*なんじゃこりゃーーー「1200人によるドッジボール」


とんでもないことにチャレンジする人々がいるものです!
こんなおもしろ映像を見つけてしまったので、
ついつい引っ張ってきちゃいました。

1200人によるドッジボール
想像しただけで気持ち悪いのですが、見てみるとなかなかおもしろい。
誰が企画したのかはわかりませんが、実際にやってしまうところがすばらしい!
大勢がごちゃごちゃ、うねうねとやってましたねw
あの俯瞰図は人の意思ではなく、なにか別の意思が働いているようでおもしろかったです。

さて、僕がこの映像を見て感じたことなのですが、

案外、中の人は普通にプレーできてるんじゃないかと。
そんなことを感じたわけです。
一部ボール蹴ってる人とかいましたけど、、
それでも思ったほど大きな困惑はなかったんじゃないのかな。

しかし、見ている側にとってはそーもいかないみたいで、
当たったかどうかの判定なんてまったくできない。
どのボールを見ればいいのかもわからない。
カメラも俯瞰して撮るしか対処法がないですね。

ある芸術家が(名前忘れました)サッカーの試合を録画したんです。
それはただのサッカーではなく、ボールを2つ使って行った試合だったんですよ。
やはりそれもカメラワークがうまく流れない。
観客もどっちを見たらいいのかわかないから、視線をきょろきょろしているうちに見ていない方のボールがゴールしてしまう。

など、人には目に見えていない部分でも物事が日々進行している。
そんなことがテーマだったように感じました。

この1200人によるドッジボールもどこか似ている部分があって、
自分の基本の考えを超えた現象には観察者としてついていくことはできないんですね。当事者としてなら案外うまくプレーできると。

でもここまでやりすぎるとうまくそのテーマもとらえられないんですかね。
まったく感じ方が違うんだろうということを感じました。
最適解をみつけるのって大変なんですね。
このドッジボールは趣旨が違うことはわかってますが、、、


まーこのきもかわな映像を見ながらそんなことを思いました。
僕個人としては俄然、1200人によるドッジボールのが見てて笑えるから好きですけど!

ついにいってきました「BLUEMAN」

たまらんですよ!!これ!!
ほんとに良い体験してきた!
ぜったいまたいく!

これ、ものすごくオススメです。はい!
とても言葉で言えるようなものじゃないんですけどね。
脳にいい刺激と言いますか
会場参加型で一体感を持った空間で、とても笑いました!!

小気味よい裏切りで会場を笑わせたかと思うと、
すごく真っすぐなパフォーマンスで あっ と言わせてくれる!
そのバランス、テンポがまさに絶妙!
どれだけ練り上げられた作品なことか!!

シルクドソレイユもすごかったんですが、それとはまた違いますね。
シルクドソレイユの完成された芸、技を見て感じるのが、うおっって感想なら、
ルーマンのパフォーマンスは、イヒッなんです!!
わかりにくいですが、そこには大きな違いがあると思うんです。


シルクドソレイユの方が物語性、技の凄さからして作品としての完成度は高いのかもしれません。
ですが、ブルーマンの方は会場を一つにする力、それは観客によって毎回異なる空気になると思うんです。(観客の方が舞台に上がったりしますしね。)
それを考えるとパフォーマンスとして完成させない強さがあると感じました。
その変化を毎回取り入れてしまう臨機応変さは見習いたいものです。

しかし、これは見ないとわからなんですよ。
youtube とかじゃぜったい伝わらないものがありますね。
それがこーゆーものを見に行く醍醐味なんですが。
今後2ヶ月に一度はミュージカルとか、パフォーマンスとかを見に行きたいと思います!


ちなみに日本のブルーマンの真ん中担当はエリックって言うらしいです。w
情報源はヒ・ミ・ツ

では、最後に
ぜひ見ることをオススメします

『四畳半神話大系』読みました!

エヘン虫にのどを痛めつけられながら、この記事を書いています。
これからは夜更かしを控えるから許して下さい、エヘン虫様。

それはさておき、ついに読んじゃいました。四畳半神話大系!!

四畳半神話大系 (角川文庫)

四畳半神話大系 (角川文庫)

簡単に説明すると、[主人公が幻の至宝と言われる薔薇色のキャンパスライフを目指して、パラレルに展開する話]です。
あのとき、あのサークルを選ばなければ。クソーーーーー
キューーーン。みたいな。
がっつり端折ってすいません・・・

フジテレビが木曜深夜25時くらいに放送しているノイタミナにてアニメ化されたのをきっかけに、この作品を知ったのですが、独特の映像表現とテンポ良く展開していくストーリーに惹かれ、1話目から虜になってしまいました。
その結果、気になって気になって、小説を買ってしまったわけであります。


ただ、個人的にはアニメよりも小説の方がいいですね。
小説もアニメと同じくほとんどが主人公である「私」の一人称で
語られています。
風景描写から人の動きまで映像による表現がない分、アニメよりも小説の方がよりその傾向を強く感じました。

しかし、そんな主人公が一人で語ってるだけなんですが、オモシロいんです。
歯切れの良いテンポといいますか、四字熟語とか出てくるにも関わらず文体がトントン流れていく感じです。
わかりにくいですね・・語彙力なくて・・・

まー読んでいただければわかります!!!!

そして!!!僕が忘れられないのが、
やはり小津君!!
愛すべきクソキャラといいますか。憎みきれないかわいさがありますよね、彼には。
作り込めば作り込んだだけ応えてくれるキャラクターです!!

主人公が報われない、理想と違う大学生活を送る一方で、親友でありながら主人公とは対照的に充実したキャンパスライフを満喫する小津君。
この感じは個人的にはかなり好きで、詳しくは描かれないのですが、
けっこう細かく作り込まれていたように感じます。
アニメだと毎話区切るため、いまいちわかりづらい気がするのですが・・・
特に最近は(現在第6話)パラレルの設定が描ききれてないように感じます。

小説の構成は四部構成なんですが、アニメとは少しストーリーが違います。
流れの構造は一緒なんですけどね。

まー、楽しく読んでください!!!
小津君さいこーーーーーー

*くやしーからもっぺん書き直します!!!

ストライドのお猿さん

マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]

マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]

はい。これ読みました。
さっきも同じこと書いたんですが、見事に消えちゃったんで、またやります!!負けず嫌い発動です。
かなり投げやりモードで書き進めていきます。

マクルーハンの光景」これはかなり読みやすく、マクルーハン初心者にはうってつけではないでしょうか。ポイントを押さえながらマクルーハンの全体像を押さえることができます。
図書館で借りたのですが、これは自分で買いの価値ありです。

なぜこれを読んだかというと、院試の過去問にマクルーハンに関する出題がされていたので、これは学ばんといかんとゆー不純な理由で読み始めましたのです。ところがマクルーハン!これはかなりおもしろい人です。書籍が良かったのかな。とりあえずぐんぐん読んでしまいました。

さーマクルーハンについていきましょう。

まずこの図式「メディア=テクノロジー=身体器官の拡張
これがマクルーハンのメディアに対する基本の姿勢です。

ここで、従来のメディアとは身体の外的器官の拡張でした。
動いている足→車輪  目→鏡  歯→のこぎり、包丁  といった具合です。

それに対し、電子メディアは中枢神経系を拡張している。
私たちは頭蓋骨を内側に包み、脳を外側にむき出している状態です。

従来のテクノロジー(メディア)は閉鎖体系を作り出す。特定の感覚と一対一で対応するため、ある感覚のみを拡張し、相互作用を起こさない。
一方、電子メディアは中枢神経の拡張であるため、閉鎖体系を作り出さず、感覚の相互作用を起こします。

これを感覚比率がズレた。と捉え、そのズレにより聴覚空間が生まれます。これは音が上下左右から迫るように、同時多発性をもった空間です。
(一方従来のメディアは視覚空間です。これはグーテンベルク活版印刷の登場以来続いていた、直線性を持った文字重視の空間です。)

この聴覚空間により、世界のどこかで起きたことは瞬時に共有されす。「世界を縮小させ、一個の部族、村にする」わけです。これは集団的形式、共同体的な絆の感覚を持った部族主義だと言えます。
(今回の記事では触れませんが、地球村に続く考え方です。)

メディア=テクノロジー=身体の拡張
従来のメディアと電子メディア
視覚空間と聴覚空間

これらを押さえた上でマクルーハンの有名な言葉
ホットなメディア
クールなメディア
について
これら二つの差違は精細度と参加度という基準で分けられます。
精細度とは情報の密度です。これは伝えられる内容の善し悪しではなく、メディアの形式によって一定なものです。
参加度とは情報の密度によって受け手による補完の必要度です。
もう少し具体的にいきましょう。

ホットなメディア
高精細度=低参加度を意味します。情報の精度が高いため、受け手が自ら補完する必要がないメディアです。
具体的にはラジオ、活字、映画などです。

クールなメディア
低精細度=高参加度を意味します。情報の密度が低いため、受け手が解釈し、補完する必要があるメディアです。
具体的には話し言葉、テレビ、電話などです。

これは感覚的なもので少しわかりにくいかもしれません。ではこう言い換えてみます。

ホットなメディア
単一の感覚に働きかけるメディア=一対一対応をみせるグーテンベルク時代の視覚空間を生み出すメディア

クールなメディア
複合的に感覚に働きかけ、相互作用を起こすメディア=電子メディアによる聴覚空間を生み出すメディア

まとめるとこなります。

ホットなメディア
これは情報の密度が高いメディアであるため、受け手による補完を必要としないメディアである。情報の密度とは伝えられる内容の善し悪しではなく、メディアの形式によって一定なものである。
具体例としてラジオ、活字、映画などが挙げられる。
また、これらは単一の感覚を拡張するメディアであり、感覚と一対一対応をみせるグーテンベルク時代の視覚空間を生み出すメディアであると言える。

クールなメディア
これは情報の密度が低いメディアであるため、受け手が解釈し、補完する必要があるメディアである。情報の密度とは伝えられる内容の善し悪しではなく、メディアの形式によって一定なものである。
具体例として話し言葉、テレビ、電話などが挙げられる。
また、これらは複合的に感覚を拡張するメディアであり、中枢神経を拡張する、もしくは聴覚、触覚を拡張するメディアであると言える。

こんな感じにまとめることができるでしょう。

次は「メディアはメッセージである
これに関してはまだまだまだまだ理解が甘く、間違いを含んでいる可能性が高いためあしからず。

新しいテクノロジー(メディア)は新しい環境を作り出し、取り込んでいく。その際、メディアによって伝えられる内容ばかりに目を奪われるのではなく、環境に変化をもたらすメディアの形式を読み解かなくてはいけない。そうしなければ新しいメディアの制御装置になってしまうだけで、環境に力を及ぼすことができないためである。
以上の理由から、メディアの形式、それによってもたらされる変化を読み解くべきであるという意味を込めた言葉であると言える。

ちょっと言葉がかぶってる感じがありますが、今日はこの文章二発目だからご勘弁を。


さて、この言葉の趣旨はこんなところだと解釈しているのですが、メディアに対する姿勢を考えさせられますね。
mixi,twitterといった新しいサービスが普及している現代においてこそ、メディアの形式、それがもたらす変化を考える意義は大きいでしょう。
これからもメディアに関わっていくことを志している以上、この姿勢は身につけなくてはと思う今日この頃です。

マクルーハンに関しては「地球村(global village)」という概念も有名なひとつですが、これについては今後どこかで記事にできたらな。と考えています。

では、一日に二回同じような記事を書くのは大変でしたよ。と
ではでは

*かなりショックな出来事が起こりました

僕、ブログつかいこなせてません。

頑張って、頑張って、頑張って、頑張って書いた
マクルーハンに関する記事がきれいさっぱり消えてしまっておる。

これかなり凹む。ほんと頑張ったんだから!
まー自分のために書いてんだから誰も困らないんだけどさ。

だれかなんとかする方法教えてください。

ではでは 凹みながらのお願いでした。

キャドバリー・ジャパン「ストライドを探して 100万円」が「超時間を体感せよ。」http://www.stride-s.com/index.htmlになって新たに登場。「ストライド」サイトもオープン。ヤバいほど味長続きガムです。

ってことでストライド食べたんですが、ホントに味長持ちです!フルーティーな味じゃなく、ミント味なんで長いこと噛んでても飽きがこないし。

さて、ストライドの味に関しては以上です。物足りないかもしれないですが、味の長持ち具合は試さないとわかりません!


ここではストライドのプロモーションについてかこうかなー思ってます。
タイトルにも書いた通り、僕、ストライドのお猿さんに遭遇しました。あら偶然。
僕はすかさず写真におさめたわけですが。(その後お猿さんとグーサインからハイタッチまでしてしまいました)

これはお猿さんの写真をキャンペーンサイトに投稿すると、景品が当たるという企画だったのです。
それにしても、どーにも写真を撮っている人が少なかった!!!

僕はキャンペーンサイトを見ていたのでこの企画を知っていたのですが、他の方々はどうだったのでしょう?
確かにストライドの認知度は高いと思います。周囲でも話題になりました。

しかし、このキャンペーンが話題になった憶えはありません。
CMを見てみてもこの企画、キャンペーンサイトに関する告知はいっさいなし。
これでは知らないのも当然というものです。
その場で「写真撮ったら景品」みたいな看板はもってましたがそれだけ。あとはおねーちゃんがストライド配ってるだけでした。

これはどーにも雑なキャンペーン設計な感じが否めませんでした。お猿さんがいただけでは盛り上がっているようには見えなかったですし。
CMとの連動がなかったのは戦略なんでしょうか?まー確かに十分な認知は得られてますが。
そーなるとキャンペーンの目的は?配布だけならお猿さんがいなくてもできます。
twitter上でもお猿さんの目撃情報よりもストライドの感想が多かったような印象です。

キャンペーンサイト、twitter、プロモーションの連動企画のはずが導線に問題ありって感じでした。
しみじみとtwitterとプロモーションを連動させる導線を考えさせられましたっと。

ではでは

そのきっかけとしての悪夢。

今目覚めた。

床の上でごろ寝してしまったからだろうか?

不快な夢を観た。非常に不快な。

おかげでげんなりと重い身体と、やけに覚醒しきった(そのように感じている)頭の働き。

なんというか、どこか整合性に欠けた、斜めに立っているような、そんな気分。

とりあえず理想的な睡眠ではなかった。

あの夢はおそらく、夢の機能というか、記憶の整理をするためのものだったんだと思う。

しかし、今はそんなことはどうでもよくて、もともと夢の機能について語るつもりはまったくないんだけど

今はただ、記憶が鮮明なうちにどんな夢(悪夢)だったのかを記しておきたくなった。

なんの脈絡もない、読むに耐えない、夢というかたちでしか顕われないものをつらつらと書いてしまおうと思う。

悪夢(もしタイトルをつけるなら・・・「意識的な無意識の発露」とか)

scene1  オフ会によるオフ会チックな違和感

 

どうやら自分の家とおぼしき(現実の家とは全く異なる、しかし、夢では確かに自分の家だと感じた)場所でその日初めて会う人々と一緒に会話を楽しんでいた。twitterで知り合った人とオフ会のようなものを開いていたようだ。人数は6、7人といったところ。酒を飲み、それぞれ3〜5人で会話に興じていた。

そこには現実ではtwitterのアイコンしか見たことのない人がアイコンのイメージのまま存在していた。視覚的に違和感を感じさせるが、人としてはきちんと存在していて、ただアイコンのイメージ。発言はtwitter上でのキャラがけっこう反影されいた気がする。

また、一人だけ親友のTが混ざっていた。(彼は現実ではtwitterはやっていない。興味を感じていない)

出会うはずのない人と出会い、そこにいるはずのない人間がそこにいる不思議な感覚。現実とのズレが夢の中の自分に奇妙な違和感を感じさせていた。夢の中で「これは夢だ」と自覚することがあると思う。しかし、今回の悪夢はなぜかそれを感じさせなかった。違和感だけを抱いて、、、

scene2  違和感に端を発した出来事(このsceneは突然挿入されたような、後に何かに影響を与えたとも思えない光景だったが、順番では確かここに位置したと思う。)

気付くとTと殴り合いの大喧嘩をしていた。周りの人々は大して止めるそぶりは見せなかった。部屋は夜逃げの後のような、変な散らかり方をしていて、いろいろ物が壊れていて、Tが狂ったように執拗に僕を攻めてきて、周りの人は笑ってて、僕は何かのビン(かの有名なコーラのビンだっと思う)を振り上げ、Tの頭めがけて思いっきり振り下ろす。

Tの頭をカチ割った。たぶんこのカチ割ったという表現が適している、というくらいに力いっぱい。

Tの大量の血流。それでも襲ってくるT。僕はよく知った人がここまで変わってしまうのかという恐怖を感じ、それを引き起こしたのであろう自分自身にも恐怖を感じた。

僕のどんな行動が彼をそこまで変えてしまったのか、その一連の流れがわからない。知ることができない。その過去の自分と今の自分が切り離された感覚がなによりも怖かった。ここでこのsceneは入ってきたときと同じくらい突然切り取られた。

scene3  結局のところこれが始まり

ここで再びscene1と同じ光景。なにかのオフ会。アイコンの人。そして普段通りのT。

ある会話があった。アイコンの人 その1が(ちなみにアイコンの人は2人いた。他の人はぼやけていた)とあるパチンコ店の広告が気になるとか、メイドカフェに興味があるとか、、、、、、、、、、よくわからないこと、正直既に内容が消え始めている。最後までいけるのか不安だ。

結局のところパチンコ店の広告プロモーションにA○B48が起用されていて、それはtwitterUstreamが連携された、、、、、、、、、、よくわからないもの、があるらしい。それにみんな興味があって、内情を知りたい。そんなところだったはずだ。

僕は酔った勢いでそれの担当者に電話し、アポを取り、会いにいくことになった。

なぜ僕が行くことになったのか、僕は何がしたいのか、会って何をすべきなのか、まったくわからない。すぐさま出発する段取りらしい、、、、、不安を覚える

scene4  えもいわれぬ空間

気付けばもうパチンコ店にいた。店構えは小さく、パチンコ店にしては天井が低かった。薄暗く、光源はパチンコ台から漏れる光と、熱帯魚を取り扱う店のような独特青い光がほそぼそと注いでいた。ここの奥に担当者とA○B48がいるらしい。

奥へと案内される。忍者屋敷かってくらいに変なところを通っていく、物で溢れたやけに細い通路、ズレる棚、回転扉(ここの壁はやけに厚かった)、4か5か、それくらいの扉の先にその空間があった。

生理的嫌悪感を抱くような空間。4面のうち1面(入った扉の正面の壁)だけ真っ赤に塗られた壁、真ん中に部屋を横断するように張られたガラス。その奥にひな壇があり、無表情のお人形さんのようなA○B48の面々(知った顔は一人もいない。なんと言うか、A○B48というパッケージだけが存在していて、そこが重要なわけで中身は大したことではないらしい)が腰掛けている。僕はそちらへは行けない。吸ってる空気すら違うと言われているような感覚。入った瞬間に嫌気がした。

担当者(この広告の仕掛人?)もこれまた好きになれそうにない感じ。あるラジオのパーソナリティの声からイメージしていた人間像そのままの姿で登場しやがった。ギャップのかけらもない、扁平な印象。人のある要素とある要素が繋がる際に(今回は声と姿)、片方のある要素からイメージした通りの人間として出来上がった場合、ひどく気持ち悪く感じるらしい。

気付けば入ってきた扉がある壁の右側の壁には、twitterのタイムラインらしきものが投影されていた。A○B48の人々がpostしたものが反影されるらしい。「イケメンじゃない」「でも想像してたのよりはマシ」「こっち見んな」などなど、僕の印象や僕への言葉が並んでいた気がする。まあ全く良くないが、決して悪すぎることもないという印象を与えたようだ。

しかし、空間的に遮断された向こう側から、壁に投影される文字によって投げかけられるメッセージ。壁の存在は絶対らしい。僕と彼女たちでなにが違うのか。どこまで隔絶された存在なのだろうか。

たぶん僕は逃げ出した。少なからずそれを望んでいた気がする。

scene2.5  また、、、、、

再びTとの乱闘。もともとここにあったシーンなのか、2回あったシーンなのかわからない。ただ、ここでも再びTに、過去の自分に恐怖を覚えた気がする。

scene5  ある無意識による時間稼ぎ

あの担当者とどこかの道路で会話していた。期待を全く裏切らないギャップのないあの担当者。ひどく高圧的だった、もしくは自分が萎縮していた、やりとりだったと思う。なんのためにここにいるのだろう。もうわけがわからなかった。

ただ、この影のような人物とのやりとりから僕はこいつが担当している企画が気に入らなかった。反感を覚えたらしい。あの空間も気に入らない。なにもかもが気に入らない。

会話の内容はまったく覚えてない。もともとなかったのかもしれない。ただ、担当者とどこかの道路で会っただけなのかもしれない。

その男は黒いバイクで走り去っていったとさ。

scene6  最後の光景

僕は何かをtwitterにpostしたらしい。「あの空間に閉じ込められた人形たちを救う」とかわけのわからない自分の主張。それはおそらくただ気に入らない気持ちを出すのは大人げなくて、何かの主張の裏に自分の我が儘を込めたようなもの。そんな印象だった。

それがいけなかった。そんなことせずに、さっさと夢から覚めてしまうべきだった。

ある友人からのメール

「hiyokoclub(僕)のアカウントが都市化してる」

ひどく引っかかる都市化という言葉。アカウントの都市化?おそらく僕のタイムラインが知らない人、関わり合うことのない人々の流入によって溢れ帰っていた。そんなことだったんだと思う。A○B48の人にフォローされたのがきっかけらしい。そこの経緯はまったくわからない。実際のtwitterでそんなことが起こるのかも知らない。

ただ、都市化という言葉の暴力的な印象は実に的を射ていた。(上手いぞ友人)僕のpostが著名なITジャーナリストに拾われた。「彼は自分の主張の裏側の意図に気付かないと思ってる」「彼の気持ちが全面に出ている」内容は覚えてない。ただ、僕のやり口をひどく論理的で、正論で、非のうちようがなくて、そんな方法でめった切りにしていた。

僕の内面もめった切り

おそらく、、、、ものすごく単純に言えば、自分のずるさだとか、度胸のなさ、卑怯さ、未熟さ、そういった普段目を背けていた全ての自分の問題点(気付いてはいた。ただ気付かないフリをしてきた。できることなら気付きたくなかった)が一気に溢れ出て、僕を責めてくるような感覚。

そんな逃げてきた自分に対する嫌悪感、今までの体験は全部自分が自分に言えなかったことなんだと、あの気持ち悪いオフ会も、空間も、担当者もすべてが僕を責めるために用意されたものだった。

そこでは僕はなにもできない。ただ流されていくだけ

そんな風に無力感と後悔を抱いて目が覚める。


お礼

こんなとんでもない文章を最後まで読んで下さったのなら、ありがとうございます。

くしゃくしゃですいません。なんせ夢なもんで。

夢でしか起こりえないであろう自分に無意識によって、意識の部分が攻撃される。それも言語とか、視覚とか、ひとつの体験として起き上がってくるくらいに濃厚なやつ。

これはすごく気持ち悪い体験で、でも、知り合いとか、今興味あることとかがきちんと反影されてるから、すべて自分を責めるためだけに用意されたものなんだって感じた。

もちろん記憶の整理としての役割を担ってるんだろうけど、無意識な部分ってのはあきらかに自分が避けてきたことを感じ取ってるらしい。

なにもここまで攻撃的じゃなくていいのに。と思いつつも反省すべき部分ばかりみせられたのかなと感じています。

ちゃんとするから許して!おれ頑張る!と反省の色がまったくみえない感じで、再び眠りへと向かおう。

二度目の悪夢は勘弁してね。