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あべ・やすしといいます。

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2016ねん 11がつ 05にち

「この社会が うみだした」ということについて。

 なにか事件や問題が おきているとき、これは特殊なことではなくて、あのひとたちだけの問題ではなくて、この社会が、この国の政策が ひきおこしたのだ、と論じることがある。背景にあるものを よみとくということは大事だと おもう。じっさい、背景というのは あると おもう。社会のなかに、ものごとは ある。それは そうだ。


 だけれども、なんでも かんでも、そして、ただたんに、「この社会が うみだした」とだけ いっていれば いいのだろうか。



 津久井やまゆり園の事件。あれは、この社会が うみだしたのか。そうかもしれない。でも、そうだとばかり いっていては いけないと おもう。だって、そういう「論評」というのは、要するに、「これからも こういうことは おきる。覚悟しておけ」というような、「おどし」になってしまう。あんなこと、これからも おきてしまっては いけないのだ。もちろん、テロを 何度も経験している地域は この世界には あちこちに あり、毎日、メディアは かなしいことばかりを 報道している。


 けれども、わたしは覚悟なんかしたくない。だから、これからの展望を のべていくことも 同時に 必要だと おもうし、おどすような 口調で ものごとを かたるようなことはしたくない。


 大事なのは、この社会が どの方向を むいているのかということ。それを よく みきわめないといけない。そして同時に、自分は どのような社会で くらしたいのかということを しっかり かんがえて、社会にむけて発言していかないといけない。恐怖のなかで いきていきたくはない。でも、こわいことが いっぱい ある。そして いつの日か わすれてしまう。おもいだすのが つらいことも ある。ああだ こうだと ぐるぐるする。かなしい。


 けど まあ、やれることを やる。いやなことは いやだ。のんびり いこう。

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カテゴリー [ 社会 , 料理 , 映画 , ことば , コミュニケーション ]

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