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2005-05-10 必要は発明の母

日本は、明治政府が作り上げた「国家」という論は結構浸透している。では、その前は?

天下統一の資格

天下分け目の関ケ原の戦いに家康が勝ち、江戸幕府が出来た。というのは史実だが、「お手続き」上では、朝廷から「征夷大将軍」を拝領したからこそ、幕府を開けたのである。単に豊臣や数多の戦国大名を制圧したダケでは将軍職には付けないのである。将軍職は代々源氏の棟梁でないと、清和源氏スジでないとダメなのだ。近衛家の養子となることで「関白」職を手にした秀吉よりゃちゃんとした武家スジだった家康とて、その6代前の松平家はドユ人物だかもう判らないのである。

そこで「都合のいい」系図を探しまくる。で、藤原氏スジの「徳川」つーのをめっけた。これは新田氏系で「徳川」と称してから4代以降不明なものだった。「徳川」4代目以降と「松平」6代目以前の200年を穴埋めして、源氏スジな家康家系がこうしてできあがる。やっとこれで将軍職の資格が出来た。家康の名前が松平から徳川に変わったのは、そゆ経過である。

正当性

さあ、これで勅令もGetしたことだし、晴れて天下幕府だ!となるんだが、そーは単純にいかない。絢爛たる安土桃山の末の思想としての儒学、中でも朱子学が登場する。徳川の成立ちがこうして傍流からのしあがったものならば、幕府=日本も又、傍流であると意識されてたのである。じゃ、中心はドコかといえば、中国である。世界の中心は「天下」=「中華」、その傍流としての朝廷、そしてやっとこさ認めてもらった幕府

ナンでそんなモンが登場するのかといえば、原因は創作された徳川家系図にある。源氏源氏でも新田源氏、南朝側なのである。南朝正統を立てないとイマイチ自分トコの正当性が担保されない。勅令Getした朝廷はいかんせん北朝の流れだ。どーすんべ?そこで、中国的世界観「天下」をもって統治の論理とした。昔破れ滅びた(=南朝)としても正しい行為は「天下」を動かし、「天命」を受けた子孫(=家康)によって完成するといった具合。しかも、その中国から見れば、朝鮮征伐に失敗して鎖国した内向きな日本、徳川幕府はそういう出発だったのである。

万世一系」に水をさす南北正閨論争とか熊沢天皇というものが明治以降度々起こるんだが、その張本人は、家康なんだな。あははは。

神国ファンタジーの誕生

それが徳川300年間の内に消化され変化していく。300年鎖国して入ってこないんだから、外来の元ネタはさすがにつきる。そしたら、なんかを足さないと「研究」としては成立たない。そんな中で、文学/日本語を研究してるハズの国学で、「神代文字」までこさえた平田篤胤の頃から「神国日本」というファンタジーがはぐくまれる。そしてそれが政治思想化する。したから「神国日本」は明治ではなく、江戸でこさえられたもの、江戸文化なのである。

「天下」ではなく「国家」を主題とした水戸学は、尊皇攘夷な皇国史観としてのイメージの方が強烈であるが、その生い立ちを考えたら、そんな単純なモンではない。天皇中心ヒエラルキーを構造として強固に立てつつ、結局は幕府政権の正当性ひいては武士の正当性を権威序列づけようとする思想となる。だから、むしろ「士族(=日本の知的階級)の誇り」としてこの思想は明治以降も培われるのである。

2度あることは、3度アル?

日本の歴史の特異なトコは、常に実質支配と名目支配が常に分化してた…というより、実質支配権力が自らを保証するというカタチをとることがなかったということにつきる。

とゆーわけで、結局、江戸明治も変わりゃせん。「徳川」→「薩長」、「中華」→「西洋」、「天下」→「国際社会(帝国主義)」つー御題の変化(御一新)はあれど、その構造枠はついぞ変わることはなく、結果、同じよーなプロセスをたどって、同じよーなコトをやらかしてるのである。

自由主義史観でも自虐史観に準拠するでも、その心境は理解できないことはないんだけど、〈史観〉というイデオロギーに史実をあてはめる論理の危険性は、イデオロギーの補強でしかなくそれは〈思想〉もしくは〈文学〉でもって、〈歴史〉とはほど遠いものである。特に史観論を見てると、自と他、内的自己と外的自己が混在したままで、そういう視点からしか〈歴史〉を見ることをしないのは妙なことである。もうちょっと別の角度から変遷を省みるという作業をしてもいいのではないかと思う、この頃。

もっとも、史観派な皆様がどーこーいおうと、記述される公的歴史=受験勉強としての歴史は、山川出版の教科書に準拠してるのが、日本の大勢なんだけどね〜。

since 2004.5.20 :722115