Hatena::ブログ(Diary)

なまえかんがえるのめんどくさい

2010-09-05

あのふざけた中産階級のガキ共をぶちのめすために

正直、「たかがクスリでしょ?」っていうのが、自分の感想。

今回彼女がやったことより悪いこと、醜いことなんて、そこら辺にざらに転がってるだろ?というのが、僕の個人的な善悪の感覚。それも「もっと酷い犯罪」とかそういうことじゃなくて、ごく日常的に、みんなもっと汚い心の動きや振る舞いを、ざらにやってるだろうと。

テレビでテリー伊藤高橋ジョージが「周りへの迷惑」とか「社会への影響」なんてことを言ってるけど、彼女の子供が可哀想だとかお為ごかしを言う前に、たかがこの程度のことで、世の中総出で一人の人間を晒し上げて貶めまくってる状況(そして、大人がそれにロクに違和感を表明しないこと)の方が、よほど世の子供にとって悪影響だろうと本気で思う。

2009-08-09 - ぼうふら漂遊日記

それで人生を台無しにする人もいるわけだから、たかがクスリとは思わない。もっと汚い心の動きや振る舞いというのがよくわからないけれど、それは止めようと思えばすぐに止められることだろう。しかしクスリはそうはいかない。だから手を出してはいけないということを徹底的に世の中に知らしめる必要がある。

しかしテレビはただ面白から取り上げているだけだ。没落した成功者というヤツを見て喜びを感じるような人間のためにテレビは存在している。社会を良くするためには何が必要かなんてことは考えていない。ただ視聴者を気持ちよくして、数字を稼ぎたいだけだ。

2010-09-04

無名の一市民最強説

何が面白いかっていうと、この東浩紀氏はツィッタ上で比較的多くの人からフォローされていたため*1か、「多くの人間がフォローしている教授が学生を晒し上げるなんてやりすぎです」というような意見が出ているらしいこと。

「お前は影響力が大きいんだから行動を弁えろ」的な意見とでも言えばよいでしょうか。

今回のように不正告白→炎上の流れで有名人が絡むと、このように有名人がその影響力を根拠に自制を求められるっていうのは、ある種おかしな現象だなと思ったりするわけです。

2010-09-03 - flying-whiskerはそろそろダメ人間

有名人にその影響力を根拠に自制を求めるのなら、彼らをフォローしている人たちにも、彼らに影響されすぎないように自制を求めるべきではないかと。ようするに有名人をフォローしている人たちは、彼らのツイートに脊髄反射的に反応するなということだ。自分と同じ情報を得て、自分と同じように考え、自分と同じことをしようとしている人が数百人あるいは数千人いるかもしれないのだから、とりあえず少し様子を見て、それから行動した方がいい。

2010-09-03

東浩紀さんとカンニングとtwitterの「不当な量刑」

 ただ、twitter(をはじめとするネット)というツールのなかでは、ある種の罪は、不当に重い量刑を課せられているのではないかと、僕は考えているわけです。


 元アメリカ大統領ジミー・カーターに、「麻薬常用者に対する最大の処罰は、常用者本人の健康の阻害にとどめるべきであって、それ以上のものではあってはならない」という言葉があるのですが、「カンニング」に対する処罰も「過剰な個人攻撃や社会的制裁」になるべきではない、と僕は思います。


「学問をバカにしている」のは事実だけれども、「単位を取れない、進級できない、あるいは、退学となる」以上の個人情報晒しを含む「社会的制裁」が「善意をふりかざした野次馬」たちによって加えられるのは、あまりに酷でしょう。

東浩紀さんとカンニングとtwitterの「不当な量刑」 - 琥珀色の戯言

不当な量刑ではない。なぜならネットでは馬鹿であることは罪だからだ。事の重大さを理解せず、自らの悪事を公言するような軽率な馬鹿はネットで晒し者にされても文句は言えない。馬鹿は徹底的に叩き潰してネット社会から駆逐し、二度とこのような馬鹿が出てこないように見せしめにするべきだ。

そんな風に考えているんじゃないだろうか。例の学生に同情する気はないし、ズルをして美味しい思いをしようとする人間は嫌いだけど、少し行き過ぎているようで怖い。

2010-09-02

人に嫌われないための心理学

一つは「返報性の心理」といわれるものだ。「報(むく)いたいという気持ち」を返すと書いてある。簡単にいうと、感謝する人に、他人は感謝の気持ちを持ちやすいということだ。常に「ありがとうございます」という気持ちとその気持ちを言葉にしておけば、相手も感謝の気持ちを持ちやすい。あなたが感謝されているシーンを思いおこしてほしい。感謝されているうちに「いやあ、私こそお世話になっていますよ」と思わず口にしていることだろう。末吉は、少しドライの言い方かもしれないがまずは「ありがとうございます」と口に出すようにしている。それから急いで、何を感謝しよう?!と考えている。


もう一つある。「好感性の心理」と言われるものだ。相手を好きになると、相手もあなたを好きになる可能性が高くなるという考え方だ。自分にあこがれている様子の部下や同輩を想定してもらえるといい。自分のことを尊敬している者のことは多少うざくても、好感を持ちやすくなる。ウイヤツという気持ちにもなる。「あなたの態度や考え方が好きです」と明確に相手に伝えるべきだ。いやなことがたくさんあったとしても、かろうじて、いいところをさがし、ほめる、好きだという。そうすると相手も自分に対して好感がめばえてくる可能性は高い。

人に嫌われないための心理学: 末吉孝生日記

やるならさり気なくやらないとな。間違っても嫌われることを恐れていることを相手に知られてはならない。好き嫌い以前に、臆病な人間は下に見られる。どうでもいい相手ならいっそ見限られた方が気楽でいいけど、少なくとも仕事をする上ではマイナスにしかならないと思う。

態々己の価値を下げる人

云ってる方は忠告とか、親切のつもりなのが性質悪い。ポジティブ思考のつもりが単なる自己啓発の押し付け。結局、それって相手を非難してる事に他ならないよね。自分は良いこと云ってると思いながら。同じ事を云うにしても云い方やタイミングがあって、それを判ってない人は、何も云うべきじゃないと思うのだけれど。自分のオナニーの為にする説教なら、やめてくれ。

態々己の価値を下げる人 - 黄色いガードレールの上で

価値だけではなく能力も含めて人間が全て平等だと思っているのかな。だから、できない=努力が足りないと思っている。できないよりはできた方がいいに決まってるから、頑張れと背中を押す。本当に親切心からなのか、いい人である自分に酔っているだけなのか、どっちにしろ面倒くさい。

スーパークールな一夕

きわめて致死性の高い感染症の危機が市民生活の中にはいりこんできたとき、彼は厭でもその最前線にいなくてはならない。

前線にいる医師や看護師が次々と感染症で倒れるような現場で医療に従事している「未来の自分」を想定したその上で、彼は「どうせ死ぬなら犬死にはしたくない」と言っているのである。

このワークショップの場にいて、幸いそのカタストロフを生き延びた諸君がいれば、ぜひ「私や私の仲間たちの死」から少しでも有用な情報を回収してほしいと言っているのである。

「自分が感染し、まずくすると死ぬことを勘定に入れた上で感染症対策を論じている医師」のスーパークールな倫理性に私はちょっと感動してしまったのである。

スーパークールな一夕 (内田樹の研究室)

命に対する思いやりですら無駄なものとして切り捨てる、自分の命ですら利用する、ただ命を救うということだけに特化した思考。ある意味命をモノとして扱っているとも言えるけど、命を扱う現場ではそういう冷たさが必要な場合もあるのかもしれない。けれど中途半端な思いやりなんかよりも、それは意味のあることだと思う。

じゃがいもに味噌をつけて食べると死ぬってどういうこと?

朝日新聞の「中島らもの明るい悩み相談室」に、あるとき、じゃがいもを焼いて味噌をつけて食べると死ぬと聞いたが本当か、という主旨の相談が寄せられたそうです。それに対するらも氏の答えは以下のようなものでした。

「・・『焼きじゃがいもに味噌をつけて食べると死ぬ』というのは本当です。・・・僕の友人の医者の話でも、やはりその実例を見たそうです。その患者さんは今年九八歳になるおじいさんですが、一二の時に焼きじゃがいもに味噌をつけて食べたのを悔やんでなくなったそうです。」

なるほど。ところが、これを読んで焼きじゃがいもに味噌をつけるのは体に悪いと信じ込んだ人がたくさんいて、朝日新聞社には問い合わせの電話と手紙が殺到したというのです。やれやれ、このらも氏の答えに笑えないようでは、トンデモな情報を見抜くこともできないわけです。

じゃがいもに味噌をつけて食べると死ぬってどういうこと? [Tritsch-Tratsch ?番外編?

こんな風に何でもかんでも真面目に受け取ってしまう人がいる一方で、何でもかんでも冗談で片付けてしまう人もいる。堅苦しい人と無神経な人。どちらとも係わり合いたくない。どうしてもっとバランスよくできないのかな。

2010-09-01

乱暴な言葉遣いの人間は差別する。

 たとえば、「1+1=2」という問題に対して、「1+1=3」だと主張するひとがいるとする。これは間違いを指摘されて当然である。しかし、その指摘の際、「1+1=2だと思います。ご注意ください」と丁寧に書くこともできれば、「1+1=2に決まっているだろ。ばかじゃねえか。死ね」と乱暴に書くこともできる。


 両者は「主張」の中身は同じである。しかし、あきらかにその文調は異なる。むろん、その「主張」が正当である以上、それは受け容れるのが「大人の態度」ではあるだろう。しかし、後者のような文調で「意見」を受ければ気分を害することは当然だ。

乱暴な言葉遣いの人間は差別する。 - Something Orange

それが本当に面白いものなら誰かがまた取り上げてくれるはずだから、無理して全部の記事を読む必要はない。TwitterやTubmlrについて書かれた記事で見かけた言葉だけど、それと同じで本当に正しいことなら、別の誰かが乱暴でない物言いで伝えてくれるんじゃないだろうか。だから感じの悪い人の意見を無視しても、たぶんそんなには困らないと思う。

外資系の支配人のクレーム対応

お客様は神様です」みたいなことばかり教えるのは簡単。

しかし現場が困っていることは、そうではなくて、

「この人は客じゃない」と判断し、対応するにはどうしたらいいか?と言うこと。


〜中略〜


「このラインを超えたら客じゃない、というのがある。

ラインまではスタッフに精一杯努力させる。

しかし、それ以上やらせるとスタッフがいじめられて心に深い傷を負う。

そして、この仕事に恐怖を感じるようになってしまう。

それは絶対に避けなければならない。

だから、私たちはこのラインを超えてくるクレーマーがいたら、

その瞬間からスタッフを守るのが義務だ」とのコメント。

外資系の支配人のクレーム対応 - レジャーサービス研究所(東京&上海) - 楽天ブログ(Blog)

とりあえず客の定義を、適正な代金を支払ってサービスやモノを購入する意思のある者としておこう。問題はその意思をどうやって確認するかだが、それは行動で推し量るしかない。そしてその線引きをするのが店長だ。その店がチェーン店なら、さらにその上の人間ということになる。しかし実際のところは顧客のためと言いつつ、「お客様は神様です」という単なる思考停止によって下の人間に負担を押し付けているだけに過ぎない。それが一部の非常識な消費者を増長させ、結果として他の消費者の不利益に繋がっているのだと思う。

相手の嘘を見破るための、シンプルかつ強力な会話テクニック

相手が嘘をついていると思うなら、話題をいきなり変えてみる。相手が嘘つきなら、喜んで変更に従い、よりリラックスした態度を取るだろう。相手は話題の変更を待ち望んでいたのだ。(反対に相手が潔白なら突然の話題変更に困惑し、前の話題へ戻りたがるだろう。)

相手の嘘を見破るための、シンプルかつ強力な会話テクニック|blogs.com|おもしろブログ記事のまとめサイト

嘘を見破るときに一番大事なことは相手に自分が疑っていることを気付かせないことだと思う。もし相手が嘘をついていなかった場合、逆に不信感を与えることになるからだ。そういう意味でもこのテクニックは使える。しかしこのテクニックをしったおかげで、相手が急に話題を変えてしまった場合、相手にその気がないのに「何?こいつ俺のこと疑ってるの?」と疑心暗鬼になってしまうかもしれない。

保守王国に生きる

 いつだったか、ある工場に請負労働者として行ったことがある。基本的にどこでも正社員非正規社員とでは大きな溝がある。そこに僕の同級生の母親だという人物がパートで働いていた。僕は懐かしい名前を聞いて思わずうれしくなり、今、彼はなにをしているのか聞いてしまった。すると、急に声を張り上げて、「あんたなんかと違って正社員で働いてるわ。一緒にすんな」と怒鳴りつけられた。直接雇われているパートと外部から来た請負とでも壁があるのを知る。もちろんここでは正社員とも仕切りがあり、食堂を使わせてもらえないなんてのは当たり前だった。

続・ダメ人間漂流記: 保守王国に生きる

誰にだって差別心はあると思う。けど同時にそれを恥ずかしいと思う気持ちを持っているのが僕は普通だと思っている。だからこの母親のように負の感情を恥ずかしげもなく表に出せる人間が不思議でならない。そうするのが当たり前だから恥ずかしいと思わないのかな。保守の人たちが守りたいという古き良き日本というのは、そういうものではないと思うのだけれど。