日本のヌーベルバーグと香港映画

今週の金曜日から始まる「1960年代日本新浪潮(ニューウエイブ)」映画回顧展は、今からみればもちろんオールドウエイブだが、私には懐かしい出来事を思い出させる。
オープニングの青春反抗映画《狂った果実》は、中平康監督、石原裕次郎主演。1956年に撮られており、フランスのヌーベルバーグよりも早い時期で、トリュフォーに絶賛された。
1966年から67年には、中平康(1962〜78)は、香港にやってきて邵氏(ショウブラザーズ)で数本の映画を撮っている。名前は楊樹希と変えている。ある晩、彼は日本酒の大瓶を2本かかえて通訳の戴振翮と太子道の「愛華居」にやってきて、インタビューに応じた。出席したのは羅卞、邱剛健、西西、林年同、陸離、戴天と僕で、酒を飲みながら話した。その記録は香港の「中国学生周報」と台湾の「劇場」に掲載されている。


その時の中平康は、日本でうまくいかず、香港でも適応できなかったが、その晩は楽しそうに僕たちと映画談義に花を咲かせた。トリュフォーアラン・レネは《狂った果実》がヌーベルバーグの先駆けだと見ていた。香港公開時のタイトルは《情慾寶鑑》。彼の《黒い賭博師》も香港で上映されており、《賭王檎千記》というタイトルで、香港映画のギャンブルモノよりも数年早かった。


当時邵氏は、多くの日本の監督を招聘しているが、日本映画のリメイクをさせるだけだった。ミュージカル映画《香江花月夜》を撮った井上梅次は比較的評判がよかった。邵氏は胡金銓(キン・フー)、張徹(チャン・ツェー)、徐増宏らが創り出した武侠映画ブームに主に頼っており、香港映画の改革とスタイルの変更を促していた。韓国の鄭昌和も邵氏に加わり、ヒットアクション映画を撮っていた。


中平康は日本のヌーベルバーグの先駆者だったが、主将ではなかった。今回の特集上映で最も多く選ばれたのは、増村保造(1924〜86)の作品。香港でもすでに何本かは公開されているが、僕の印象ははっきりしていない。僕が個人的にプログラムの中でもっとも好いと思うのは篠田正浩の《心中天網島》、さらに勅使河原宏の《砂の女》と今村昌平の《日本昆虫記》で、どれも重要な作品だ。大島渚については、今回選ばれた2本の初期の作品は、彼の成熟した作品ではない。


日本ヌーベルバーグ老年の暴れん坊・鈴木清順(1923〜)、さらに年齢が上で多産の脚本家でもある新藤兼人(1912〜)は、50歳ごろ脚本・監督した作品、《裸の島》や《鬼婆》は国際的な評価を受けている。現在彼は96歳で、最近でも好い作品を撮り、日本の現役最長寿監督でもある。


《裸の島》は小さな島の貧しい農民をドキュメンタリー的に撮ったもので、苦しく素朴で感動的な映画だ。《鬼婆》は貧しく苦しく残酷な戦乱の中の性と暴力を描く。40年以上前の香港公開では、《子曰食色性也》と改題されている。by 2008.10.1「明報」石琪記

この特集上映、見たいものはあるのだが、いろいろ重なっていてほとんど見られない感じ。

李修賢、油っこいものは駄目

李修賢(ダニー・リー)は昨日、西貢でイベントに出席した。先だって大陸で撮影中、心臓に異変があり緊急に香港へ戻り医者にかかったと伝えられた。しかし昨日の李修賢は元気で、話しをするのも気合い十分だった。彼は今年5月に香港で心臓のバルーン手術を行った。簡単な手術で、今はもう何でもないが、脂肪の多い食品はひかえなくてはならない。半年後に病院で再び検査を受けると話した。by 2008.10.1「文匯報」

バルーン手術は、先端にバルーン(風船)のついたカテーテルを血管に入れ、風船を膨らまして細くなった血管を広げる治療。香港では「通波仔」と言われている。