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朝日観音参詣案内

朝日観音縁起

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 福井県丹生郡越前町(旧朝日町)に、「朝日観音」と呼ばれるお寺があります。このお寺は今からおよそ1300年前の奈良時代養老元年(717)、越の大徳(こしのだいとこ=越前のえらいお坊さん)泰澄大師により開かれたお寺です。

 言い伝えによれば、泰澄大師がこのあたりを巡錫(仏の教えを広め人々を救う旅)していたところ、山に怪しい雲がただよい、ただならぬ気配が村をつつんでいるのに気がつかれました。村人にそのわけを聞けば、山の神がたたりをなし、人々を苦しめているとのこと。村人は泰澄大師にたたりを鎮めてくれるように哀願しました。

 泰澄大師は村人の願いを聞きいれ、魔障うずまく山中に籠り、衆生済度(人々を救う)の仏である観音さまに祈り続けました。一心不乱に祈る事二十一日間。ついに魔は失せ、村に光が戻りました。歓喜した泰澄大師は光を放った神木を刻み、無病息災のために正観世音菩薩を、災難厄除のために千手観世音菩薩を、そして五穀豊穣・万民快楽のために稲荷・八幡の両鎮守神を作られたのでした。

 この仏像の開眼供養(仏の魂を入れる儀式)の時、観音像の額(ひたい)から朝日のように光が射したのでこの観音さまを「朝日観音」、ふもとの村を「朝日村」と呼ぶようになったということです。

 以来この観音さまは「朝日のお観音さん」として人々に親しまれ、また篤く信仰され続けています。

正観世音菩薩(秘仏)

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「朝日の観音さま」と篤く信仰されている観音さまです。その優しいお姿であらゆる人々を苦しみから救って下さいます。

御詠歌

  だいひかげもらさぬ光り照らすなり

    あさひの寺のあさからぬかな

  よしあしもわかたず照らす朝日山

    びょうどうだいえのじひの光りを

 この観音さまは条帛を肩に懸ける一般的な菩薩像とは異なり、衣を身にまとわれたお姿をされています。また御身丈は2m近くもあり、まさに観音さまが私たち衆生の姿に変化して、救いの手を差し伸べて下さっているようなありがたいお姿です。

NHKの「にっぽん心の仏像100選」にも選ばれました。

像高一九六cm 檜材 寄木造 福井県指定文化財

千手観世音菩薩

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 泰澄大師が正観世音菩薩と同木より作られた千手観音さま。頭上には十一面を頂き、体には四十二手をお持ちになるお姿で、災難厄除の功徳は計り知れません。そのありがたいお姿に感動し、涙する参詣者の方々も多くいらっしゃいます。

 かの哲学者梅原猛氏は泰澄大師ゆかりの観音さまとして高く評価しています。

像高一七二cm 一木造 福井県指定文化財

不動明王(北陸三十六不動第三十一番札所)

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 観音さまとともに多くの善男善女の信仰を集める不動明王。その恐ろしいお姿で魔を破り、人々を正しい道へと導いて下さいます。

御詠歌

  みはるかす四方のもろ人救わんの

    不動の光つきることなし

像高九五cm 檜材 寄木造 越前町指定文化財

大日如来(内郡区 日吉神社安置)

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 その昔、福通寺の本尊として安置されていたという大日如来。

 戦国時代末期、一向一揆により当寺が焼き打たれた折り、となり村の内郡の日吉神社にこの尊像を隠し、難を免れたといわれています。それ以来大日如来は、日吉神社に安置され今に至りますが、朝日観音御開扉の際には当寺に里帰りされます。仏様が地区ぐるみの行事によって御遷座されるのは、全国でも非常に珍しいことです。

 智拳印を結ばれる金剛界大日如来で、素朴な中に森厳な趣がただよいます。近年の修復により大変凛々しいお姿がよみがえりました。

 なお日吉神社には、十一面観世音菩薩地蔵菩薩四天王のうちの二天の各像も安置されています。

像高一六〇cm 檜材 一木造 平安時代 福井県指定文化財

幸若家寄進の梵鐘

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 この梵鐘は元禄五年(1692)、幸若舞の祖桃井直詮の後裔幸若八郎九郎直良が、所願成就報恩謝徳のために寄進したもので、鋳工は金沢城下の名匠宮崎彦九郎寒雉の初代二代親子の合作です。

 その音声は玲瓏透徹国内無双といわれ、人々の心に深く染み渡ります。

 本来梵鐘は、仏事や時報、火災報知等以外は撞くものではありませんが、この梵鐘はいつでも誰でも所願成就を祈って撞くことが許されています。

泰澄大師のこと

 当山をお開きになった泰澄大師は、奈良時代白鳳十一年(682)越前国麻生津(福井市三十八社町)に誕生されました。

 生まれながらにして仏法に深く帰依されていた大師は、十四歳の折、観音の霊夢に導かれて越知山に入り、厳しい練行の末、大いなる霊力を示され「越の大徳」と呼ばれるようになりました。

 それより大師は諸国を巡錫し、養老元年(717)には日本三霊山の一つである白山をお開きになりました。また病気治癒を施したのをはじめ、橋を架け、道をつくり、産業を興し、温泉を見出すなど人々のためにあらゆる方面で活躍されました。

 養老六年(722)には勅命によって都に上り、元正天皇の御病気を治すために加持し、その功により禅師(諱を神融禅師と号す)の位を授けられました。さらに天平九年(736)には疱瘡の流行を十一面法を修して終息させ、大和尚(諱を泰澄と号す)の位を授けられました。

 越前をはじめ全国にその足跡を残された大師は、神護景雲元年(767)、越知山大谷の仙窟で入定されました。

 これら泰澄大師のご生涯については、平安時代に書かれたという『泰澄和尚伝記』に記載されているほか、全国各地に霊験譚・伝説として残っています。その数は行基菩薩や弘法大師などの諸大徳とも肩を並べるほどで、泰澄大師がいかに偉大な行者であったかを物語るものといえます。

 最近では哲学者梅原猛氏が泰澄大師を「神仏習合思想の先駆者・木彫仏の創始者」として高く評価しています。

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「朝日観音から望む霊峰白山の天頂を上る朝日」

朝日観音の変遷

 奈良時代に開山された朝日観音ですが、古文書等は全く焼亡・散逸してしまい、その歴史を物語れる歴史資料は多くありません。数少ない中世以前の記録として東寺百合文書の中に「越前国 内郡 朝日寺」と見え、中世以前は「朝日寺」と号していたようです。

 残された仏像からは、往時の「朝日寺」が堂塔伽藍を列ねた大寺院であったことを想像できます。特に本尊正観世音菩薩は、鄙には稀な都ぶりのする長等身観音像であり、これほどの観音像を作らせることのできた寺院基盤がどのようなものであったのか大変興味深いところです。

 このように中世には大いに寺門興隆したであろう朝日寺でしたが、戦国末期には織田信長の越前侵攻に端を発する天正の動乱により、一向一揆の焼き打ちに遭い、伽藍や仏像は焼亡、寺宝は散逸し、著しい衰退の時を迎えます(『朝倉始末記』に一向一揆が焼き打ちをした寺として「朝日の観音」が挙げられています)。この時期、越前の多くの密教寺院は同じように退転していきました。越前地域の中世以前の古文書や仏教美術があまり多く遺っていない理由はここにあります。

 しかし、当山には一番大切な観音像が残り、その信仰江戸時代以降も連綿と続いたのでした。寺坊が困窮し住職のいない時期などもありましたが、村の「観音堂」として地域の人々に支えられ、守り継がれてきたのです。また越前国三十三観音札所として国中からも広く信仰を集めるようになりました。

 近代以降、徐々に伽藍の整備が進み、昭和57年には宝形造りの本堂、二重塔の千手堂が再建されました。いまでは地元の人々はもちろんのこと、北陸三十三観音第九番札所として遠方からも参詣者が絶えず、観音さまの威光はいよいよ高まるばかりです。

当山の鎮守 稲荷社と八幡宮

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 古いお寺には境内に鎮守社のあるところが少なくありません。これは神と仏の密接な関係を物語るもので、寺院が建立された場所の神様や霊験あらたかな神様を祀り、その神様が仏法繁昌を助けて下さるよう祈った顕れです。この朝日山には泰澄大師により作られたという稲荷、八幡の二社が南北に鎮座し、当山とふもとの村を守っていらっしゃいます。

 なお、稲荷社は平成十四年に再建、赤鳥居が立ち並ぶ堂々たるお社になりました。

秘仏開扉と御縁日

  • 1月1日 修正会
    • 除夜の鐘より元日日没まで秘仏本尊を御開扉。
    • 0時、10時、14時の三度、秘密観音護摩供を勤修。
  • 3月2日 「二日扉」本尊祈念悪魔退治記念儀式
    • この日は、泰澄大師が悪魔を降伏した日に当たります。悪魔を破った観音さまの功徳力と泰澄大師のご遺徳に感謝するため、地元の人々が集って読経し、お供えのお神酒やお鏡餅をいただいて、家内安全・無病息災を祈ります。
  • 4月18日 春季縁日
    • 朝7時から16時まで秘仏本尊を御開扉。
    • 朝7時より秘密観音護摩供を勤修。
    • 14時より法要、御詠歌奉讃。
  • 8月10日 千日詣り
    • この日に参詣すれば「四万六千日」参詣したのと同じ功徳があるといわれます。
    • 朝7時から夜21時まで秘仏本尊を御開扉。
    • 朝7時より秘密観音護摩供を勤修。
    • 夜19時半より観音経法会。
  • 毎月18日 月並観音講
    • 14時より秘密観音護摩供を勤修。
    • 夜19時半より御詠歌奉讃。
  • 三十三年に一度の御開扉法会
    • 本尊正観世音菩薩の御開扉法会には三十三年に一度の「本開扉」と、その中間の「中開扉」があります。これまでの御開扉の記録と今後の御開扉の予定は次の通りです。
    • 中)昭和三十年(1955)四月
    • 本)昭和四十七年(1972)四月
    • 中)平成元年(1989)四月
    • 本)平成十五年(2003)四月
    • 中)平成三十二年(2020)
    • 本)平成四十八年(2036)

平成十五年の御開扉法会の映像

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護摩祈祷

 護摩とは、梵語(古代インドサンスクリット語)のホーマ(homa)を音写したもので、「焼く」という意味の言葉です。仏の智慧の火をもって、煩悩(私達を悩ます悪い心)を焼きつくすことを表します。

 護摩供は、本尊の前に壇を設け、さまざまな供物を捧げ、護摩木という特別な薪を焼きつくして本尊に祈る密教独特の修法(密教の供養の方法)で、仏をもてなすあらゆる供養法の中で、特に功徳が高いといわれています。護摩の祈祷を通じて、むさぼり、いかり、おろかさという心の迷いを仏の智慧の炎で焼きつくし、願望を清め、すみやかに成就するよう祈念します。

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観音護摩供の勤修

 当山では本尊正観世音菩薩の御前に護摩壇を設け、秘密観音護摩供を勤修いたしております。朝日観音が古来より多くの信仰を集めているのも、この観音護摩供の加持力によるものです。特に「無病息災」「災難厄除」「病気平癒」の御利益は多くの人々を救済して参りました。みなさまもぜひ観音さまのご縁日に御参詣下さい。

〈秘密観音護摩供の日〉

    • 毎月十八日(観音御縁日) 午後二時より
    • 一月一日 年越し、午前十時、午後二時
    • 四月十八日 午前五時より
    • 八月十日 午前五時より 

〈祈願〉

家内安全・交通安全・無病息災・災難厄除・病気平癒・身体堅固・良縁成就・子宝成就・安産成就など

    • 添え護摩木は一本五百円です。
    • 特別なご祈祷は御本尊へのお供えを御志納下さい。

交通案内

  • 自家用車をご利用の場合
    • 越前町役場より国道417号線を織田方向に西進してすぐ。国道沿いに「朝日観音」の看板があります。駐車スペース20台(大型バスも停れます)


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お問い合わせ先

「朝日観音」

朝日山 福通寺(真言宗

福井県丹生郡越前町朝日7-61

電話番号:0778-34-0621

別冊太陽「梅原猛の世界」

哲学者梅原猛氏が当山の観音さまをご覧になられたときの感動のエピソードを始め、白山信仰と泰澄大師のことなど、大変示唆に富む内容が盛りだくさんな一冊です。

朝日観音花ごよみ

朝日観音境内に咲く山野草を中心に、美しくも儚げな花の数々をご紹介します。下記のページをご覧ください。

http://togetter.com/li/145266


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(写真は、四月頃に境内裏山に咲き誇るカタクリです。)