を振り返ってみたのがこの写真。昔は本宮から川下りで新宮へと向かっていたということで、相当立派な川幅だったのだろうと想像する。

この先、北山川と熊野川が合流すると、水量がずいぶんと増えていた。川沿いに気分よくドライブすること40分ほどで新宮市に入る。帰りの電車の指定席をあらかじめ購入するために新宮駅に向かう。新人の駅員さんが発券処理をがんばっていた。


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熊野速玉大社に到着。こちらは神門である。「新宮」の由来だが速玉大社で購入した御由緒によると

この神倉山に、神代の頃熊野三所大神が降臨され、その後、景行天皇五十八年の春三月、石渕を経て、現在の熊野速玉大社の社地に、初めて真新しい神殿を建てて神々がお遷りになり、その「新宮(にいみや)」にお供えを献じ、祝詞を上げて、「祀り」と「祈り」という形態を整えていったと考えられる。これが新宮の謂れで、単に旧い宮から新しい宮に遷したというだけではなく、まして熊野本宮に対する呼び名でもなく・・

太字は原文ママ。神倉山についてはこの後行くので後述。石渕というのは現在の貴祢谷(きねがたに)社のことで速玉大社とは熊野川をはさんだ対岸の地域にある。詳しくはこちら(み熊野ねっとの説明)。ちなみに本宮に対する新宮と説明する学者もいる。平安時代のある時期は速玉大社が本宮大社よりも一つ社格が上だった事もあるようなので、個人的にはこの速玉大社による説明がしっくりする。


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速玉大社内の建物は大きなものが4棟。向かって左から

  • 結宮
    • 第一殿: 夫須美大神 (主神)
  • 速玉宮
    • 第二殿: 速玉大神 (主神)
  • 上三殿
    • 第三殿 (証誠殿): 家津御子大神
    • 第四殿 (若宮): 天照大神
    • 第五殿 (神倉宮): 高倉下命 (たかくらじのみこと)
  • 八社殿
    • 第六殿から第十三殿

以前述べたように速玉大社の主祭神は速玉大神と夫須美大神。拝殿は結宮と速玉宮の前にある。写真では注連縄のある拝殿を中心として奥に結宮と速玉宮の屋根があることを確認できる。基本構成は本宮大社と変わらないのだが、速玉大社では第五殿の神倉宮というのが追加されていて、全部で十三殿あることになっている。神倉宮で祀られている高倉下命については後述。明治16年の花火による火災で社殿を全て消失し、現在の社殿は昭和35年に再建したもの。朱塗りの柱がきれい。

平安時代末には、速玉大神を伊邪那岐命、夫須美大神伊邪那美命と同体とされていたようだ。12世紀ごろに造顕されたと推定される小ぶりの伊邪那岐命と伊邪那美命の像の正面に、それぞれ大きな速玉大神像と夫須美大神像が神殿内に置かれている。


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速玉大社の神宝館。すさまじい数の国宝が展示されている。ちょうどこの時期は和歌山県博物館主催の特別展「熊野三山の至宝」によりいくつかの国宝博物館に移動していたようだが、このリストを見れば分かる通り、南北朝のころの多くの国宝をみることが出来た。銀縫針なんてのもある。見終わった後に宮司さんに聞いてみたところ、国宝の速玉大神神像と夫須美大神神像は現在は県立博物館に遷されているが普段は結宮と速玉宮にそれぞれ祀られているとの事。この特別展、東京でもやってくれないかなあ。。

脱線するが、この博物館はがんばっている (和歌山県立博物館ニュース)。RSSに登録しておいた。

速玉大社でも牛王宝印と御朱印を頂く。(この後行く)神倉神社の御朱印もこちらで、ということなのでありがたく頂く。


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参道の入口近くにあった八咫烏神社と手力男神社。御祭神はそれぞれ建角見命(たけつぬみのみこと)と天之手力男命(あめのたぢからおのみこと)。八咫烏神社は速玉大社末社として古くから丹鶴山麓に奉祀されていた。手力男神社延喜式紀伊國牟田郡手力神社とある由緒のある社でもともとは神門内に祀られていたのを813年に現在の場所あたりに遷ったらしい。


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速玉大社から車で5分ほどで神倉神社に到着。8台ほどとめられる専用駐車場がある。御祭神は速玉大社の第五殿(神倉宮)に祀られている高倉下命。写真の奥にある鳥居は猿田彦神社神武天皇の東征で、新宮の地に上陸した際に毒気にあたっていた神武軍に、建御雷神が韴霊(ふつのみたま)という剣を遣わした相手が高倉下命である。高倉下命が剣を神武天皇に献上したところ、「私はどうしてこんなに長い間眠っていたのだろう」と言って起き上がったらしい。そして猿田彦といえば天孫降臨の際に、皇孫を先導した神様。共通点は、天照系の神の先導となっていること。土着の有力氏族が取り込まれた、もしくは征服されたという事なのだろうか。


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神倉神社といえば、この急な石段。源頼朝の寄進といわれ538段ある。この場所は神武天皇が登った天磐盾(あめのいわたて)とされている。また、速玉大社でもふれたが、もともとこの地に熊野三所大神が降りたとも言われている。神倉神社の御朱印には「熊野三山元宮」と書かれている。道は意外と長かった。一汗かく感じ。途中、保母さんに連れられた元気な幼稚園児たちに出会った。後述するが、お灯祭ではこの石段を駈け下る。信じられない。


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これがゴトビキ岩。原始的な巨岩信仰をあったことが納得出来るような存在感。ゴトビキの由来は何だろうか。


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ゴトビキ岩から新宮市内を撮ってみた。新宮は今回訪れた町の中では最も大きな町だった。ここが中上健次の故郷なのか、とちょっと感傷にふける。左の方に熊野川の河口が見える。


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2月6日に行われる「お灯祭」と呼ばれる火祭りでは、写真の鳥居の扉を閉め切った中に松明をもった人々が1200人程度集まり、扉が開かれると同時に駈け下りる。ゴトビキ岩の前で掃除をしていた方によると、駆け下りるのは若い衆で、祭のために練習もするらしい。子供や老人は後ろから歩いていくとの事。youtubeにいくつか動画があったので参考までに貼っておく。この動画では門が開くところまで再生されないが、岩肌びっしりと人がいることが分かると思う。


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ここで新宮にはいったん別れを告げ、那智へと向かう。那智までは高速なのかバイパスなのか分からず、カーナビにも載っていない新しい道を通って20分ほどだった。便利すぎる。

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昨日の大日越に引き続き、本日は大門坂という熊野古道を行く。那智大社まで片道30分程度のコース。新宮藩の関所跡や南方熊楠が3年間滞在した跡などを見つつ、振加瀬橋(ふりかせばし)を越えると並木道に入る。


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これを見たらまた行きたくなってきた。。こうした道が600mほど続く。この大門坂の風景も那智大社所蔵の「熊野那智参詣曼荼羅」にも描かれている。時間に余裕があれば、大門坂からこの道を歩く事をぜひお勧めしたい。


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昼食後、那智の滝のある飛瀧(ひろう)神社へと向かう。この神社は滝そのものを神と祀り、大穴牟遅神(大国主命)の御神体として仰がれてきた。この鳥居をくぐった先の参道は、7月14日の那智大社例大祭(那智の火祭り、扇祭)で有名である。大穴牟遅神といえば蛇、ということで滝の姿と蛇を重ねたのでは、という人もある。かつては飛瀧神社と千手堂が並立してあったが、明治神仏分離によって千手堂は廃されてしまった。この写真の左手にある駐車場の付近が経塚で、大量の遺物が大正7年に見つかったらしい。


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滝の下からも写真を撮ったのだけど、滝の迫力や美しさが10%も表されていなかったので、青岸渡寺の裏から撮った写真を代わりに。こちらの方が個人的にも気に入っている。案内によれば、落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さ10m、水量は約1t/秒 とのこと。役行者の滝行以来、修験道の道場になったともある。滝への原始的信仰からこの地が始まったと言われても素直に受け入れられる美しさ。


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滝からの坂道を登る事10分ほどで、熊野那智大社に到着する。このすぐ隣には青岸渡寺があり、お遍路さんのような白装束の人たちも入り交じり、独特な雰囲気であった。


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こちらが那智大社の礼殿。この奥に神殿とそれぞれの鈴門がある。本宮大社や速玉大社とは異なりお祓いを申し込まなければ鈴門の近くにはたどりつけないようになっている。神殿の配置だが、基本は他と同じ。ただ、速玉大社に神倉宮があるように那智大社には滝宮があって全部で13殿ある。建物としては正面に五棟、西側に細長い一棟。向かって右から次の通り。

  • 滝宮
    • 第一殿: 大穴牟遅神
  • 証誠殿
    • 第二殿: 家津御子大神
  • 中御前
  • 西御前
  • 若宮
  • 八神殿
    • 第六殿から第十三殿


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御県彦社。速玉大社にもあったように、ここでも建角見命を祀っている。主祭神を共有する速玉大社との特別な関係がここでもうかがう事が出来る。


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今回の旅で初めてのお寺である青岸渡寺那智大社の主祭神の夫須美大神の本地仏は千手観音とされていて、青岸渡寺は古くから観音菩薩との関係が深い。写真の建物は本堂で、現在のものは豊臣秀吉が弟秀長に命じて1590年に完成したもので入母屋造である。本尊は如意輪観世音菩薩

仁徳天皇の頃(313-399年)、インドから熊野浦に漂着した裸形上人が那智の滝で修行し、現在の堂の地に庵を結んだのに始まると伝わるらしい。欽明天皇よりも随分前だ。その後、推古天皇勅願寺ともなっている。「紀伊風土記」によると「那智山禰宜神主なく、皆社僧なり。社僧に清僧あり妻帯あり」とも述べられているようで、元々は修験の山として開かれたのだろう。

写真にもあるように青岸渡寺西国三十三ヶ所観音霊場の第一番札所である。堂内にて専用の納経帳を購入した。


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まだ時間に余裕があったので、青岸渡寺の裏から本宮へと向かう大雲取越という熊野古道を1時間ほど歩いた。那智高原公園というところまでの往復。この公園には誰も人がいなかった。特に見晴らしが良いというわけではない。バブルの匂いがした。勘違いならごめんなさい。

どうせ歩くなら妙法山の阿弥陀寺まで行った方が良いかもしれない。阿弥陀寺は弘法大師の開基と伝わり、応照上人の火定跡がある。ただ、結構な山道を覚悟しなければならない。


これにて神社仏閣は全て巡り終えた。行きと同じように大門坂を歩いて下り駐車場に到着。今度はバイパスではなく海沿いの道を使って新宮まで戻る。途中、「神武天皇東征上陸の地」という看板に興奮しつつ、30分程度でトヨタレンタカーの新宮事務所に到着する。この事務所は新宮駅から離れているのだけど、親切にもそのまま駅まで乗せていってくれた。歩き疲れていたので、正直助かった。

17:28発の南紀8号にて名古屋へと向かう。3時間14分の列車の旅。新宮駅にて買っておいた「めはり寿司」を食べる。これは高菜の葉っぱで小さなおむすびを包んでいるような食べ物。さらに、車内にて松坂の牛肉弁当を食す。昨日から食べ過ぎである。

名古屋新幹線に乗り換えて、自宅に着いたのは23時20分ぐらいだった。電車だと6時間弱ということになる。

今回の旅行の費用だが、交通費・ホテル・レンタカーで大体55,000円ぐらい。神社で御朱印や冊子なども買ってまわったので、トータルでは6万円ぐらいだろうか。通常のツアーより随分と高いけれど、その代わり自由に出来る時間を買ったという感じ。

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今回頂いた御朱印たち。上の右から、本宮大社、速玉大社、神倉神社、飛瀧神社那智大社。下のは西国三十三カ所の納経帳で青岸渡寺


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牛王宝印も忘れずに。これは本宮大社のもの。88羽の烏で「熊野山宝印」と記されている。


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速玉大社の牛王宝印。48羽の烏でこちらも「熊野山宝印」となっている。


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那智大社の牛王宝印。72羽の烏で「那智瀧宝印」と記されている。

こうした牛王宝印は平安時代末頃に護符として登場したようだが、鎌倉時代後期あたりから起請文が書かれるようになったらしい。起請文の誓いを破ると、熊野の烏が三羽死に、自分も吐血して死ぬと伝えられている。修験者や熊野比丘尼たちによって広められたのだろう。

そういえば、88羽、48羽、72羽、いずれも8の倍数だ。どうしてだろう。もともと護符から来ているというところと関係しているのだろうか。


以上で参拝記は終了。まとめるにつれて、確認していない事、きちんと見ていなかった事がどんどん出てきてまた行きたくなってきた。次回はもっとゆっくりと時間をかけて行きたいし、熊野古道をもっと歩きたい。また、調べていくうちに修験道について何も知らない事が分かってきた。次回の訪問までにこの辺も整理しておきたい。

最後に、今回行ったところをGoogleマップで記しておく。紫のピンは、行きたかったけれど時間の都合上無理だったところだ。


より大きな地図で 熊野三山参拝記 訪問箇所 を表示

2009-09-22

熊野三山参拝記 (9/13, 14) -1日目 本宮-

数年前からあこがれていた熊野へついに行ってきた。天気にも人との出会いにも恵まれ、大変心に残る旅であった。友人との男二人旅である。

日曜日の朝、羽田8:30発JAL1381便にて一気に南紀白浜空港へ。今後2日間カレーを食べられないことを想定し、羽田の喫茶店にてビーフカレーを食べた。離陸は30分遅れたが10時過ぎには空港に到着し、10時半には白浜のトヨタレンタカー事務所で諸事務を完了。

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とりあえず白浜周辺の観光スポットを回る。ここは千畳敷レンタカー事務所から5分程度で到着。「太平洋に突き出た広大なスロープ性砂岩です。このデコボコの岩畳は、第3紀層のやわらかい砂岩が打ち寄せる荒波に長い間浸食されてできたものです。」と解説にある。実物はもっと面白い。


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三段壁(さんだんべき)。ここは必ず行っておくべき。高さが最大で41mあるらしい。福井東尋坊よりも圧倒的に怖い。写真の右手の方に人がたむろっているが、あの辺まで普通に行ける。そして崖の端まで行って下を覗きこめる(できなかったけど)。元々は、漁師が魚群を見張る場所として「見壇」と呼ばれていたらしい。


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三段壁から車で8分程度で白浜。まだ海は温かく、写真のように泳いでいる人たちがいた。とにかく海も砂浜もきれい。奥の方に見える鳥居は熊野三所神社。行きたい気持ちもあったけれど、今回は我慢した。詳しくはこちらへ(み熊野ねっとの説明)。東京からのアクセスのしやすさを考えると、白浜には家族を連れて来てもいいかもと思った。


以上で白浜観光は終わり。時間があれば熊野三所神社だけでなく南方熊楠記念館や田辺の闘鶏神社にも行きたかったのだけど、気持ちは既に本宮へと続く中辺路に向かって急かされている。いそいそとカーナビに今日の宿を目的地に定めて出発する。この時点で11時50分ぐらいだったかな。

本宮へと向かう国道311号をドライブするのだが、今回の旅で驚いたのは、とにかく道路がよく整備されていること。そして思った程山道ではないこと。当初、自宅で地図を調べていた時は奥多摩辺りのとんでもなくくねくねした山道をイメージしていたのだが、実際には河川敷が意外と広く開放感のある道だった。想像と全く違う風景を味わうのは旅行の醍醐味。それに、もっとみんなレンタカーを利用すべき、と思った。飛行機とレンタカーのコラボだと、羽田から3時間もあれば本宮に間違いなく着く。

あと面白かったのは道路のあちこちにある「那智黒」という黒飴の宣伝。他にも特産あるよね!?と突っ込みをいれたくなるほど、どこにでも広告がある。僕自身は黒飴はむしろ苦手なので買わないつもりだったのだけど、その圧倒的なマーケティング力にやられてしまい那智で買ってしまった。妻と娘には好評だった。

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この写真は気分よくドライブしているときに「滝尻王子」の看板に思わず興奮して車を駐車場にとめて、国道311号線を撮ってみたもの。空が開けていたのが想像と違って心地よかった。


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こちらが滝尻王子。構図がとってもいまいちなのはご容赦。ここから先が熊野の霊域とされて、熊野御幸ではこの場所で多くの芸能や歌会が行われた。熊野古道・中辺路の起点とされている。いつか歩きたい。中辺路について詳しくはこちらへ(み熊野ねっとの説明)。


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結局1時頃、今日の宿である湯の峰温泉の湯の峰荘に着いてしまった。本宮大社にお参りした後に、大日越という熊野古道を歩いて湯の峰に戻ってきたい、という旨を伝えると、親切に湯の峰温泉の駐車場を教えてくれた。(湯の峰荘は湯の峰温泉の端の方に位置している) で、こちらが小栗判官のつぼ湯。小栗判官再生の地である。小栗判官の物語について詳しくはこちら (wikipedia)。熊野詣を語る上で時宗の存在は極めて大きいものがあるが、僕がこの話が好きなのは、時宗ハンセン病(癩病)といった当時穢れとされていた人たちも積極的に救済の対象とした点にある。そういった時宗の都合(?)をなんなく受け入れる事の出来た熊野風土も大好きだ。


湯の峰から本宮までは、イメージしていたような凄まじい山道をバスで15分ほど。昼食後、熊野本宮大社の鳥居前で、み熊野ねっと管理人の「てつ」さんと待合せをした。「み熊野ねっと」の記事には今までも何度かリンクさせてもらっているが、熊野に関するあらゆる情報が詳細にまとまっている。熊野風光明媚なところを説明するだけでなく、歴史的背景についても解説されているのがすごいと思い、これまでも拝見させて頂いていた。そんなおり、周りに影響されて再開したtwitterで、てつさんとお話しする機会を得て、さらに今回本宮にて直接お会いすることが出来た次第。ネットで出会った人とリアルに会うのは初めて、だったのだけど、これまでもネットでは話をしていたので初めてじゃないような不思議な感じがした。本宮内を一緒にまわって、気さくに多くのことを教えて頂いた。

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とうとう来た。熊野本宮大社八咫烏の幟がある。神武天皇(伊波礼毘古命、いわれびこのみこと)の東征では、八咫烏は先導としての役割を果たしている。五来重著「熊野詣」には次のような記述がある。

・・熊野神道のように神武天皇東征伝説にでる八咫烏で説明することはいとも簡単である。しかしいまの歴史学の立場からいえば、神武天皇伝説の成立する七、八世紀以前から熊野と烏の関係はできており、この烏をミサキ烏というところから、神武天皇の嚮導者に仕立てあげられたというべきであろう。そうすると熊野でとくに烏が霊鳥視された原因として、別に葬制の特異性をかんがえなければならない。そして熊野には古墳時代古墳が存在しないことから、風葬が卓越しており、そのためにとくに烏が神聖視されたものであろうと推測される。

ちなみに、日本書紀によると八咫烏は東征後、恩賞を受けている。その子孫は、葛野主殿県主部(かずののとのもりのあがたぬしら)というらしい。とりあえず、記紀以前から烏を神聖視し畏れるグループが熊野にはいたのだろう、という事にここではとどめておく。八咫烏と太陽とのつながりについても面白い話がある。確かに幟では赤い丸の中に黒い烏。詳しくはこちら(み熊野ねっとの説明)。


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鳥居をくぐり階段を上ると、神門がある。本宮大社では神門内は撮影禁止なので注意。てつさんが社務所にかけあって下さり、プライベート用途では撮影を許可してもらった。もちろんここには載せる事は出来ない。

社殿は向かって左から次の通り。

  • 西御前
    • 第一殿 (結宮): 夫須美大神
    • 第二殿 (速玉宮): 速玉大神
  • 証誠殿
    • 第三殿: 家津御子大神 (主神)
  • 東御前

第一殿と第二殿は相殿となっているので建物としては全部で三棟。後述するが、明治22年以前は本宮大社は別の場所にあった。水害のために現在の場所に移ってきた。本来は全部で十二殿あるのだが、第五殿以降は昔の場所(大斎原)に祀られている。てつさんによると、現在の社殿は水害前の建築材を再利用しているとの事。確かに古く見える。神門をくぐった目の前が本宮大社の主祭神である家津御子大神を祀っている証誠殿。ちなみに礼殿は西御前の前にある。


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本宮大社で牛王宝印(ごおうほういん)と御朱印を頂き、本宮大社が元々あった大斎原(おおゆのはら)へ向かう。この写真は途中にある伊邪那美命の荒魂を祀ってある産田社(うぶたしゃ)。てつさんに教えて頂いた。


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そして産田社から大斎原を眺めたのがこの写真。とんでもなく大きいこの鳥居は日本一の高さらしい。平成12年に建てられて高さは33.9mとのこと。写真ではそう高くは見えないかもしれないけれど、近づくにつれてその大きさに驚かされる。鳥居の奥のこんもりとした森が聖地となっている。こちらも鳥居の奥は撮影禁止となっている。非常に清浄な雰囲気であった。一人旅だったら30分ぐらいぼーっと出来るような場所。本宮大社にお参りしたのならこちらにも行った方が良いと思う。


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大斎原から熊野川に出てみた。このように非常に開放感あふれるところに旧社地がある。ずっと昔は大斎原のすぐ脇に船着き場があったほど川幅があったと、てつさんが教えてくれた。この熊野川と大斎原を挟むようにして流れている音無川には全く水はなかった。五来重著「熊野詣」によると、

・・熊野の御祭神は十二所あって集合祭祀であるから、熊野川、音無川、岩田川それぞれの上流から移し祀られた神々が、この三川合流の中州にあつまったことはまちがいあるまい。

これを背景とすると、本宮大社は昔、熊野坐(くまのにます)神社と呼ばれていて御祭神が熊野坐神(くまのにいますかみ)であった事をすんなり納得できるような気もする。ただ、現在の御祭神である家津御子大神とはどのような神様なのか、という疑問が自分の中では残ったままだ。平安時代前期の作とされる家津御子大神の神像(国宝)があること、平安時代前期から本地垂迹説(家津御子大神阿弥陀如来を本地とする)が盛んになってきたこと辺りを今後の課題に残したいと思う。


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てつさんに大日越の登山口まで案内して頂いた。ここでてつさんとは別れる。来年こそ長期休暇を取って再訪問することを約束する。案内して頂き本当にありがとうございました。お話しできて大変楽しかったです。


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熊野古道・大日越の風景。実はこれは下りの途中で後ろを振り返って撮った写真。上りの途中、月見ヶ岡神社があったのだが、きつい上り坂で息が上がってしまい撮影どころではなかった。。友人がいなければ途中で引き返していた可能性もある。湯の峰温泉まで大体1時間かかった。湯の峰王子社跡にももちろん行った。


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お世話になった湯の峰荘。清潔感あふれ、料理もおいしかった。温泉は長湯できるタイプで、草津のような攻撃性はない。間違いなく次回もここに泊まると思う。


というわけで一日目が終了。長い一日だったが、明日はもっとハードスケジュールだ。11時過ぎには就寝。