hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

天皇を あがめてみせるのは ひきょーだ。だって、天皇制っていうのは ドレイ制度じゃないか。天皇制の主体は、いったい どこにあるのだ。


 天皇制って、よく わかりませんね。わかいひとは、けっこう あんなん いらんやんって いってるじゃないですか。そうでもないですかね。天皇が えらいわけないじゃないですか。ただの人間にすぎないんだから。だから、天皇を あがめてみせるのは、自分たちが 天皇を はじめとする ひとたちを 皇居という監獄型サファリパークに とじこめていることを ごまかし、天皇制を あたかも すばらしいものかのように でっちあげる ふるまいだと わたしは おもいます。


 あがめてみせることで、自分を 「天皇の臣民」に位置づける。どんだけ時代錯誤なんでしょう。いえ、敗戦まえと敗戦後は いまだ体制として連続していますから、時代錯誤でもなんでもないのかもしれません。それなら、いつまで この体制を 更新しつづけるのかと いいかえなければなりますまい。


 天皇を 支配しているのは、国民のはずです。ちがいますか。日本国憲法の主体は国民であるはずですし、国民が 憲法第一条を 維持してきたのでは ありませんか。天皇は、日本国民のドレイです。


天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


 坂口安吾「続堕落論」で つぎのように論じています。


天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。
 藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼等が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が先ずまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。
 自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。
 なかでも、「自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。」ということを、わすれてはなりません。



 女性天皇を めぐる議論がありました。容認するかどうかというやつです。
 天皇制を つづける政治的な背景というものは、いろいろ あるでしょう。ひとつには、天皇制と戸籍制度を セットにすることで家制度と それにもとづく「秩序」というものを まもろうとしているのだと おもいます。
 伝統主義者の かんがえることは よく わかりません。食文化だって アメリカに これだけ修正させられたのにも かかわらず、たいして不満を もたずにいるように おもえます。伝統が すきなひとは、鈴木猛夫(すずき・たけお)『「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活』を よんだら ハラが たちませんか。


 わたしは伝統という「おおきな はなし」には興味がありません。なぜなら わたしは、「アスファルトの すきまから はえてきた 一本の草に、わたしは「自然」を みいだ」すような、そんな 繊細な こころの もちぬしだからです(「回想法を めぐって。」)。自画自賛か!!!(笑)。


 って、わたしの はなしは どうでもいい!!


 ばかばかしいですよ。天皇のためにだのなんだので戦争に かりだされたですって?


 わたしはヤスクニ神社に参拝する「べき」人物が 存在するとすれば、それは天皇であると おもっています。天皇であることが いやで いやで いやで いやで しかたがなくなるためにこそ、天皇は ヤスクニに参拝すべきだと おもいます。ヤスクニで「天皇制」に絶望して、「もう天皇など やめる!」と宣言してこそ、やっと天皇の人生は はじまるのだと おもいます。それでこそ やっとドレイとしての身分から解放され、人間になれるのだと おもいます。


 天皇制があり、戸籍制度があるかぎり、日本で生活している ひとたちは、すべて管理され、支配される存在でありつづけます。戸籍制度を 改善するのではなく、廃止する。これは 人間が すくわれるためにも 必要なことなのです。


 いったい、天皇制の主体は、どこに あるのですか。天皇制に主体はあるのですか。


 だれも責任をとらない。主体もなにもない。そんな ふざけた ご都合主義のためだけに、天皇制は存在するのではありませんか。


 天皇制を 廃止するのは、主体性を 回復するためです。ドレイではなく、人間になるためです。


 天皇が国民のドレイなのか、国民が天皇のドレイなのか わからなくなるような、意味不明な構造を、破壊しましょう。



 主体性を とりもどすために。



 わたしは天皇制を 否定します。戸籍制度を 否定します。天皇制の廃止を のぞみます。戸籍制度の廃止を のぞみます。


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