天気晴朗なれど

昨晩からくしゃみと鼻水が止まらない。シラカバ花粉はそろそろ終息しているはずだから、チモシーとか牧草の花粉だろうか。江別市のはずれの我が家の周囲は畑と牧草地だらけ。サンマの焼き魚と納豆ご飯、ナメコ味噌汁の朝食の後、いつものトレドミン&リーゼに加えて鼻炎薬も飲んでおく。今日は久しぶりにTRPGのセッション。札幌に出たついでに街中で買い物でもと思ったが、YOSAKOIソーラン祭りの真っ最中だし都心には近づかないほうが無難かな……。
(追記)はてなキーワードリンクから「YOSAKOIソーラン」を含む日記を見てみたら……はてなダイアリーユーザーの皆さんはアンチYOSAKOIの方がほとんどですね(笑)。一般市民レベルではどうだかわかりませんが、少なくとも民放ローカルテレビ局はYOSAKOIマンセー。朝九時半から八時間生中継をやる局が二つもあるってどういうことですか(STVHTB)。晩にはTVHも特番組むようだし。観光資源として官民一体でプッシュするのも良いですが、DQN祭りに眉をひそめている市民も大勢居るよということでヨロシク。今年は北大祭と日程がカブらなかったことだけが唯一の幸運だな。さ、週明けからの札幌まつり(北海道神宮例祭)を楽しみにしてよーっと。

萌え年表が欲しい

昨日読んだ「<美少女>の現代史」から、ずっと世代間の萌えに対するスタンスの違いを考えていた。というのも、この本の感想を他のはてなダイアリーやレビューサイトで見るにつけ、十代〜二十代前半の人が違和感を感じている様子だからだ。要は七十年代から連綿と続く美少女の歴史と、自分たちがいま萌えているキャラクターとの間に連続性を感じられないということなのだろうか。少なくとも九十年代以降のギャルゲー、インターネットが担った美少女キャラクター文化のみを受容してきた層が存在するのは確実なようだ。彼らにはササキバラ氏が著書の中で取り上げた事例は、古臭すぎてピンとこないらしい。例えば一九八四年生まれのいまハタチの大学二年生くらいをサンプルに、どのようなキャラクターコンテンツを消費してきたのか調査してみる必要を感じる。生まれた年にドラゴンボールの連載が始まって、物心ついた頃からドラクエがあって、エヴァンゲリオンの放送時にまだ小学生で、中学校入ったころにTo Heartか。これは勘だが彼らにとって若さゆえのアヤマチ(もしくはむかし熱くなった)作品はあかほりさとる広井王子神坂一あたりになる気がする。さらに、これからこの市場のメインターゲットとなる九十年生まれの十四歳ならどうなのかとか。ちょこっと年表作ってみるか。