細胞とマトリックスと大霊界

2ちゃんねるの某スレッドを読んでいてネタを思いついたのでメモ代わりに書いておく。


僕は蓋然性の低いものを信じたくないという意味では心霊現象否定派である。しかし自分の意識について考え続けているうちに判らなくなってきた。たとえば心霊現象否定派の人でも目に見えないからといって、自分の意識を否定する人は少ない。
じゃあ意識はなぜ生じるのかといえば、現代科学でもよくわかっていない。脳なり身体なりの相互作用の結果であると言い切れれば簡単だけど、物理学的還元主義で事足れりとされるほど研究は進んでいない。たとえば、人体の一個の細胞や単細胞生物にも意識はあるのか?と問われると、ここで意見は大きく分かれそうな気がする。僕はなんらかの全体論的なアプローチが必要だと思う。
では素材を替えて思考を続ける。コンピュータがどんどん複雑になっていくと、ついには意識を生じると仮定する。複雑なコンピュータに意識がある、とされた未来世界では演算回路の一つ一つに意識を認めるだろうか。チューリングテストのように、ある程度以上複雑であれば有意識と判定するのか。意識のあるコンピュータがネットワークを組んだ大意識は、個々のコンピュータを一つの人格として認識するだろうか。物理学的還元主義で人間の意識を説明するなら、将来的にはコンピュータの意識も認めざるを得なくなる、というのが僕の考え。
ところで、人間は自分を一個の独立した生命だと考えがちだが、巨視的な視点に立てば、地球上に数十億年存在してきた一つの生命の、アメーバ状に地表に広がった姿の微小な一部分にしかすぎない、とも考えられる。ここで先の有意識コンピュータとそのネットワークとのアナロジーは可能だろうか。つまりネットワークで繋がったコンピュータのように、あるいは緊密に相互作用を行っている人体の細胞のように、全地球生命はなんらかのつながりを持ってはいないだろうか。
つまり、こういうことじゃないかと妄想するわけ。

細胞の無意識 < 人間の意識 < 地球の大意識
           ‖(イコール)
演算回路 < コンピュータの意識 < ネットワークの大意識

霊界というのは地球(ネットワーク)の大意識に相応する。個々の人間はこの“地球生命”氏の意識のニューロン発火や、ネットワーク意識の一まとまりの処理単位みたいなもの。一人の人間の肉体や個々のコンピュータのハードウェアは、大意識にとっては代替可能な消耗品でしかない。本質はそこを流れる情報にあり、それが人間で言えば意識。個々の意識から立ち上がる全体的な意識が霊界であり、その現われが心霊現象なのじゃないかな。
個々の人間の意識は肉体の誕生と死で一度途切れてしまう。それが宗教や様様な文化様式の駆動力となった。しかし、それは単に個体としての人間が自分の個々の細胞に対して意識を認められないのと同様に、我々の意識(=心霊)は“地球生命”氏の意識(=霊界)に回収されているだけなんじゃなかろうか。人間が霊界を意識できないのも、個々の体細胞が僕の意識を理解しているか疑わしいのと同様のレベルで、認識の壁があるだけなのではないかと考えている。


こんなところでどうですか。ほぼ同内容の書き込みを2ちゃんのどこかに書いてあるので、暇な人はレスをつけてください(笑)。

『神秘家列伝 其ノ弐』角川書店 水木しげる ISBN:4041929091

神秘家列伝
八月に文庫化された其ノ壱に続き、其ノ弐も角川ソフィア文庫に入った。この巻でとりあげたのは安倍晴明長南年恵コナン・ドイル、宮武骸骨の四人。有名人や近世の人が中心なのでとっつきやすい。漫画の中に登場キャラクターとして“水木サン”こと水木しげる本人が登場してるのも嬉しい。カバーイラストで妖精に囲まれているコナン・ドイルの鼻息が荒いのもいいなあ。長南年恵の項の最後のページに水木しげるの“見えないもの”に対する考えが簡潔にまとめられている。

宇宙というよりこの地球には、“見えない存在”というものがいてわれわれに働きかけたりするが、従来の大宗教に染まらない目でこの“見えない存在”を見ると、また新鮮に見えてくる。いずれにしても、そういう神秘的なことというのは、昔の官憲のように弾圧しないで、やはり観察すべきではないかと思う。

鼻からエクトプラズム

エクトプラズム
とても有名な写真なので一度は目にしたことがあるのではないだろうか。ハミルトンというカナダの内科医によって1932年に撮影された写真。霊媒のマーシャル夫人の鼻から出ているのはエクトプラズムだとされています。エクトプラズムの中心で微妙に不機嫌そうな表情をしているのは、1930年に亡くなったコナン・ドイル卿(上のエントリーのカバーイラストと見比べてみよう)。ホームズシリーズなどを書き終えてから、死の直前まで心霊主義を啓蒙してまわった彼も、死んでまで登場させられるのは心外だったということかも(笑)。
出典はThe American Museum of Photographyの『SPIRIT PHOTOGRAPHY 1868-1935』のページから。貴重な古典心霊写真の数々を見ることができます。