女はモテる必要がない。

「異性のためにのみ」のファッションへの大きな誤解を読んで思いついたことを、身もフタもなく書く。


男と女の違いについて。


動物としてのオスは、種をばらまくのが仕事だ。ばらまく先は、多ければ多いほどいい。モテて得することはあっても、損することはない。
メスはどうだろうか。
メスがオスに望むものは、優秀な遺伝子?だとしたらモテる必要はない。オスはいつでも性交歓迎だから、特段がんばってモテなくてもセックスは出来る。
他になにかあるだろうか?
・・・思いつかなかった。
ひょっとして、女はモテる必要がないのではないだろうか。

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動物としてオスに求めるものはなくても、人間として男に求めるものはある。生活を共にするパートナーとしての資質だ。人生にはいろいろな苦労があるから、誰か協力してくれる人がいるほうがいい。
そう考えてパートナーを探すとなると、自分と同じように考える男を選んだほうが上手くいく。
女を人生のパートナーとしてみなしている男と結婚するほうが、視点も同じだし、一緒にいてやりやすい。
逆に、女をメスとしてしかみない男はダメ。
自分より若くて綺麗なメスを見つけたら、そっちに行くんだから、長い協力関係は築けない。
と、考えるとあれですよ。
女は、変にモテると「女をメスとしてしかみない男」をたくさん惹きつけることになって、面倒くさい。
それで気がついた、女でモテてもあんまり良いことないんじゃないかって。
性犯罪にも巻き込まれやすいし。

育児は娯楽という意見 - 不動産屋のラノベ読み

娯楽かぁ…娯楽ねぇ…

子どもを産むかどうかは、本人の意思だけの問題で他人は干渉すべきでない、っていう時代なんですね。
正しいか間違っているかで言えば、間違っていると思います。
いや、国が国民に「お前等ちゃんと子ども産め」と強制するのも違うとは思うんですが、子どもを産んだほうが人生において有利になるように誘導していく必要はあるでしょう。
国民の頭数なんてものは、国力を支える上でもっとも大事なインフラなんですから。

ワーキングプア層に違和感 - はにっき

私が砂をかむような思いで、夢をあきらめたとき、彼らは何をしていたのでしょう? 私が将来を考えてそろばんをはじいて眉をしかめたとき、彼らはなにをしていたのでしょう? 私がキャリアアップを目指して眠い目をこすっていたとき、彼らは何をしていたのでしょう?


言っていることはわかるんだけど、hanielさんみたいな人が、砂をかむような思いで、夢を諦めなくてもいいような世の中にするために、シュプレヒコールを上げているんじゃないかとも思った。

「できるけど、しない」は介護者に優しい理屈。

 でね、こういう場合、「できなかったのではなく、しなかったのでしょう?」という問いを発するならね、そう問う人は何を問うているのか、ということになるじゃないですか。自分だったら「できた」と言いたいわけ?そうじゃなくて「しろとは言わんよ、でも、できないわけじゃなかったじゃないか、しなかったと言わせたい」じゃないのかな。
責める人と責められる人の力関係 - Backlash to 1984


このあたりが、私とid:keya1984さんとの感覚の違いだなと。
他の人はどう感じているのかは知りませんが、私は「できなかったのではなく、しなかった」というのを認めることは、すなわち別に他人を見殺しにしてもいい、という理屈だと私は思ってます。

 論者が言うように、「認知症の親や知的障害の子を介護施設に預けたままにすることは、できることをしようとしなかったのだ。しろとは言わないが、できなかったというのは言い訳だ。しようとしなかったと自覚すべきだ」という主張をも、認めているのだろうか。
「間接殺人派」の自己満足的な誤謬 - Backlash to 1984


上の文脈とは関係ないけど、「認知賞の親や知的障害の子を介護施設に預けたままにする」ことを例にとってみます。
「できなかった」から、介護施設に預けたままにしていい、ということにしてしまうと、他者から「本当はもっとできるでしょう?」と言われかねない。「できなかった」ことを証明する以外、自分が許される方法はないわけですから。結果、ぎりぎりまで自分を追い詰めるほかなくなります。
「本当はできるけど、やらなかった」を許容することによって、他者から責められることを避けられる。


「できないのではなく、しない」というのは、介護者に優しい理屈なんですよ。

共犯者が欲しいだけの正義の味方 - Backlash to 1984


なんとなく感じていた違和感がひとつ氷解した。
やっぱりこれは感覚の話なのだな、と。
「お前は間接的な人殺しだ」と言われて、不愉快になる人とそうでない人がいる、という当たり前の事実が断絶の根源なんだな。
私などは「ふむ。理屈から言えばそうなるのか。面白い。」と感じたんだけれど。

面白いと思った点

「法的責任以外は、他人に問えない」というuumin3さんの理屈は、その論でいけば「法的責任以外は、他人に問えない」という認識を持つべきだと他人に要求できない、という意味で自己矛盾か、“ひとりごと化”していると言えます。



関連
論点整理2 - Double Line
2007-04-23
http://d.hatena.ne.jp/terracao/20070421/1177181170
道徳的詐術とは何か - モジモジ君のブログ。みたいな。
「加担する」とは何をすることなのか - G★RDIAS

まとめ

以前にも書きましたが、この論争に決着をつける手段は1つしかありません。
「責任がない」派が「責任がない」という言葉にとらわれず、責任が発生することを認め、それが「お前には責任がある」と他人から指摘されるレベルの責任であるのかどうかを、見積もることです。
そうすることで、論点を全て「他者から指摘されるレベルの責任かどうか」の1点に絞ることができます。
この点は、その人がどれだけナイーヴか、という個々人の感性によるものにはなりますが。