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あとみよそわか

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今日は5月第2日曜日、全国的に母の日だ。
実家の母、妻の母には、そろそろ我が家から包みが届くはず。ちょっとした日用品なんだけど、今までの感謝を込めて…。喜んでくれるといいな。


さて、そんな母の日ではあるが、父親関連のエントリを。

「あとみよそわか」

致知 2011年5月号「幸田露伴父娘の掃除道」

愛読誌「致知」の2011年5月号に、小説家 幸田露伴氏の言葉として「あとみよそわか」が紹介されていた。
(該当記事は、占部賢志氏の連載「語り継ぎたい美しい日本人の物語」 第27回「幸田露伴父娘の掃除道」)


この「あとみよそわか」は、僕が10代前半に父から聞かされた思い出のフレーズでもある。当時、不思議な呪文のような響きが印象に残っていたものの、意味をよく理解せずにいた。致知の記事には、その云われも解説されていたため、とても興味深く読んだ。



幸田露伴氏には、文(あや)という娘さんがいた。文さんが5歳の頃に生母が亡くなり、その後は家事全般に無頓着だった後妻に育てられ、掃除などの所作が十分に身についていなかったらしい。そこで、父親である露伴氏が娘の躾に自ら乗り出した。掃き掃除も、まずは「はたき」の改造から始める、というぐらい厳しい掃除稽古だったのだとか*1


致知の記事では、長い掃き掃除の実践稽古が終了して文さんが礼をして部屋を出ようとした場面で、次のようなやりとりがあったと紹介されている。

その一瞬のことでした。「あとみよそわか」と謎の如き言葉を浴びせられたのです。振り返ると、「もういゝと思つてからももう一度よく、呪文をとなへて見るんだ」との仰せ、ことほど左様に娘は父に圧倒され続けるのです。
ちなみに、「あとみよ」とは掃除の跡を確かめよ、「そわか」は仏教用語で「功徳あれ」の意味。要するに、立つ鳥跡を濁さずという露伴流の教えでした。爾来(じらい)、文は口ずさんで自戒とします。

この記事を読んで、「そうだったのか」とため息がでた。

父との思い出

僕が、この言葉と最初に出会ったのは小学校高学年の頃。当時友人関係で悩んでいた僕に、父が1枚の紙をくれた。部屋の壁に貼っておくようにとのことで、4つの言葉が父の直筆で書かれていた。その中のひとつに、この不思議なフレーズ「あとみよそわか」が含まれていたことは今もはっきりと覚えている*2。読書好きだった父なので、幸田文さんの随筆を読んでいたのかもしれない。


もういいと思ってからももう一度 呪文を唱えて よく見ることだ」。父は、そう言いたかったんだなと、25年たった今になってようやく合点がいった。


ギリギリに仕上げて余裕のない最近の自分を見透かされているようで、とても恥ずかしいのだけれど、これからこの言葉を口にできるような「ゆとり」を創りだしていきたい。

関連情報

「あとみよそわか」リンク

「あとみよそわか」で検索してみつけたページ。やはり幸田露伴さん・文さん父娘について触れておられます。

本ブログの関連エントリ
  • 19年越しのプレゼント(2004年5月4日:旧ブログ)
    • 1985年に父からもらった手紙について書いた旧ブログのエントリ。この手紙でも、「PLAN-DO-SEE」「読書家たれ」という2つの言葉を贈ってくれた。
追記(2011/5/12)

コメント欄で、せきぐちさんに教えていただいた致知出版社編集部ブログの「あとみよそわか」記事へリンクを追加しました。

*1:このあたりの話は、『父・こんなこと』(幸田文 著)に詳しい、とのこと。

父・こんなこと (新潮文庫)

父・こんなこと (新潮文庫)

*2:その他に書かれていた言葉は、「天上天下唯我独尊」「我以外皆我師也」。あと1つあったはずだけど、なんだったかな…
→2017年6月追記。「独立自尊」でした。思い出せてよかった!