大漁、異漁。

十代をすぎても心を隠す私のような人間は、大人の形に見えるだけの羽化できないサナギのようなものなのかもしれない。    遠野りりこ『マンゴスチンの恋人』

18-3-8-木

[]「終わりのない憎しみや復讐に関わる理由はない」 02:25

愛と精霊の家

風と共に去りぬ』や『ゴッドファーザー』は当然として、『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』にところどころ似ていることにおどろいた。『愛と精霊の家』(1993)、ビレ・アウグスト監督。製作国はドイツデンマークポルトガル

出演はメリル・ストリープグレン・クローズジェレミー・アイアンズウィノナ・ライダーアントニオ・バンデラスヴィンセント・ギャロなど。イサベル・アジェンデのマジカルな小説が原作で、野心的な男エステバン・トルエバの一生をその婚約者や妻、娘のまなざしによってかたちある物語におさめる。

2時間半の映画とはいえかなりの省略がある。登場人物のかんがえていることが科白によって明らかにされるばめんはすくない。


若き日のエステバンジェレミー・アイアンズ)はローザ(テリー・ポロ)に求婚する。そのときからローザの妹クララエステバンのことを好きだった。だから、スーパーナチュラルな力をもつクララが姉の死を予感し現実のものとなったとき悲しみばかりでなく罪の意識から周囲と口をきかなくなる。ローザは父の代わりに毒殺される。

エステバンはおおきくなったクララメリル・ストリープ)と結婚する。エステバンの姉フェルラ(グレン・クローズ)は、はじめのうちこそ警戒していたものの、クララに魅了されてしまう。クララとフェルラは精神的な同性愛といってもいい関係になる。クララの妊娠後、とくに。

男と女の関係、また仕事と家の関係というもの。そのズレは広がっていくばかり。エステバンはフェルラが気に入らない。クララのことも許せない。娘のブランカウィノナ・ライダー)が小作人の息子ペドロ(アントニオ・バンデラス)と恋仲であるのも怒りの種である。ペドロとクララ反体制社会主義活動でエステバンの築いた富を否定しようとしてもいる。

家族を裁くほどの潔癖さがエステバンにあるかというとそれは怪しい。娼婦とも寝るし、じぶんの農園ではたらく女を犯した。その女は息子(ヴィンセント・ギャロ)に父とおなじエステバンの名をつけた。

婚外子エステバンガルシアはたびたび金をせびりに来る。ブランカに色目を使う。エステバンガルシア金銭や権力、色情はすべて憎しみに由来する。軍人になりたいと言い、父であるエステバンに金をだしてもらうのだが、政変が起こり、軍人として力をもったときには父を無下にし、義理の妹を左翼活動家として拷問するのである。

そういった混乱にもいずれ終わりが訪れる。ブランカは亡き母の日記を読みながら、ペドロとのあいだに生まれた娘に愛情を注ぐことがじぶんの人生であり、さまざまなこととのある種の和解なのだとかんじるわけだ。

要約してしまったが。たとえばそういう映画でもある。

18-3-7-水

[][]読みながら、なぜジョンヒョンをおもいだすのだ。 01:38

俺は性格が悪い。 (EDGE COMIX)

表紙を見て「悪い、俺は性格が悪い。」かと早とちり。現代短歌の同語反復に馴れすぎてしまった脳。正しくは『俺は性格が悪い。 (EDGE COMIX)』。四宮しの。

登場するのはだいたい大学生たち。連作、群像劇

だから院生がでてきたりほかのカップルのエピソードになったり、幼なじみファザコンと義父などハナシは増殖していく。

ひとが増えれば嫉妬が。独占欲が生まれる。あるいはなんでもかんでも共有しようとするフレンドリーなワガママ。

後半のエピソード二つが好かった。ホモじゃないおとこにアウティングされた挙句そのホモじゃないおとこにキス→告白されるとか。14歳のときに同級生からすっごいモーションかけられているが回想しているいまも語り手は恋愛感情をもたれていたことに気づいていないとか。

ヤリ目じゃないところにドラマはあるのだろう。

18-3-6-火

[]〈ま、たぶん、生きてることなんてフリースローみたいなもんだ。バスケットしに高校行ってる俺にしたって、工場に勤めてるタカオにしたって。/はいるかもしれないし、はずれるかもしれない。で、これが大切なんだろうけど、はいんなくったって、いいんだ〉  「セカンド・ショット」 01:48

セカンド・ショット (角川文庫)

川島誠の短編集『セカンド・ショット (角川文庫)』。収録されているのは「サドゥン・デス」「田舎生活カントリー・ライフ)」「電話がなっている」「今朝、ぼくは新聞を読んだ」「セカンド・ショット」「悲しみの池、歓びの波」「ぼく、歯医者になんかならないよ」「セビージャ」「消える。」の九編。処女作品集からデビュー作を除いたところへ「サドゥン・デス」「セカンド・ショット」、「今朝、ぼくは新聞を読んだ」「セビージャ」「消える。」を加えたかたち。

サドゥン・デス」「セカンド・ショット」は川島誠の代表作『800』に、「今朝、ぼくは新聞を読んだ」は「ぼく、歯医者になんかならないよ」に呼応するのだろう。


サドゥン・デス」は中学生の夏物語。〈県の優勝候補にあげられるくらい評価の高かった俺たちの中学のサッカー部は、なんと地区予選の決勝で敗退しました〉

それでみんなで町工場でバイトする。

俺、学校よりか工場に向いてるのかな。

男子の一人称でデリカシーのないことをすぱすぱ書いていくなかで、ときどきすごいのがでてくる。学生のときの有能無能がそのまま社会に巣立つわけではない。

「電話がなっている」は、学力が将来を決定的に左右するディストピアSF。最底辺のにんげんは食肉になるのだ。ガールフレンドも。

川島誠の小説はドロップアウトをそそのかす。いや、ちがう。くるしまずに生きることのできるばしょをみつけられるよう、語りかけてくる。

18-3-5-月

[][](神と野獣の都) 01:30

色咲き (onBLUEコミックス)

短編集、四宮しの『色咲き (onBLUEコミックス)』。「第一話」の、他人の疵痕(きずあと)へのフェティシズムが文学的だなー、とおもう。登場人物全員が文学的な重苦しさを共有しているわけではなくて、パートナーとなるおとこの子がかんたんに、主人公に対する好感度を上げ下げするゲームっぽさを生きている。多彩である。

各話、舞台や世界観がさまざまで、読みながらいろんなことを想起する。

「第二話」は工場ではたらく子の話。ネタバレになるが一読、「紺屋高尾だ!」と胸が詰まった。工場ではたらく子のところにもどってきたおとこ。〈清太郎は バカで貧乏で正直で不器用な男を幸せにする為 なんだかエラいとこの跡目についたという〉──。愛を信じてやってくる富貴の者、という説話に弱い。


「第三話」のモノローグも好み。〈俺は正しい人たちが死ぬほど嫌いだったので〉〈俺はおかしいままでいい〉

自転車でアルバイトに行く。ギリギリの走行。それに意見してくる後輩。〈見てんなよ キメーな〉美しくもないオッサンと寝ている。〈きもち悪いのが きもちよくて〉


「第四話」は、温室。白人種とオリエンタリズム。「第五話」はロボット人工知能と永遠と不死。

「第六話」。これは「第二話」と同工異曲また深化させたもの。

「第七話」は「第三話」のつづき。

18-3-4-日

[]おもいやり、記憶、引用、現実 01:13

メニルモンタン 2つの秋と3つの冬

ザカリー・シャセリオ目当てで観た『メニルモンタン 2つの秋と3つの冬』(2013)。おもしろかった。ザカリー・シャセリオはチョイ役だ。生け垣に半身突っこんで倒れている脳梗塞の男の足にスケボーでぶつかり、迷った末に携帯で救急車を呼ぶ。

監督、セバスチャン・べべデール。主演はヴァンサン・マケーニュ。

登場人物たちがカメラに向かって語りかける。観客は、聴き手。一人称の語りというのは神経症的になりがちだけれど、そこをうまく逃れている。対人関係はそれぞれに不器用ながらも自己分析はよくできていて、横暴なところがない。

恋の物語。そこに大袈裟な喧嘩が起こらないのはこの映画のいいところ。各人が自己解決しようとしてときどきディスコミュニケーションになる。その間に時が経つ。リアルだ。

リアリティーショーを観ているようなおかしな感覚が生まれる。物語の合間に、登場人物がコメントするからだ。

アルマン(ヴァンサン・マケーニュ)の友人バンジャマン(バスティアン・ブイヨン)が優しくて、といって周囲にはっきりわかるたぐいのものでなく、ひかえめでとても良かった。

18-3-3-土

[][][]ザカリー・シャセリオ推し 15:56

恐怖ノ白魔人(字幕版)

新作『レザーフェイス 悪魔のいけにえ』がひかえている二人の監督ジュリアン・モーリーとアレクサンドル・バスティロ。これまでに『座敷女』『リヴィッド』、『ABC・オブ・デス』中の「Xylophone(木琴)」。

イメージありきの、緻密さやゲーム性を欠いたやや古めかしい物語に生きる作家で、ホラーファンには合わないひとも多そう。


フレンチホラー『恐怖ノ白魔人』(2014)。でてくるおとこの子が三人揃って美少年。ヴィクトルとトマとダニエル。ざっくり喩えると少年期の松本潤赤西仁風間俊介。ヴィクトルやダニエルより長身のトマ(ザカリー・シャセリオ)が凄くて、半裸にジーンズ、父親による虐待、殴られて鼻から血。そういう官能は随所に。

悪童や幼女被写体とするときのジュリアン・モーリーとアレクサンドル・バスティロの感性を理解するかどうかで満足度が変わってくる。

18-3-2-金

[][][]バグは英雄になるけれど 15:28

ウェス・クレイヴンズ ザ・リッパー [DVD]

原題は「My Soul to Take」(2010)。ビデオスルーとなったため邦題は監督の名を冠して『ウェス・クレイヴンズ ザ・リッパー』、かえってとっつきにくい結果に。

きびきびした会話を聴いているだけでウェス・クレイヴンの映画と判る。きっかけはかんたんだけれど話がどんどん入り組んでくる。犯人は超自然ではないのに、その周辺には怪異が充ち満ちている。


切り裂き魔の魂が、七人の子にながれこんだという。欧米だからハイチ的に説明する。東洋だったらチベットか。魂の量は不変であり、人口が増えたとき魂はうすくなっているとチベットふうに言うこともできる。

主人公のバグ(マックス・シエリオット)はスポーツマンではないし繊細すぎるけれど学校の女子にけっこう人気がある。おなじ学校にかよう義理の姉ファング(エミリー・ミード)はそのことも気に入らなくて、女子だけでなく男子も使ってバグいじめの対象としている。

姉がスクール・カーストの上位で弟は下層。この姉弟が義理の関係であることや、弟がモテに属することで展開はふくざつになってくる。

十代を、あまりに単純化してしまうのは当人たちにとっての不幸だろう。一筋縄ではないかない幸不幸をかかえていることに気づけたときに青春は美の輝きを放つ。


映画の終わりは、なかなか皮肉。

18-3-1-木

[][]The Thing 14:44

鼻行類―新しく発見された哺乳類の構造と生活 (平凡社ライブラリー)

遊星からの物体X (字幕版) 映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険 『トロール・ハンター』にでてくるトロールたちの、信じがたい種の多様さとその造作から連想したのは鼻行類、ハナアルキ。

雪のなかの未知との戦いという画は『遊星からの物体X』に通じ、トロール、ハナアルキ、物体Xはいずれもただ生きてるだけで物語を必要とする野心のようなものはなくて、それが怖い。生きることは普遍的で、生きていれば個性を帯びる。そういうことをかんがえさせてくれるのでこれらを観ることは心地好い。


南極の物体X感もとりこんでいるのが『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』(2017)で、序盤の遊園地や氷が解けて遭難など、恐怖をならべつづけた脚本は素晴らしい。「ここほれワイヤー」は物体Xの血管じみているし。

脚本・監督の高橋敦史のかさねかた、ずらしかたおそろしく巧い。