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2014-04-29

[] 『インフェルノ

ダン・ブラウン作の小説、『ダ・ヴィンチ・コード』の主人公である宗教象徴学者ロバート・ラングドン・シリーズ4作目で、映画化も予定されているという。電子書籍化されているので読んでみた。

マルサスの『人口論』に基づいて、将来的な人口爆発を危惧した生化学者が、人口の1/3が不妊になるように遺伝子を改変するウィルス拡散させようとし、それを阻止しようとするストーリー。

人口論』は人口は制限されないと幾何級数的に増加し、食料生産の生産性は算術級数的にしか増加しないので、その結果貧困に陥るという命題だが、あまりに古典的すぎる気がする。

確かに発展途上国では人口が増えており、大きな問題だが、先進国では子供に高度な教育を受けさせるために少子化しており、日本だと将来的に人口減少が懸念されている。

発展途上国先進国化し、出生率が低下することで、バランスする未来もあるのではないか。戦争や疾病による「人口の間引き」を必然視して正当化する思想は、やはり悪魔の思想だと思う。

2008-06-29

[] 映画「マリア」より、イエス処女懐胎について

半年ほど前だが、映画「マリア」を劇場で観た。イエス・キリスト生誕までのマリアと夫ヨセフの物語で、ほぼ聖書福音書に忠実に描いている。この映画を観て誰もが疑問に思うのは、ヨセフ処女懐胎を信じたことだろう。

聖書学ではマタイ、マルコ、ルカの三福音書は共通点が多く、共観福音書とよばれる。このうち、最初にマルコが成立し、この原マルコと、イエスの語録資料(Q資料と呼ばれる)を元に、マタイとルカが書かれたという二資料仮説が、今日では定説となっている。

ところで、福音書の中で最初に書かれたマルコは、イエスの公生活から始まるため、イエス処女懐胎の記述がない。つまり最古の福音書には、「処女懐胎はなかった」のである。

これをキリスト教界ではどのように解釈しているのか、私は門外漢なので詳しくない。ことさらに言及しないか、「最初の福音書なので編集が行き届いていなかった」で済まされているようである。

キリスト教信者でない者が素直に読めば、「イエスを神格化する過程で後生に付加された」、としか考えられない。

そう考えたとしても、イエスの偉大さや、新約聖書の愛の思想の美しさが減ずるわけではない。

2008-06-22

[]赤毛のアン展

日本橋三越の「赤毛のアン展」に行ってきた。『赤毛のアン』出版100周年ということで、隠れたブームらしい。NHK3ヶ月トピック英会話も今月まで「赤毛のアン」である。

会場では直筆原稿やアンの部屋の復元、モンゴメリが使用したタイプライタのレプリカ(19世紀末の製品で、QWERTY配列だった)などが展示されていた。最終日でもあり、盛況。日本で最初に紹介した村岡花子女史もかなりスペースを割いて紹介していたのはうれしい。『赤毛のアン』の日本での人気は、翻訳の魅力によるところも大きいと思う。

「赤毛のアン」の最初の単行本が三笠書房だったことを初めて知った。「知的生き方文庫」のイメージが強かったが、昔は文芸書中心だったらしい。

2008-04-14

[]『狭き門』

W-ZERO3[es]で「新潮文庫の100冊」をすきま時間で少しずつ読んでいる。ジッドの『狭き門』を読み終わった。この題名の「狭き門」は、新約聖書マタイ7:13からきているが、邦題は文語訳聖書の表現をもとにしている。

文語訳聖書は名文として誉れ高く、明治以降の文学にも強い影響を与えている。マタイ7:13の該当箇所を、文語訳と口語訳で比較してみよう:

  • 「狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。 」文語訳(大正改訳)
  • 「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。」口語訳
  • 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」新共同訳

これが『狭き門』ではなく『狭い門』だと、どうも名作に思えてこない。訳が新しいほど間が抜けて見える。

ジッドの自伝の『一粒の麦もし死なずば』もヨハネ12:24だが、これも文語訳でないと小説の題名にならない。

  • 「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」文語訳
  • 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」口語訳
  • 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」新共同訳

大正改訳聖書の表現は、諺として日常気づかずにつかっていることがある。それだけ名訳ということだろう。「目から鱗」などもそうだと思う。

言文一致を突き詰めると文語を滅ぼすことになるが、同時に日本語の美しさも滅びてしまう気がする。それに文化の断絶が起こり、戦前の文章が読めなくなってしまったのは惜しいことだ。国語も自然にまかせるのがいいように思う。

EPWINGに変換した口語訳・文語訳聖書がPDAに入っていると、こうしたことが気になったときに簡単に引けて便利である。

聖書の翻訳史については『聖書の日本語―翻訳の歴史 』(鈴木 範久 著) をおすすめしておく。

2008-03-08

[][]「CD-ROM版 新潮文庫の100冊」

絶版の「CD-ROM版 新潮文庫の100冊」を、Yahooオークションでやっと入手した。当時の定価よりは少し高い値段だったが、再版の可能性もなく、一生楽しめるので、よい買い物をしたと思っている。

(ちなみにamazonのマーケットプレイスでは6万円の値がついている。絶版の古書とはいえ、当時の定価の4倍は正直高いのでは)

「CD-ROM版新潮文庫の100冊」はボイジャーのエキスパンドブック形式だが、簡単な方法でテキスト化できる。そもそも付属のビューアはWindows3.1用なので、現在のOSではインストールができない以上、テキスト化せざるをえないわけだ。テキスト化ツールではVectorに登録されているEXB2Tが有名だが、私はこちらで公開されているperlスクリプトを使った。青空文庫形式のルビを出力してくれる優れものである。W-ZERO3の青空子猫で快適に読めている。

新潮文庫の100冊は毎年組み合わせが変わるので、現在のものとは変わっているが、個人的になつかしい本が多い。著作権の切れているものは青空文庫でも読めるが、現在でも電子書籍化されていないタイトルも多く、今でも有用だ。電子化が済んでいるのだから、新潮文庫の100冊のラインナップをXMDFで売ればいいのにと思う。

なお、新潮文庫の100冊をひまわりで使用するためのコンバータ「しおまめ」が公開されている。出力はXML形式になるので、これをEBStudio用のHTMLに変換してEPWING化するのは難しくないだろう。もっとも無理にEPWINGビューアで読むより、青空子猫のほうがよほど快適だと思う。